第8話「父親の形見」

 小学校に行く由美奈を見送った後、天馬も学校へと向かった。


 教室に入った途端に理帆と風奈の二人が、人目も気にせず声を掛けて来る。

 今までにない二人の行動に周りから訝し気な視線を浴びせられる中、天馬は何とか午前の授業を乗り切ったのだった。


 昼休みが始まると昨日交わした約束通りに三人で昼食を取る。


 理帆の作った弁当はどれも美味しく、栄養バランスや色合いが鮮やかで、素人目にもかなりの腕前なのだと感じた。


 理帆と風奈から好物や趣味などを根掘り葉掘り聞かれ、戸惑いながらも答えていた天馬だったが、幸いにも途中から理帆の家の話へと変わる。


「駅前のADsショップは佐々峰の家だったのか」


 以前と違って砕けた口調なのは二人が半ば強引に決定したものだ。天馬が頷くまで解放してくれなかったので事実上、天馬に選択肢はなかったのだが。


「両親は整備士。理帆も仮免許持ち」

「仮免許? それってかなり凄いじゃないか」

「そんなことないよ。お母さんとお父さんは高校一年生から持っていたらしいし」

「二年でも十分凄いと思うけどな」

「そ、そうかなぁ……えへへ」


 天馬の感心したような言葉を聞いて満更でもなさそうに理帆は照れくさそうに頬を赤く染める。


 ADs整備士の免許は国家資格とされており、非常に合格者が少ないというのは有名な話だ。

 仮免許はその一つ手前の資格。免許を持つADs整備士の許諾があれば実際にADsの調整を行うことができるというもの。


 ただし金銭の絡まない私的な調整に限られるという制限がある。しかし仮免許とはいえ、高校生で取得している者は稀と言える。


「そうだ! 良かったら天馬君のADsを家で調整させてもらえないかな? お母さんたちに頼んでフルカスタマイズしてもらうよ。あ、もちろん無料でね」

「いや、流石にそれは悪いって」


 ADsの調整にはいくつか段階がある。一番簡易的な調整でも一万程で、フルカスタマイズになると十万はくだらない。


 ADFが必修科目になってからは教育委員会に所属する専属の整備士が定期的に全国の学校へ派遣されている。


 その際に簡易調整を誰でも請け負ってもらうことができるため、基本的に授業で使用する分で困ることはない。


「ちゃんとお礼もしたいから、迷惑でなければお願いできないかな?」


 どうしたものかと悩む天馬だったが、好意を無下にするのも悪いと考えてここは任せることに決める。それに一つだけ、前々から考えていたことがあった。


「わかった、お願いするよ」

「うん、任せて。ちなみに今週の土曜日は空いてる?」

「空いてるけど、そんなに急で大丈夫なのか?」

「今は忙しい時期じゃないから大丈夫だよ」

「暇だから行く」

「うん、フウちゃんも遊びに来てね」


 天馬はADsの調整のはずがいつの間にか遊びに行くことになっているのは触れないで置いた。


 数日後、天馬は約束通りに理帆の実家であるADsショップに足を運ぶ。


 店舗数は一店舗だけだが品揃えはかなり豊富で、評判も良いと区内でも有名だ。敷地面積も専用のADF場があるほどに広々としている。


 天馬がこの店に足を運ぶのは今日で二度目。蒼天学園に入学する際に一度だけADsを購入しに来ていた。


 事前に理帆に言われた通り店の裏にある玄関からインターホンを鳴らすと、玄関から現れた理帆と風奈に連れられて天馬は店の中へと案内される。


 調整室には理帆の母親である佐々峰弥生ささみねやよいが準備を整えて出迎えてくれていた。


「あなたが星ヶ谷天馬君ね? 理帆から話は聞いているわ、娘を助けてくれてありがとう」

「いえ、別に大したことは……」

「大したことよ、誰にでもできることじゃないもの。親としてちゃんとお礼をするわ。それで、ADsは持って来ているのよね?」

「あ、はい。それなんですが」


 天馬はこの場に二つのADsを持ってきていた。


 一つは理帆の店で購入した授業でも使っているADs。そしても一つは父親がかつて使用していた形見でもあるADsだ。


 天馬は父親のADsを鞄から取り出して弥生に見せる。


「前に学園で調整を頼んだ時にこれは専用の設備がないと調整できないって言われたんですが、ここで調整をしてもらうことは可能ですか? もし無理であれば普段使ってる方の調整をお願いします」

「これは……ちょっと見せてもらっていいかしら?」

「はい」


 天馬が取り出した形見のADsを見た途端、弥生の目の色が変わる。何故か理帆も慌てて母親の傍に寄ってADsを見つめていた。


「少しここで待っていて」


 一通り調べ終えた弥生はADsを置いて調整室から立ち去って行ってしまう。

 

 五分程で弥生は細身の男性を連れて戻って来た。


「初めまして、私は理帆の父でこの店のオーナーをさせてもらっている佐々峰浩介ささみねこうすけだ。理帆がいつもお世話になっているみたいだね」

「いえ、こちらこそ」


 まさか父と母の両方がやって来るとは思っても見なかった天馬は緊張を隠せないでいた。


「あなた、これなんだけど」

「なるほど、見せてもらっても?」

「はい、構いません」


 浩介も弥生同様にそのADsを見て驚いているようだ。父親の形見のADsがどんな物なのか知らないが、その様子を見ればただの代物ではないのだと予想がつく。


「アークエンジェル社製のADs、それも市場には出回っていないモデルだ。個人用にフルカスタマイズされたオーダーメイド品だね。これをいったいどうやって手に入れたんだい?」


 アークエンジェル社というのは世界最大手のADs製造会社。市場に出回っているADsの七割がアークエンジェル社製と言われるほど圧倒的なシェアを誇っている。


「三年前に他界した父親の形見です。父がどこで手に入れたかはわかりませんが」

「お父さんはADFの選手だったのかい?」

「いえ、選手ではなかったです」

「そうか……どういう伝手があったかは知らないが、これと同じ物を作ろうとすれば数百万円はくだらない代物だ」

「……凄い」


 それを近くで聞いていた風奈が思わず声を漏らした。

 この店に置いている最高額のADsでも三十万ほどなので、数百万と聞いて驚くのも無理はない。


「と言っても額にすればそれだけの価値があるが、実際にその金額を用意しても作ってはもらえないだろう。アークエンジェル社は一般のオーダーメイドは受け付けていない。世界トップレベルの選手になってようやく対応してもらえるかどうかの話らしい」

「手に入れた経緯までは……」

「あぁすまない、余計な詮索だった。要はこのADsを自分で使えるようにしてほしいということだね?」

「これが父の唯一の形見なので、できればそうしてもらいたいです」

「わかった。責任を持って私が調整させてもらうよ」


 その言葉に安堵する天馬だったが、先ほどの話を聞いて気になっていたことがある。


「調整費用って実際どれくらいの額になるんですか?」


 元が数百万の代物のため、調整費も普通とは比べ物にならない額になることは天馬でも容易に想像がつく。


「調整費用かい? 確かに君の想像通り安くはない額になるけど、君は娘と風奈ちゃんの恩人らしいじゃないか。大丈夫、お金は取らないし調整も完璧に行うと約束するよ。腕だけなら大手の整備士にだって引けを取らない自信はあるさ」

「あなた、まさか自分一人でやろうとしているの? そもそも今回の調整は私がやるはずだったのよ?」

「い、いや、何件か調整の予約が入っているだろう。君にはそれを――」

「それはあなたも同じでしょう? もしかして、あなたの分まで私にやれと言っているのかしら?」


 弥生は浩介を脅すように胸ぐらを掴みあげる。それを見た理帆が慌てて止めに入った。


「ちょっとお母さん、何してるの!? 友達の前で夫婦喧嘩なんて恥ずかしいからやめてよ!」

「理帆、あなたも整備士を目指しているなら分かるわよね? こんな機会、業界大手の専属整備士でもない限り一生に一度あるか無いかのことよ。それを独り占めにしようとしているのだから、お母さんが怒る気持ちもわかるでしょう?」

「……そ、それはそうだけど」

「わ、わかったよ母さん、調整は二人でやる。だから放してくれ」


 解放された浩介はほっと胸を撫でおろし、弥生の方は少し離れた場所に連れられて理帆にお説教を食らっていた。


「はぁ、母さんはすぐに手が出るから困ったものだ。見苦しところをお見せしてしまったね。でも妻の反応でわかっただろう? これだけのADsは滅多にお目にかかれないんだ。その調整に関われるというのなら整備士名利に尽きるというものなんだよ。だから本当に無償で構わないし、君が気に掛ける必要もない」


 さすがにそこまで言われてしまっては返す言葉もない。ここは素直に気持ちを受け取っておくべきだと天馬は判断した。


「わかりました。では、お願いします」

「私は仕事に戻るので後は妻に任せるが、とりあえず今日は基礎的なデータを取って終わりになると思うよ」

「はい、ありがとうございます」


 浩介はそう言葉を残して調整室を後にした。

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