第6話 百鬼夜行祭


二十四時間営業ではないコンビニ・佐和さわ商店の話。



私・芽吹菫めぶきすみれは、はあ、と思わず溜息をついた。


店長・吉瑞きずきさんからの「夏祭りがあるから」というシンプルな一言で、今日は皆浴衣で仕事をしている。

事実、今日は近所のバカでかい公園で朝から夏祭りが始まっていて、夜の花火大会終了まで周りはお祭りムードで騒がしい。

そして当然のように、この佐和商店も忙しくなる。だから今日は、店長の吉瑞さんを始め、いつもはシフトの被らない天我老てんがろう君もいるし、主婦の魚住うおずみさんもいる。

もちろんさかきさんもだ。

文字通り、佐和商店総出で働いているのである。


夜。

花火大会も終わり、人出も落ち着いた。

そのタイミングで、天我老君と魚住さんが先に上がる。吉瑞さんも、一旦家へ帰ることになった。

佐和商店は、私と榊さんだけの、いつも通りの夜となったのだ。



「ーー浴衣って動き辛ぇな」

榊さんが襷掛けを解きながら、事務所から出して来たパイプ椅子に気怠げに座る。

「本当ですね」

私もレジカウンターに背を預け、意味もなく団扇を扇ぐ。

時はもう、閉店間際になっている。

まだ、夏祭りの余韻が残っているような熱気が店内にあるようで、落ち着かない。

相変わらず無人の倉庫から、物音やら笑い声やらが聞こえて来る。

ただ今日は、それらに対する恐怖心も薄まるほど疲れていた。

慣れかもしれない。恐ろしい。

「はは。笑ってんな。もう今日は何とも思わんが」

「奇遇ですね。私もです。さっさと帰りたいですよ、もう……」

見れば、榊さんもまあまあ目が死んでいる。

当たり前か。朝から今まで休憩を入れても働き通し。いつも暇な佐和商店が忙しくなる数少ない日なのだから。

榊さんが無言で立ち上がると、事務所に行き、何かを持って出て来た。

「ほれ。お疲れさん」

「ーーラムネ!」

差し出されたそれを受け取り、でも、あ、と声が出た。

「ラムネ、ってどうやって開けるんですか?」

「かー……!これだから現代っ子は!どれ、おじさんが開けてやろう」

大げさな。でも飲めないのは困るから、お願いして渡す。小気味よい音がして、栓が取れた。

「おお、」

私は拍手してお礼を言いながら、ラムネを受け取る。榊さんは得意気に笑う。

「有り難く飲むんだぞー」

「……いただきます」

何だか納得出来ないが、言葉を飲み込む。

久しぶりに飲むラムネは、冷たくて爽やかで、妙に懐かしい。

カラン、と青いビー玉が鳴る。

「お祭り、って感じですね」

「なんだ。行きたかったなら、言えば少しくらい行かせたのに」

少し首を傾げて私を見る榊さんに、私は慌てて首を横に振る。

「いや。結構です。今年も人混み凄かったですし」

「まあな。あの中を進むなら、会場着く前に店戻る時間になっちまうか」

ラムネを飲み干して、榊さんがさっきよりは元気そうに笑う。

深緑の無地の浴衣を着た榊さんだけど、そういえばちゃんと浴衣姿でいるのを見た時間は無かったなと、今更ながら思う。朝から忙しく、皆の浴衣をじっくり見ている余裕は、一ミリも無かったのだ。

榊さんをじっと見ていたことに気付かれた。私を見て、にやりと笑う。

「浴衣も似合う良い男だろ?」

……これさえ無ければなあ……。

「似合うことは事実ですけど、その言い方で良い男なのかは疑問ですね」

「手厳しいねぇ、すみちゃんは」

榊さんが全く気にした風でも笑うので、つられて私も少し笑う。

「すみちゃんも似合ってるぜ、その浴衣。赤い矢羽柄とは、随分古風なチョイスだけどな」

「え、ありがとうございます。何となく、“これにした方が良い”かな、って」

榊さんにそんなことを言われるのは予想外で、つい口が滑る。

「へぇ、何で?」

「……さあ?何で、でしょう」

私にも分からない。でも、そういう時の直感は信じることにしている。

「すみちゃん、」

榊さんが言いかけたが、言葉が続かなかった。

外から、りん、と鈴の音がしたからだ。

私は思わずラムネと団扇をカウンターに置く。

榊さんも、店の閉じたドアの向こうを見る。

「ーー聞こえたか?」

「ええ。鈴の音、みたいな」

「だよな」

言いながら、榊さんはカウンターを出て、ドアを少しだけ開けて首だけ出して辺りを見た。と、思ったら即首を引っ込めてドアを閉める。

「え、榊さん?」

「すみちゃん、事務所入れ」

言いながらこっちに向かって来るので、黙って事務所に入る。目が本気だった。

直ぐに榊さんも来て、後ろ手でドアを閉める。そのまま、店内の全ての電気を消す。

急に真っ暗になって固まると、背を叩かれた。息を吐き出すと、手を引かれて入口から遠いデスクの陰に屈ませられる。榊さんも隣に屈むのが、気配で分かった。

「どうしたんですか?」

店内の電気を全て消すなんて、明らかにおかしい。

声を潜めて傍らの榊さんに聞くと、少し笑う声がした。

「百鬼夜行だ」

「ひゃっきやこう?」

思わぬ単語に、私はつい声が大きくなる。

「百鬼夜行って、付喪神とかお化けとかぞろぞろ歩いてる、あの?」

「そう、それ。ーーやっぱ間近であんなの見ると焦るな」

笑いながら言っているが、あまり覇気がない。

静まり返る店内に、何か、鈴のようなものがしゃんしゃん、と鳴る音が聞こえてきた。

同時に、外から大勢が笑っているような話しているような声も聞こえる。

私は何も見ていないのに、ぞわりと、総毛立つ。

「初めて見たな、あんなのの団体。ーーここに来なきゃ良いが……」

見たくもないし来ないでほしい。

「店の前を通ってるんですよね?わざわざ中にまで入ります?」

少しでも安心したくて、そう聞いたが、榊さんはいつもの調子で笑う。

「忘れたか?ここに俺たち以外にいる奴ら」

「あ」

そう。ここには既にお化けがいる。百鬼夜行なんぞ通ったら絶対反応するだろう。それに外の百鬼夜行が気付いてしまったら、店内に入って来る可能性もある、ということだ。

中にもお化け、外にもお化け。嫌なサンドイッチ過ぎる。

まるでその通りと言わんばかりに、倉庫の方が騒がしくなった。身体がびくりと跳ねる。

倉庫のドアがバン、と大きな音を立てて開く。

売り場内を走り回る足音がうるさい。何が出て来たんだろう。

いくらもしない内に、店のドアが静かに開く音がした。外から開く音。ここに居て何も見えないのに、嫌なモノが、怖いモノが、来た、という感覚になる。

「すみちゃんいいか?何言われても黙って此処に隠れてろよ?」

「……はい」

何か、は確実に店内に入って来た。かすれ声みたいな調子で榊さんに返す。

歌が、聞こえて来た。


“祭りや祭りや 人の子賑やかし 今宵の空に 花火数多も打ち上がれば 鎮魂の意さえ 去りし今の世の 祭りや祭りや 我らの晩は 興も今ぞ これからよ”


あんまりはっきりしないけど、こんな風に聞こえる。分かるような分からないような、そんな歌だ。

私も榊さんも、微動だにしない。歌声たちは店内を一周した。団体でぞろぞろ移動してるなら、全部が店内へ入り切らない気がするけど、今この中がどうなっているかは、絶対確かめたくない。倉庫から出て来て騒がしかった足音も消えた。

早く出て行ってほしい。

「おや。人の子の匂いだ」

うわあ。

嫌に通る声に、心臓がひっくり返りそうになる。わやわやと、様々な声が起きて、足音が事務所に向かって来た。

事務所の出入口は一つ。逃げようが無い。

がたり、とドアが開く。衣擦れのような音がゆっくり入って来て、こちらへ、近付いて来る。

もう助からないと思って、強く目を閉じた。

「う、わ」

榊さんの声。

目を開ける。それで私は初めて榊さんと、それを見た。闇より真っ黒な、人。それが真っ白な着物を羽織っているだけの姿だった。あれだけ大勢の声がしたのに、入ってきたのはこれだけだったのだ。

“人の子だ”

楽しげで、それでいて怖い声音だった。

背が冷える。

榊さんはあっという間に引きずられて、事務所を出て行く。

あまりの早さと光景に、直ぐにはうごけなかった。

どうしよう。連れ戻さないと。

立ち上がったはいいけど、何も思い付かない。辺りを見渡して、吉瑞さんが置いていった法被が目に付く。

これを被って行こう。何故か、そう思った。

闇で見えないけど、真っ赤な法被を頭から被せる。

歌声が、店を出て行く。ドアの陰から百鬼夜行の様子を伺う。白い着物の化け物と榊さんは、化け物たちの列の最後尾にいる。榊さんは気を失っているのか、ぐったりしているように見えた。されるまま、引きずられている。

このまま行かせたらまずい。

そういえば、何で私は見つからなかったんだろう?声は出してないけど、榊さんの真隣に居たのに。

でも、今はそんな場合じゃない。考えないと。

塩、は……そうだ、カウンター下にある。榊さんが前使ってそのままだ。あとは酒?ワンカップでいけるだろうか。

最後尾の二人が店を出る。

その瞬間に、私も事務所を出た。闇の中、塩を拾い、酒コーナーへ走る。これで取り戻せるかなんて分からない。

それでも、やるしかない。

“人の子の匂いがまだする”

“あれ 見つけたのは一人と思ったのに”

外がざわついている。

暗闇の中、売り物のワンカップのフタを取った。更に二〜三本用意する。

大体、今更百鬼夜行がなんだ。こちとらもっと訳分からんモノに追われた経験あるわ。

何故か、腹が立って来た。

連れて行かれた榊さんにも、百鬼夜行にも、店のお化けどもにも、そして一番、それらに何も出来ない、私自身にも。

すっかり感情的になった私は、全てを抱え、店の出入口へ駆けた。

バン!と乱暴にドアを開け放つ。

怯んだ空気を感じたが、私はまだ、腹が立っている。

「そこの人間を置いてさっさと帰れ!百鬼夜行ども!!!!」

“これはもしや ハンゴンの!”

何か団体がいて、私を見て驚いた様子にも見えたが、構わない。私は塩と酒をぶちまけた。妙に、手応えを感じる。

白い着物の化け物が、榊さんの手を離して消えたのを確認すると、他のモノたちも一瞬で消えた。

予備の酒を構えて道に出ると、店から駅へ向かう方向で、


“逃げや 逃げや ハンゴンの力を継がれては敵わぬ”


と焦った声たちがそのまま遠ざかるのが聞こえて、やがて消えた。

身体から力が抜ける。振り向いたら、私を凝視する榊さんと目が合った。

深夜、街灯の下で、真っ赤な法被を頭から被り、酒を構える浴衣の若い女。

新しい都市伝説か。

急に冷静になって、法被を肩に掛ける。

あとは、いつもの夜だった。



「ありがとな、すみちゃん」

閉店後。

煌々と明かりが点る佐和商店。

倉庫には、やはり変わらずお化けの気配がある。百鬼夜行と一緒に居なくなってくれても良かったのになあ。

最初は一緒にその事実に嘆いていた榊さんだったが、パイプ椅子に座ると、いつになく優しい目で私を見上げてくる。

「……止めてください。八つ当たりが成功しただけです」

カウンターに背を預け、私は自己嫌悪に陥り、団扇で顔を隠す。事実そうだったのだ。運が良かっただけ。

「声出ないし身体動かないし、気付いたら気絶してるし、おじさん格好つかなくて情け無いったらないよ〜」

「別に、格好つくとかつかないとか無いじゃないですか……百鬼夜行に行き遭って」

分かりやすくへこむ榊さんに、私も何と言ったらいいか分からない。

「……お互い怪我もなく無事だったんですから、もう良いじゃないですか」

「しばらく引きずるわー。とりあえず何か奢るよおじさん」

「奢ってもらえるのも良いんですが。……酒と塩の片付け、手伝ってもらえますか?」

団扇を少しずらして、榊さんを見る。

目が合った榊さんは、変わらぬ優しい目のまま声を出して笑った。

「ああ、もちろん」

ホッとして、ようやく私も笑うことが出来た。


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