第6話 おんぶ


 俺が制服に着替え、アイリにミィが託されてから数時間。俺とミィは初仕事となる風呂掃除をやっていた。


 ここに来る時にも感じた硫黄のような匂いが示す通り、この旅館の各所には風呂場が設置されているらしく、その中でも俺たち二人で中規模の――七、八人程度は足を伸ばして入れそうな広さの浴場の掃除が命じられた。


「さて、こんなところか?」


 童心に帰ってモップを振り回すわけでもなく、社会人ながらにいそいそと掃除に励んでいた甲斐もあって、風呂掃除は数時間足らずと終わった。


 露天風呂ということもあって風が吹き、初仕事の達成感をさらに高めてくれる。


「あー……なんか、久々に気分がいいな」


 デスクワークというのも悪くはないが、いかんせん体が固まってしまうのが難点だ。その点、多少の疲労感はあるが体を動かす仕事はどこか達成感のある汗をかけるのがいい。


 なんか、随分と気が早いといわれるだろうけど、俺はここに来てよかったと思い始めていた。

 ……俺の背中に感じる重みを除けば。


「……なあ、ミィ」

「なに?」

「なんで俺の背中の上に乗っかってるんだよ」


 それは掃除が終わる直前のことだった。


『ナオ。ちょっといい?』

『どうした』


 そんな調子で最後の仕上げとばかりに洗剤をシャワーで洗い落としていた俺の背中からミィは話しかけてきた。

 更衣室の一件もあり、少しばかりミィとの接し方がわからなくなっていた俺は、しどろもどろとなりながらもしゃべりかけてきた彼女に対応した。


 ただ、そんな感情は一瞬にして吹き飛ぶこととなる。


『乗せて』

『……は?』


 まるで甘えん坊の子供のように、彼女は俺の背中に上ってきたのだ。しかも異様に力が強く、大の男の力では引きはがすことができなかった。


 彼女の頭についている角は伊達ではなく、そのあまりの力強さに鬼としての特徴を垣間見た俺は、とにかく彼女に背中から降りてもらおうと説得するが――


『おなかすいたから』の一点張り。それはさながら波を打ち消す防波堤のように、俺の説得の言葉をミィは次々と打ち払っていった。


 その結果、彼女を説得することを早々にあきらめた俺は、同僚のモラハラ染みた行為に屈することなく掃除を続けていた。


 幸い、とんでもない馬鹿力とはいえ彼女の体躯は子供のそれであり、背中に感じる重さも大したものではない。

 ……なんとも言えない柔らかさを感じて、いろいろと思い出してしまうのが難点だが、俺はひたすらに無我の境地を目指すことで事なきを得た。


 さて、そんなこんなで掃除を終えた俺は、今度こそはミィを背中から引きはがそうと、サラリーマンとして鍛えられた説得術の見せ所――


「はむっ」

「痛っ!?」


 さあやるぞと奮起していた俺の首筋に走る一筋の痛み。しかしそれは一瞬のことで、その痛みは何とも言えないむずがゆさに変わっていった。


 何が起きたのかとつかの間、露天風呂に設置されている兄弟を見てみればあら不思議。ミィが俺の首にかみついてるじゃありませんか――って首ぃ!?


「ちょ、まじでミィ、マジで何やってんの!?」

「うまい……」

「味は聞いてねぇよ!?」


 わたわたと慌てる俺にかまわず首元に牙を突き立てるミィ。てんやわんやとなった思考のままに騒いで、それに気づいたアイリによる雷のようなお叱りが入るまで、ミィは俺の首筋にかっぷりとかみついたままであった。



 ◇~~~◇



「ごめん。おなかすいてたから、思わず……反省はしてる」


 アイリの助けもあってなんとかミィを引きはがすことに成功した俺は、とにかく反省の意を示すミィを見る傍らで、アイリからミィの持つ特殊な事情を聴くこととなった。


「実は彼女、鬼と吸血鬼のハーフでして……」

「鬼とか吸血鬼とかが存在してること自体が違和感しかないんだけど……」

「ああ、まあ……ここはそういうものが集まる場所、とでも覚えてくれれば大丈夫ですよ」


 聞くところによれば、彼女は鬼の象徴たる角や馬鹿力を持つ以外にも、吸血鬼としての特性も持ち合わせているようで……その不安定さからか、おなかがすくと我慢ができなくなるのだそうだ。吸血を。


「そうなったらすぐに食堂に来るように言ってるんですけど……」


 そういいながら、彼女はちらりとミィの方を見た。

 ……そういや、ミィも俺と同じで最近この旅館に努めることになった人間だったか。


 となれば、彼女もミィの事情のすべてを知っているわけではないだろう。ここでアイリを責めるのはお門違いだ……それに――


「……?」


 ちらりと俺もミィの方を見てみれば、小首をかしげた彼女と目が合った。それから彼女は、こてりと右側に傾けていた小首を左側にかわいらしく傾けた。


 そんな彼女を、俺は怒りのままに責めることができなかった。かわいいからというよりも、子供に本気で怒るのもうなのだろうかという葛藤が俺の中にあったのだ。


 とはいえ――


「……ナオ。ナーオ」

「なんだ?」

「反省はした。けど、おいしかったからまた飲ませて」

「いやだよ」

「のーまーせーてー!」


 と、今度は許可をとって俺の血を狙って来る手前、一度しっかりと言っておいた方がいい気もする。


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