第18話
「昨晩トクスさまにはお話しましたが、改めて。私はヘデラ・フィアト。五年前のヒュドラ災害で一度は死んだ者です」
窓から入るたっぷりとした陽の光を浴びながら、聖女ヘデラは静かに口を開いた。
応接間には彼女とアイビー、トクスに加え、翼の幻操師とナシラもいる。ナシラはまだ頭に包帯を巻き、左腕も添え木をして三角巾で吊っていた。動いて大丈夫なのか、あなたも座った方がいいんじゃないかと何度も問いかけたが、最終的に「しつこいです」とうんざりされてしまった。
「一度は死んだ、と言いますが、あなたは今、こうして我々の目の前にいる。なぜです?」
疑問を顔に浮かべながら問いかけたのは、翼の幻操師だった。トクスより年上だという彼は、ユリオと名乗っていたはずだ。トクスと違って力を使う時だけ翼が出るわけではないようで、彼の背には鷹によく似た翼が生えたままだ。
「あなたは、その……魔術師だったと記憶しています。ですが死後、それも火葬されたのに復活するなんて、いくら魔術師とはいえあり得ないのでは」
「ただの魔術師ではありませんでしたので」
ヘデラは顔を覆っていたベールを取り、スカーフを外す。アイビーと同じ色、けれどさらさらとした長い髪が音もなく胸や背中に滑り落ちた。何をしているのだろうと全員が黙り込む中、彼女はワンピースの襟元を押し下げた。
ご覧ください、とヘデラが己の鎖骨に指で触れる。アイビーはじっと目を凝らし、あっと声を上げた。
「それって、契約印なんじゃ」
「俺にもそう見えます」と同意してくれたのはトクスだ。「白鳥……いや鷹……?」
「私は幻獣フェニックスと契約を交わしていました」
「フェニックスって……世界に一体しかいないと言われる……!」
トクスやユリオは驚きに目を丸くしているが、アイビーだけが分からないでいる。見かねたのか「治癒や再生を司ると言われている巨大な鳥の幻獣ですよ」とナシラが教えてくれた。
魔術師の衰退期に一体だけ作られたそうだが、はっきりと姿を目にした者は少ない、幻獣の中でも特に希少価値の高い幻獣だそうだ。巨大というからどれくらい大きいのかと気になったのに、ちゃんとした記録もないに等しいらしく、幻獣の調査・記録・管理を担うエアスト家も代々フェニックスを追っている。
そんな幻獣とヘデラは契約していたというのだ。
「一体いつから?」
「シャガさまと初めてお会いする数年前です、トクスさま。当時の私はすでに村医師の養女でしたし、フェニックスから授かった力を使用しておりました」
ヘデラの血は怪我や病をたちどころに治す効果がある。けれど幻操師だと露見すれば同時に魔術師であることも明らかになる可能性があった。そこで彼女は水で血を薄め、さりげなく患者たちに処方していたそうだ。事実、彼女は今この時まで、幻操師であると誰にも知られなかった。
「こうして静かにひっそり、ゆっくりとでも己の使命を果たせられればと考えておりました。ですがヒュドラ災害でそんな悠長なことは言っていられなくなったのです。毎日、何十人、何百人と倒れるのですから」
「その『使命』ってなんなの?」
アイビーが問いかけると、彼女は赤い瞳でちらりとこちらを見た。会ってみて分かった。髪と目の色こそ同じだが、顔も声も
「私の生家であるフィアト家は二十年前に処刑されましたが、それまでずっと、多くの幻獣を作ってきました。本家は二百年前に処されたというのに……過去の栄光に手を伸ばしもう一度掴もうとするがごとく、何度も、何度も。幼かった私が声を上げようと、誰も聞く耳を持たない。そのたびにどれだけの人が材料に――犠牲になったのでしょう?」
ヘデラの目には自身の手のひらが血に濡れている幻覚でも見えているのだろうか。彼女の両手はかたかたと震えている。
「家族が処刑される前日、魔術師や幻獣の知識をある程度備え、神力も有していた私は、両親の古い知り合いだった村医師のもとに預けられました。家族はフィアトの再興を私に託し、死んだ。けれど私は決めていた。『犠牲になった人々の数だけ、今度は救うのだ』と」
「それが、あなたが己に課した使命、ですか」
「はい。フィアトの生き残りが私しかいない今、フィアトの悪行を償えるのも私しかいない。けれど、ただの人間のままでは時間が足りない。贖罪をするには、人間の寿命では足りないと感じたのです」
だから幻獣フェニックスと契約した、とヘデラは力なく両手を膝の上に落とした。
トクスたちはある種納得したような表情を浮かべていたが、アイビーだけが首を傾げていた。水を差してもいいものか分からず、近くに立っていたナシラに「ねえ」とこそこそ話しかける。
「人間の寿命じゃ足りない、だから幻獣と契約したって……つまり、どういうこと?」
「〈核〉が破壊されたり摘出されない限り、幻獣は半永久的に動きます。その血を――神力を含んだ血を得た幻操師は、総じて長命になるんです」
「神力が与えられるから長生きになるってこと? でも魔術師は初めから神力があるんでしょう。それなら幻操師にならなくても長生きなんじゃないの?」
「幻獣の血だからこそ意味があるんですよ。ただ神力を含んでいるのではなく〝半永久的に動くと定められた血〟を得るから、幻操師は長命になる」
ヘデラはそこに目をつけ、なおかつ治癒や再生を司る幻獣と契約して、「犠牲になった人々の数だけ人を救う」を実現させようとしたのだろう。
例えどれだけの年月がかかろうとも。
改めて彼女に視線を戻し、アイビーは別の違和感に気づいた。ヘデラの鎖骨にある契約印をもう一度見やり、違和感が確信に変わる。
「トクスの契約印に比べて、色が薄くないかしら」
「言われてみれば……」
トクスは袖をまくり上げ、己の前腕に刻まれた契約印と、ヘデラのそれを交互に見比べる。ヘデラの契約印は明らかに薄い。
周囲からの無言の問いを感じたのだろう。ヘデラは諦めように吐息をこぼした。
「フェニックスとの契約を違えたのです。日に日に私の幻操師としての力は落ち、あと二、三度使えば、もう」
私は幻操師ではなくなるでしょう、と。
ヘデラの言葉は、弱々しく儚かった。
「復活したのもフェニックスの力ですか。フェニックスは炎に飛び込み、灰の中からまた生まれると聞きます。死の間際にわざわざ魔術師だと明らかにしたのはそのためですね。魔術師はほぼ確実に火葬される。遺灰も骨も、盗まれたわけではなく自分から抜け出した、と」
「……ヒュドラ災害の時は力を使いすぎて、一度蘇ることで力の全てを回復させるしか
力が弱まり始めたのは、体が完全にもとに戻ってから間もなくだったという。
せっかく復活したのに、幻操師としての力が失われている。そう理解した時、ヘデラはどれほど愕然としたのだろう。
「じゃあこれからは幻操師としてじゃなくて、普通に魔術師として力を使えばいいじゃない」
「魔術師としての私は落ちこぼれなのですよ。神力を有しているとはいえ、自由自在に使えたためしがない」
ヘデラはおもむろに右手を窓に向かって掲げ、なにかを掴むように手を丸めると軽く引いた。だが何の変化も起こらない。彼女は「カーテンを引こうとしたのですけれど」と自嘲気味に笑う。
魔術師として力を使えない。だからこそ彼女は幻獣の力を頼ったのか。
「蘇って驚きました。私のための還天祭が行われるなんて、信じられなかった。私には分不相応です」
だからエアスト家に事情も説明しないまま逃げてしまった、とヘデラは悔恨を口にした。天馬を一頭拝借して、夜に紛れて逃亡してしまったという。その結果、還天祭に混乱を来すのではと気づいたのは冷静さを取り戻したころだったと。
「ちょっと待って。還天祭が行われるって、逃げる前に聞いたのよね。誰から?」
「部屋の番をしていた幻獣です。とても優秀でいい子でした。自分なら怒られないから安心して逃げてくれと」
「ま、待ってください」とトクスが口を挟む。「あの部屋の番をしていたのはケルベロス――獣の幻獣です。人語は理解していましたが、それを話せた記憶はない」
「私は神力を使わずとも幻獣の言葉が分かるのです。私だけではありません。フィアト家の人間なら大抵その技能を持っていた。家系的に受け継いでいたのでしょうね」
ひとまずトクスは、エアスト家のシェダルにヘデラ復活を報告してくるようユリオに頼み、彼はすぐさま飛び立った。入れ替わるようにダビーがこちらを覗き込み、シャガさまがお目覚めになりました、と知らせてくれた。すぐに行くからとトクスが席を立つ。
「ヘデラはここに残った方がいいでしょう。兄上はあなたが死んだと思っている。今会ったら兄上がなにをするか分かりません。ナシラとアイビーは俺と一緒に地下牢へ」
ナシラに先導されながら、アイビーとトクスは地下牢へ向かった。応接間から回廊をしばらく歩いた先に地下に続く螺旋階段がひっそりとあり、誰も言葉を発することなく黙々と下っていく。
階段を終えた先に兵が一人いた。ナシラが彼からロウソクの灯った燭台を受け取り、前方にかざすと鉄製の扉がぬらりと現れる。重々しいそれを兵が開けると、ひんやりとした空気がまとわりつくように流れ込んできた。じっと目を凝らした先にずらりと並ぶのが牢だ。
この最奥にシャガがいるという。夜とは違った硬質な闇が続く先に存在を感じ、思わずぶるりと足が震えた。
「兄上」
トクスの呼びかけに答える声はない。分かりきっていたとでも言うようにトクスは頭を振ると、靴音を響かせながら歩いていった。アイビーとナシラもそれに続く。
シャガのいる牢に着くまでの時間が、いやに長く感じる。一歩進むごとに冷え切った空気が頬を撫でていき、ぞくりと背筋が粟立った。実際は三十秒もしないうちに牢に着いていた。
「兄上。起きているんでしょう」
ナシラから燭台を受け取ったトクスが兄の顔を探す。アイビーは照らされた先に順に目を向け、「牢というよりも一つの部屋だな」と内心で仰天していた。ここに来る途中にあった他の牢と違い、書き物机や本棚、ベッドが備わっている。仕切で区切られた向こうにあるのは浴槽だろうか。
窓がなく、アイビーが使っている部屋よりは狭いものの、奥行きもあるし暮らしに不自由はしなさそうだ。特別待遇なのだろうかと考えていたところで、部屋のすみでなにかがもぞもぞと動く。トクスがすぐさまそちらに明かりを向け、「兄上」と再度呼びかけた。
じゃらりと鎖の擦れる音がする。ともし火に照らし出されたシャガは、ベッドのそばで膝を抱えてうずくまっていた。ここに運び込まれた時に衣服を取り換えられたらしく、生成りのシャツと真っ黒なパンツという簡素な身なりをしている。腕や脚はナシラ以上に固定され、さぞ身動きがし辛いだろうと思えた。
「…………あぁ、トクス」
頭に巻かれた包帯のすぐ下で、深緑色の瞳が魚の目のようにぐるりとアイビーたちを捉えた。表情を窺おうにも、顔の七割は包帯で覆われていて、じわりと血が滲んでいる部分もある。声はひどく枯れ、生気がまるで感じられない。
「僕をここにいれたのはお前か、トクス。僕がなにをした?」
「とぼけるつもりですか。幻獣作成、王宮破壊、誘拐未遂、殺人未遂……危険人物として投獄されるに十分でしょう」
「王宮を壊したのは僕じゃない。何もしていない。やったのは……ああ、そうだ。スペネ。あいつに聞けば分かる。『自分がやった』って言うだろうさ」
「スペネはひと月前から行方不明です――と言いたいところですが」
トクスはシャガを見下ろしたまま、淡々と続けた。彼の吐く息に煽られ、ロウソクの火がふるふると揺れる。
「兄上が騎乗していたドラゴン。材料になったのはスペネですね?」
――やっぱりそうなのね。
ナシラはわずかに目を見開いていたが、アイビーは庭園での一幕を思い出して納得していた。ドラゴンがアイビーの拘束を破壊した時、シャガは間違いなく側近の名を呼んでいたから。
シャガは特に動じた様子もなく、あっさりと「そうだよ」とうなずく。
「ドラゴンになって言葉は喋れなくなってしまったけど、文字は書けるんだ。後ろ足で、爪を使ってね。器用だと思わないか」
「ドラゴンとなってなお、スペネには己の意思があったと?」
「ねえ、それよりも、そこにいるの、『ヘデラ』だよね?」
粘ついた視線がアイビーに向けられ、反射的に後ずさってしまった。なんとか耐えようと唇を噛み、深呼吸を繰り返す。それでもシャガに対する恐怖と嫌悪は簡単に落ち着かず、アイビーは無言で力強く首を横に振ることしか出来ない。
「初めて会った時は、まだこんな赤ちゃんだったのに」
シャガは包帯に覆われて動きの鈍い腕を胸の前で上下に動かし、心底懐かしそうに語る。
影になっていて見えにくいが、唇に恍惚とした笑みの形が乗っている。気付いた瞬間、アイビーは「あっ」と声を上げていた。
――孤児院でシャガと会った時からずっと、あの目を見たのは初めてじゃないと思っていたけれど。
恐らくというよりほぼ確実に、自分の予想は間違っていなかったのだ。
作られてすぐの意識がはっきりとしていない時に、間近で見ていたのだろう。シャガが側近からアイビーを取り上げて、きっとすぐに。
「最初はね、なんでこんな子どもがって思ったよ。ヘデラの血を材料に使ったんだから、ヘデラが出来るって信じていたのに。でも段々ね、愛おしくなってきたんだ。僕とヘデラの子どもだって思えば、とっても幸せになれたんだよ。それに一時間もすれば、どんどん大きくなっていった。内側から膨らむみたいにね」
面白かったなあとシャガは宙を見上げ、当時を思い出すように目を細める。よほど良い思い出なのか、かさつく声がおもちゃを見つけた子どものように弾んでいた。
「兄上。彼女を作ったのはスペネですね?」
「うん。でもあいつは『ヘデラ』作りに失敗した。僕に忠誠を誓っていたくせに失敗したんだよ。ああ、思い出しただけで腹が立つな。スペネはどこ? ここに連れてこい。叱責してやる」
「兄上が『スペネ』と呼んでいたドラゴンなら、どこかへ飛び去りましたよ。一刻も早く見つけて討伐しなければ」
「スペネはね、色々と中途半端なんだ。『ヘデラ』に失敗した上に、僕に幻獣の作り方を教えろって言った時だって『殿下には神力がありません』って拒んできた。神力が無くても幻獣は作れるだろうって問い詰めたけど、不可能の一点張りだ」
トクスとシャガの会話は進んでいるように見えて、実際はシャガが微妙にずれている。本人に自覚はないようで、トクスは時おり悩ましげにに燭台を持つ手に力を込めていた。
「答えてください、兄上。幻獣となったスペネに己の意思はあるんですか」
「お前は昔から馬鹿だなあ。意思の疎通が出来たんだからあるに決まってるだろ。いちいち説明してやらないと分からないのか?」
「己の意思があったのだとしたら、なぜ兄上に危害を加えたのだろうと思っただけです。彼は兄上に忠誠を誓っていた。崇拝していたといってもいい。そのスペネがあなたを蹴り飛ばしたのですよ」
言われている意味が分からないとでも言いたげに、シャガはことりと首を傾げる。まるで壊れた人形のような、無機質な動きだった。
「それに加えて炎だって吐き出した。アイビーが『炎は吐けないと言っていた』と教えてくれました。どういうことです?」
「知らないよ、そんなの。使えるけど黙っていたんじゃないのか。そうだとしたら、ああ、本当にあいつは中途半端だな。お仕置きをしてやらないと。〈核〉が損傷していようが知ったことじゃない。お前は僕の言う通りにしろって、厳しく言い聞かせてやらないと」
「――ナシラ」
はい、とナシラが静かに返す。
「俺はもう少し兄上と話す。お前はアイビーを連れて応接間に戻れ」
「えっ、どうして」
自分もシャガに問いつめたいことがあったのに、と言外に訴えてみたが、トクスはゆるゆると首を横に振った。
「この状態でまともに話が出来るとは思えません。あなたもこれ以上は耐えられないでしょう。体が震えている」
「…………あ」
「すぐに俺も戻ります――頼んだ」
「かしこまりました」
燭台がナシラの手に渡り、アイビーは彼に導かれながら地下牢を後にした。明かりが無くなってしまって良かったのかと何度も振り返ったが、ぼうっと炎の赤が見えた。トクスが腕に灯したらしい。
回廊まで戻ったところで、かくんと膝の力が抜けた。なかなかついてこないと気づいてナシラが振り返り、床に手を突いたままのアイビーを見てすぐに戻ってきてくれる。お手を、と彼が差し出してきた右手には、無数の傷がまだ残っていた。
「……ドラゴンに踏みつけられたって、聖女から聞いたけど」
「ええ。上からぐしゃっとやられましたよ。迂闊でした。私が至らないせいで殿下にも多大なご迷惑をおかけしてしまった」
「まだ痛む、わよね」
「痛まないわけがないでしょう。聖女が通りかかったから助かったものの、普通なら私は今頃死んでいますよ。こうして立っていられるのは、彼女が限りある力を使ってくれたおかげです」
アイビーはなるべく慎重にナシラの手を掴み、なんとか立ち上がる。
「さあ戻りますよ」
「……トクスは大丈夫かしら」
当たり前でしょうとナシラが確かな口調で答え、アイビーもようやく少しだけ安心できた。それでも心配で、応接間に着くまでの間に何度も回廊を振り返った。
背後で鉄製の扉が閉まる音を聞き、振り向いて己の目で確かめたうえで、トクスは改めてシャガを見下ろした。
これからの話は、アイビーだけでなく、ナシラにも聞かれるわけにもいかなかった。どのみち話さねばならない時は来るだろうが、今聞かせるべきではない。そう判断して、二人を部屋に帰した。
「――――さて、兄上」
腕に灯した炎は、虚ろな兄と懐疑的な弟だけを照らしている。
「アイビーを幻獣だと言いましたね。誰です?」
「なにが?」
「〝誰を材料にしたのか〟と聞いているんですよ」
兄の近辺で行方が分からないのは、あと一人いる。
七年前に忽然と姿を消した、ナシラの兄。
シャガはくっくっと喉の奥で薄く笑い、焦点の合わない目をトクスに向けた。
「その顔、本当は分かっているくせに。どうしてわざわざ僕の口から聞きたがる?」
「兄上から聞くことで確証が持てる。……彼が消えた時期と、アイビーが作られた時期は合致している。偶然ではないでしょう」
「あいつを材料に使ったからかな。『ヘデラ』はヘデラと違って、髪質と顔つきがちょっと違うんだ。ほら、シロンの髪はふわふわと癖があっただろう? 大きくなった『ヘデラ』を見て驚いた。あいつと同じ髪なんだもの」
シャガの言葉は、もはや自白だ。
そうでなければいいと思っていた。けれど兄は平然と誰が材料になったかを認めた。
――アイビーに、そしてナシラに、ダビーに。俺はなんて説明すればいい。
トクスの怒りに反応し、腕の炎がひときわ強く燃え上がる。離れた場所でもそれなりの熱さがあるはずだが、シャガに動じた様子はない。
「取り返しのつかないことをしたという自覚はありますか。あなたは護衛と側近を犠牲にしたんですよ!」
「それがどうした? シロンは僕に逆らってばかりで目障りだったし、スペネも僕の思い通りにしてくれなかった。二人とも罰を受けただけだよ。王族が臣下を罰するのは当然じゃないか」
「……狂っている」
シャガは許されざる罪を犯した。だが自覚はなく、己の行いはむしろ当然だと開き直っている。これを狂っていないという方がおかしい。
「兄上。ドラゴンにスペネの意思があると言っていましたが、俺はそうは思えない。あれは最早ただの脅威だ。早急に見つけ出し、討伐しますが構いませんね?」
「おかしいなあ」
本当におかしい、とシャガは乾いた笑い声をあげた。感情のこもっていない、空っぽの笑い方だ。
「お前は幻獣を作った僕を糾弾しているけれど、お前は人を殺せるのか?」
「は?」
「スペネは死んでない。違う形で生きている。討伐するということは、完全に殺すということだよ。お前にはそれが出来るの?」
「っ……!」
兄の言葉は歪むところまで歪んで狂っているのに、なぜか言い返せない。兄を隔てる檻が無ければ間違いなく掴みかかっていただろう。
「幻獣の材料にする際、大抵の人間は抵抗を防ぐために殺されていたと聞きますが、まさか……スペネは生きながら幻獣になったと?」
「僕には神力がないんだよ。なのに幻獣なんて作れるわけがない。だったら、自分で自分を材料に幻獣に成ってもらうしかないじゃないか」
生きたままじゃなきゃ、自分を材料にするなんて出来ないだろう、と。
兄の口調に、罪悪感は微塵もない。
「〈核〉はヒュドラから盗ってきたものがあったし、〈核〉自体にヒュドラの名残があったのかな。だからドラゴンになったんだろうね」
「ヒュドラの〈核〉も、兄上が? そうまでしてなぜ幻獣を作ろうと……!」
「女は強い男に憧れるものだろう? 彼女の前でドラゴンを従えたら、『ヘデラ』は僕に恋をするよね。僕の前から消えたのだって、僕が弱かったからに違いないんだ。だから僕は彼女にとって誇れる男になろうって決めたんだよ」
兄の瞳は奇異に染め上げられているのに、同時にこれ以上ないほど真剣でもあった。
「じゃあもう一度だけ聞くよ、トクス。スペネは死んでいないんだ」
お前は人を殺せるのかと問う兄に、トクスは内心激しく揺さぶられていた。
「……殺すしかないでしょう」胸の奥深くで、苦しみと哀れみが限界まで冷え切って、澱のように滞る気配がした。「彼は国や民にとって危険でしかない存在と化している。これ以上放置しては、スペネにとっても苦でしょうから」
ふっと腕の炎をかき消す。
本当に出来るのかなと嘲笑う兄の顔は、もう見えない。
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