第8話

「家系図の文字を読んだ時、『書くのも読むのも、一部の人にしか出来ない』と言いましたよね。それ、どんな人だと思います?」

「どんな人……? 話の流れから考えて、魔術師? でも殿下は魔術師じゃないのに読めるのよね」

「正解は『神力を宿す者』です」

 幻操師は、元は普通の人間だが、神力の塊を〈核〉とする幻獣の血を与えられることによって、微量の神力が宿るのだという。

「フィアト家の本に限らず、魔術師が関わった本には極秘事項が多くあり、悪用されるのを防ぐため、彼らは書籍に術を施したんです。『神力を持つ者にしか読めない』というね」

「じゃあ、あたしが読めたってことは……」

 ――あたしにも、神力が宿ってるってことだ。

 全く気が付かなかったと自分自身に驚いていると、「普通は気付きません」とトクスが言う。

 二人が驚いていた理由も分かった。フィアト家の容姿と同じ特徴を持つことと併せて、魔術師の子ではないかと疑ったのだろう。その予想は外れたようだが。

「話がだいぶ反れてしまいましたが、質問三つ目です。兄上はあなたに、自分が何をしようとしているか語りましたか?」

「何をしようと……」

 振り返るのは怖いが、話さなければトクスたちが困るに違いない。回答の拒否だけは遠慮してくれとも言われた。アイビーは時おり恐怖で思考停止しかけたが、そのたびに頭を振る。

 ――全ては君と結ばれるためなんだ、ヘデラ。

 ――君が居るべき場所は僕のそばだ。僕が居る所こそ、君の本当の居場所なんだよ!

 ――今度こそ君と結ばれるって、君に認めてもらうって、だから、僕は!

 シャガの絶叫の端々をゆっくり口に出していくと、トクスが当惑したように息をついた。

「なるほど……認めてもらう、か……」

「シャガの言う『結ばれる』って、どういう意味なの?」

「結婚です」

「け」

 結婚。

 なんと単純かつ明快な回答だろう。あまりにも淡泊すぎてアイビーは一瞬だけ言葉を失くした。

 シャガとヘデラは恋仲だったのか。結婚も決まっていたが、ヒュドラ災害によってヘデラが命を落とし、それが永遠に叶わなくなってしまった。だがヘデラによく似たアイビーを見つけ、彼女だと思い込んだことで「今度こそ結ばれる」と決めたに違いない。

 ――それにしては、なにか違和感が。

 ドラゴンに乗った時、なにがしたいのかと一度シャガに聞いている。その際、彼は早口で呂律が回らないまま、こう絶叫していたはずだ。

 失敗じゃない、と。

 あれは何を指して言っていたのだろう。

「それにしても……結婚か」

 トクスが渋面を浮かべて椅子にもたれる。ナシラもやれやれと言いたげに腕を組んでいた。

「どうしたの?」

「いえ……兄上はまだ諦めていなかったんだな、と思いまして」

「聖女が死んだのに、彼女と結婚するって決めたことを?」

「それもそうなんですが」

 なにやら別の事情がありそうだ。無言で続きを待っていると、「断られているんですよ」とトクスはため息をついた。

「兄上は聖女に何度も求婚……というか求愛したんですが、そのたびに断られたんです」

「へ?」

 ――私は殿下に相応しい女ではありません。

 シャガは聖女に愛の言葉を述べるたび、彼女はそう言って背を向けたという。

「そもそもシャガさまは王族で、ヘデラは庶民。身分が違うため、陛下もシャガさまの『彼女と結婚したい』という希望に頷かれることはありませんでしたね」

 聖女と呼ばれてはいるものの、あくまで称号であって身分ではない。その称号も、施しに感謝した国民たちが彼女の死後に呼び始めたものであり、正式なものではないという。

 恋仲だったというアイビーの予想は早くも消滅した。

「認めてもらうというのは恐らく父上、そしてヘデラ本人に、結婚を承諾してもらうということではないでしょうか」

「ヘデラの方は、シャガのことを好きじゃなかったの?」

「嫌いではない、と思いますが、好きでもなかったようですね。本人に聞いたことが無いので、俺の推測でしかありませんが」

「じゃあ『失敗じゃない』は、どういう意味なのかしら」

「失敗じゃない?」

「シャガが言ってたのよ。『失敗じゃない! 僕は正しいことをしたんだ、間違ってない!』って」

 トクスは眉間を揉み、ナシラとも顔を合わせてしばらく考え込んでいたが、やがて「分かりません」と首を振った。

「ここ数年の兄上に関しては分からないことばかりです。幻獣だって、どこで作成方法を知ったのか……」

 幻獣作成は罪に問われ、過去の魔術師たちと同じように火刑に処される。そのため幻獣作成を記した書物の大半は焼かれ、残ったものは幻獣の記録を管理する魔術師の家が厳重に保管しており、いくら王族と言えど簡単にお目にかかれるようなものではないという。

 つまりシャガは何らかの手を使って、幻獣作成の術を知ったのだ。

「作成方法を知ったところで、自身に神力が無ければ、または〈核〉が無ければ成功には至らない。けれど兄上はドラゴンを作ったと確かに言っていた」

「しかしシャガさまに神力はないはずでは? 王族に連なる血筋に魔術師がいたとは聞いたことがありませんし、殿下のように幻操師でもない」

「じゃあ〈核〉を手に入れたってことなんじゃないの?」

「現時点で可能性が高いのはそれです。でも一体どこで〈核〉を? 兄上が公務に復帰し始めたのは最近です。それまではずっと部屋に閉じこもって、外には出てきませんでした。遠出だってしていない」

「側近なら何か知っているのでは」

「シロンと同時期に就いた彼か? だが彼は一カ月前から行方が分からない」

「……シロン?」

 誰だろうかとアイビーが首を傾げると、「私の兄です」とナシラが言う。

「私が殿下の側近兼護衛を務めているように、兄はシャガさまの護衛を務めていたんです。六、七年ほど前から行方不明のまま、どこに行ったのか分かりませんが」

 悲しいような怒っているような、ナシラは感情の入り混じった目をわずかに伏せた。

「しかし二人とも、どこに行ってしまったのか……」

「シャガさまの聖女に対する執着はもはや異常ですから、嫌気が差して逃げたのでは」

 そういえば孤児院でシャガが錯乱した時、護衛の誰かが「側近の野郎がいない」とぼやいていた。恐らくシャガは日常でもふとした瞬間に取り乱し、そのたびに宥めて落ち着かせる役を担っていたのが側近だったのかも知れない。

 手詰まりですねとナシラが呟き、重い空気が流れた。シャガの部屋で手掛かりを探すのはどうかとアイビーは提案しかけたが、王宮はシャガの部屋を中心に崩壊したと言っていた。探すにしても、まずは瓦礫の除去から始めなければならないはずだ。

「今はとにかく、兄上を見つけ出さなければ、聞きたいことも聞けません。本当は俺が捜索の前線に出られれば良いのですが……」

「もしかして、あたしのせい?」

 アイビーを守るために離宮に留まっているせいで、シャガを捜せないのか。

 どうしよう。トクスに迷惑がられていないだろうか。罪悪感にうつむくと、「違います」と彼に顔を覗き込まれた。細い眉がかすかに下がり、口元には穏やかな笑みを浮かべている。

「還天祭が間近に迫っているでしょう? 怪我をして欠席するわけにはいかないからうろつくなと父上に厳命されたんです」

「還天祭……」

 孤児院のみんなで行くはずだった、聖女のための還天祭。

 昨日や一昨日に、楽しみだとユノと語り合ったばかりだった。本当なら今日は誕生日会で、普段と少しだけ違うちょっぴり贅沢なご飯を食べているはずで。夜にはまたユノと聖都はどんなところかと想像し合って、どちらの予想があっているか賭けの真似ごとをしてみたり。

 ――花冠の作り方を教わったり、していたはずなのに。

 その全てを、一瞬でぶち壊された。

「……ナシラ、少しだけ廊下に出ていてくれないか?」

「構いませんが、シャガさまが来たらどうなさるおつもりで?」

「お前が飛び込んでくるまでの間くらい俺が足止めするさ。それにドラゴンが近づいてきたとなれば騒ぎで気が付くだろう」

 納得したのかナシラは優雅に腰を折り、物音一つ立てずに図書室を出て行った。どうしてだろうと背中を目で追っていると、

「立たせっぱなしでしたね、申し訳ない」

 トクスは席を立ち、自分が座っていた椅子にアイビーを導いた。促されるまま腰を落としたところで、彼は上着のポケットから見覚えのあるものを取り出した。

 白い絹の、真っ白なそれは。

「それって」

「アイビーに傷が無いか確認していた時に、服のポケットから出てきたそうです」

「あ……」

 慌ててポケットに手を突っ込んでみると、いつも入れていたはずの手巾ハンカチが消えていた。トクスにいつか会えたら返そうと常に携帯していたのに、気付かなかっただなんて。しかも自分の知らぬうちに本人の手に戻っていたとは。

「涙に濡れた顔も悪くありませんが、あなたはきっと、笑っていた方が可愛らしい」

 指摘され、初めて気が付いた。

 アイビーは泣いていた。雪のように零れた涙が頬に沿ってはらはらと滑り、手の甲や机に当たって弾けるさまはさながら美しいガラス玉だ。

 アイビーが無言のまま固まったから、トクスはなにか勘違いしたらしい。

「あっ、安心してください。脱がせるのも傷の確認も、ダビーに頼みましたから。俺はその、裸を見たりはしていな、」

「そうじゃなくて!」

 そちらも心配だったが、重要なのはその話ではなくて。

 がっくりと肩の力が抜けて、アイビーは額を押さえる。頬と耳まで熱くなってきた。

「ちゃんと……自分の手で返したかったの」ぎゅう、と膝の上で拳を作る。妙な恥ずかしさを感じて、トクスと顔を合わせられない。「殿下はあたしに勇気をくれた恩人で……泣きたいときには泣いていいって、自分に嘘をつかなくていいって教えてくれて。殿下が一緒にみんなのところに戻って話してくれたから、あたしはユノとも友だちみたいな家族になれた」

 孤児院で過ごした初めの一年は、笑うことも泣くこともない子どもだった。けれどトクスに会えたから、「幸せ」が何かを知れたし、豊かな感情も獲得できた。

 訥々と語って、アイビーはハッとした。トクスが何も言わないからだ。もしかして気持ち悪がられているだろうか。たった一日、それも短時間しか会っていない男から貰った手巾を、宝物のように大事にしていたことを。

 恐る恐る顔を上げると、

「……殿下?」

 アイビーに手巾を差し出したまま、彼は頬を赤く染めて固まっていた。

「どうしたの?」

「へ、ああ、いや。ちょっと驚いていて」

「やっぱり気持ち悪い? ごめんなさい、でもどうしても殿下のことを忘れられなくて。貰っていいって言われたけど、そういう訳にもいかないしなって思って」

「ひとまず涙を拭きましょう。鼻水まで出てますから」

 トクスがアイビーの涙を拭っていく。まるで水晶に触れるかのような穏やかで繊細な手つきだ。最後に指で目元の雫をすくい取り、彼は口元をほころばせた。

「俺のこと、そんな風に思ってくれていたんですか」

「……迷惑だったかしら、ごめんなさい」

「なぜ謝るんです? 嬉しいですよ」

 彼はアイビーの手に手巾を握らせ、春を迎えた花のように笑った。

「俺はてっきり忘れられたものだと思っていたんですよ。会いたくても、俺が訪ねることで不快になる人がいるのだから、私情で動くのは控えるべきだと自粛していて。だから昨日、俺のことを『忘れるわけがない』と言ってもらえて、飛び上がるほど嬉しかった。あなたが俺に影響を与えてくれたように、俺もあなたのお役に立てていたんですね」

 これからも持っていてください、とトクスがアイビーの手を包み込む。温かな手のひらが心地いい。触れてもらった場所から溶けてしまいそうだ。

「六年前にも言ったでしょう? この手巾はあなたに差し上げたものだ。だからもう俺のものじゃない。アイビーの手巾です」

 ――そういえば、六年前も。

 ――俺を励ましてくれたお礼ですと。

 今も昔も分からない。アイビーはいつトクスを励ましたのだろう。影響を与えてくれた、とも言った。けれど思い当る節が全くない。

 それでも、なんだか嬉しかった。彼もずっとアイビーのことを覚えていてくれたのは昨日知ったが、会いたいと思ってくれるほどとは。

 ――また殿下は、あたしに「幸せ」をくれたんだわ。

「でもなんで、ナシラさんを外に?」

「気にしないでください。つまらない独占欲が顔を覗かせただけです」

「?」

「あと、一つ頼みごとが。俺のことは、どうか名前で呼んでいただけませんか?」

「え、でも」

 トクス、と声なき声で彼の名を呼び、胸のうちがほのかに熱くなった。

 呼べるのなら呼びたいが、ずっと「殿下」と呼んできたものだから、すぐには口に出せない。それに、名前で呼ぼうものなら、彼ではなくナシラに怒られそうだった。

「殿下では俺か兄上か分からないじゃないですか」

「それもそうなんだけど……じゃあ、トクスさま?」

「悪くありませんが、『さま』が余計ですね」

 不服そうにトクスが唇を尖らせる。なんだか可愛らしくて、ついくすくすと笑ってしまった。

「なんだか子どもみたいね」

「ナシラにもよく言われます。甘いものが好きなので、『舌が子どものまま成長していませんね』と」

「あたしも甘いもの好きよ。トクスと同じ」

「それは良かった。共通点があるのは良いことです」

 さて、とトクスが腕を組み、窓の外に目を向けた。いつの間にか影が伸びる方向が変わっていた。思っていた以上に長い間、図書室で話をしていたようだ。

「お時間を取らせてしまいました。ずっとここにこもりっきりで疲れたでしょう。少し休憩にしましょうか。ナシラが淹れるお茶と、ダビーが作る菓子は絶品ですよ」

「本当に?」

 アイビーが飲んだのはとてつもなく苦い茶だけだ。本音を言うとナシラの腕を疑っていたのだが、昨日の苦い茶は意図的なものだったのだろう。ダビーだって「なんてものを」と痛憤していたし。

 トクスについて歩いて行こうとして、靴の先にかつんと当たる感覚があった。蹴とばされ、絨毯の上を何かがくるくると滑っていく。

 急いでそれを追いかけ、本棚の下へ入り込む前に拾い上げた。

「……あれ?」

「どうしました?」

 ついてこないので気になったのだろう。声をかけてきたトクスに振り向きながら、アイビーは拾い上げたそれを彼に見せた。

「これって鍵よね。トクスの?」

 アイビーが蹴飛ばしてしまったのは銀の鍵だった。訊ねてみると、彼はなぜか躊躇いがちに頷いた。

「しまった……手巾を出した時に落ちたんですね」

「あたしが持ってるのとよく似てるわ」トクスに鍵を返し、アイビーは首からぶら下げている鍵を見せた。「ほら、頭のところの模様と歯の数が違うだけ。それ以外は全く一緒じゃない?」

「まあ、そうでしょうね」

 ――そうでしょうね?

 気になる言い方に首を傾げ、アイビーは無言でトクスを見上げた。彼は視線から逃れるように目を閉じたが、観念したように首を振る。

「動揺させてしまうかと思って黙っていたんですが……」

「なに?」

「兄上は聖女に数々の贈り物をしました。食べ物や衣服が主でしたが、その中で最も希少価値が高いのが」

 それです、と。

 トクスの指が、アイビーの鍵を示した。

「――え」

「その鍵は、王宮の兄上の部屋の鍵だ。兄上以外には側近しか持ち得ず、世界に二つしか存在しない。あろうことか兄上は側近の分を聖女に贈って……」

 どうしてそんな鍵を、アイビーが持っている?

 足元から全身に、冷たいものが広がっていくようだった。

 だから彼は聞いたのだ。聖女と会ったことはあるのかと。顔を合わせた時に鍵を託されたのではないかと予想していたに違いない。

 けれどアイビーの答えは否だった。トクスは困惑したはずだ。それでもアイビーを動揺させまいと、表情を押し隠していたのだろう。

 実際、アイビーは激しく動揺していた。自分の身元を示す手がかりだと思っていたものが、シャガの部屋の鍵だとは。

「殿下! よろしいですか!」どんどんと激しいノックのあと、返事も聞かずにナシラが飛び込んできた。その後ろには肩で呼吸をする若い兵もいる。「急いで離宮を発ってください。緊急事態です!」

「なに?」

 シャガとドラゴンの居場所が分かったのだろうか。あるいはアイビーの居場所が知られたか。アイビーは無意識に鍵を握りしめ、トクスはぴくりと眉を跳ね上げる。

 だが、ナシラが告げたのは予想外の一言だった。

「リーニャに向かった兵から報告があったのですが――――」

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