第7話

「とりあえず、あたしと聖女の共通点は髪と目の色だけなのね? それでも見間違えるというか、聖女だって思い込むくらい……」

「そうですね、聖女がいなくなってから、兄上はずっと彼女の影を追い求めていたのでしょう」

 何とも恐ろしい思い込みだ。

 もし自分の他にも、聖女と同じ特徴を持つ者がいれば危ないはずだ。アイビーに手を出せないと分かれば、シャガは聖女に似た誰かを捜すに違いない。

 アイビーがぽつりと危惧を語ると、トクスはゆるゆると首を横に振った。

「可能性は捨てきれませんが、アイビー以外の誰かが狙われるというのは限りなくゼロに近いと思います」

「どうして?」

「その前に、質問二つ目です」しぴ、と彼は指を二本立てる。「聖女と会った、もしくは見かけたこと、話したことはありますか?」

「どれもない。リーニャに聖女が来たなんて話は誰からも聞いたことが無いし、あたしも見たことはない……はず」

 いまいち確証が持てずに語尾を付けたすと、トクスとナシラが同時に首を傾げた。

「はず?」

「先ほどもシャガさまとの面識を聞かれた時『多分、ない』と言いましたよね」

 アイビーは幼い頃の記憶が無いことを二人に話した。だから、ヒュドラ災害以前に聖女に会ったことがあるとしても、もしかしたら記憶を失っているために身に覚えがないだけなのかも知れないと。

「シャガの方もそう。初対面のはずだけど、微妙に見覚えがあるような気もして」

「兄上がリーニャの孤児院に行ったのは、昨日が初めてです。もしかしたらそれ以前にどこかで顔を合わせていたのかも知れませんが……」

「でも全く覚えてないし、思い出せない」

「思い出そうとすると疲れるでしょうし、無理はしないでください」

 トクスはナシラに「フィアト家の家系図はあるか」と訊ね、ナシラが本棚に向かう。彼が書物を探している間、トクスは「限りなくゼロに近いという話ですが」とこちらに向き直った。

「実を言うと、アイビーや聖女に共通する特徴――夕陽に染められたかのような朱い髪と、ガーネットによく似た緋色の瞳――は、とある家系のものなんです」

「じゃあ、あたし以外に危ないのは、その家の人たちじゃないの!」

「それが、そうでもないんですよ」

「殿下、お持ちいたしました」

 ナシラが机に置いたのは、これで殴れば人を昏倒させられるのではと思うほどに分厚い本だった。元は深い黄色だったと思われる表紙はすっかり色あせ、日焼けや装丁の剥げが目立つ。

 表紙にはミミズが這ったようなうねる字で題らしき何かが書かれている。逆さまで読みにくかったが、なんとか読み取れた。

「『フィアトの系譜』……? ひょっとして、これがさっき言って、」

 さっき言ってた〝とある家系〟かと問いかけようとして、固まった。

 トクスとナシラが、信じられないものを見るように目を見開いていたからだ。

「えっ、おかしなこと言ったかしら、あたし」

「いえ、そうではなく……あの、読めるんですか?」

「孤児院で先生たちが最低限のことは教えてくれたから、文字を読むのも、簡単な計算も出来るけど」

「……ナシラ、気のせいか。俺と彼女の間で、認識の差があるようなんだが」

「ありますね。私もちょっと驚いています」

 よく分からないが、察する限り、この文字はアイビーが読めてはおかしいものらしい。二人は互いの耳元でひそひそと話し始めてしまった。

 仕方ないじゃない、読めるものは読めるんだから。むす、と机に肘をつき、窓の外に目を向ける。

 ――ユノ……みんな、助かったのかしら。

 孤児院のあるリーニャには医師団を向かわせたと言っていたが、もう到着しただろうか。心配でたまらないが、シャガの「三日三晩苦しむ」という言葉は、裏返して考えると「命が尽きるまで多少の猶予はある」ということだ。

 今はただ祈ることしか出来ない。内心で神に祈っているうちに、二人の内緒話は終わったようだった。

「お待たせしました。説明すると、あなたが読んだこの字は、大昔に一部の界隈で使われていた文字なんです。一種の暗号みたいなものですね。書くのも読むのも、今ではごく一部の人にしか出来ません」

「……はい?」

 何を言われたのか分からなかった。

 ――書くのも読むのも、ごく一部の人にしか……?

「え、じゃあ殿下とナシラさんは読めないの?」

「俺は読める部類ですが、ナシラには読めません」

「私には、なんでこんな文字とも思えない文字を殿下がすらすらと読めるのか、不思議というよりもはや気持ち悪いです」

 心の底からそう思っているのだろう、ナシラは鼻筋に皺を寄せてトクスから顔を背けた。

 けれど、どうしてそんな特殊な文字をアイビーが読めたのか。二人も気になっているようだったが、理由を知りたいのは他でもないアイビー自身だ。

「ひとまず、なぜ字を読めたのかは後回しにしましょう。この本は、フィアトという魔術師の家の系図と、その歴史を記したものの写本です。アイビーと共通の特徴を持つ家系は、このフィアトなんですよ」

 一瞬でも気を緩めれば千切れて、息を吹けば瞬く間に塵と化してしまいそうなページを、トクスは慎重にめくっていく。元から黄味がかっていたのか、それとも黄ばんでしまったのか分からないそこには、文字の羅列だけではなく、ほんの少しだけ挿絵もあった。

 やがてトクスが手を止める。アイビーは字が読みやすいように彼の隣に移動し、何が書いてあるのか目を通していった。

「名前がたくさん書いてあるわね……横と下にある数字はなに?」

「横にあるのは没年齢、下のは生年月日と没した年と日付です」

「……ねえ、左下のページ、十人くらい死んだ年と日付が一緒なのは、なんで?」

 日付は今から二十年前。没年齢は最年長が八十七歳、最年少が一歳とバラバラだ。病に倒れたのかと思ったが、ここまできれいに揃っているとなると、事故にでもあったのかも知れない。

「処刑されたんですよ」

 思いもよらなかった単語に、え、と呆けた声が漏れた。

「フィアト家は魔術師だったんです。世界共通の決まりとして、一部を除く魔術師と、幻獣作成を行った者は火刑に処されるんです」

「そんな……」

 アイビーは思わず一歳で処刑された子どもの名を指で辿って問いかけた。一歳など、まだ世界の色鮮やかさや残酷さを知らない年頃だろうに。言葉が出ずに絶句している間にもトクスは話を進めていく。

「そういうわけで、あなたや聖女と同じ特徴を持つ者は、この世にはもういないと考えていいでしょう」

「じゃ、じゃあ、あたしはもしかして、このフィアトって家の……」

「その可能性を考えて家系図を持ち出したのですが、どうもその線は薄そうです」

 記された名前のどこにも「アイビー」の字はなく、生死不明とされている者は誰もいない。そして仮にアイビーがフィアト家の生まれだとすると、年齢がおかしいという。

「フィアト家が処刑されたのは二十年前です。正確な年齢は分かりませんが、少なくともアイビーは二十歳以上には見えません」

 思いがけない形で自分の出自が分かるかも。けれど、もしもフィアト家の出身なら処刑されるのでは。内心で危惧していたアイビーはひとまず安堵したような、残念だったような気分になった。

「……あれ?」

 改めて家系図に目を通し、アイビーは一つの名を指さした。よく見ると、その一つだけ没した年月日が他と異なり、五年前になっている。没年齢は二十四歳だ。

「ヘデラ――って、これ聖女の名前じゃ」

「ええ、そうです」

 同姓同名の別人かとも思って問いかけたのだが、トクスは静かに肯定した。

「でもどうして。家族は処刑されたんでしょう?」

「親族の手によって逃がされたそうです。多少とはいえ魔術師としての教育を受けていたため、数多の資料を持たされた上で、魔術師と無関係の家に預けられたと。家の復興を託されていたんでしょうね。実際の処刑で、彼女の身代わりになったのは使用人の子どもだったとか。

 成長した聖女は、五年前のヒュドラ災害で傷つき倒れた民の多くを癒し、救いました。けれど災害の終結と同時に彼女は倒れた。不眠不休が原因だそうです。倒れて二週間後、息を引き取る間際、彼女は『自分は魔術師、フィアト家の人間だ』と告白しました」

 長らく逃亡してきたが、もう隠すのも疲れた。人々の役に立てたのなら嬉しい。

 聖女は「遺体は必ず火葬してくれ」と言い残し、死んだ。魔術師だというのも真実だと分かり、彼女の遺体は遺言通りに火葬された。

「火葬? 孤児院で誰かが亡くなった時は土葬してたけど」

「一般的にはそうですが、聖女の場合、火葬というか、火刑というか。魔術師だと言わなければ土葬されていたでしょうね」

 人々を救い、聖女とまで呼ばれたヘデラでさえ、魔術師だと判明すれば火刑に処されるのか。魔術師に対しての扱いがずいぶん徹底しているなと感心する一方、複雑な思いを抱かずにはいられない。

 アイビーが眉をひそめていたから、トクスも自ずと聞きたいことを察してくれたらしい。

神力イラは血に宿ります。遺体から血を抜き出して、あるいは遺体を掘り起こして死肉を食べてまで神力を得ようとする者がいては困りますから、魔術師は基本的に火葬されるんですよ」

「イ……なに?」

 聞き覚えのない単語が出てきた。

神力イラ。人間の体は、神が土をこねて作り上げたと言われています。その時に神の力が人間にも宿ったそうですが、操ることが出来たのはごく一部の人だけ。魔術師と呼ばれているのは、その一部の人です」

 初めて聞いた。アイビーはふむふむと何度も頷き、ついでに問いかけた。「幻獣を作ったのは、その魔術師たち?」

「その通り。彼らは神が人間を作ったように、伝説の生物を参考にして人工的に生命体を作り上げました。それが幻獣です。幻獣に心臓はなく、〈核〉と呼ばれる神力の塊を破壊されない限り半永久的に動き続けます」

 シャガが作り出したドラゴンもそうなのだろう。たとえ腕や首を切り落とされても、幻獣の大半は神力によって再生するのだという。

「幻獣の材料には動物や植物、鉱石なども用いられたと聞きます。幻獣の種類によっては人々に恩恵をもたらしてくれたので、魔術師たちも慕われ、尊敬される存在だったそうです」

「だったらなんで処刑されちゃったの?」

「露見してしまったんですよ。幻獣を作る上で、人間を材料にしていたことが」

 幻獣の知能を高めるため、魔術師たちは身寄りのない子どもや奴隷などを買い付けていたのだ。世間の風向きは変わり、敬服されていたはずの彼らに注がれるようになったのは侮蔑と嫌悪の眼差しだった。

 また、この一件で「神の真似ごとをするなど愚かで罪深い」と当初から魔術師たちを糾弾していた者たちの勢いが増した。魔術師たちは続々と捕らえられ、たとえ幻獣作成に手を出していなかった幼子だろうと、一族ならばお構いなしに処刑されていった。

「先ほども言ったように神力は血に宿る。子どもだからと見逃して、将来的にまた幻獣を作り出しては困る。そういう言い分だったそうですよ――俺の勝手な推測ですが、本音はその半分だけで、もう半分は『血筋を増やされて、復讐だと大勢で襲われたら怖い』でしょうね――。結果、高名な魔術師の家系は十あったんですが、現在は二家を残して処刑されています」

「え、二つは残ってるの?」

「はい。幻獣作成は行っていたものの、人を材料にすることは無かったので、これから先、幻獣を作らないという誓いを立てた上で見逃されたんですよ」

 魔術師が処刑されたのに、彼らが作り出した幻獣はまだ残っている。どうしてなのか分からずに首を傾げていると、

「数が多すぎたんです。魔術師たちは己の技術や権力、財力を競い合うように次々と幻獣を作り出していたので、全てを討伐・処分するには莫大な時間と労力、あと武器や人を揃えるためのお金が不可欠でした。

 それに、日照りの続く土地に雨を降らせたり、枯れた土地を緑で覆ったり、家人の代わりに家事をしてくれたり……と害にならない幻獣もいたんです。そこで国々は『人に害をなした』と判断した場合のみ、幻獣を討伐すると決めたんです。五年前のヒュドラがそれですね」

 なんと勝手な理由かと思わなくもないが、全ての幻獣を悪だ罪だと狩りつくし、恩恵を受けていた地域から非難が上がれば、それもまた問題となるに違いない。どちらが有益か天秤にかけた結果の判断だろう。

「じゃあ、幻操師っていうのはなに? 魔術師とは別なの?」

 はい、と頷きながらトクスは袖をまくり上げた。六年前に見たのと同じ契約印が、今もなお右の前腕に刻まれている。

「幻獣は時に人間に血を与え、力を授けてくれます。血を得た人間は幻獣由来の能力を扱えるようになり、幻操師と呼ばれます。幻操師は体のどこかに……基本的には能力が発現する場所を中心に、契約印を刻むんですよ。皮膚を剥がそうが肉を削ごうが、決して消えない印を」

 まるで、己に宿った力のことを忘れるなと忠告するかのような印を。

 触れてもいいかと聞いてから、アイビーはトクスの契約印に触れた。その部分だけ浮き出ているとか、極端に温度が低いということもない。一見すればごくごく普通の刺青だ。

「殿下はどの幻獣から授かったの?」

「イフリート。炎の魔人とも呼ばれる幻獣です」

 いつの間にかナシラが別の書物を棚から引き抜き、二人の前に置いてくれた。幻獣の種類を記したものだという。こちらもかなりの分厚さだ。

 ページを中ほどまで開いていくと、トクスに力を授けたイフリートの項目があった。額には捻じれた角が二つ生え、牙の生えた厳めしい顔は真っ赤に塗られている。筋骨隆々な体の節々からは炎と煙が立ちのぼり、誰彼かまわず襲い掛かってきそうな雰囲気があった。

「イフリートは炎に限らず様々な術を使えましたが、俺が発現できたのは炎の術だけでした。授かったばかりの頃は扱い方が分からず、よく暴発させたものです」

 アイビーが彼と初めて会った時も、炎が暴発したと言っていた。あの時は幻操師になったばかりだったのか。きっと努力して、一年でヒュドラと戦えるまで成長したのだろう。

「それじゃあヘデラも? ヒュドラ災害の時、傷ついた人たちを治したんでしょう。治癒系の力を持つ幻操師だったの?」

「確かに彼女は人々を癒しました。手をかざしたり、触れたりしてね。不思議な力を使うのですから幻操師ではないかと何度も言われたんですが……」

 古の魔術師は神力を使い、不治の病を癒すこともあったという。

 死の間際、聖女が「自分は魔術師だ」と告白したことで、彼女の術は魔術師のそれとして判断されたという。

「さて、アイビー」

 話は戻りますが、とトクスが顔の前で手を合わせた。

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