破滅と踊れ
「ユマ姫の様子はどうなんだ?」
「それが、よく解らないのよね」
尋ねるは、カディナール王子。
答えたのは、黒いドレスの女。
妖艶かつ危険な雰囲気を隠そうともせず、吐き出す息すら淫靡で有害。
まさに絵に描いた様な毒婦。
そんな相手を前に、カディナールは優雅にくつろぎ、皮肉げに笑ってみせる。
「ほう、魔女であるそなたにも、噂の姫君の狙いは解らんか? クロミーネ」
正体は、帝国の黒き魔女。
そう、黒峰だ。この時、黒峰は王都に居た。
ここはカディナールの持つ離宮の一室。
彼にしては地味な、白磁の大理石で統一された極めて私的な空間だった。
そこに、黒峰が居る。
王国の第一王子であるカディナールが、帝国の魔女と密会をしている。それも、この砕けた雰囲気。初対面と言う事はないだろう。実際、二人は既にして秘密裏に同盟を結んでいた。
だからこそ、魔女は王子のあからさまな挑発を気にした風もなく、キセルに口をつけ、ねっとりと紫煙を吐く。
「手強いんじゃないのよ? 手応えがないの」
「どう言う意味だ?」
「そのまま……よ、あの子、何も知らないのよ? 国の事も、魔法の事も、遺跡の秘密もね、期待外れもいいとこだわ」
「まだ子供だ、不自然ではないだろう?」
「本当に、そう思う?」
カディナールは押し黙る。彼の片腕であったダックラム公は、ユマ姫を見るなり裸同然で王都から逃げ出した。
信じられぬ事だ。あれだけの権力を手にすれば、誰しも破滅の瞬間まで権力に縋ってしまう。一瞬の判断で全てを投げ捨てて、逃げ出すなどよほどの事。
果たしてダックラム公はユマ姫に何を見たのか?
「私だって、おかしいと思うわ。でも、アレを演技とは思えない」
「では、側近に危険な魔術師が居るのか?」
「かも、知れないわね」
黒峰は髪を掻き上げ、ヒールで大理石の床をカツカツと鳴らす。
どうにも腑に落ちない。言い知れぬ予感に黒峰は焦っていた。自分の言葉と裏腹に、ユマ姫をただの子供と思えなかった。
どうにも、手応えがなさ過ぎる。こんな事は彼女の『更新権』に今まで一度も無かった。
まず、洗脳する前段階、トランス状態にするまでが簡単に過ぎた。薬師であるルージュの手を借りる必要もまるで無い。聞いたことは何のためらいもなくスラスラと答えてくれる。ちょっと太ったとか、トイレの回数が増えたとか、極めてプライベートな事まで、あけすけに淀みなく。もちろん回答に矛盾も歪みも存在しない。
これはおかしい、人間の心理につけこんで人を支配する黒峰としては、逆に取っ掛かりがないとも言える。
ひょっとして、魔法なり何かの力で洗脳に掛かったフリをしているかと疑った。しかし、どんな役者でも子供の真似は難しい。余りにも無邪気な回答に、心の隙間が見当たらない。
そのうえ、尖った針を突き付けて、ユマ姫の眼球に触れるほど近づけても、まるで反応を示さない。
これは、強烈にトランス状態に入っている証拠。どんな役者もこうは行かない。ここまで来れば、どんな尋問も、洗脳も、思いのまま。
ひょっとしたら、ユマ姫は何の悩みも無い馬鹿なのかも知れない。いや、そうとしか思えない。
なのに、違和感が募る。
煮え切らない魔女に、カディナールは結論を求めた。
「まぁいい、洗脳は効いたんだな?」
「効き過ぎたのよ。簡単に」
「良いことではないか、これでアイツを葬れる」
カディナールは黒峰に、ユマ姫を洗脳してのボルドー王子殺害を命じていた。
黒峰にしてみれば、父親に成り代わろうとするボルドー王子を殺せと、ユマ姫に悪感情を植え付けるのは簡単だった。
「でも、きっと失敗するわ。心に取っ掛かりが少ないから、人殺しをさせる程の決意を引き出せないの」
「かまわんさ、養女にしようとしたユマ姫に攻撃される。それだけでアイツの傷になる」
「そう、だったら私はもう帰るけど、良いわね?」
「見届けないのか?」
「洗脳した、銃も預けた。オマケまで渡したのよ? もう十分でしょう? ルージュを託すわ。あの子も薬学の専門家よ、大抵の問題は解決出来る」
「ふん、魔女の魔法も品切れらしいな」
カディナールに悪態をつかれながらも、黒峰は奇妙な焦燥感に灼かれ、この場を立ち去りたくて堪らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふわぁ、寝過ぎたかもしれません」
魔女と王子が密会しているまさにその時、ユマ姫はカディナールの屋敷で目を覚ましていた。
記憶が曖昧だ。どうやら馬車の中で眠ってしまったらしい。これは淑女らしからぬ行動とユマ姫は反省する。
……実際はルージュに睡眠薬を盛られ、その間に黒峰の洗脳を受けたのだが、そんな事は自覚にない。
「トイレに行かないと」
流石にヨソのお屋敷でおもらしなんて外聞が悪すぎる。ユマ姫は必死でトイレを探した。
暗い中、寝ぼけまなこでゴソゴソと歩き回って、結果、迷い込んで、地下への階段を転がり落ちる。
「ううぅ、何ですか? ここは!」
ひたすら真っ暗な部屋に迷い込み、手探りで見つけたランプになんとか火を付けると、ユマ姫はソレを見てしまう。
「うひゃ! お化け! あ、人形? ……綺麗」
それは美しい女性の人形だった。
今まで見たことが無いほどに、精巧な。
「ああっ」
驚いたあまり、ユマ姫は粗相をしてしまうのだが……全ては人の居ない地下室のこと、誰にも気が付かれなかったし、恥ずかしくてユマ姫はソレを誰にも明かさなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、カディナールの屋敷から馬車が出て、ユマ姫はオーズド伯の屋敷へと送迎された。
「もう! 心配したんですよ!」
シノニムは怒り心頭。王子との会話の途中で逃げ出すのは失礼にも程がある。
「ボルドー王子にも謝らないといけません。良いですね?」
「えぇ~!」
「えぇ~じゃありません!」
そして、二人はボルドー王子の屋敷へと向かう。
「昨日は申し訳ありませんでした」
「いいや、謝るのはこちらの方だ。父親を亡くしたばかりの少女に養女にならないかなんて、デリカシーがなかったよ」
「そんな! ほらっ! ユマ様も謝って下さい! ……ユマ様?」
「ウウウゥー」
シノニムは黙りこくるユマ姫の頭を抑えるが
……少女の様子は尋常では無かった。
洗脳だ、黒峰の洗脳が牙を剥く!
父親に成り代わろうとするボルドー王子を前にして、ユマ姫渾身の攻撃が炸裂する。
「がう!」
噛み付いた。ボルドー王子の腕に、思い切り。
「グフッ!」
笑える程に、ちっとも痛くない。むしろくすぐったいぐらい。それでもユマ姫は本気で噛んでいるのだ。王子は笑いを噛み殺せず、変な声が漏れてしまった。
ユマ姫が誇る最強の攻撃も、拗ねた子供のわがままに過ぎず、可愛らしいだけの行動だった。本人は大真面目に殺す気なのだが、これでは鼠一匹殺せない。王子は苦笑するばかり。
慌てたのはシノニム一人だけ。
「なっ! 何をしてるのです!」
「いや、良いんだ。罰だと思う事にするよ。むしろ、ちょっと嬉しいぐらいだ。死んだルミナスも、喧嘩した時こうやって噛み付いてきたもんだ」
ボルドー王子はそう言うと腕に噛み付くユマ姫を抱きかかえ、今は亡き婚約者、ルミナス・ピーグルの肖像画が飾られた部屋へと一同を案内した。
ユマ姫に、ルミナスを見て欲しかったから。
「あれ? ここは?」
しかし、目を覚ましたユマ姫の反応は、望んだモノとは大きく違った。
「あっ! この人、あの人形とそっくりです!」
そう、肖像画に描かれたルミナスの姿は、ユマ姫が見た、あの綺麗な人形に良く似ていた。
「ソレは、どこで!?」
「はい! カディナール様のお屋敷で、ソックリの人形が飾られていましたよ。まるで生きてるみたいなんですもの、驚いちゃって」
「何だと! いや、まさか……」
考え込むボルドー王子。兄カディナールが動物の剥製をコレクションしている事は良く知っていたからだ。でも、まさか、人間を剥製にするなんて流石に信じられない。
しかし、ボルドーが婚約者ルミナスの死に長年不可解なモノを感じていたのも事実。
ルミナスは公爵家の娘。結婚でコチラの勢力が拡大するのを恐れてカディナールが暗殺したのでは……と、疑ってはいたのだ。
しかし、動機が弱い。だったら他に妨害の方法など幾らでもある。
それが可能なほどに、カディナールは権勢を誇っていた。
なによりカディナールはシャルティアやルージュなど、弱小貴族の娘達と婚約し、強権を振るって彼女達を無理矢理に引き立てている。
そんな事が出来るのだから、公爵家の娘を殺す意味がない。殺すにしても婚約前だ。ルミナスの実家は今でもボルドー王子を支援してくれている。あのタイミングで殺して、疑心暗鬼を抱かせて、カディナールは得をしない。そう思っていた
しかし、それもこれも、美しさが評判だったルミナスを剥製にしたかったとすれば、どうだ?
今すぐ、ルミナスの墓を確認しなくては。
かといって、故人の墓を暴くならそれなりの理由は必要だ。ボルドーはユマ姫に向き直る。
「死んだルミナスに、君を紹介させてくれないか? 娘として」
「だから! あなたの子供にはなりませんって!」
「頼む、今だけはそう言う事にさせてくれ」
「えー?」
そうして、ユマ姫に見せるため、王子はルミナスの墓を暴くことにした。肝心のユマ姫の意志を考慮せず。
そうしてユマ姫を連れ立って訪れたルミナスの墓。結婚前であった故に、王族の自分と同じ墓に入れられぬ事を悔しく思い、ボルドー王子らしからぬ豪華さで、小さいながらも王墓に近いモノを作らせた。
いま、あえてその墓を掘り起こす。
……まさか、あり得ない。
そう思いながらも、もうボルドー王子は止まれなかった。
婚約者の墓を暴く事に罪悪感を覚えながら、それでも、王子は棺を開けた。
そこにあったのは、ボルドー王子が送った安い髪飾りが一個だけ。
「ッ!! カ、カディナール!!!!」
掘り出した棺桶はもぬけの空。犯人は誰か? こんな事が出来るのは、兄カディナールに他ならない。
「クソッ! クソォ、俺は! 空の棺桶に欠かさず墓参りをしていたのか、とんだ間抜けだ!」
血が出るのも構わず、ボルドーは空の棺桶を殴った。グチャリと肉が軋む音がして、白い棺を赤く染めていく。
それを誰も止めない。止められない。
親友にして側近のガルダも、ユマ姫を守るべきシノニムも、顔色を無くして見ている事しか出来なかった。
「うっううっ! グッーー!」
棺桶に縋りつき、吠える。グチャグチャの感情が、まるで整理がつかないからだ。ボルドーの精神は壊れ始めていた。
今まで気が付かなかった自分への苛立ち、思い返せばカディナールが墓参りに来た事もあった。あの時、アイツはどんな気持ちで弔辞を述べた! 殺してやる!
ボルドー王子は悔しさに狂い、ボロボロと涙を流す。
その鬼気迫る様子をポカンと見るしかなかったのがユマ姫だ。
「あのー? 私は、そろそろ帰っても良いですか?」
「そうは行くか!」
だが、王子はユマ姫の肩を掴んで離さない。
「今からカディナールの屋敷に行く、案内して貰うぞ! ルミナスの所まで」
「えぇ!」
取り繕っていた優しい父の顔をかなぐり捨てて、ボルドー王子は憤怒の表情を貼り付けていた。その暴走をもう誰にも止められない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あら、お揃いでどうなさったの?」
カディナールの屋敷に踏み込んだボルドー王子以下、親衛隊の面々。慌てて応対したのはカディナールの婚約者、ルージュであった。
「貴様はいい、カディナールを出せ!」
「そ、そんな事を仰っても……あの人は今留守で」
「どけ!」
「きゃっ!」
ボルドーはルージュを突き飛ばす。ルージュにしても温厚で知られるボルドー王子の暴走は理解不可能。
いや、心当たりがひとつある。困惑顔で後ろに付き従う少女を見れば一目瞭然。
ユマ姫への洗脳がバレたのだ。
「地下に部屋があるはずだ。言え!」
「あらっ?」
だから、ボルドー王子が探しているのが地下室だと聞いて意外に思った。
……実は、ルージュも黒峰も、剥製にしたルミナスの事は聞かされていない。だからボルドー王子の狙いが解らない。
どちらにせよ、ルージュは王子を黙らせに掛かった。
「秘密の地下室なんてものがあったら、空気の流れのひとつもあるものでしょう?」
そう言って、お香を焚く。
「む?」
「どこでも、好きに調べてください。この屋敷にそんなモノありませんから」
知らないからこそ、躊躇無く調べろと言ってみせる。怪しい素振りなどあるはずが無かった。
更に言えば、見つかればタダでは済まない剥製のある地下室。煙の流れ程度で発見出来る程、雑な作りではあり得ない。
「確かに、何も無いな。ユマ、おまえは本当に見たのか?」
「えぇ? だって真っ暗でしたから良く覚えてませんよ」
アレは夜のこと、更に言うとユマ姫は寝ぼけていた。自信が持てない。
そうしている内、遅効性の毒はゆっくりとボルドー王子一行の体を蝕んでいた。
「な、うっ?」
気が付けば、体が痺れる。意識が混濁し、目を開けていられない。
お香に混ぜられたしびれ薬の効果であった。
「貴様!」
朦朧としながらも、ボルドー王子はルージュへと手を伸ばす。しかしルージュは軽く払って、王子を逆に地面へと引き倒した。
「馬鹿ねぇ、頭に血が上って、こんな小勢で乗り込んで」
「ぐっ、なぜ?」
「私に毒なんて効くはず無いでしょう」
ルージュは薬の専門家。長年の研鑽によりしびれ薬が効かない体を作っていた。だから人前で堂々と薬を焚ける。だからこそ、王子もそれを守る親衛隊も油断してしまった。
直接殺す毒こそシャルティアに分があるが、しびれ薬や眠り薬はルージュの得意とするところ。意識を朦朧とさせ、洗脳前のトランス状態を作り出す。魔女のサポートに欠かせない役目を担っているのだ。
そして、薬の効き方には個人差がある。ルージュは全員の様子を窺い、瞳孔の動きから薬の効き方を推察。お香の焚き方を調整し、ほぼ同時に全員の自由を奪ってみせた。
まさに神業。
「お望み通り、地下に案内してあげる。どう? 地下牢よ」
そして、ボルドー王子も親衛隊も、当然ユマ姫も、揃って囚われてしまうのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
見舞いと称し、王である父の薬に細工を施す。
策謀を終えたカディナールが聞かされたのは、ユマ姫の洗脳が空振りし、ボルドー王子が屋敷に殴り込んだと言う凶報だった。
「失敗? いや、悪くないな」
聞けば既にルージュが鎮圧済み。
洗脳の証拠など出るハズがない。一方的に屋敷に押し入り暴れ回った事実はボルドーの大きな汚点となる。
どさくさで、再びユマ姫の身柄も確保した。これでも
チェックメイトだ。
それにしても噂は所詮噂。ユマ姫はただの子供で、何の力も無かったと言うことか。
「じゃあ、見せて貰おうかな、アイツの悔しがる顔をさ」
カディナールの屋敷は広い。地下室だってひとつやふたつではなく、ボルドー王子達を監禁した牢屋はそれなりに広い。ここに全員が囚われていた。
鉄格子越し、カディナールはご機嫌でボルドーを見下ろした。
「さて、気分はどうかな?」
「カディナール! 貴様! ソレでも人間か! 恥を知れ!」
「勝手に人の屋敷で大暴れして、酷い言い草だね」
「墓荒らしの上、子供に嘘を吐かせて、そこまでして俺を始末したいのか!」
「なんの事だい?」
カディナールには解らない。
ボルドーは何を言っているのか。
「ルミナスの墓を荒らし、ユマ姫に嘘を吐かせ、俺をおびき寄せた。違うのか!」
「…………」
違う! 何もかも。
ボルドー王子は勘違いをした。全てがカディナールの策謀だと。
まず、ルミナスを見たとユマ姫に嘘を言わせて疑念を植え付ける。後は棺から死体を抜き取っておけば、ルミナスを剥製にしたと誤認させられる。
そうやって、まんまとおびき寄せられた。
誤解で頭に血がまわり、とち狂って兄の家に討ち入る間抜けの出来上がり。継承争いどころか廃嫡モノ。
それが今の現状だと、ボルドーはそう思ったのだ。
だからボルドーは許せなかった。子供に嘘を吐かせ、墓を暴いて死体まで利用するカディナールの鬼畜さに激昂した。
だが、ボルドーの推理を聞いて、カディナールはほくそ笑むどころか、憔悴を露わにする。
「ここにルミナス嬢の剥製があると、まさか……そうユマ姫が言ったのかい?」
「そうだ……お前が、言わせたのだろう?」
「そのユマ姫はどこに居る?」
「何を言ってる? ユマ姫はお前らの手先ではないのか?」
致命的に、噛み合わない。
お互いが、お互いに、ユマ姫は敵側だと思っている。
「ルージュ!」
「な、なんですか?」
地下室にカディナールのヒステリックな声が響いた。
「ユマ姫は! 捕まえたのだろう? どこだ!」
「え? 確かに一緒に牢に……」
「ッ!?」
その言葉に、その場の全員がまさかと、劇的に反応した。必死で見渡す。
しかし、少女の姿はない。殺風景な牢の中、見逃す事などありえない。
「居ないぞ!」
「なんで?」
あの時、どうしたか? 執事を動員して、動けない王子や近衛兵、もちろんユマ姫も確かに牢屋に閉じ込めた。なのに今、牢屋の中にユマ姫が居ない。ユマ姫の侍女も居る、なのに肝心の姫の姿が見当たらない。
これには、牢の中のボルドー王子も驚いた。
「茶番は止めろ! 目が覚めた時、既にユマ姫は居なかったぞ!」
「ちっ!」
こうなれば、カディナールは落ち着けない。
なにしろユマ姫は、あの少女は! なぜかここにルミナスの剥製があると知っているのだ。
慌てて屋敷中を探させた。
脳裏に過ぎるのはユマ姫の噂だ。
「呪われた姫君。どんな拘束も意味を成さず、閉ざされた部屋にも侵入し、決して殺せない。魔法の矢はどこまでも追いかけて、目を合わせれば、死ぬ!」
「そんな事、あり得ませんわ」
ルージュはケラケラと笑い、否定する。
しかし、今の現状はどうだ?
ユマ姫はルージュにも秘密にしていた部屋に入り込み、ルミナスの剥製を目にしている。更には誰にも見咎められず、厳重に守った牢屋から人知れず抜け出してみせた。
そして、屋敷中を探しても、見当たらない。
「残るは、あそこだけだ」
カディナールは飾り暖炉の中、地下室への隠し通路をこじ開けた。特定の手順でブロックを動かせば、壁がズレる。
「こんな場所が?」
ルージュは初めて見る仕掛け。カディナールは自ら銃を持ち、命ずる。
「準備をしろ、オイ、お前ら、ありったけのジュウを持ってついて来い」
「ここにユマ姫が居ると言うのです?」
「ここ以外に無いだろうが!」
果たして、地下への階段を下りた先。そこにユマ姫は居た。
ルミナスの剥製を前にして、堂々と佇む。
ルージュは思わず、息を飲んだ。
「まさか! 本当に!」
「やっと、来たんですね」
しゃがみ込むユマ姫は奇妙な衣装を着ていた。まるで異国のシャーマン。得も言われぬ神聖と、尋常ならざる気配を纏っていた。
……実際は、自分が漏らした痕跡をなんとか消そうとしていただけ。
彼女は昨日から変な風に寝かされて、睡眠は十分。人より早く起きてしまった。
するとドレスの皺が気になって、馬車に戻って衣装に着替えたのだ。
すべては粗相した痕跡を消すため。
しかし、証拠隠滅の途中でバレてしまった。漏らした地下室にゾロゾロと男達が乗り込んで来る羞恥プレイ。
しかし、カディナールから見たら、どうか?
剥製にしたルミナスの前で、怪しげな衣装のユマ姫が佇む。
その目は虚ろで、何も映していなかった。
ソレが不気味で、恐ろしい。
まるでルミナスの亡霊が乗り移ったかのようだった。
ユマ姫はカディナールを一瞥する。汚いモノを見る様に。
「コレは、臭いですね」
全ては誤魔化す為、さも自分は関係ありませんと言う態度。
「何がだ! どうやってここに来た!」
カディナールは恐怖する。どこにも侵入の痕跡などなかったからだ。しかし、意に介さず、ユマ姫はカディナールに言い放つ。
「汚物の匂いがします」
「なんだと!」
人間を剥製にする鬼畜。
汚物同然と罵られ、カディナールは吠えた。もはや、敵対するより他にない。
「殺せ! ジュウを撃て!」
カディナールが号令すれば、護衛達が手にする火縄銃が一斉に火を噴いた。
「もう、うるさい!」
しかし、ユマ姫に一発たりとも命中しない。
確かに火縄銃は精度が低い、それにしても一発も当たらないなど、あり得るのか?
「なんだ、何なんだアイツは! 本当に死なないとでも言うのか」
「カディナール様、あれは魔法です! 霧を! 霧を使います!」
「そ、そうか!」
ルージュに言われてカディナールも気が付いた。
これは魔法、ならば魔女から切り札を預かっている。
手で持てるごく小型の
「ちっ! 何も見えないぞ!」
しかし、ただでさえ硝煙に満ちた地下室で、霧まで焚いたら何も見えない。ただひたすらに真っ白の空間。果たしてこれでユマ姫は無力化出来たのか? 見通せない世界でカディナールはひとりぼっち。固唾を飲んで霧の向こうを窺った。
「なにっ?」
白だけの世界、突如霧を切り裂いて現れたのは小さな手の平。
「これ! セレナを撃った武器! どうして!」
ユマ姫だ。霧の中迷わず突き進み、カディナールが持つ火縄銃に手を掛けた。
「離せ! クソ! 死ねぇぇぇ!」
「きゃっ!」
カディナールは恐怖した、小さな手を必死で振りほどく。一寸先も見通せぬ霧の中、ぼんやりと見える小さな影、震える手で至近から銃口を突き付け、撃つ!
乾いた銃声。すると霧の向こうから可愛らしい悲鳴が聞こえた。それでも、何も見えない。
釣られたように、周囲から銃声が連続する。どうやらカディナールの護衛はまだ戦っている。
だけどそれでも、何も見えない。
「ふー、ふー、ふー」
荒く息をつく。もはやカディナールは霧の中で縮こまるしか出来ずにいた。
そして、ようやく風が吹き抜ける。通気口がようやく仕事をして、地下へと新鮮な風を送り、霧と硝煙を吹き飛ばす。
果たして、そこに立っていたのは銀髪の少女がただ一人。
誰だ? と問いそうになるカディナールだが、顔を見れば疑いようもない。
ユマ姫だ。魔力が抜けて銀髪に変じたユマ姫だった。
立ち尽くすのは血塗れの地面。周囲には倒れ伏す無数の護衛。
そして、ぴくりとも動かないルージュの遺体。
カディナールが撃ったのは、可愛い悲鳴をあげたのはルージュだった。
至近距離でありながら、ユマ姫に銃弾は掠めもしなかった。あり得ない。
「なんだ、なんだお前は!」
「セレナを撃った武器、どこから手に入れたんですか!」
両者、睨み合う。
睨み合ってしまった、カディナールはユマ姫のピンクの瞳を覗き込んだ。
その時、思い出したのは、睨んだだけで人を殺す、ユマ姫の呪い。
「あ、ぐっ」
呼吸が苦しい、口から血が溢れる。
これが呪いと、カディナールはユマ姫に歯向かったことを後悔し、そして死んだ。
もちろん、呪いでもなんでもない。
「カディナァァァァーーーール!!」
ボルドー王子だ。牢屋を抜け出したボルドー王子が、背後からカディナールの首筋を切りつけた。
「クソッ! クソォォォォ!」
そして慟哭。
地下室で、ルミナスの剥製だけが無慈悲に微笑んでいた。
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