第11話
「兄上の側近、スペネ・エレヒアについて、実は俺もよく分かっていないんです」
離宮にある図書室で、アイビーはトクスと向かい合うように座り、机の上に広げられた資料に目を落とした。難しい文言がずらりと並べられ、理解するにはかなり時間がかかりそうだ。
今朝、シャガやその周辺について調査をしていた兵から、側近の部屋から幻獣作成の資料が見つかったと報告があった。トクスはすぐさまそれを離宮に届けるよう指示し、昼食後、アイビーとトクス、ナシラは図書室に集まり、資料に目を通すことになった。
「側近ってことは、ナシラさんみたいな人ってことよね?」
「そうですね。主に仕事の補佐を担っていたと」
「でもナシラさんみたいに、護衛はしてなかったの?」
「シャガさまの護衛を務めていた兄は、あまり頭がよくありませんでしたから。空気も読めないし、拳や剣で語り合うのが得意でしたね。だからシャガさまは、正反対ともいえるスペネを身近に置いたのではないでしょうか」
トクスの背後に立っていたナシラがため息混じりに言う。
「お前はスペネについて何か聞いたことはあるか」
「兄が『得体の知れない奴だ』と漏らしたのを、一度だけ。それ以外ですと、私もあまりスペネとは話しませんでしたし。顔と声が気に食わなくて」
「か、顔……」
クマに似た渋面をさらに顰め、ナシラが今にも舌打ちしそうなほど唇をゆがめる。よほど相性が悪かったのだろう。
「ナシラの兄――シロンと同時期に、スペネは兄上の側近になった。基本的に俺や兄上の側近、あるいは護衛は父上や宰相が選ぶんですが、彼に限っては兄上が直々に指名したんです」
「え、どうして?」
「『王立学校へ視察に行ったときから目をつけてたんだ』と兄上は言ってしましたが、詳しい理由は俺も知りません」
シャガの側近に任命される前に、経歴などは一通り調べられたという。アイビーが暮らしていたリーニャと大差ない田舎の村の出身で、非常に頭がよく、レンフナ王国最難関とも言われる王立学校に見事入学、さらに最優秀成績をたたき出した逸材だったらしい。特に不審な点もなく、王族に――主にシャガへの忠誠を誓ったこともあり、国王はスペネが息子の側近になることを許可した。
だが、そんな彼が隠していた幻獣作成の資料。なかには実際に作成した記録もあり、素材や作成にかかった時間、その結果などが事細かに記されていた。
「陛下は大変な衝撃を受けておられました。『立派な若者だったのに、神に背いていたのか』と。シャガさまにドラゴン作成を指導したのもスペネではないかと目星をつけて、彼の捜索も同時に指示されました」
トクスに資料を託した兵士はそう言い、どこか疲れ切った表情で離宮から去った。
アイビーの拉致に失敗してから、いまだ行方の分からないシャガとドラゴンだけでなく、スペネまで捜さなければならなくなったのだ。疲労を感じるのも無理はない。
ますます「あたしにも何か出来ることはないかしら」と悩むアイビーだが、下手に協力しても足手まといになるだけだというのも理解している。自分に出来るのはシャガの囮と、先日、ドラゴンの毒に侵されたリーニャを救ってくれた謎の女性を捜すことくらいだ。そのどちらも、トクスやナシラに手を借りたり、守られなければ何もできないのだが。
内心で歯がゆい思いをしているアイビーの前で、トクスは眉間に皺を寄せて低く唸っていた。
「神を重んじる父上と、その息子である兄上に忠誠を誓ったのですから、幻獣作成が罪に問われることくらいスペネは理解していたはずなのに……」
「奴は
「恐らくな。巧妙に隠していたようだが」
今回見つかったこれらの資料は、王宮で与えられていた彼の部屋ではなく、側近に任ぜられる前に住んでいた古い家の寝室から見つかったという。なかば物置と化していたそこに、資料はひっそりと隠されていた。
「隠してあったってことは、悪いことをしてるって認識はあったんじゃないかしら」
「そうですね。あ、あと、父上はスペネがもとから幻獣作成を知っていたと疑っているようですが、知らざるを得なかったという可能性もあるような」
「えーっと、つまり?」
「兄上が『幻獣の作り方を調べろ』とスペネに指示したかもしれない、ということですよ」
「そっか。シャガの命令なら逆らえないものね。悪いって分かっていても、手を染めなきゃいけなかったと……」
そのあたりのことはシャガ、あるいはスペネに直接聞くしかない。
アイビーたちが再び資料に目を落とした時、こんこんとノックの音がした。入ってきたのはお仕着せの女性、ダビーだった。離宮にいる間のアイビーの世話係であり、ナシラの妹でもある。
「ずっと図書室に閉じこもって、文字の羅列ばかり見ていては疲れてしまいますし、ずぅっと男二人に囲まれていてはアイビーさまが可哀想ですわ。お菓子とお茶をお持ちいたしましたので、少し休憩なさってはいかがでしょう」
彼女が持ってきた銀の盆には、山のように積まれた丸いクッキーと紅茶のカップが乗っていた。数が四つあるということは、ダビーも少し居座るつもりらしい。
さくりとクッキーをかじると、つんとした微かな痺れが舌に伝わった。生姜を混ぜてあるようだ。痺れたのは最初だけで、あとから控えめながらも優しい甘さがじんわりと広がっていく。あまりの美味しさに強張っていた頬から力が抜け、なんとも間抜けな声が口から漏れた。トクスから「ダビーが作る菓子は絶品だ」と聞いていたが、まさかここまでとは。
「こんな美味しいクッキー初めてかも……!」
「アイビーさまに喜んでいただけて嬉しいです! さあ、まだまだありますから、どんどんお食べください」
「じゃあ俺も一つ……」
「ああ、そうそう。殿下とお兄さまは二つまでですわよ」
「なんでお前は殿下と私にはそんなに厳しいんだ……」
アイビーと話すときは絶えず笑顔を浮かべているダビーだが、トクスやナシラに目を向けた途端、別人かと思うほど表情も声も冷たくなる。そんな態度をとって怒られないかとアイビーは冷や冷やするのだが、トクスは慣れているのか気にする様子はなく、ナシラは面倒くさそうにため息をつくだけだ。
仲がいいんだなあ、と思いながらクッキーをかじる。紅茶もダビーが用意したもので、透き通った琥珀色がきれいだった。飲んでみると渋みはなく、コクの深い味と芳醇な甘い香りがする。
しばらく他愛ない会話をして楽しんだところで、資料読みを再開することになった。
「良いですか、アイビーさま。お兄さまや殿下に
「ふ、不埒?」
「昔から言いますでしょう。男は狼だと。こちらの警戒が薄くなった瞬間を狙って、一息に噛みついてくるものですから!」
そんなことしませんよとトクスが苦笑するのも見届けず、ダビーはさっさと退室していった。廊下に消える直前、彼女はアイビーに向かってひらひらと手を振っていた。
「ねえトクス。一通り確認したら、少し外に出てもいいかしら」
「構いませんが――ああ、女性捜しですか」
アイビーはこくりとうなずいた。自身の暮らしていた孤児院がドラゴンの毒に侵され、それを助けてくれた女性がいる。一言でもいいからお礼を言いたいのだ。
快く了承してくれたトクスとは反対に、ナシラはむっつりと唇を曲げている。
「名前も素性も足取りも分からないような方を、どうやって捜すおつもりですか。昨日だって、ほとんどなんの手がかりも無かったのに」
「そ、それは……」何も言い返せず、アイビーの言葉は尻すぼみになっていく。
「殿下もです。還天祭まで二週間を切っているんですよ。お召し物の確認だって済んでおりませんし、演説の準備も残されています」
「今はそれどころじゃないことくらい、お前にも分かるだろ」
「分かっておりますとも。ですが中止が決定されていない以上、否が応でも準備は進めねばなりません」
トクスは迷惑そうに腕を組む。
還天祭――ヒュドラ災害ののち、命を落とした聖女の還天を祝う式典だ。魂が神のもとに帰ることを還天といい、何事も無ければ、アイビーは孤児院の家族とともに還天祭へ訪れるつもりだった。
「本当に中止されないの? ドラゴンが襲ってくるかもしれないのに」
「父上は多少……いえ、だいぶ楽観的なんですよ。豪快ゆえの余裕ともいいますか。しかし開催地である聖都からも反感の声が上がっていると聞きますし、一筋縄ではいかない予感しかしませんね」
ひとまず今は、シャガの側近であるスペネと、彼が隠し持っていた幻獣の資料の確認を進めなければ。ただトクスを見ているだけというのもむずむずするので、アイビーもいくつか手に取って目を通した。
スペネ・エレヒア。二十七歳。シャガより二つ年上。生年月日も書いてあるところを見るに、どうやらアイビーが手にした紙は、幻獣ではなく彼について記した資料のようだ。王立学校を卒業して間もなくシャガの側近となり、影ながら王太子を支えたとある。護衛のシロンとは多少そりの合わない部分もあったらしく、時々反目し合う様子が目撃されていて、お互いがどのように言い合っていたか、周囲の証言がいくつか記録されていた。
「ナシラさんのお兄さんと、よっぽど仲が悪かったのね」
「言ったでしょう。二人は正反対だと。シャガさまに対し、兄は時に否定的な意見を述べることもあったようですが、スペネは良くも悪くも肯定的な立場を崩さなかったそうです。仮にシャガさまが『気に食わない人間がいるから殺せ』と命じたとします。兄は間違いなく拒否し、考え直せと諭すでしょう。ですがスペネは文句も言わずに引き受け、実行する。シャガさまは兄よりもスペネを気に入っていたようですね」
自分に対して否定的な臣下より、気分を良くしてくれる方を重宝したがるのは普通の感情かも知れないが、シャガはいずれ王位を継ぐ存在なのだ。偏った意見ばかりに耳を貸していてはならないはず、だったのに。
スペネの容姿などについては書かれていないが、ナシラ曰く「どこにでもいそうな、ありきたりで無性に腹の立つ顔立ちですよ」とのことだ。
「……これは、なんだ?」
トクスが眉間に皺を寄せ、手元の資料をじっと見つめている。アイビーもそれを覗き込むが、反対から見ているせいでいまいち分かりにくい。ナシラも同様に目を向けたが、彼には読めない類のようだ。
神力を宿している者――トクスとアイビーにしか読めない、特殊な資料というわけである。
「なにが書いてあるの?」
「幻獣作成の記録のようですが……どちらかというと手記といったほうが近いかも知れません」
席を立ち、アイビーはトクスの隣に並んで資料に目を落とす。右上に日付と本人のサインが残されており、やや黄ばんだ紙にはつらつらと几帳面な文字でなにかしら書かれていた。
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