黒衣の剣士?
今回のユマ姫は、セレナと共にパラセル村に辿り着いてしまった。
全てはカビたチーズのお陰。様々な偶然が噛み合った奇蹟。
しかし、妹が助かったとは言え、大切な家族を失った事に変わりは無い。
あの時ほど自棄でも苛烈でもないが、今回のユマ姫も帝国への敵意は健在だ。
何事と不安がる村人を前にして、ユマ姫は宣言する。
「帝国に侵攻され、王都エンディアンは陥落しました」
仰天する村人達。立て続けにユマ姫は恐るべき提案をする。
「私は森の外へ、出来れば王都に向かいたいと思います」
ユマ姫は打倒帝国を掲げ、東の王国と手を組むとぶち上げた。
普通なら考えられない提案。
なのに、皆がなるほどと頷いた。
敵に魔力を封じる霧がある以上、魔力が無くても動ける外の人間の協力は不可欠。王族でありながらハーフであるユマ姫は交渉にうってつけの人選だ。
「俺も行くぜ!」
「俺だって!」
大勢の若者がお供を志願する中、今回は生き残った妹セレナだけが、その光景を悲しそうに見守っていた。
「大丈夫かな……」
姉であるユマは体も弱いし、戦う力もまるでない。だから、長旅なんて耐えられるはずがなかった。
……ソレとは別に、なにか不吉なモノを解き放ってしまうような、セレナには得体の知れない不安があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「セレナー! お姉ちゃん行ってくるね!」
「……ほんとに、行くの?」
馬車の荷台に腰掛け、ぶんぶんと手を振るユマ姫は元気一杯。一方で太ももの怪我に足を引きずり、薄い魔力に元気がないセレナ。
普段とは真逆の光景になっていた。
「そりゃ行くわよ、だって私は魔法も使えない混血だもん。ここに居たって何も出来ない。でも、だからこそ外の街へ助けを呼びに行ける。セレナの方こそ大変よ? 魔力が濃い場所はアイツらが占領してると思うから気をつけて」
「うん、そうだけど……」
ユマ姫は終始こんな様子で、セレナはどうにも落ち着かない。
ユマ姫は不安がるセレナを一晩説得したのだが、納得しては貰えなかった。
不安な部分が違うのだから当然である。
そこにユマ姫と同行を買って出た、村の若者達が割って入る。
「心配しないでセレナ様、ユマ様は僕らが守りますから」
ポーズを決めて、安っぽい魔道具を構えてみせる。
セレナには玩具同然に思えたが、弱い魔獣ぐらいなら追い払えるだろうと文句の声を飲み込んだ。
「……お願いします」
「オウ! じゃあ行こうぜ!」
歓声に包まれて、馬車は出発してしまった。笑顔で応える若者達も、見送る村人も、皆が希望に満ちている。
不安そうに見つめるのはセレナだけ。そんなセレナはさっそく森から飛び出した魔獣を見つけてしまった。
「もぅ!」
大きいだけの魔獣だけど、幸先が悪い。魔獣が街道に飛び出すや、セレナはその巨大なイノシシを魔法ひとつであっさり両断して見せるのだった。
「え?」
「
馬車に乗る若者達は、腰を抜かしてひっくり返った。
なにせはるか北の果ての山脈や、ピルタ山に住む魔獣だ。こんな人里に姿を現すのは珍しく、パラセル村の人々にとっては遠い世界の無敵の魔獣なのだから。
「そうなんですか? 都では良く見ますが」
「…………」
ユマ姫の言葉に、手に持つ魔道具が急に頼りなく思え、不安に顔を見合わせる若者達だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
けれども旅は順調だった。なんの事件も起きないままに、大森林の外縁部まで辿り着く。
……しかし、である。
「うぅ、体が重いわ」
漏らしたのは村長の娘。彼女をはじめ、村の若者は皆が生粋のエルフである。外縁部の薄い魔力が若者達を蝕み始めていた。
「悪い、ユマ様。引き返そう。こんなに外がキツイとは思わなかった」
「いや、ピラーク(馬代わりのダチョウ型の騎獣)も限界だ、とても引き返せねぇ。近くに
「オイ! やめろ!」
「あっ!」
「…………」
気まずい空気にユマ姫はギュッとスカートの裾を握り、唇を噛み締めた。
ユマ姫だってハーフなのだ、差別的に言われて面白いハズが無かった。
「私、馬車を降ります!」
「待ってくれ、死にに行くようなモンだ」
制止する若者は、プルプルと震えて頼りない。
一方で、溌剌としたユマ姫はひらりと馬車を飛び降りた。
「あいにく、私、とっても元気ですから」
ユマ姫にとって、日の光の下で思い切り走れる生まれて初めてのチャンス。本当は、もっと早く馬車を降りて、自分の足で駆け出してしまいたかった。
「今までお世話になりました。妹にはよろしくお伝えください」
「おい、待てって!」
ぺこりと頭を下げるとユマ姫は制止も聞かず、ただまっすぐに駆け出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ユマ姫の健康値、魔力値
健康値:38
魔力値:150
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
歩き続けたユマ姫はついに大森林を抜けた。そして、ソノアール村に到着する。いわゆる外の民、
「ハァハァ……」
大森林の外縁からとは言え、魔法も使わずに数日駆け続けたユマ姫は、やはり疲れ果てていた。
「うぅ、大丈夫かな」
加えて、外の民、人間に対する恐怖は大きい。かといって、尻込みしていても何にもならないとユマ姫は理解していた。
「ごめんください」
「ん? な、なんだ? 嬢ちゃん! どっから来た?」
サンドラのおいちゃんと出会い、ユマ姫は一晩の宿を得る。
その時にこれまでの経緯をかいつまんで説明すると、難しい顔で、「翌日、村長に話してくれ」とだけ言われてしまった。
そうしてやはり、ユマ姫はここでも村役場の村長室へと連れて行かれる。
そこで語ってみせるのは、
その最中、やはりあの男が姿を現す。
「邪魔するぜ」
蹴破るように現れたのは、全身黒ずくめの危険な男。
「おもしれぇ客が来てるらしいじゃねぇか」
田中だった。
そうだ、ここはただユマ姫が、自分の名前を宣言しただけの世界。
それだけが違う世界。
神だって、完全になった世界をわざわざ傷つけようとはしないのだ。
だから当然、この男もそのままココに現れる。
違うのは、唯一、ユマ姫の反応だ。
「……あの、どなたですか?」
おっとりと首を傾げる。
ソレだけであった。
「人の名前を聞く前に、まずは自己紹介、そうだろ?」
やはり、ウザイ調子で田中が応える。
ここまで
そして、ここでのユマ姫は田中を知らない。田中の登場に驚く理由は、ユマ姫のどこにもないのだ。
「そうですね、わたくしは――」
……だから、驚くのはユマ姫ではない。
「お前はッ!?」
田中だ。
ユマ姫の言葉を遮って、田中は声を荒らげる。
ヘラヘラとした軽薄な笑みはいっぺんに吹き飛んで、仰天し、我を忘れた。
田中はユマ姫の肩を掴み、ブンブンと揺する。
そして正面からユマ姫の目を覗き込み
……訊ねた。
「おまえ、高橋か?」
驚愕を顔に貼り付けた、黒衣の剣士がそこに居た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ワリぃな、変な事言って」
「構いませんけど……」
その日は村長の家に泊めて貰える事になった。二人は暖炉の前で今後の予定をすりあわせる。なるべく早くスフィールに到着しなければならなかった。
なにせ村長の家に泊まれるのは今日だけ、明日には発たねばならないのだから当然だ。
それもそのはず、ユマ姫は魔法もまるで使えない。ただ耳が長く、瞳が大きい一般的な
我こそは、姫であるぞと宣言しても、説得力がまるでなかった。
「安心しろよ、俺がついてる。大船に乗ったつもりで、任せとけ」
村人も、村長も、だれもが真偽を疑う中、この剣士だけがユマ姫の言う事を全面的に信じてくれたのだ。名の通った剣士の言葉がなければ、今日だって村長の家でふかふかのベッドで眠れたかも解らない。
ユマ姫にしてみれば、すこしおかしな事を言われるぐらいは何でも無かった。
「そのタカハシと言う女の子は、私と似ているんですか?」
……ただ、それでも少しばかり気に掛かる。
「いや、男だな」
「え? それは……」
私は、そんなにも男っぽいだろうか? それともタカハシと言う男の子がよっぽど女の子みたいに可愛いのだろうか? と、ユマ姫が悩んだのは無理も無いだろう。
思い出すのは王都で評判の子役マーロゥ。あんなに可愛らしい男の子ならば、似てると言われても悪い気はしない。
「いや、似ても似つかない海トカゲみたいなヤツだな」
「……えぇ」
人間ですらなかった。
涙目になったユマ姫に、田中は悪びれず笑う。
「ハッ、見た目じゃねぇんだ、雰囲気がな」
「雰囲気? 私が、トカゲと、ですか?」
「……まぁ、そうだな」
「余計に酷いです」
「いや、ちげーんだ、オイ」
「ふふっ」
「泣き真似かよ……」
「仕返しです」
涙目で、笑ってみせる。
ユマ姫は根っから明るくて、賢い女の子なのだ。つまらない事にこれ以上、腹を立てたりはしなかった。
「安心しろよ、俺が護衛につけば帝国の追っ手だろうがなんだろうが、叩き斬ってやるさ」
「頼もしい、です」
「まぁ、な、これでも腕には覚えがある」
田中はそう言って、自然な仕草で腰のモノに手を伸ばす。
業物のツーハンデッドソード、上背に見合う大剣だ。上位の魔獣にこそ歯が立たないが、その辺の剣士なら剣ごと叩き斬れる自信があった。
その田中の手の平が、緊張にじっとりとベタついていた。どんな魔獣が相手でも軽口を絶やさず、飄々と余裕を保つ事が信条の男が、だ。
まみれた緊張を振り払う様に、握り締めた剣を抜き放つ。
そして、叫んだ。
「――キエーーッ!」
他ならぬ、ユマ姫へ。
全身全霊を掛けた、必殺の一太刀。
タンッ!っと、小気味良い音。
座る椅子ごとユマ姫を脳天から唐竹割りに引き裂いた。
引き裂いた?
引き裂いたハズだ!
「「どうしたんですか? 私の顔に何か?」」
イメージの中のユマ姫と、実際のユマ姫、二つの姿が重なって、同じ言葉を投げかける。
そうだ、本当の田中は、一歩だって動いていない。
まして、剣を振り下ろしてなどいるハズがない。
実際の田中は大きく息を吐き、椅子に背中を預けるので精一杯。その体は汗でぐっしょりと濡れていた。
絞り出す様に、語る。
「剣士ってのはな……」
「はい?」
「全てのモノを、二つに分類して生きている」
「それは、どうやって、ですか?」
「斬れるか、斬れないかだ」
余りにも物騒で、端的な答え。
平和な世界で育ったユマ姫は顔を顰める。
「えぇ……」
「そうやって、見極める癖を付けねぇと、斬れねぇモノを斬ろうとして、握りしめた剣を折っちまう。そんなのは二流よ」
「はぁ……」
それが何か?
と言いたげなユマ姫の顔に、田中は毒気を抜かれてしまった。
「わりぃな、もう寝よう。明日にはスフィールに向かう、良いな?」
「ええ、それはありがたいですが?」
悲劇を語る術が無かったユマ姫には、路銀もロクに与えられていない。報酬だってまるで出せない。
それでも、この剣士はスフィールへの護衛を了承してくれた。文句を言う筋合いはどこにもない。
「…………」
一方で、複雑なのは妖獣殺しの二つ名が通る田中の方だ。
のんびりと果実を囓る少女の姿から目が離せない。
先程から、肌が粟立ってしかたなかった。
田中は、不気味な少女に、世界の秘密を見出した。
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