第2話「逃げられない昼食」

「あー、とりあえず購買に行って来てもいいかな? 昼飯買わないといけないから……」


 正直なところ天馬は今直ぐにでもこの場を立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。


 更に言えばどこか適当な場所で時間を潰して授業が始まる直前に戻って来ようとも考えていた。


 スクールカーストの底辺に位置する天馬とその頂点に位置するであろう二人が一緒にいるとなれば、先ほどの男子生徒たちのようにいらぬ反感を買う恐れがある。


 ……いや、反感を買うどころか火に油を注ぐ結果になるのは間違いない。


 別に今更何をされようとも構わないのだが、面倒くさいことに変わりないので無為に敵を増やすような真似は控えたいというのが天馬の本心だ。


 そんな天馬に対して理帆はとんでもない言葉を口にする。


「お、お昼ご飯なら私がお弁当持ってきたから、良かったら三人で食べない?」


 数秒間、自分が何を言われているのか分からずに固まってしまった天馬だったが、すぐに思考を再開させて返事をする。


「いや、二人の分を減らすのは申し訳ないから自分で用意するよ」

「ちゃんと三人分用意してあるから大丈夫だよ!」


 理帆の言葉に天馬はいったい何が大丈夫なのか理解できなかった。どう考えても自分を陥れるためのハニートラップ的な罠にしか思えない。


 これは新手のいじめなのだろうか?


 だとしても質が悪い。今まで天馬が受けてきたいじめの中でも群を抜いて悪質だと断言できる。


 しかし唯でさえ立場の低い天馬を陥れてこの二人に何の得があるのだろうかと考えるも、当然のように答えは出てこない。


 そんな天馬の心の内を知ってか知らずか、風奈が行動に移す。


「面倒くさい。いいから来て」


 天馬の手を掴み取った風奈は強引に引っ張って歩き出す。


「ちょっ!?」

「フウちゃんっ! というか手! 手がっ!?」


 理帆は訳の分からないことを言いながら二人の後を追う。

 そして天馬が自分の席に座らせられてすぐ、風奈が近くの机を移動させてきた。


「陽ちゃん、なっちゃん、机借りてもいいかな!?」

「あ、うん。全然構わないよ」

「私もいいよー」

「ごめんね、ありがとう!」


 慌てて机の持ち主に許可を取った理帆は借りた席について隣に座った風奈の頭を軽く小突いた。


「もう、フウちゃんは強引なんだから」

「星ヶ谷のせい」

「俺が悪いのか……」


 理不尽なほどに責任転嫁された天馬はため息を吐くしかなかった。


「理帆。お弁当」

「あぁ、そうだった。すぐに準備するね」


 三人で食べることは既に決定事項なのかと天馬は項垂れる。

 自分の目で見ずとも今この場が注目の的となっていることは容易に想像がつく。


 誰もが「何故?」と疑問を浮かべているだろうが、天馬本人が一番その答えを知りたかった。


 三段重ねの弁当を机に広げた理帆が両手を合わせると、隣に座る風奈も手を合わせる。観念するように天馬も二人に倣って両手を合わせるのだった。


「「いただきます」」

「い、いただきます」


 全身にザクザクと突き刺さるような視線が向けられるが、今は無理矢理にでも無視する他ない。


「それで、話って言うのは?」

「食べて。感想」


 言葉数は少ないが風奈の棘のある言葉に天馬も理解する。渋々ながらも渡された箸を手にてだし巻き卵を一つ口にした。


「んっ、美味しいよ、佐々峰さん」

「本当!? 良かったぁ」


 緊張して味など分からないと思いきや意外とそうでもなかった。

 口に入れた瞬間に仄かな甘みが広がり、程良い食感で一噛みする毎に甘みが口全体に染み渡る。


 お世辞でも何でもなく、甘いだし巻き卵が好みの天馬にとってはこれ以上ない味だった。


 天馬の感想を聞いた理帆はホッと胸をなで下ろす。


「そ、それでその……」


 再び天馬が話を戻すと、風奈が突然天馬に向かって頭を下げた。理帆も同様に天馬に向かって頭を下げる。


「二年前、助けてくれてありがとう」

「ありがとうございました!」

「えっ、二年前?」

「中三の夏頃、フウちゃんと私が暴漢に襲われた時、星ヶ谷君が助けてくれたでしょ?」


 風奈の説明を聞いて当時の事を思い出そうと記憶を遡ってみるが、中々思い当たる節がない。


「人違いじゃないかな?」

「……本当に覚えていないの?」

「呆れた」


 疑うような視線を天馬に向ける二人だったが、やがて本当に心当たりがないのだと分かると当時の状況を思い返す。


 ――二年前のあの日、理帆と風奈が遅くまでショッピングモールで買い物をしていた帰りに事件は起きた。


「フウちゃん、この道を進んで行くとあの通りの近くに出られるらしいよ」

「薄暗いし人気も無い」

「大丈夫だよ、早歩きで行けば問題ないって。それに早く帰らないとお母さんに怒られちゃうよ?」

「……わかった」


 人通りの少ない裏道を選んだ二人だったが、不幸なことにその道の先には柄の悪い男たちがたむろしていた。


「お嬢ちゃんたち、少しでいいから俺たちと遊ばない?」


 男の言葉を無視して足早に立ち去ろうとした理帆と風奈だったが、通り過ぎる前に一人の男が理帆の腕を掴み取った。


「嫌! 痛いっ!」

「理帆に触るな!」


 風奈は持っていた鞄をその男の顔面に叩きつけ、腕を掴む手が緩んだ隙に二人は逃走を試みるも呆気なく風奈が捕まってしまう。


「調子に乗りやがって、クソガキが!!」


 地面に組み伏せられた風奈はあらん限りの声で叫ぶ。


「逃げて!!」

「っ!?」


 しかし理帆は風奈の言葉を聞いても動くことができなかった。自分がその場に残ったところで何もできないことなど分かりきっているが、親友を見捨てて逃げるなどできるはずがない。


「何してるの理――うぐっ!」


 立ち止まる理帆を逃がすために風奈が声を上げようとするが、男が力任せに風奈の顔を地面へと押し付ける。


「フウちゃんっ!?」

「わかってんだろうな? もし逃げたらこいつはたたじゃ済まさないぜ」


 自分がこの道を進もうなんて言い出さなければ。

 大人しく風奈の忠告を聞いていれば。

 もっと早く買い物を済ませていれば。


 理帆は後悔するように呆然と立ち尽くして涙を流すことしかできなかった。


「おい、ここは通行止めだ、他の道を探しな」

「急いでるんですが……」

「この先は行き止まりだ。わかったらさっさと失せな」

「行き止まり? 前に来た時はちゃんと通れましたよ」

「物わかりの悪い奴だな! ここは通さねぇって言ってんだよ。痛い目見たくなかったら失せろやガキが」


 理帆の視線の先で男たちがこちらの姿が見えないように誰かを囲って道を塞いでいる。


 千載一遇のチャンスだと思った理帆が助けを求めようとする前に、男たちを押しのけるようにして少年が理帆の前に姿を見せる。


「だから、急いでるんだって」


 後ろの男たちに文句を言ってから前を向くと、ようやく彼が理帆と風奈の存在に気が付いた。


「「……」」


 理帆はその姿を見て落胆する。


 自分たちを助けてくれるような存在に期待していたが、現れたのは自分たちと同い年ぐらいの男の子だったからだ。


 中学生が一人加わったところで状況は何も変わらない。理帆だけではなく風奈もまた同じ気持ちを抱いていた。


「見ちまったからにはただで帰すわけにはいかねぇな」

「なるほど、そういうことか」


 理帆と風奈を見て状況を察した彼はそう言葉にすると、手にしていた買い物袋を道の端に下ろした。


「正直に言えばあまり関わりたくないけど、流石に見捨てるわけにもいかないよなぁ……というわけで、放してあげてくれませんか?」

「何だてめぇ!」


 彼が風奈を押さえる男の肩に手を乗せた。すると案の定、逆上した男が空いた腕で彼を振り払うように殴り掛かる。


「いだだだだっ!」


 殴られる姿を想像した理帆は思わず目を瞑ってしまったのだが、聞こえて来た声は彼ではなく不良の男のものだった。


 彼は男の腕を背に回して関節を締め上げ、風奈を開放すると仲間の方へ男を突き飛ばした。


「調子こいてんじゃねぇぞクソガキがぁ!!」

「「危ないっ!」」


 激昂した男が天翼を展開して彼に殴り掛かる。


 天翼を展開した状態は身体能力が二、三倍に引き上げられるため、生身の状態で本気で殴られでもしたら確実に骨折は免れられない。


 最悪の光景を思い浮かべた二人が目にしたのは、殴り掛かった男の方が力なく地面に倒れる姿だった。


「え?」

「いったい何が……」

「身体能力が上がったところで脳を揺さぶられれば誰だってこうなる。それよりも、早く逃げた方がいいと思うよ」


 仲間がやられたのを見た男たちがナイフや鉄パイプなどの凶器を持ち出し、尋常ではないほどの雰囲気を纏って彼を睨みつけていた。


「行くよ、理帆」

「でもっ!?」

「いいから速く!」


 彼の言葉の通り、風奈は理帆を連れて走り出して行く。

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