第12話

 ――一般的な幻獣と違い、少しばかり難しい。

 ――たいていは伝説や伝承に沿って作り上げられるが、今回のこれはいささか事情が違う。初めての挑戦に、私はもちろんのこと、殿下も苦労を覚えつつ楽しみで仕方がないと仰っておられる。


「……兄上も幻獣作成の場にいたと受け取れる文面だ」

「王太子が関わっていた十分な証拠になる資料、というわけですか」

「二人はなにを作っていたのかとか、どこかに書いてない?」

 日付をさかのぼればそれらしいものが見つかるかと思い、アイビーはいくつかめくってみた。だが意図してなのか、それともたまたまなのか、シャガとスペネが作っていたらしい幻獣の名や見た目などはどこにも書かれていない。

「兄上が作った幻獣というとドラゴンですが、あれは『一般的な幻獣』の部類に入るはずです。これには『初めての挑戦』とありますし、なにか別のものを作っていたと考えるべきでしょう」


 ――〈核〉は私が作り上げた。不純物もなく、輝きが劣ることもない。間違いなく過去最高の出来と言っていいだろう。見本のあるなしでは、これほど違うものかと驚いた。


 幻獣の心臓ともいえる〈核〉を作り出せるのは神力の保有者だけだ。資料の記述方法と併せて、スペネは間違いなく神力を宿していた。

 要するに魔術師だったのだ。魔術師のほとんどは処刑されたが、なかには離散しただけの家系もある。そこの血を引いていたのかも、とトクスは言う。

「まさか兄上は、それを見抜いたうえで側近にしたのか?」

「初めから幻獣を作るつもりでいたってこと?」

「殿下もアイビーさまも、お忘れではありませんか。魔術師は『幻獣を作った』場合は処刑されますが、ただ神力を宿している、またそれを使用したとしても厳罰が下ることはそうそうありません。シャガさまは何らかの機会にスペネの力を知り、初めはあくまで身を守るなどのために側近に起用した可能性だってあります」

 ナシラの言う通りだ。共に過ごすうちにシャガが幻獣に興味を持ち、自分がもみ消すから作ってみせろと命じたとも考えられる。スペネはシャガに忠誠を誓っていたともいうし、命じられれば二つ返事で了承しただろう。


 ――必要な材料は全て手探りだった。基本的な部分は、人型の幻獣を作るのと変わりがないはず。幻獣作成のための陣も完璧だ。殿下も出来上がりを非常に楽しみにしておられる。あと一週間くらいで完成するはずですと伝えると、少年のように微笑んでくださった。

 ――私が未熟なせいだろうか。なかなか思うように進まない。焦らなくていいと殿下は励ましてくださり、その玉音は、疲れ、乱れていた私の心を穏やかにする。


 スペネはかなりシャガを慕っていたようだ。幻獣作成の進捗に混じり、たびたびシャガを称賛する文言が入ってくる。殿下こそ神のようなお方だとか、手を触れられるだけで天にも昇る心地だとか、まるで恋する乙女のようだ。

 念のためトクスにスペネの性別を訊ねる。男だった。


 ――ようやく形が整えられてきた。殿下には初め一週間で完成すると伝えたが、外側が出来上がるまでに五日を要していた。地下にこもりっきりの私のために、殿下がわざわざ一日に二回も食事を届けてくださる。けれど、分かっている。殿下は私を気遣っているのではなく、私が作っている幻獣に気を向けているのだと。私が倒れれば、幻獣も完成しない。その事が少しばかり、本当に少しばかり、憎らしい。

 ――睡眠不足がたたり、陣の中に水をこぼしてしまった。すぐに拭ったから影響はないだろう。殿下に報告しておくべきだろうか。気にするなと仰って下さるだろうか。それとも無様な真似をと折檻なさるだろうか。どちらでも構わない。殿下に触れていただけるのなら、私には折檻さえ甘い蜜となるのだから。


「どうしました、アイビー。顰め面になっていますが」

「顰め面にもなるわよ。どうせ誰にも読めないと思ったのか知らないけど、だいぶ気持ち悪いこと書いてあるんだもの」

「世の中には色々な人間が居るものですよ」


 ――結局、私は殿下に己の失態を報告できなかった。失望されるのが恐ろしかったのだ。

 ――一時はどうなることかと思ったが、理想通り、いや理想越えのものが出来た。本物よりも美しく可憐。私と殿下が力を合わせて作ったのだから、これは私と殿下の子どもと言っても過言ではないのではないだろうか。


 うわあ、とアイビーは口元を手で覆った。さすがのトクスも渋面になりつつある。読めないナシラだけが二人の反応に首を傾げ、トクスから文面の説明を受けると、主君と同様の表情になった。


 ――私は殿下からお褒めの言葉を待った。幻獣を抱く殿下の眼差しは優しいけれど、同時に怒り狂っているようにも思える。いかがですかと訊ねたところ、殿下は私に言った。完璧に近いけれど、でもやっぱり違うと。子どもを作れとは言っていないと怒鳴っておられた。私はただひれ伏して懺悔するしかなかった。


「ちょっと気になったんだけど、ナシラさんのお兄さん――シロンさんは、二人が幻獣を作っているのを止めたりしなかったのかしら」

 スペネの手記にはシャガの名前しか出てこない。護衛であったならシロンも傍にいただろうに。アイビーの疑問に答えたのはトクスだった。

「日付を見るに、この時にはすでにシロンは行方不明になっています。彼がいれば幻獣作成など止めていたでしょうが……」

「――――反対したからこそ、どこかへ追いやられたという可能性は」

 ナシラの口調に苦いものが混じる。アイビーもトクスも何も言えないままだ。


 ――殿下の怒りは収まらない。私はそういうことが起こり得る場合について繰り返し説明したが、殿下は納得なさらなかった。

 ――償え、と殿下は仰った。私に出来ることなら何でもすると答えた。処罰は明日伝える、それまではここから動くことを許さない、と殿下は幻獣とともに私の部屋から去った。なにを命じられるのだろう。どんな命令であっても従うつもりだ。腕を切り落とせと言われれば切り落とすし、目玉をくり抜いて自分で食えと言われようと従う。殿下の期待を裏切った罰なのだから。


 よほど動揺していたらしく、スペネの筆跡は少しずつ歪み始めた。涙でも落としたのか、ところどころ文字の端が滲んでいる。


 ――明日来ると言っていたはずなのに、殿下は来て下さらない。なにやら外が騒がしいが、些末なことだ。私の部屋は暗く冷たく、明かりも燭台のそれだけだ。けれど殿下が来られるだけで温かく、太陽に照らされているかのような心地になる。ああ、殿下。なぜ来て下さらないのですか。

 ――二日待った。私の部屋に来た殿下は、ひどく心乱れておられるようだった。てっきり幻獣とともに来られるかと思っていたのだが、殿下お一人だった。どうされたのですか、と訊ねた私に、殿下は「消えてしまった。だから教えろ」と仰った。何が消え、何を教えろと言うのですかと問うた私に、「幻獣が消えた。だから幻獣の作り方を」と苛立たしげに続けた。

 ――幻獣作成が償いになるのだろうか。ずいぶんと軽い処罰だとは思ったが、私は受け入れた。準備は全て自分がするから、お前はここで待っていろと言って出ていかれた。

 ――殿下。殿下。私の太陽であり、神である殿下。私を見出してくださったお優しい殿下。私はあなたさまのものなのに、なぜあなたさまは私のものになって下さらないのか。あなたの心には、いつも、いつまでも、あの聖女が在りつづける。なぜ聖女の場所に、私を当てはめて下さらないのか。

 ――側近の分際で浅ましい願いを吐いた。暗闇は私のどろどろと醜い部分を引きずり出すかのように迫る。殿下、私の太陽。あなたさまに照らされたなら、私の醜悪さはたちまち浄化されるに違いないのに。


 スペネの手記はそこで途切れていた。これよりも後の日付のものが見当たらない。念には念を入れて確認を重ねたが、やはりここで終わっている。

「スペネって人がいなくなったのは一ヶ月前って言ってたわよね。でも、これの日付は七年前の六月よ。こんなに毎日毎日、まめまめしく書いてた人が急に書かなくなるもの?」

「まだ見つかっていない手記があるのかも知れません。ナシラ、出立の準備を」

「は。どこへ行かれるのです?」

「王宮だ。彼が幻獣を作っていたと思しき地下室は王宮にある。そこを探そう」

「あたしも一緒に行かせて。探し物くらい手伝いたいの」

 それに加えてアイビーは囮なのだ。シャガをおびき出すための。いつまでも離宮に匿われっぱなしではおびき出せない。

 もちろんです、とトクスが力強くうなずく。アイビーも急いであてがわれている部屋に戻り、出発の準備を整えた。



 どかりと鈍い音が洞窟内に反響する。陽が差し込まないそこの奥深くでは、唯一の光源である焚き火が赤々と燃えていた。その光が、二つの影を岩壁に映し出す。

「で、殿下」

「黙れ、喋るな。お前の声なんて聞きたくない」

 うずくまる人影と、冷徹な眼差しでそれを見下ろす別の影。前者は一切衣をまとっておらず、生まれたままの姿なのに対し、後者は白いシャツをまとい、瑠璃色の外套の上に麗しい金髪を流している――シャガだ。

「話を、どうか話を聞いて下さい、殿下」

「黙れと言ったのが分からないのか」

 シャガはいら立ちを露わに、全裸の人影の腹を蹴りつけた。苦しげに身をよじった人影には、無数の傷や殴られた痕がある。それだけではない。人の肌には本来あり得ないはずの魚のような鱗が体の表面を点々と覆っていた。髪も生えておらず、額にぽつぽつとこぶに似た突起が四カ所に見られる。

 くそ、と小さく呟きながら、シャガはまたしても腹を蹴り飛ばした。これまでの蹴りよりいくらか強くしすぎたか、人影が血の混じった唾液を吐き出した。ぜえぜえと喘ぐ口から牙が覗く。

「早く元の姿に戻れ、スペネ。お前がいつまで経ってもそんな姿だからヘデラを迎えに行けないし、認めてもらえないじゃないか。そもそも、どうして幻獣が人の姿に……材料に使ったの奴の姿に戻るんだ。そんな話、聞いたことがないぞ」

 隣国との境にある山あいの洞窟に身を潜めて二日が経過した。今すぐにでもヘデラのもとに向かいたいあまり、シャガは日に日に怒りを募らせている。

 国王によって編成された部隊はシャガを捜すにあたり、目印としてまずはドラゴンを見つけようと考えていた。王宮を壊すほど大きな存在なのだ。見つからないわけがない。けれど見つからない。なぜか。

 ドラゴンが、ドラゴンの姿をしていないからに他ならない。

 リーニャで予期せぬ一撃を食らってから、ドラゴンの形はずっと不安定なままだ。人とドラゴンを混ぜたような、中途半端でいびつな姿だ。

「申し訳ありません。恐らく〈核〉が損傷したものと」

「じゃあ直せばいいじゃないか。ほら、早く。お前がドラゴンになってくれないと、僕はここから一歩も動けないんだぞ」

 文句を言いながら、ドラゴンだったものに対する虐待は止めない。スペネ、と側近の名で呼ばれていたそれは、幻獣にしては珍しく、純粋な人だった頃の記憶をとどめているようだった。

「殿下、どうかお許しください。私はもはや人でなく、幻獣です。幻獣は体の傷を修復することは出来ても、自分自身での〈核〉の修復は不可能なのです」

「どうして」

「〈核〉は幻獣に流れる全ての神力の源。神力の供給は出来ても、自己修復機能は備わっていないのです。殿下の期待に添うべく何度も試してはみたのですが、非常に難しく」

「難しいだけなんだろう? 要するに不可能じゃないってことだろう」

「いえ、殿下。そういうわけでは」

「さっさと直せ。そしてドラゴンに戻れ、スペネ。早く。早く!」

 激情に任せるまま、シャガはみぞおちを蹴り飛ばした。お許しくださいと懇願する声を聞き流し、言う通りにしない不出来な幻獣に折檻を繰り返す。王宮ではとても出来ない、品性もなにもない野蛮な行為だ。自覚はしているが、ここは王宮ではないのだから関係がないと開き直る。

 王族に相応しくない行いだと批判してくるであろう護衛も、もういない。

 ぐげ、と聞くに堪えない声を最後に、人影は沈黙した。その途端、ぶるぶると全身が不規則に震えはじめる。点々としていた鱗が少しずつ広がると同時に、額の突起がにょきにょきと伸びていった。

「遅い」

 シャガは近くにあった岩に腰かけ、徐々に姿を変えていくドラゴンを眺めた。ばきばきと骨と筋肉が作り変わっていく音が心地いい。これを子守唄に眠るのも楽しそうだと思う程度には、シャガはもう平静ではなくなっている。

 腕と脚がむくむくと巨大化していく。それに引きずられるように体の筋肉が盛り上がり、今にも爆発しそうなほどに膨らむ。

「ああ、まずい」

 ここでドラゴンになるには狭すぎる。そう気づいた時には遅かったが、シャガに焦る様子はない。わくわくと幼児のように心を弾ませ、洞窟の外に避難した。

 曇っているせいで太陽がどこにあるのか分からない。空気もどんよりと淀み、まるでシャガの心のうちが現実に反映されているかのようだ。木々を着飾るはずの深緑も、いまいち芽吹いていない。ヒュドラ災害の影響がまだ残っているのかも知れなかった。

 ずん、と地響きが続く。意識を取り戻したのか、洞窟の中から苦痛を訴える人ならざる声が断続的に響いてくる。シャガはその全てを無視した。

「僕のためなら何でもすると言ったのはお前だ、スペネ。約束をたがえるな。大人しくドラゴンのまま、僕に従えばいい」

 耳を裂く咆哮が聞こえ、直後、洞窟の上部が爆発的に吹き飛んだ。岩や木がばらばらと飛び散り、次々と落下してくる。その全てから守るように、美しく強靭な飛膜がシャガの頭上を素早く覆った。

 ドラゴンが完全に元の姿に戻った。甘えるように喉をぐるぐると鳴らすそれに、シャガは頭を下げるよう促して、トカゲに似た顔の鼻先を撫でてやった。まだ体が苦しいのか、ドラゴンはときおり悶えるように後ろ足で地団太を踏む。そのたびに地面が揺れ、山に元から住んでいた動物たちが逃げ惑った。

「お前が元に戻ったし、洞窟も壊れた。見つかるのも時間の問題だ」

 ドラゴンが落ち着くのを待つことなく、シャガは首によじ登った。

「待たせるわけにいかない。僕に会いたくて涙を流しているかも知れないんだ。早くヘデラを迎えに行かないと。急ぐぞ!」

 ギャア、と答えるようにドラゴンが鳴く。シャガはにんまりと狂喜的な笑みを浮かべ、愛する人を迎えに行くために飛び立った。

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