第4話

 孤児院は小高い丘の上にあり、裾野に広がる村を越えると、どこまでも続くかに思える大平原が続いている。夏から秋にかけては畑として使われるが、春の今、そこには多種多様な花が咲きみだれ、色鮮やかな絨毯を作り上げている。朝方には霧がかかることも多く、それもまた幻想的で美しい。

 アイビーはカゴを片手に、花畑の中を突き進んでいた。明日の誕生日会のため、食堂を飾り付ける花を摘みに来たのだった。

「ねえアイビー、花を編んで冠を作ってみるのはどう?」

 一緒に来たユノの姿が見えないと思ったら、座り込んで冠を作っていた。ほら、と見せられたそれは素朴で可愛く、良い提案だとアイビーも頷く。

「でもあたし不器用よ? ユノみたいにキレイに作れる自信ないわ」

「作ってみなきゃ分からないじゃん。やる前から諦めるのはよくないよ」

 ちゃんと作り方だって教えてあげるから安心してとまで言われて断るすべはない。アイビーは彼女の隣に座った。

 主役用には少し豪華な花冠を作り、それ以外の子どもたちには素朴な花冠を。アイビーやユノのような年長者には冠ではなく腕輪を作ることにした。

「先生たちにはどうしようね」

「あたしたちとお揃いの腕輪でいいんじゃないかしら。指輪だと小さすぎて、逆に作るの難しそうだし。ここで全部作っていくの?」

「夕方までには戻らなきゃいけないから、私たち用の腕輪だけ。それ以外は院に戻ってからみんなで作ろうよ」

 ユノに教えてもらいながら花を編んでみるが、どうも上手くいかない。力を入れすぎて茎が千切れてしまったり、出来たと思ってもきれいな輪にならず歪んでいたり。けれど上手に出来た時はそのぶん嬉しく、達成感がある。

「あ、そういえばね」二つ目の腕輪を作り終えたユノが、三つ目を作るために花を手折りつつ笑う。「院長たちがね、還天祭のあと、少しの間なら自由に行動してもいいって言ってたよ」

「ほんと?」

「うん。一時間か、二時間くらいって」

「そのあいだに殿下に会えるといいんだけど……」

 ため息をついた途端、絡ませようとしていた茎がぶちっと折れた。油断するとすぐにこれだ。

 ユノはさくさくと作り上げていくのに、アイビーはまだ二つ目を作りかけているところだ。手際のよい彼女が羨ましい。

「前日の昼くらいに出るって言ってたっけ?」

「うん。朝に出たんじゃ間に合わないだろうからって。聖都には大きな孤児院があるから、二日間泊めてもらうみたい。還天祭の次の日に帰ってくるって聞いたよ」

 みんなで移動するときには馬車に乗るのだが、先日シャガが乗っていたような豪華なものではなく、この辺りの農民が移動手段によく使う幌馬車だ。なんとなく、夜はその中で寝て過ごすのかと思っていたが、違ったようで安心した。

 なんとか二つ目を作り終え、ユノが作ったものと見比べる。アイビーの腕輪と彼女のそれでは、やはり自分の不格好さが目立つ。しかしユノは「可愛く出来たじゃない」と大げさだと思うほどに褒めてくれた。

 ――あ、そうだ。

「ねえユノ。あたしもっと上手に作れるようになりたいから、ちょっと厳しめに教えてくれない?」

「いいけど、どうして?」

 訊ねてはいるものの、ユノはアイビーの思惑に気が付いていそうだった。

 だからあえて「内緒」とはぐらかす。彼女もそれ以上、追及してこなかった。

「『やっぱりイヤだー、厳し過ぎるー』って言っても知らないよ?」

「そんな簡単に投げ出さないって。ちゃんと作り上げたいもの」

「じゃあ今晩からみっちり教えてあげるね」

「楽しみにしてる」

 腕輪を作り終え、他の花冠や先生たち用の腕輪を作るための花を適当に見繕い、カゴに放り込んでいく。十分もしないうちに、二人のカゴは色とりどりの花でいっぱいになっていた。

「そろそろ戻ろうか。みんな待ってると思うし」

「明日も晴れるといいんだけど……なにあれ?」

 東の山に目を向け、アイビーは眉間に皺を寄せた。何か黒い物体が徐々に近づいてくる。ユノも気付いたようで、不思議そうに首を傾げていた。

 初めは鳥かと思った。しかし違う。鳥にしては大きすぎるし、蛇のようにうねる尻尾らしきものが見える。初めは高いところを飛んでいたが、こちらに近づくにつれどんどんと低い位置に移動してきた。

「逃げよう!」と叫んだのはどちらが先だっただろう。二人は急いで孤児院に向かって走り出し、黒い巨大な何かから出来る限り離れようとした。

 オオ、とこの世の物とは思えない咆哮が頭上から降り注ぐ。音の圧が凄まじく、思わず立ち止まってしまいそうになった。何とか自分を叱咤して走り続けたが、どれだけ離れられたかと振り返った瞬間、アイビーは声にならない悲鳴を上げた。

 見たことも無い、謎の獣だった。一瞬トカゲかと思った顔には鋭い牙と四本の角を有し、後頭部から背中にかけて棘のようなたてがみが生えている。翼の先には手が退化したと思しき爪があり、羽ばたくたびに花畑がごうっと揺さぶられた。

「見つけたよヘデラ!」

 聞き覚えのある声だ。動揺した直後、ずしんと地面が大きく揺れて二人は転倒した。獣が着陸したのだ。立ち上がって走り出そうにも、全身が震えてまともに動けない。

「久しぶりだね。と言っても昨日ぶりかな。君と別れた五年の歳月に比べれば短い!」

 獣の首から誰かの顔が覗き、翼を伝って滑り降りてくる。襟の詰まった白いシャツは膝下までの長さがあり、腰に巻いた青い帯には短剣がぶら下がっている。風になびく瑠璃色の外套には、昨日見たのと同じ花の刺繍が白い糸で散りばめられていた。

 地面に降りたったのは、昨日会ったばかりのシャガだった。

「逃げるだなんて、君はそんなに怖がりだったかな。仕方ないか、急にこんな大きなドラゴンが来たんじゃびっくりするよね」

 ざく、と花を踏みしめ、彼は恍惚とした笑みを浮かべながら近づいてくる。アイビーは腰が抜けて動けず、ドラゴンと呼ばれた獣とシャガを交互に見遣るしかない。

「で、殿下……どうして、ここへ?」と訊ねたのはユノだ。気丈に振る舞っているが、アイビーの肩を抱く腕はかたかたと震えている。

「どうして?」決まってるじゃないか、とシャガはアイビーの前にしゃがみ込む。「君を迎えに来たんだよ、ヘデラ」

「昨日もあたしを『ヘデラ』って……! あたしの名前はアイビーだって言ったはずです!」

 ぬらりと伸びてくるシャガの手を払おうとして、アイビーは息をのんだ。

 今日は手袋をしておらず、素肌が露わになっている。血の気のない手は病的なまでに細く、真っ白な肌には刃物で切り付けたと思われる小さな傷が幾重にも重なっていた。

 シャガはアイビーの手を取り、優しく包み込む。かと思うと、乱暴に腕を引いて立ち上がらせた。

「きっと記憶がぐちゃぐちゃになっているんだね。ヒュドラが現れた時、君は倒れるほど民を助けて回っていたから、疲れて混乱したままなんだよ。大丈夫だよヘデラ、すぐに思い出させてあげる」

「っ……!」

 身をよじって逃げようとして、出来なかった。

 アイビーに記憶が無いのは事実だ。昨晩だって、シャガに既視感を覚えてなかなか眠れなかったのだ。けれど、

「アイビーはヒュドラ災害の時、孤児院にいましたっ!」

 ユノの声で我に返り、アイビーはきょとんとしているシャガを睨みつけた。

「あたしは聖女さまに会ったことないからどれだけ似ているか知らないけど、他人の空似です! ユノの言う通り、ヒュドラ災害の時は孤児院で先生たちのお手伝いをしてたんだもの!」

「ああ、可哀想にヘデラ。本当に何も覚えていないんだね。それとも僕を焦らすために嘘をついているのかな? どちらでも構わないけど」

「いい加減に……してっ!」

 力を振り絞り、シャガの頬を平手打ちした。手の力が緩んだ隙を見計らって後ずさりし、座り込んだままのユノを立ち上がらせる。

 シャガは叩かれた頬を指でなぞり、一瞬だけ悲しそうに目を伏せたものの、すぐにまた笑みが戻った。あまりの不気味さに、二人はいよいよ声を失くした。

「君の怒った顔、最高……ぞくぞくしちゃうよ。ずっと悲しそうな顔しか見られなかったから、とても嬉しい。今度は思いっきり笑ったところが見たいなあ」

「っ……ユノ、逃げましょう!」

「あっ、アイビー!」

 ユノの手を引いて走り出すと、彼女は泣きそうな声で訴えた。「花を入れたカゴ、落としちゃって……!」

「あとで取りに戻ればいい! 今は逃げなきゃ!」

 どれだけ声を荒げても、シャガに話は通じない。彼の後ろに控えているドラゴンもいつ動き出すか分からないし、なんとかしてこの場から離れなければと思った。

 だが、

「そういえばヘデラ、鬼ごっこが好きだよね。僕も嫌いじゃない。だけど今はそんな気分じゃないんだ」

 背後から猛烈な風に圧され、アイビーたちは無様に地面に転がった。ドラゴンが羽ばたいたのだ。風に流されるまま、二人はばらばらになってしまう。身を起こした時、顔も服も泥まみれになっていた。

「一体どこに行こうとしているの? 君が戻るべき場所は孤児院なんかじゃない。僕のところだよ」

「誰があんたのところなんかに……!」もう敬意など払っていられない。アイビーは唇を噛み、風に立ち向かいながらシャガに詰め寄った。「何回でも言うわ。あたしは『ヘデラ』なんて聖女さまじゃない! ただの『アイビー』なの!」

「そんなことを吹き込んだのは誰なの? そこの小娘さんかな?」

 目障りだなあ、と。

 シャガは憎々しげに呟き、何かを指示するように腕を上げた。

 その直後。

「やめッ――――!」

 ドラゴンが大口を開けて首を伸ばし、震えて動けないでいるユノに食らいついた。アイビーは名前を叫びながら駆け寄ろうとしたが、寸前でシャガに腕を掴まれて叶わなかった。

 牙の間から、花で作り上げた腕輪を飾った手首がぶら下がっている。初めは抵抗して口を押し開けようと動いていたが、ばきりと圧し折る音がしてから、全く動かなくなった。

「飲みこむなよ。ヘデラを毒した愚かな罪人なんだ。死体とはいえ、お前の胃袋に……僕の近くにあると虫唾がはしる」

 シャガの冷然とした指示に、ドラゴンは大きく首を振った。その口から血だらけになったユノが放たれる。彼女の体は力なく弧を描き、大平原と丘の境にある村に落下した。

 そんな、と掠れた声で呆然と呟き、アイビーは膝から崩れ落ちた。

 死んだ、ユノが。本当に? ――現実だ。受け入れられるわけがない。だってさっきまで一緒に花を摘んで、話をして、笑っていて。助けられなかった。近くにいたのに。動けなかった。脚が震えて。

 あたしは、どうして見ていることしか。

 一気に感情が押し寄せてきて、川が氾濫したように涙があふれ出してきた。

「さ、邪魔者はいなくなった。良かった!」

「な……にが……!」

 ぱちぱちと軽やかな拍手に、嫌悪が爆発した。

「何が『良かった』よ、ふざけないで! あなた王子なんでしょう! どうしてこんなことを……!」

 殴りかかろうとしたが、振り上げた腕を掴まれて出来なかった。

「全ては君と結ばれるためなんだ、ヘデラ。悲しむことはない、君をこの地に縫い止めようとする罪人を処罰しただけなんだ」

「ユノはあたしの家族よ、友だちなの! 何が罪人よ、処罰よ!」

「君の居場所はこんな狭い場所じゃない。分からないの? 君が居るべき場所は僕のそばだ。僕が居る所こそ、君の本当の居場所なんだよ!」

 ぎち、と握られた場所に、シャガの爪が食いこんだ。

 逃げようともがけばもがくほど、シャガの力は強くなる。

「いやっ、放して!」

「放したら、また一人でどこかへ行ってしまうんだろう? イヤだ、二度と君を喪うものか!」

 勢いよく腕を引かれ、シャガの胸に顔をぶつけた。抱きしめられていると感じる間もなく、体がひょいと浮き上がる。肩に担ぎ上げられたのだ。

 どれだけ暴れても全く腕を放してくれないし、むしろしっかり担がれる。細い体のどこにそんな力があるのかと思うほどだ。

 シャガは首を下げたドラゴンに騎乗し、アイビーを自分の前に座らせる。今なら降りて逃げられると思った直後、地面が一気に遠ざかった。耳元で風を切る轟音がする。ドラゴンが飛び立ったのだと理解するのに時間はかからなかった。

「あそこが君を隠していた孤児院だったね」ドラゴンをその場に滞空させ、彼の細い指が前方を示す。「そういえばヘデラ、知ってる? ドラゴンは毒の息を吐けるんだ」

「……え?」

「すごいだろう? 僕のコイツは炎を吐くのは失敗したんだけど、毒ならちゃんと成功したんだ。それを今から見せるよ」

 この人は何を言っているのか。それが事実だとして、そんなことをしたら村が、孤児院が。

 やめてとアイビーが首を振ろうと、泣いて縋ろうと、シャガは聞き入れなかった。

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