逃走の果てに2

 王都からほど近い小さな狩猟小屋に、ユマ姫とセレナは落ち延びていた。


 (これから、どうしよう)


 セレナの太ももに当たった弾丸は貫通し、止血も済んだ。それでも容体は悪い。霧でセレナの健康値が低いため、感染症の危険まであった。


 消毒液を振りかけるが、どこまで効果があるか……


 そこで、ユマは血に塗れた自分の姿が気になった。えぐい匂いにむせそうになる。これでは自分が感染源になりかねない。

 ありあまる消毒液を頭から被った。どうせ、大量に持ち運ぶことは難しい。


 (あとは、食べ物がないと……)


 見つかったのは乾パンみたいな保存食、ナッツ、乾いた豆、そしてユマ姫の横顔が焼き印されたチーズだけ。

 それらをまとめてポケットに突っ込むと、追っ手から逃れる為にユマは旅立つ。


 西は帝国。北は恐ろしい魔獣が、南には追っ手が迫るだろう。

 やはりと言うべきか、この世界でもユマ姫は東を選んだ。


 ただし、消毒液で体を洗い流した事で、猟犬には出くわさずに済んだのだった。



 二日間、不眠不休で歩き続け、東の狩猟小屋まで辿り着く。これもあの時の繰り返し。


「狩猟小屋があって良かったね」

「一応ね、地図で狩猟小屋があるのは知ってたの」


 地図で狩猟小屋の大まかな位置を知っていたユマ姫だが、実のところ無事に辿り着けたのは奇跡と言って良い出来事だった。


「ホント? すごーい」

「それで、セレナ、回復魔法は使えそう?」

「……ごめんなさい、ちょっと駄目みたい」


 霧の影響は、ここでもセレナを蝕んでいた。まして魔法が使えないユマ姫は、セレナの回復魔法に期待するしかない。


「セレナ、この王冠で健康値を測ってみましょう」

「え? 良いよーそれお姉ちゃんの秘宝だもん」

「そんな事言わないの!」


 ユマは王冠を強引にセレナに握らせる。


 健康値:5

 魔力値:218


 想像よりも、更に少ない数字にユマ姫は言葉を失った。

 この健康値では感染症の危険が大きいからだ。傷口から良くないモノが入り込む事ぐらい、ユマ姫だって知っている。


「健康値が5か、昔のお姉ちゃんみたいだね」

「ふふっ、そうね、でもお姉ちゃんは元気でしょ? こんなのへっちゃらよ」

「そうかな……わたしお姉ちゃんと違って、普通に死んじゃう気がする」

「もう! そんな事言わないの、怪我で弱気になってるだけ。ゆっくり寝て居なさい。お姉ちゃんが何とかしてあげるから」

「うん、ごめんね……」

「謝らないの!」


 慰め合う二人には休息が必要だった。銃弾を受けたセレナは勿論、セレナを背負い、不眠不休で森の中を歩いたユマ姫にも。


 現在のユマ姫

 健康値:19

 魔力値:42


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、三日が過ぎた。

 ユマ姫の疲労は回復したが、セレナの体調は上向かない。ユマ姫は眠るセレナのおでこを触る。


(熱が下がらない)


 昨夜からセレナが発熱を訴えたのだ。現在の健康値は4。むしろ悪化している、感染症の疑いが強かった。

 食糧だってままならない、最初の小屋と違い、飛び込んだ狩猟小屋に食糧の備蓄はなかった、残るはユマ姫の横顔が描かれたチーズがたったひとつだけ。


「それ、お姉ちゃんのチーズ?」

「ええ、そうよ」


 起きたセレナが訊ねる。ユマ姫は苦しい表情を隠して、明るくふるまった。


「セレナ食べられる?」

「うーん、いいよ、お姉ちゃんのチーズだもん」


 セレナはもう自分が助からないと悟っていた。だから、最後のチーズは姉に食べて欲しかった。だけどユマは絶対に認めない。


「セレナが元気になったら私も食べるわよ」

「でもぉ、それ最後の一個でしょ?」

「このチーズが世界で最後の一個って訳じゃないでしょ? お姉ちゃん印のチーズだもん、後で幾らでも食べられるから」

「でも、今は最後の一個でしょ? ここでお姉ちゃんが倒れたら、そのままセレナも死んじゃうよ」


 ユマは歯噛みする。セレナの言う通りだったから。


 この三日間、食糧を切り詰めてユマ姫だって満腹とは程遠い。人里を目指すなら、セレナを背負って移動する体力がどうしても欲しかった。

 今、切実にもう一つチーズが欲しい。だけど最初の狩猟小屋に備蓄されていたチーズは十個。二人で九個のチーズを少しずつ切り分けて。泣いても喚いても、もうチーズは一個だけ。



 そう思ってポケットをまさぐると、なんとチーズが入っている。



 え? と不思議に思った。この状況だから、ユマ姫はチーズを数えながら大切に食べてきた。

 だから、コレは、あるハズがないチーズだ。


 奇跡。

 だからユマ姫そう思った。


 この絶望的な状況に神様がチーズをくれたのだと。


「セレナ、あったから! チーズ、もう一個!」

「えっ!?」


 朦朧とするセレナだって、食糧の残りはちゃんと数えていた。だから、ソレは突然に現れたひどく不気味なチーズであった。


「とにかく、コレで体力をつけて明日には出発よ」

「う、うん……」

「はい、これ」


 ユマの方は、もうすっかり、このチーズは神様がくれた物だと思い込んでいた。

 だから、そのポケットから発掘された方のチーズをセレナへと手渡してしまう。


「…………」


 セレナはジッとチーズを見つめる。姉の横顔がデザインされたその包装紙が、みるからにくたびれていたからだ。


「食べましょセレナ」

「うん……」


 二人で仲良く、同時にチーズを開封した。


「う゛っ!」

「んんっ、どうしたの?」


 早くもチーズにかぶり付いたユマと違って、セレナは開封したチーズを見てギョッとした。


 ……チーズがカビていたからだ。


 そう、このチーズはユマ姫の自室にあった、賞味期限がとっくに切れたチーズだった。しかも、おやつの果物と一緒に隠していたものだから、ウジャウジャとカビが繁殖してしまっている。


「ううん、なんでもない」

「そう?」


 嬉しそうにチーズを囓るユマ姫に、腐っているなどとは言い出せなかった。それに、セレナは、自分がもう助からないと悟っている。

 だから、チーズを食べた。目を瞑って、丸呑みに。


「んんっ!」

「もう、セレナがっつかないの」


 のんきに笑う姉にちょっぴりイライラしたけれど、なんだかそれがおかしくて、セレナは笑った。


「ふふっ」

「あ、笑った! 笑ったでしょ!」

「ありがとう、おねえちゃん!」


 ……そして、ごめんね。


 明日には自分は死んでいるだろう。


 セレナはそんな確信があった。それぐらい体調が悪かったから。そこにアレだけ腐ったチーズを丸呑みに食べたのだ。


 きっとお腹を壊すだろう。

 加えて、この熱だ。

 もう、目が覚めなくたって、不思議じゃない。


「じゃあ、今日はもう寝ましょう」

「うん」


 そうして、少し早い睡眠をとる。

 きっとこれが見納めになる。


 明かりを消す寸前まで、セレナはチーズの焼き印そっくりの、姉の横顔を見続けた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 翌朝。


「お姉ちゃん!」

「どうしたの? セレナ」

「熱が、下がってる……」

「ほんと?」


 ユマ姫は慌ててセレナのおでこを触る。たしかに、昨日より体温が下がっていた。


「やっぱり、昨日のチーズが良かったのね」


 アレは神様がくれたチーズだから……。

 神に感謝するユマ姫だが、セレナは心のなかで「腐ってたけれどね……」と付け加えた。

 それにしても、信じられない事。


「あのね、お姉ちゃん、何か……した?」

「何って?」

「なんか、その、こんなの、おかしいから」


 もう、長くないと思っていた。

 ユマほどではないがセレナだって魔力欠乏で体調には気をつかって生きて来た。健康値が落ちたとき、熱を出す事だって何度かあった。


 だから解る。こんなのは不自然だ。


 何かの因果が捻れてしまった。

 セレナはそんな風に感じていた。


「どうしたの?」


 姉が覗き込んでくる。

 思えば、この姉は不思議だった。魔法も使えない落ちこぼれだと思っていた。

 だから、魔法でからかってやろうと脅かした事が何度もある。喧嘩だってした。


 だけど、姉は傷ひとつ負わなかった。

 狙っても、ひとつの魔法も当たらなかった。


 怖くなった。そんなのは、おかしいから。


 帝国に侵略された日だってそうだ、姉が押し倒されているのを見て、朦朧とするセレナは狙いも付けずにとっさに風の魔法を放った。

 バラバラになった人間の山をみて、セレナはその時ようやく目が醒めた。やってしまったと血の気が引いた。

 だけど、あの時姉はどうしただろうか?


 そうだ、バラバラになった人間の中から、色んな人体のパーツを掻き分けて、血まみれの姉が飛び出したのだ。


 忘れようとしていた記憶が思い出される。


「どうしたの? 体調悪い?」

「ううん、なんでもないよ、行こ!」


 無理をして笑ったが、セレナの顔は少しだけ引き攣っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、廃墟となった街に迷い込んだユマとセレナは、暖を取ろうとして、ボヤ騒ぎを起こしてしまう。

 そこで、出会ったのが炭焼き小屋のファーモス爺だった。


 こうして二人はファーモス爺の荷車に乗せられて、パラセル村に辿り着く。


 二人揃って!


 こうして、歴史は変わってしまった。

 これから何が起こるのか……誰も知らない。

 そう、神さえも。

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