第57話「男子個人戦⑥遙か高みへ」
『……一体何が起きているのしょうか!? 何なんだこの戦いは! 凄い、凄すぎる!!』
実況席では目の前で繰り広げられる攻防を前に、観客同様に興奮を抑えることができなくなった実況が早口で捲し立てる。
『……』
実況とは対照的に解説の井岡はその試合を見て言葉を失っていた。
自らがADFの第一線で活躍するプロ選手だからこそ、このあまりにも高次元な戦いは衝撃の連続だった。
若くして日本ランキング九位に登り詰めた須王隼人の存在は以前から意識してきた。実際に公式戦で何度か対戦して隼人の才能は肌で感じている。
いずれは追い抜かされることになろうとも、年長者としてそう簡単に抜かれてたまるかという意地もあった。
しかし今、目の前で戦いを繰り広げている隼人の強さはこれまで戦ってきた須王隼人の比ではない。
壁を越える切っ掛けというのは人によって様々だが、ここまで急激に強さを増すと言うのは聞いたことがない。
今の須王隼人の強さは間違いなく日本ランカーの域すら越えた、世界のトップレベルで通用するものだ。
そして何より、その須王隼人を相手に互角の戦いを繰り広げている星ヶ谷天馬の存在。
天翼を持たずとも多くの対戦相手を圧倒してきたその特質性からこの都大会で大きな注目を集めていた。
生身の状態でも飛び抜けた戦いの才能を秘めていることは誰の目から見ても明らかだったが、試合の中で天翼を取り戻してからは正に別次元と言える強さを発揮していた。
二人の戦う姿を見た井岡は確信を持って言葉にする。
『新たな時代の到来。この戦いは日本中……いや、世界中に衝撃を与えることになるでしょう。刀神が引退して以降、日本から世界の頂に手を掛けた者は誰一人として存在しませんでした。それが今、その頂に届き得る存在が同時に二人も現れた。日本ADFの歴史は間違いなく変わりますよ。大きな変革と共に……』
二人の攻防は激しさを増していた。
突き出された天馬の拳をパーフェクトカウンターを使って回避した隼人は即座に長剣を振り下ろす。
パーフェクトカウンターの動きを予測した天馬は強引に身体を捻って長剣を回避したのだが、隼人は天馬が回避することを予測した上でもう一振りの長剣を振り下ろす。
振り下ろされた長剣を天馬は間一髪、不動練絶を使って白羽取りで押さえ込むと、隼人の身体ごと強引に投げ飛ばして距離を取った。
そして遂に試合時間が残り十分となり、二人の体力ゲージは二本を残すところとなる。
「血湧き肉躍るこの高揚感……これだ、これだよ僕が求めてきたものは。君はどうなんだい、星ヶ谷天馬?」
「俺も同じさ、これだけワクワクするのは十年前のお前との試合以来だろうな」
ここまで凄まじい激闘を繰り広げながらもお互いに疲労した様子を見せることなく笑みを浮かべていた。
「勝負の世界に生きる者だからこそ、譲れないものがある。僕は強くなった、君を前にしてもそう断言できるまでに! 僕は先を行くぞ、遥かに高みに、誰も到達したことのない世界に!!」
隼人がそう叫ぶと同時に天翼が眩いほどの輝きを見せる。
『天極の境地』
第一試合、第二試合に引き続き、本日三度目の実例となる。たった一日でこれだけの実例が現れるのはADFの歴史上初めてのことだろう。
しかし隼人の天極の境地は龍一と麗花のものとは大きく異なる物だった。
龍一の場合は天翼を僅かに発光させる程度で、ADsがエンジェルフォースの輝きに包まれて限界以上の力を発揮することができた。
麗花の場合は失われた細剣型ADsの刀身をエンジェルフォースが補ったことで勝負の明暗を分ける結果となった。
天極の境地の効果は人によって様々だが、エンジェルフォースの出量が上昇することで身体能力が上昇するのは共通の効果とされる。
それが隼人の場合、天翼から放出されるエンジェルフォースがあまりにも膨大すぎるがために、天翼を眩いほどの輝きを放ち、放出されたエンジェルフォースの光が肉眼で視認できるほどだった。
通常であれば放出されたエンジェルフォースは機械を通さないと観測することすらできないのだから、今の隼人の状態がどれだけ異常なことかは理解できるだろう。
正真正銘の全力を解き放った隼人を見て天馬は驚愕する。天極の境地の原理は感情の爆発だと天馬は考えていた。
天空拳を会得するためにはまずエンジェルフォースをコントロールする必要があるが、それは感情を制御して己の思考と身体の反射を同調させているからこそ行えるもの。湧き上がった感情を爆発させる天極の境地は天空拳とは対極の力と言える。
歴史上最大規模の天極の境地を天才的な天翼操作精度を持つ隼人が発動したことがどれだけ脅威なのかは今更説明するまでもない。
「……あれをやるしかないか」
天馬は静かにそう呟くと、大きく息を吸い込んで深呼吸をする。
天空拳の技には初伝、中伝、上伝と、技の難易度と強さで分類される。
他の武術における奥義に分類される奥伝は、継承されるものではなく己自身が編み出す技とされていた。
天馬が幼少の頃に見せてもらった父親の空吾の奥伝は、舞い散る木の葉を拳で砕くという地味なようで凄まじい技だった。
原理は不動練絶の真逆。
エンジェルフォースで対象を包み込むことで力を均一に拡散させるものと簡単に言ってはいたが、天馬には習得するどころかその原理を理解することすらできなかった。仮に空吾であれば天翼なしの状態でも須王隼人に勝利することは難しくなかっただろう。
そして天空拳には奥伝の他に秘伝技も存在する。秘伝技は天空拳の起源にして最奥とも言える技。天空拳の使い手が誰でも修得できるものではなく、限られた者にしかそれを修得することは叶わない。
かつて天馬は己が未熟なままその秘伝技に挑戦し、制御ができずに全身がその不可に耐えきれず三日三晩動くことすらできないダメージを負った過去がある。
それ以来、一度としてその技に挑戦したことはない。
しかし今ここでその技を会得しなければ今の須王隼人を相手に勝利することが不可能なのは間違いない。
天馬が己の内に意識を集中させていると、優しく肩に手を置かれたような感覚と共に、頭の中に声が響いた。
「恐れるな、今の天馬なら問題ない。自分を信じろ、お前は誰の子だと思ってんだ」
地響きのような歓声の中でもその声は鮮明に聞き取ることができた。
それが誰の声なのかは考えるまでもない。幻聴なわけもなく確かに天馬には聞こえたのだ。
(……ありがとう、父さん)
心の中で今でも見守ってくれている父親に天馬は語りかける。
そして、覚悟を決めて叫んだ。
「天空拳、秘伝――
漆黒色のエンジェルフォースが隼人の天極の境地同様に、可視化されて天馬の身体から爆発するように溢れ出た。
瞬間的な放出量で言えば隼人のそれを上回っていたが、可視化されたエンジェルフォースは徐々にその規模を小さくしていく。
やがて天馬の身体を纏うように淡く黒い輝きが全身の輪郭をかたどるように固定された。
天空拳、秘伝――天神装衣。
人の身体には必ずリミッターが存在する。リミッターが存在しなければ自らの身体が耐えられない強さの力を生み出してしまうからだ。
天神装衣は敢えてそのリミッターを外すことで、身体の内に秘める膨大な量のエンジェルフォースを一気に放出する。そしてそのエンジェルフォースを完全に制御して体外に放出することなく循環させることで人の限界を超えた力を生み出し、尚且つ身体を保護する役目も同時に担うことができる。
少しでも制御を誤れば身体の許容を越える力によって身を滅ぼすことになるため、短期決戦用の技なのは言うまでもない。
だがそれは隼人の天極の境地とて例外ではない。
膨大な量のエンジェルフォースが無限に生み出されるわけもなく、自身の体力が尽きればその効果は失われてしまう。
天神装衣を発動した天馬を見て隼人は自分の眼を疑った。
あれは明らかに自分の意思でエンジェルフォースを放出し、自らの身体に纏わり付かせている。それが意味することは、エンジェルフォースを完全にコントロールできているということ。
これまで多くの研究者がその可能性を提唱していたことだが、誰一人として可能とした者はいない。
「あはははっ、常識の枠に収まらない、それでこそ星ヶ谷天馬だ!!」
「決着を付けるぞ、須王隼人! 俺の全てを以て、お前を打ち倒す!!」
残り時間十分、再び試合が動き出した。
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