第7話「過去の悲劇②」
「なにしてるの?」
覚悟を決めた天馬の元にやってきた由美奈は、ロープで仕掛けを施す天馬の背に向かって声を掛ける。
「これから死ぬんだよ。お前は出て行け」
天馬は振り返ることなく威圧するように怒気を込めた言葉で由美奈を追い払おうとする。
「いなくなっちゃうの?」
「だからそう言ってるだろ! わかったら出て行け!」
まだ四歳の由美奈は死という意味を本当の意味で理解はしていなかった。
しかし父親が死んだ時の周囲の反応から、もう会うことができないというぐらいは理解できていたのだろう。
だからこそ由美奈は――
「やだ! いなくならないで!」
悲痛な叫び声を上げ、絶対に放さないという意思を込めて天馬の背中にしがみつく。その背には白銀の小さな天翼が展開されていることから由美奈の必死さが伝わってくる。
だがその天翼を見た天馬は激情に駆られると、由美奈の身体を力いっぱい振り払う。
全力ではないといえ小さな由美奈の身体は簡単に宙に投げ飛ばされた。
扉に激突した由美奈は目に涙を浮かべるが、すぐに起き上がって天馬に向かって突進する。
「やだやだやだ! いなくなっちゃやだ!」
天翼の効果で身体能力は向上されているが、それでも四歳の子供には耐えられない痛みを感じたはず。
それなのに泣き叫ぶどころか必死に止めようとする妹の姿に天馬の心はぐちゃぐちゃに掻き乱される。
「ちょっとどうしたの!?」
騒ぎを聞きつけて一階から駆け上がってきた愛子が部屋に入って来る。そして愛子は室内の状況から天馬がやろうとしていたことを察した。
「っ!? 何を馬鹿なことしようとしてるの!?」
「うるさい! あんたには関係ないだろうが!!」
天馬は纏わり付く由美奈を愛子の方へ突き飛ばした。
「由美奈っ!」
愛子は転びそうになった由美奈を咄嗟に抱きしめる。
「あんたもあんただ! 父さんは死んだ、あんたが俺の面倒を見る必要なんてもうないだろ! 赤の他人の癖にこれ以上俺に関わるなよ!」
「天馬……あなた、そんな風に思っていたの?」
愛子は悲痛な表情を浮かべながら真っ直ぐ天馬を見つめる。
「あんたと俺に血の繋がりなんてない。父さんはもういないんだから、さっさと俺を切り捨てればいい! その方があんただって幸せになれるだろ!? 俺が母さんを殺した。父さんだって俺がいなければ死ぬことなんてなかったはずなんだ……俺は、生まれて来ちゃいけない人間だっ――」
愛子は天馬の言葉を遮るように力強くその頬を叩いた。
「血の繋がりが無くても私は天馬の母親で、天馬は私の子供なの! 生まれて来ちゃいけない人間なんてこの世には一人だっていない!! 天馬が生まれて来てくれたから私は天馬に出会えて、天馬の母親になれた。だから、そんな悲しいことはもう言わないで……」
愛子は涙を流す瞳で真っ直ぐに天馬の瞳を覗き込み、そっと手を握りしめた。
しかし天馬は強引にその手を振りほどくと、恐れを抱くように後ずさる。
「黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ! 俺はあんたらに酷いことをしてきたじゃないか! なんで憎まないんだよ!? 憎めよ、もっと俺を憎めよ!! そんな目で、俺を見るなああああ!」
天馬はこれ以上近づかれないように、クローゼットを引き倒して二人との間に壁を作る。
『お前は呪い子だ』
『お前は化け物だ』
『お前は消えるべきだ』
『お前は汚らわしい存在だ』
「みんな言ってたんだ! 俺が不幸にするんだって、俺が化け物だからいけないんだって。忌まわしい翼を捨てたって何も変わらなかった。俺が好きになった人は俺の傍からいなくなるんだ。だから、そんな目で俺を見ないでくれよ!? そうでなきゃ俺は、俺は……」
天馬は二人に嫌われたかった。好意的な目を向けてくる二人を拒絶したかった。
それを受け入れてしまえばまた同じ過ちを繰り返してしまう、そんな気がしてならなかったから。
だからこそ天馬はあえて嫌われるように愛子に迷惑をかけるような言動を、妹に憎まれるような態度を取ってきたのだ。
そんな天馬の胸の内を愛子はようやく理解することができた。
「……今日までずっと、一人で抱え込んできたのね」
締め付けられるような胸の痛みに耐えつつ、愛子は由美奈を引き連れて天馬が作った壁を軽々と乗り越えて行く。
一歩ずつ向かってくる愛子と由美奈に怯えるように天馬も後ずさるが、遂には壁にぶつかってそれ以上後ろへ下がれなくなってしまった。
天馬の目の前まで迫った愛子はもう絶対に放さないという意思を込めて天馬を抱きしめる。
「ごめんなさい、天馬。私は本当の意味であなたの母親にはなれていなかったようね……あなたは何も悪くない、あなたがいったい何をしたっていうのよ。周りの人たちの言葉なんて忘れなさい。あなたはあなたらしく生きて行けばいい。でも、それでもまだあなたが痛みを感じるのであれば、私にも分けてちょうだい。あなたと一緒に耐えて、あなたと一緒に乗り越えて行きたいの。私は天馬の母親で、家族なんだから」
「おにいちゃんはゆみなだけのおにいちゃんなの!」
愛子と由美奈の言葉を聞いた天馬は顔をくしゃくしゃにして湧き上がってくる感情を必死に我慢していたが、やがて耐えきれずに抑えきれなくなった感情が溢れ出す。
止めどなく溢れるその涙は悲しみから来るものではなく、天馬にとっては生まれて初めての嬉しさから溢れる涙だ。
そしてその瞬間、本当の意味での家族として、愛子、天馬、由美奈の三人は心を一つにしたのだった。
「直ぐにとはいかないと思う。でも、いつかきっとその時が来るわ。天馬が自分自身を認められるその時が。だからもう二度とこんな真似はしちゃだめよ?」
「……はい」
天馬は小さな子供のように泣きじゃくり、つられるようにして由美奈も泣き出してしまう。
愛子はそんな二人の姿を微笑ましく眺めながら、優しく抱きしめ続けるのだった。
再び身体を揺さぶられて意識を覚醒させた天馬が目を開くと、目の前には心配そうな顔をした愛子と由美奈の姿があった。
「あれ、二人ともどうしたの?」
「天馬が苦しそうにしてるって由美奈が言ってきたのよ」
そこで天馬は自分の両頬に涙が伝っているのに気が付いた。
「大丈夫なの?」
「……少し、昔の夢を見てた」
それがどんな夢だったのか愛子にはすぐに理解できた。だからこそ、今さら投げかける言葉などない。
愛子はただそっと、それが当たり前のことのように天馬を優しく抱きしめる。
「大丈夫だよ、母さん。最後はちゃんと二人が救ってくれたから」
「そう、なら良かったわ」
「お兄ちゃん、どこか痛いの?」
天馬はベッドから降りて立ち上がると不安そうな表情を浮かべる由美奈の頭をそっと撫でる。
「心配かけちゃったな。でも、もう大丈夫だ」
「……本当?」
「ほら、早朝トレーニングの時間だ。俺は着替えて行くから、先に庭で準備してきなさい」
「うん!」
力いっぱい頷いた由美奈は嬉しそうに走り去って行く。
「ほどほどにしなさいよね」
着替えを始めた天馬を見て愛子は呆れたようにため息を吐き、部屋から出て行った。
それから日課となっている早朝トレーニングを二人が終えると、愛子が仕事に向かう時間となった。
「大丈夫なの、天馬? もし辛かったら私の方から学校に連絡しておくけど」
「本当に大丈夫だって。早く行かないと遅刻するよ?」
「わかった、じゃあ行ってくるわね。二人とも車には気を付けるのよ」
「はーい! 行ってらっしゃいお母さん!」
「行ってらっしゃい、母さんも気を付けて」
「はい、行ってきます」
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