第5話 やぁよ


「ども。ミィ。よろしく」


 それから数分。アイリに連れられて出てきた赤髪角付きの少女は、自分のことをミィと名乗った。


「あっと……新人の……あー……ナオだ。よろしく頼む」

「ナオ。ナオ……うん、覚えた。えちえちな人」

「それはミィが更衣室間違えてたのが原因だろ!?」

「でも凝視してた。じっくり七秒。そんなに私のことが好きなの?ナオのナって七のナなの?」

「ナオさん……」

「ちがあああああう!!!」


 とまあ、小さく結ばれた紅色のミィの唇が俺をからかって楽しそうに笑う中、今も焼き付いて離れない彼女の裸体に悶々としている俺がいる。


 いかに相手が少女であろうと、まだ若い健全な成人男性である限り女としての性を見せつけられて無反応で色という方が無理な話だ。


 今もなお、俺は鼻からほとばしろうとしている赤いパトスを何とか必死に抑えているところである。


「とりあえず、着替えてくる」

「あ、はい……ど、どうぞ……」

「ミィは覗かないよ」

「期待してねぇよ」


 とにかく、俺は焼き付いた光景を振り払おうとミィから離れようと更衣室に避難するが、どこか引き気味になったアイリに背中を刺されて瀕死気味となってしまうのだった。



 ◇~~~◇



「……法被みたいだな」


 会社帰りということもあって、ずっと着ていたスーツを脱ぎ、空いたロッカーに収めてから制服に身を包み、更衣室の中に置いてあった鏡の前に立った。


 法被のような制服にエプロンといった服装で、下にはインナーと黒いズボンを装着したスタイル。

 先ほどから続く和風の旅館のスタイルには随分と違和感を覚えるが……まあそういうところなのだと思うしかないだろう。


 そもそも、さっきのミィといい、ここの主といい、俺の知る人間からかけ離れた見た目をしている。


 世界の狭間。いまさらだが、俺をこの旅館へと連れてきたサトヤさんの言っていた言葉が、俺の価値観に重い現実味をもってして訴えかけてきていた。


 考えてもみれば、町と見まごうほどの旅館、滝壺から生える龍、異形の人間と現実味のないことばかりだ。


 本当に、ここは俺のいた世界とは違う場所なのか……。


「……まあ、あそこよりはずっといい」


 僻みと嫉妬が横行し、誰かが誰かの足を踏んで笑顔を浮かべているあの職場よりはずっとましだ。


 アイリもいるしな。


「さて、戻るか」


 なんとも邪念に満ちた喜びが最後の方に飛び出てきた気がするが、俺は頭を振り払ってロッカーのカギを閉めた。

 上着の内ポケットにカギを放り込んでから、更衣室の直角に曲がった通路を歩き、青い暖簾をくぐってみれば――


「あら、随分とさえない男ね」

「ちょ、ルル姉!?」

「その上、えちえち。救いようがない」

「ははーん。大方、アイリ目当てで働くことを決めたとか」

「もう、いい加減にしてよ!!」


 なにやら女子が一人増えていた。

 それも、小さいも小さい極小サイズの女子が一人。随分と改造され背中がおっぴろげになった制服をまとうその女は、俺の手のひらよりも少し大きいぐらいのサイズしかない物理的な意味で小女と言える女子であった。


 そんな彼女は、ひらひらと背中に備え付けられた半透明の四枚羽を羽ばたかせながら滞空し、こちらを値踏みするような視線を遠慮なしに俺へとぶつけてきていた。


 龍に鬼ときて今度は妖精と……なんともファンタジーに偏ったこの旅館の愉快なメンバーに驚かされっぱなしだった俺は、もうこの程度では動じなかった。


 とはいえ、会って早々の罵詈雑言ばりぞうごんには俺の心もちょっどだけへにゃけてしまう。もう少し新人には優しくするべきではないのだろうか……?


「と~に~か~く~! 仕事しなよルル姉」

「あ、そのことなんだけど」


 俺が一人へこんでいると、アイリと妖精――ルルの方で会話が進んでいた。


「ついでにウチのミィのことも見てくれない?」

「え、でも私今から始めて教育係するんだけど……?」

「あの子、華奢な見た目から信じられないほどの馬鹿力じゃん? 非力ないちフェアリー風情のお姉さんには手が付けられないこともよくあるのよ~」

「……でもこの前、おなか空いたとか言って私のおやつ盗み食いしてたよね。あれ結構な量あったと思うんだけど……」

「いっけな~い、用事思い出しちゃったから急がないと~!! ……ってなわけでミィのことよろしくね!」

「え、え、ちょっと待ってよルル姉!!」


 何やらひと悶着があった様子。声を荒げるアイリから逃げるように、ルルは小さな体躯を駆使してハエのようにどこかへと飛び去って行ってしまった。


 そんなルルを追いかけていったアイリであったが、数分と経たないうちに肩で息をしながら戻ってきて、俺たち二人の顔を見てからこういうのだった。


「まずは風呂掃除するよ!」

「お、おう……」


 吹っ切れたかのようにおかしなテンションになったアイリにひき気味になりながら、俺はちらりと隣に立つ小さな鬼の顔を見る。


「えと……よろしくな?」

「うん。よろしく。でもえちえちなのはやぁよ」

「しねぇよ」

「しないの?」

「絶対しない」


 小さい体の鬼、ミィが俺の同僚に加わった。


 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る