第12話 作戦開始
「……すまん、遅れた」
「いいですよ。気にしてませんから」
突然の彼女の誘いに動揺すること十数分。業務が終わったというのに立ち呆ける俺を心配したミィと、あきれて声も出ないといった風のルルさんに活を入れられて、それから俺は急いで更衣室に向かったのが十分前のことだ。
業務が終わってからもうそれなりの時間が経過しており、アイリに少なくない時間をうっそうとした竹林のような本館の竹林で過ごさせてしまった俺は、社会人特有の平謝りにて何とか難を乗り切った。
「では、少しついてきてください」
「お、おう……」
そういう彼女に連れられて、当初の予定とは違うが、なんとか作戦工程その1を達成することに成功した。
さて、次なる作戦工程その2は、このプレゼントを渡すことだ。とはいえ、彼女が俺を誘い出した手前、いつ切り出していいものか……。
ともかく、彼女に言われるがままに、俺はそのあとをつけることにした。
「……」
「……」
言葉は交わされない。ただひたすらに守られる沈黙のとばりが俺たちの間には下ろされており、手を伸ばせばつかめる距離にアイリがいるというのに、俺には目の前の光景は、テレビに映るどこか知らない場所の景色のように、俺が触れることのできないどこか遠くの景色のように映った。
息をすることもできないような重い空気の中で、彼女が向かった先は――〈かいせん〉と書かれた看板が吊り下げられた飯屋であった。
「おう、アイリちゃんじゃないか!」
「今日は二人だよ」
「ほう……カウンター席でいいかい?」
「テーブル席で」
飯屋かいせん。竜宮城下町に並び立つ飯店の一つであり、時期によって変わる海鮮メニューを楽しめる人気の高い店であると聞く。
スライド式のドアを開けて入店するアイリに従って俺も入ってみれば、アイリの知り合いと思われる店長の快活な声が太鼓のように店内に響き渡る。
ピークタイムが終わったこの時間、ちらほらと客がいるが、それよりも空いた席の方が多い中、店の奥のほかの客から一番離れた席を選んでアイリは座った。
「……えっと、金ないんだけど」
「いいですよ。私のおごりです」
……同い年であったはずの彼女が、八歳も年下になっているとわかっている手前、俺の上司という立場であろうとおごられることには少々の申し訳なさを覚えるが――
「あ、じゃあいつもの海鮮丼二つで」
「あいよ!」
メニュー表を渡されることなく俺の分も頼んでいるのを見ると、怒る気も失せた。
鼻をつつく海産物の濃厚な香りに、俺はこれから提供されるであろう海鮮丼に期待を高めつつ、彼女の顔色を窺っていた。
見覚えのあるふくれっ面。何か気に入らないことがあった時に、言いたいことを喉元で抑え込んでいるときの表情だ。
……なんか、少し懐かしい。
ただ、そんな懐かしさに浸っている余裕は俺にない。ここでプレゼント作戦を失敗してしまえば、この先に待っているのは救いのない嫌な空気の漂う職場だ。
それに、アイリに嫌われるのは嫌だ。
だから俺は、覚悟をもって彼女に話しかけた――
「なぁ――」
「あの――」
俺ののどから言葉が出たとき、なんともタイミング悪く彼女の口からも言葉が発されてしまった。
「「……」」
なんとも言いずらい絶妙な空気に拍車がかかり、せっかく決めた覚悟がしぼんでいってしまう。
しょぼくれた俺の覚悟に対して、少し様子を見るように俺のことを見ていた彼女は、俺がしゃべりだす気配がないことを確認してから、またも俺に語り掛けてきた。
「……ごめんなさい」
「はい?」
ただ、その言いだしは俺の耳を疑うものであった。
「いえ、その……数日前の朝のことで」
「お、おう……しかしなんでまた?」
「えっと、あの時はちょっとカッとなって……」
どうやら、彼女の方でも何かあったようで、随分としおらしく俺に謝罪の言葉を並べてきた。
……なんか、俺が一人空回りをしていたようで恥ずかしい。
「うん。ミィの事情を考えれば、ナオさんの部屋にいたのにもなんとなく納得がいってしまいまして。……もう少し、事情を詳しく聞いておけばと、言葉よりも先に手が出てしまったことを恥じるばかりです」
「いや……俺も悪いところがあった。夜にミィの部屋に突き返すこともできたし、眠る前に帰らせることもできたはずだ。俺に落ち度がない何とは言い切れない」
すれ違いから始まった今回の騒動だが、予防しようと思えばできたはずだ。そう、俺が反省していると、彼女は少しばかり目を見開いて驚いていた。
そして、静かにこう零す。
「大人なんですね……」
「そりゃ、二十四にもなれば、意固地になり続けるってのも難しくなるもんだ」
「二十四歳なんですか……」
どこかぎくしゃくしながらも、前にアイリから感じられたツンとした針のような態度はどこか消えていた、感心するような声色を俺に向けてきた。
「あー……」
そこで俺は思い出す。仲直り作戦のために用意していたプレゼントの存在を。
「すまん、これ」
今となっては無用の長物となってしまったプレゼントだが、せっかく買ったのだから渡さない方がプレゼントに失礼だろう。そう思い、俺はバックの中に入れていた包装紙を取り出して、アイリに手渡した。
「なんですか、これ?」
「ご機嫌取りようの品だよ。まあ、もうその必要もなくなっちまったけどな」
あれから数日。全員が共通して語った、食べ物系が安パイであろうという助言に従い――
『本館限定メニューの高級甘露! 絶対あれがいいと思うわ!』
『それはルルが食べたいだけだ』
と語る、アイリのおやつの盗み食い常習犯の戯言をかわしつつ、
『アイリはなんでもよく食べるいい子だ。したがって、食べ物をプレゼントするときはとても悩んでしまうものなのだが……そういえば、最近こちらに来た行商人が運んできた菓子が食べたいと言っていたな』
『あー、あれでしょ、船着き場にいたカエルみたいなお腹の人。定期的に来てくれるけど、毎回違うお菓子くれる人』
『一期一会の品物か。ちょうどいいんじゃねぇか、ナオ』
最終的に得られたカサゴさんからの助言に従って、俺はその行商人を探して城下町を駆けずり回った。
「これは……あの時のこと、覚えてていたんですか?」
「まあ、な」
その行商人が扱っていたのは、何時かに彼女が食べてみたいと言っていた、見たこともない色をしたお菓子であったのだ。
なんとも偶然なその因果に、俺は運命を感じた。だから、俺はその菓子を仲直りのきっかけにと持ち込み、紆余曲折ありながらも、今彼女に手渡した。
その菓子の包みを見てから、俺と目を合わせた彼女は、
「ありがとうございます♪」
もう見ることはかなわないとどこかで思っていた、かつての太陽のような笑顔を見せてくれた。
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