絶望の朝2

 自分の名前を言えるようになったユマ姫は、すくすくと成長した。

 蛮族との混血と揶揄されながらも健気にふるまい、周囲からの評判も悪くない。詩を朗読して生誕の儀を切り抜けると、読書家で利発な少女だと見直す向きも増えてきた。


 されど、健康問題は付きまとう。

 健康値は7とか8を行ったり来たり。それでも無茶をしない性格のユマ姫は、周囲を困らせる事が無かった。


 それもそのはず、ユマ姫は魔法を使えない。


 だから無茶など出来るハズが無かった。蛮族の血が混じるユマ姫なのだから、コレは当然の事。疑問に思う者はこの世界のどこにも居ないのだ。


 ◇五歳時点でのユマ姫◇


 健康値:8

 魔力値:15


 その後もユマ姫の健康値は低空飛行を続けたが、フラつく事はあっても倒れたり寝込む事は少なくなった。

 妹、セレナとの仲の良さも評判だ。ときどき喧嘩もするけれど、人間離れした魔力を誇るセレナに一歩も譲らず、時には叱ってみせるのはユマ姫だけだった。


 湖畔への家族旅行に、セレナの生誕の儀。


 そして、ユマ姫十一歳の冬。十二歳の期限がギリギリに迫り。ついに成人の儀が始まった。


 ◇十二歳時点でのユマ姫◇


 健康値:12

 魔力値:93


 魔力値は当然として、健康値がとても低い。だから、セレナも一緒だ。


「さぁ! 行きましょうお姉様!」

「そうね、行きましょう」


 セレナに抱えられ、二人は空を飛ぶ。

 そこに不安は一切ない。

 なにせこの世界のユマ姫は、セレナの魔法に痛い目を見た事が一度も無いのだ。だから妹の使う魔法に全幅の信頼を寄せていた。


 ほどなく試練の洞窟に到着する。


「ううっ、大丈夫かな? お姉ちゃん」


 どこまでも暗い洞窟にセレナは戸惑う。一方でユマ姫はお姉ちゃんらしく、強がり半分、カラ元気を見せた。


「大丈夫! いざとなったらお姉ちゃんが守ってあげるから!」

「ええっ!?」


 もちろん、セレナは全く信用していない。


「さぁ、行きましょうセレナ」

「待ってよ、真っ暗で見えないから。『我、望む、この手より放たれたる光珠達よ』」


 魔法の光球が洞窟を明るく照らしていく。


「やっぱりセレナの魔法は凄いわね。コレなら魔獣が出ても平気じゃない!」

「でも、魔法が効かないバケモノが出たらどうしよう……」


 不安げな目を向けるセレナに、ユマ姫は首を振る。


「まさか、セレナの魔法が効かない怪物なんてこの世に居ないよ」

「……そうかな」


 不安とは裏腹に、道中はユマ姫の言う通りとなった。


 セレナの魔法は試練の洞窟に巣くう魔獣を次々となぎ倒していった。

 大人が数人掛かりでようやく退治する大牙猪ザルギルゴール、そして伝説の魔獣、王蜘蛛蛇バウギュリヴァルさえも。

 セレナは全てをなぎ倒し、二人はあっさりと祠から宝玉を持ち出した。


 この成果に王宮は大騒ぎになるのだが、何はともあれ二人の成人の儀はここでも成功裏に終わるのだった。




 そして、遂に、あの朝が来る。

 ソレはユマ姫にとって爽やかな朝だった、のびのびと目が覚める。


「ふにゅぅ」


 可愛らしいあくびをして、枕もとの王冠で日課の健康値チェック。



 健康値:22

 魔力値:42


「まぁ!」


 かつて無い程に高い健康値。ユマ姫は目を瞠る。念の為と大鏡の魔道具でも測るが、結果は同じ。


「わたし、健康になったみたい」


 脳天気にそんな事を言ってみせる。しかし、悲劇は待ってくれない。


 ――ピィィィィィィィィ


 警笛の音。緊急事態の報せである。これにはマイペースなユマ姫も少し慌てた。


「なにかあったのかな?」


 様子を見るべく部屋の外に出ることに。

 その時、おやつ代わりにと、ローテーブルの上にあったチーズを手に取るのも忘れない。


 そう、この世界でも、ユマ姫はチーズの作成に成功している。


 健康値が低く、離宮の限られた蔵書を読み漁るユマ姫がチーズ作りに辿り着くのは、ある種の必然。それだけユマ姫の頭の巡りは良い。

 ただし、長期間放置されたチーズの賞味期限が切れている事にまで、ユマ姫は頭が回らなかった。

 しっかり者だが、ある意味ポンコツ。

 それがユマ姫なのである。


 だからこそ、無警戒に外をうろついた。すると普段は静かな離宮にあって、らしくない声が聞こえてくる。


「敵襲! 敵襲ぅ――」

「魔法は使えん! だが、そんなモノが無くても、我々には鍛えた剣と弓がある!」


 離宮のエントランスでは兵士達の怒号が飛び交っていた。ここに至って、ユマ姫もようやく事態の深刻さを悟る。

 緊急事態、恐らくは敵襲。危機に直面したユマ姫が真っ先に考えたのが、妹セレナの事だった。


「私が守らないと」


 魔法が使えないなら、セレナは戦えない。焦燥に駆られ、全力で走る。走ったままの勢いで、セレナの部屋に飛び込んだ。

 そこでユマ姫はベッドから起き上がらないセレナの姿を目の当たりにする。


「セレナ!」


 呼びかけても応えない。霧の悪魔ギュルドスの霧がセレナに必要な魔力を奪っていた。

 必死に呼びかけるユマ姫を、セレナ付きの侍女ゼノビアが止める。


「無理に起こすのは危険です。こんなにも顔色が悪いのですから」

「そんな!」


 それでは脱出出来ない。

 いや、無理矢理抱きかかえて逃げてしまえば……。

 でも、下手に動き回って敵に見つかったら目も当てられない。霧に飲まれた離宮には、戦える戦力が殆ど残っていなかった。


 その時、部屋の扉が開け放たれる。


「セレナ、それにユマも居たのね」

「お母様!?」


 入ってきたのは王妃、パルメだった。彼女は愛する娘を守るためセレナの部屋に駆けつけたのだ。


「やっぱり、セレナは目を覚まさないのね?」

「お母様、一体何が?」

「ユマ、良かった。あなたは元気?」

「え、ええ」


 娘の体を心配し、愛おしそうに顔を撫でる王妃パルメ、その顔色もやはり悪い。一方でユマ姫の体はかつて無いほど活力に満ちていた。


「それが、この霧の効果です。この霧は私達が生きる為の魔力を奪ってしまう。ユマ、あなたは外の民であるゼナの血を引いているから……」

「そ、そうなんだ……」


 実の娘じゃない事を突き付けられて、実のところユマはしょげた。

 ユマ姫はとっくの昔に、パルメが実の母でないことを知らされている。だけどそれをパルメ自身が口にする事は、今まで一度だってなかったからだ。


 だけれども、状況は待ってくれない。外を警戒していたゼノビアが、パルメを急かす。


「お逃げ下さいパルメ様。もうすぐココにも敵が」

「ユマ、セレナをお願いね」

「お母様?」

「私は、戦います」


 パルメは弓を手に立ち上がる。侍女たちは止めようとするのだが、パルメの意志は固かった。使い慣れた弓で戦うなら、部屋に籠もっても意味がない。

 そして、一緒に戦おうにも、ユマ姫は弓の訓練を殆ど受けていなかった。


「ママ……あ、う、頑張って」

「ふふっ、大丈夫よ」


 ユマ姫は母や侍女を見送り、泣きながら部屋の扉を閉めた。内側から鍵を掛ければ、眠ったままのセレナと二人っきり。

 だけど、外から聞こえる怒号と喧噪がユマ姫を苛んだ。

 必死で母の無事を祈るが、女性の悲鳴と、野卑た男の声ばかりが聞こえてくる。明らかな劣勢だった。


 それらを嘘だと、必死に思い込もうとして、ユマは目を瞑る。強かった母の姿を思い出そうとする。だけど、このユマには『参照権』もない。

 優れた魔法の使い手である強い母の姿より、優しくて、か弱い姿ばかりが脳裏に浮かんだ。


 そして、ついにその時が来てしまう。


 ――ガンッ! ガンッ!


 扉が激しく叩かれる。

 もちろん……母パルメではない。


「オラァ、開けやがれ」

「お宝かぁ? 随分厳重に守ってやがる」

「オイ! 独り占めはナシだぜ!」


 下品な叫び声。そして、扉が……


 ――バギィ


 強引に打ち破られた。


「なんだ、ガキか」

「いや、良く見ると悪かねぇ」

「おまえ、そう言う趣味かよ」


 ゲラゲラと笑う悪漢にユマ姫は為す術無く組み敷かれてしまう。


「い、いやぁぁ!」


 なにせ、この世界のユマ姫は以前より不健康なばかりか、一切の魔法が使えないのだ。まして『偶然』の脅威もない。



 だから、ここでユマを救うのはセレナの力だけだった。


「お姉ちゃんを苛めるなぁ!」


 風の魔法が兵士をまとめて切り刻む。


「セレナ!」


 両断された死体を掻き分けて、血で真っ赤に染まったユマ姫がセレナに駆け寄る。

 目覚めたばかりのセレナはぼんやりとしていて、酷く衰弱して見えた。


「大丈夫? 起きれる?」


 しかし、呼吸が荒く、返事がない。さっきの魔法は命を削った攻撃だったのだ。これではとても歩いて脱出など出来ない。


「私が、おんぶするから逃げよう。はやく」

「うん……ごめんね」


 そうして、ユマはセレナを背負って離宮の中を必死に走った。


 その時に、背中のセレナは見たくないモノを目にしてしまう。


「ママ!? ママぁ!」


 無惨に陵辱された母パルメの死体に、泣きじゃくる妹。それでもユマは歯を食いしばり、泣きながら死体の横を駆け抜けた。


 その後も、地獄は続いた。


「ユマ! それにセレナも!」

「ステフ兄さん!」


 兄ステフはこの世界でも家族を守る為、離宮に降りてきた。しかし、鈴なりに押し寄せる敵に、たった一人では余りにも無力。


「ココで食い止める、二人は今のうちに」

「そんな! 兄さんも」

「僕は良い! それより逃げろ!」


 劣勢も劣勢。霧で動けないエルフの旗色は悪かった。

 ステフは奮闘するが、最後には銃弾に倒れる。


 ユマ姫はその光景も見てしまう。そればかりか。


「居たぞ! 撃て!」

「キャ!」


 追っ手が放った銃弾が、背負ったセレナに当たってしまった。


「そんな!」


 それでもユマは気絶したセレナを背負い、狭い脱出路を這いつくばって脱出を果たすのだった。




 ……そうだ、ここまで何も変わらない。




 幾ら繰り返そうと、制御された運命の強制力に敵わない。むしろ、より悪いと言っていいだろう。

 ユマは一切の魔法を使えず。兄ステフの秘宝。双聖剣ファルファリッサもユマの手にない。


 だけど、ここからだ。

 ここから運命が大きく捻れ、動き出す。


 高橋敬一が溜め込み、託した、『運』。そんな何かが、全てをねじ曲げていく。

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