第5話「妹の夢」

 リビングで愛子が作った夕食を三人で食べていると、由美奈が悔しそうに勝負の結果を伝える。


「お母さん、今日もだめだったー」

「あら、そうなの。それは残念だったわね」

「お兄ちゃんは凄いんだよ! 由美奈はクラスじゃ一番なのに、お兄ちゃんには手も足も出ないんだもん!」

「お兄ちゃんが凄いのは知ってるわよ。でも、いつかは由美奈もお兄ちゃんを超える日が来るかも知れないわね」

「えー、何言ってるのお母さん。そんなの無理に決まってるよ。ね、お兄ちゃん?」

「そうだなぁ……後十年もすれば追い越されてるかもしれないな」

「ぜったい無理だってばー。そうだお母さん!? 由美奈にも夢ができたんだよ!」

「あら、それはどんな夢なのかしら?」

「世界で二番目に強いADF選手になるの!!」


 由美奈は満面の笑みを浮かべながら両手を上げて宣言した。


「どうして一番ではないの?」

「一番はお兄ちゃんだもん! だから由美奈は二番目なんだよ」

「ふふふっ、お兄ちゃんは大変ね」

「いや、流石にそれは……」


 残念ながら由美奈のその夢は叶えられない。どれだけ自分が望もうが翼を失った天馬にそれだけの力はない。それどころか周囲の環境が、世間がそれを許してはくれないだろう。


 資格のない者は表舞台に立つことすらできないのだから。


「お母さん、おかわりー」

「はいはい」


 空になったお椀を由美奈から受け取った愛子はキッチンへと向かって行く。


 十年後には由美奈も十七歳になる。その歳になれば間違いなく今の天馬よりも強くなれるだろう。


 父親から教わった天空拳は一般的な武術と違って血縁にしか継承することが許されていない。 

 詳しいことは天馬もあまり教えられていなかったが、今から話を聞きたくともそれはもう叶わない。


 天空拳を会得するためにはまず、エンジェルフォースを自分の手足のようにコントロールする必要がある。


 エンジェルフォースの力を利用すること自体は既にADsデバイスによって実現されているが、それは天翼から自然と溢れ出ているエンジェルフォースを有効利用しているだけであり、そこに当事者の意思は介入していない。


 世間ではエンジェルフォースを自分の意思でコントロールすることは不可能と言われているが、専門家たちは理論上それが可能だと表明している。


 しかし今まで多くのADF選手が研鑽を重ねて尚、それを会得した者が唯の一人として存在しないことから常識として不可能とされていた。


 だがそれは世間に知られていないだけで、天空拳を修得した者は例外なくその術を身につけている。


 天馬は幼少の頃、僅か一週間という父親も驚愕するほどの短期間でその術を身につけた。


 父親の話では普通なら半年以上の時間を要するらしい。しかし秀でた才能を持つ者は短期間での習得も可能と言っていた。


 最近になって天馬は本格的に由美奈に天空拳を指導し始めたのだが、由美奈はすぐにその才能を開花させる。


 由美奈は天空拳の修行を始めたその日の内にエンジェルフォースを完全にコントロールして見せたのだ。


 このまま成長して行けば天馬以上の天空拳の使い手になることは間違いない。


 誇張でも何でもなく由美奈はいずれADFで世界の頂点に立つことができると天馬は考えている。


 先ほどの由美奈の言葉は兄としては非常に喜ばしいものだ。それと同時に、自分がいずれ由美奈の輝かしい未来の障害と為り得ることも理解してしまう。


 どうすれば由美奈にとって最善なのか、今の天馬に答えを導き出すことはできなかった。


 二十時を過ぎると家事を済ませた愛子は就寝の準備を始める。

 朝早く仕事に向かう愛子の就寝時間は早い。愛子と一緒に寝ている由美奈も寝室へと向かった。


 普段なら天馬が眠りにつくにはまだ早いのだが、この日は学校でイレギュラーな出来事があったせいか精神的な疲労が色濃く残っていた。


 部屋の明かりを落としてからベッドに入ると、誘われるように眠りに着く。



 天馬は身体を襲う揺れを感じて目を覚ました。その原因はすぐに判明する。


「ん、どうした? また怖い夢でも見たのか」


 天馬が寝ているベッドの横で枕を抱える由美奈は、天馬が目を覚ましたのを確認すると布団の中に潜り込んできた。


「お菓子がいっぱいでね、くまさんがグワーって」


 熊に襲われるのとお菓子がどう関係するのかはさっぱり分からないが、子供の夢とは大体が曖昧で要領を得ないものだろう。


「そうか、もう大丈夫だから安心して寝なさい」

「うん!」


 怖い夢を見て目を覚ました由美奈がこうして天馬の部屋にやってくることは珍しくない。


 由美奈は笑みを浮かべて天馬の胸に顔をうずめると、すぐに安心したように寝息を立て始める。


 由美奈の背中を優しくさすってあげると、むにゃむにゃと気持ち良さそうに声を漏らした。 


 その幸せそうな表情が天馬の心をも優しく包み込むと同時に、心の奥底から後悔や懺悔、自責といった負の感情が溢れ出してくる。


 そしてそのまま闇に呑み込まれるようにして再び天馬の意識は遠のいていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る