第14話

 ここが、スペネが使っていた地下室だろう。天井はそれほど高くない。埃くささと湿っぽさがまず鼻をつき、次いで隙間なく壁を埋めた本棚が目に入る。出入り口と対になる位置に机と椅子が置かれ、整理整頓された机の上には羽ペンだけが転がっていた。机の隣には天井とほぼ同じ高さの収納棚が置かれているが、扉がついていて中は見えないようになっている。

「幻獣を作っていたかも知れない部屋のわりに、あまり広くないのね」

「ドラゴンほどの大きなものは無理でしょうが、猫や犬くらいの大きさであれば余裕で作れたでしょう。本棚に入っているのは……ああ、ありますね。『幻獣事典』『幻獣百科』。どちらもエアスト家が作ったものだ」

「エアスト……シェダルさんの家?」

 昨日の夜にトクスを訊ねてきた魔術師の男だ。彼は還天祭で祭壇に置かれる予定の聖女の遺骨と遺灰を管理していたが、何者かによってそれが盗み出されたことと、数年前に国内を襲ったヒュドラについての調査が終了したことを知らせに来たのだった。

 アイビーの問いに、トクスは首肯した。

「幻獣の記録を担っている家ですし、幻獣に関連した本はたいていエアスト家の執筆です。『事典』も『百科』も、出版されたのは今からずいぶんと前ですね。保管状態が悪かったのでしょうか。どちらも痛みが激しい」

 トクスは慎重な手つきで二冊の本を引き出す。アイビーも一冊ずつ交互に手に取らせてもらった。どちらもずしりと重みがあり、中を開けると幻獣について事細かに記されていた。特に『百科』は文字だけでなく、姿絵も交えられている。

 これらを参考に、スペネは幻獣を作っていたのだろうか。だが確たる証拠はない。トクスよりも先に地下室の調査をしていた者たちに持ち去られている可能性も大いにあった。

 本棚には他にも薬草書や動物事典、神話や伝説の生物について記した書物がいくつかあった。机が整理整頓されていたし、スペネはきっと本の種類ごとに分けて並べていたのだろうが、一目見ても分かるほどに順番がぐちゃぐちゃになっている。これにはトクスもため息をついていた。

「全く。証拠が残っているのかも知れないのだから乱雑に扱うなと言っておかなければなりませんね。俺の部下たちであれば、こんなことしないだろうに」

「部下?」

「親衛隊みたいなものです。規模的には小隊と大差ないほどのものですが。なにせ俺は幻操師ですからね。神への信仰を重要視する王都において、俺に従おうとする者はあまりいませんよ」

「……それって少し悲しくない?」

 アイビーが訊ねると、トクスは儚い笑みを浮かべて首を横に振った。

「昔は悩んだ時期もありましたが、今は全く。大多数に認められていなくても、俺は、俺を信じてくれる人が一人でもいるのならそれでいい」

 次はあそこを見てみましょう、とトクスが机の横の棚に歩み寄った。扉に鍵はかかっておらず、軽い力で引くとすんなり開いた。中は平たい板で四つに仕切られており、右上と右下の棚には乾燥させた植物や、なんの変哲もない石、値段も計り知れない宝石などを収めたガラス瓶が隙間なく置かれている。

 左下には真っ新な紙やペン、インクが収納されていた。左上の棚を見上げると、そこには木の箱がひっそりとあるだけだ。トクスはそれを手に取り、軽く振っていた。大きさはアイビーの顔ほどだろうか。かすかにものが擦れる音がする。

「重さもそれなりですね。ふたは……おや、開かない」

「鍵がかかってるの?」

「どうやらそのようです」

 無理やりあけられた形跡もない。アイビーは鍵が隠してありそうな机や椅子の下を覗き込んでみたが、それらしいものはなかった。鍵穴から考えて、それほど小さな鍵でも無さそうだ。他の棚や本棚も見てみたが、やはりない。

「本の間に挟んであったりしないかしら」

「なくはないですね。ですが、これだけの量から探すのは……」

 二人はそろって本棚を順に眺めた。百冊、二百冊、もっとあるかもしれない。仮に本の中に鍵が潜ませてあるとしたら、一体どれだけの本を確認しなければならないだろう。時間だってかかる。

「ナシラが到着したら壊してもらいましょうか」

「でも、もし貴重なものが入ってて、それを傷つけちゃったらどうするの。乱雑に扱うなって、さっき自分で言ってたじゃない」

「そうでしたね……鍵師にでも頼んで開けてもらうか、あるいは……」

 トクスはポケットをごそごそとあさり、銀色の鍵を取り出した。左右から鳥の羽が飛び出した六角形の頭部と、そこに彫られた三輪の小さな花。ブレード部分の歯は四つ。

 王宮のトクスの部屋の鍵だ。彼はそれを鍵穴に当てて、すぐに苦笑した。

「入るって思ったの?」

「自分の手元にある鍵といえばこれだったもので、つい。入るわけがありませんでしたが」

 その様子を眺め、アイビーは首からぶら下げていた鍵を引っ張り出した。トクスの鍵とよく似ているが、花の模様と歯の数が違う。孤児院に預けられた時にはすでに持っていた、身元を示す手がかりの鍵――と、昨日までは思っていた。

 これは、シャガの部屋の鍵だ。本人以外は側近しか持っていないはずのもの。だがシャガは側近の分を、愛する聖女に贈ったのだという。

 それをなぜかアイビーが持っている。

 炎の蝶の灯りに照らされ、銀の鍵がつやつやと光る。考えれば考えるほど鍵への疑問が湧き出てくるが、ひとまずアイビーはそれを頭の片隅に追いやった。

「あたしも試してみていいかしら」

 トクスは少し驚いたように目を丸くしていたが、すぐに鍵穴をアイビーに向けてくれた。

 ゆっくりと鍵を押し当ててみる。トクスの鍵では入れることすら叶わなかったが、予想に反し、アイビーの鍵はすんなりと鍵穴に侵入していった。思わぬ結果に、二人は顔を見合わせた。

 だが入ったとしても、回らなければ。アイビーはそろそろと鍵をひねる。

 かち、と軽い音がした。

「……あ、開いた?」

「開きましたね」

 開けておいて、アイビーは「そんな馬鹿な」と思うしかなかった。なぜシャガの部屋とこんな木箱の鍵が一緒なのかと。シャガを敬愛するがゆえなのだろうか。

 トクスが木箱のふたを開けると、中は緩衝材がわりの枯葉がぎっしりと詰め込まれていた。すべて取り除いたところ、現れたのは不思議な石だった。

「なにかしら、これ。すごく綺麗」

 宝石の一種だろうか。雫のような形をしており、表面はつるりとなめらかで傷一つない。アイビーの手のひらに収まるほどの大きさで、気のせいかほのかな温かみを感じる。まるで内部に光の粒が埋め込まれているように、鮮やかな緋色は時々うるうると輝いて見えた。

 どうしてだろう。宝石を目にした時から、奇妙な懐かしさを感じる。体の内側に気力が満ちていくような心地もして、アイビーは困惑しながらトクスを見上げた。

「変わった石ね。なんだか元気をもらえる感じがするんだけど、トクスはこれがなにか分かるの?」

「ええ」とトクスはどこか渋い表情を浮かべている。アイビーが宝石を差し出すと、彼は手に取って検分するようにしばらく見つめたあと、確信をもって言葉を続けた。

「これは〈核〉です」

「か、〈核〉?」

「幻獣の心臓ですね。これがある限り、幻獣は半永久的に動き続ける。俺はイフリートと契約した時や、ヒュドラ討伐の時などに何度か目にしたことがありますが……これはそのどれよりも美しく、完成度が高いというのが分かる」

「どうしてそんなものがここに」

「スペネが作ったのか、あるいは『見本』か」

 離宮で読んだ彼の手記には「見本のあるなしではこれほど違うものか」とあった。トクスはそれを覚えていたようだ。

「いずれにせよ幻獣作成の重要な証拠になりますね」

「でも、てっきり一カ月前までの日記が入ってると思ってたのに。またどこか別のところに隠してあるのかしら」

「もしくは兄上がすでに処分させたか……他の資料が残っていたのは、物置同然の家に隠してあった方にまでは目が行かなかったからかも知れません」

「トクスさま!」

 通路を反響し、ジーゲルトの声が地下室に飛び込んでくる。切羽詰まった声に、トクスは〈核〉を箱に戻して「どうしました」と訊ねた。

「ドラゴンが王宮に向かってきております!」

「なに?」

「シャガ……!」

 アイビーは思わず胸の前で両手を強く握った。シャガの狙いはほぼ間違いなく自分で、彼をおびき出すための囮であることも分かっていたはずなのに、いざ現れたと聞くと全身が強張ってしまう。

「急いで地上に。アイビー、決して俺のそばを離れないでください」

「わ、分かった」

 うなずいた直後、けたたましい咆哮と大地の揺れる音がした。反射的にトクスの腕に縋りつくと、彼はアイビーを守るように肩に手を回す。

「行きましょう。兄上を捕らえなければ」

 徐々に外の騒ぎが大きくなっていくのが分かる。二人は急いで地下室を後にした。



 王都にドラゴン出現の報が駆け巡る、十数分前。

 林の中のとある小川のほとりで、一人の女が水面を覗き込んでいた。

「…………やはり薄くなっている」

 女は鎖骨の中央に触れ、悔恨の表情を浮かべた。

 ――見たところ、魔術師だっていうわりに君は嘘をつかなさそうだし、しつこいし。分かったよ。血が欲しいんでしょ?

 思い出したのは、十年ほど前の一幕。十九歳だった頃の光景だ。うらぶれた酒場の一角で、麗しい紺碧色の髪の青年と話していた時のこと。

 ――僕は君に力を与える。代わりに君は――

 なんと言葉を交わしたか、今でもはっきりと覚えている。彼が提示した契約内容に異論はなく、守り抜くと約束した。

 けれど。

「破ってしまったのだから、契約印が薄れていくのも当然だわ」

 鎖骨の中央には、青年と契約を交わした時に刻まれた契約印があった。色濃く存在を主張していたそれが、今はよく目を凝らさなければ分からないほどに薄れている。数日もすれば完全に消えてしまうだろう。

 異能の力も同様に。

 女は小川に手を入れ、切れ味が鋭そうな適当な石を掴んだ。そのまま迷いなく、己の左腕を傷つけた。一筋の切り傷が生まれ、じわじわと血が滲み出てはたらたらと腕を伝って流れていく。

 以前であれば一秒とかからず完治していたが、力が薄れた今、傷の再生が始まったのは十秒を過ぎた頃だった。完治するまでの時間も比べ物にならないほど遅い。

「このままでは……」

 己に課した使命が、志半ばで潰えることになってしまう。

 幻操師として残された時間は限りなく少ない。一刻も早く、自分を必要とする者、救いを求める人のもとに向かわなければ。

 ぶる、となにかを訴えるような鼻息に振り返ると、純白の天馬がもの言いたげにこちらを見つめていた。天馬は女に駆け寄ってくると、鼻づらでぐいぐいと背を押してくる。早く隠れろと言っているのが分かった。

 急いで木々の影に隠れると、天馬も姿を潜めるように雄大な翼をたたんでしゃがみこむ。

 直後、なにか巨大な影が頭上を通り過ぎていった。

「あれは……!」

 ドラゴンだ。先日立ち寄った村がドラゴンに襲われて甚大な被害を受けていたが、あれと同じ個体だろうか。飛び去った方向から察するに、

「王都に向かっているのかしら」

 ドラゴンは毒の息を吐く。王都がそれに襲われないとも限らない。

 女は天馬に横乗りし、「あのあとを追ってください」と優しく首筋を撫でる。心得た、と天馬はすっくと立ち上がり、助走をつけてから飛び立った。

 王都に向かうということは、王族に見つかる可能性があるということでもある。迷いがないわけではなかったが、苦しめられる人がいるかもしれないのに、見過ごすわけにはいかない。

 女は風にたなびいていた朱色の長い髪をスカーフで覆うようにまとめ、その上から黒いベールを被る。人前に出る際は人相を悟られにくくするためにベールを眼前に垂らしているが、ドラゴンを追う今、視界は明瞭にしておくべきと判断する。

 ――急がなければ。私の使命を果たすためにも。

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