聖女伝説1

 ここは帝都の目抜き通り。

 ズルズルと台車を引き摺る集団が現れた。


 皇帝直属の治安維持隊である。


 往来のど真ん中。勇ましい兵士達が派手なパネルの台車を牽いて進む光景は、一見すると華やかで、パレードの如くであった。


 なのに、鬱々とした雰囲気が全てを台無しにしている。


 帝都の目抜き通りにも関わらず、人影はまばら。

 参加を強制された人々の顔は暗い。


 吹き溜まった空気を掻き消すように、治安維持部隊は号令する。


「とくと見よ! コレが魔王ユマの姿だ、皆、石を持て!」


 治安維持部隊が指差すのは、台車の上。

 巨大なパネルにゴテゴテと描かれた悪魔の姿。


 彼らは、これこそがユマ姫の正体と宣言する。


 道行く人は渋々と石を持ち、パネルへと投げつける。


「魔王め!」

「帝国の怨敵、許すまじ!」


 口々に魔王ユマをなじり、パネルに石を投げつける。ただし、誰も本気ではない。そればかりか、そそくさと逃げる者まで居る。


 それはそうだ。


 こんなバケモノ、存在するハズがない。

 誰がどう見ても下手くそなプロパガンダ。


 やらせる方も、やらされる方も。

 どちらも承知の茶番に過ぎない。


 だが、そんな茶番で引き締めねば保てないほど、帝国軍は追い詰められていた。


 だからこそ、兵士達はツバを飛ばして怒鳴りつける。


「ソコの者! キサマも石を投げるのだ」


 捕まったのは、道行く一人のシスターだった。

 突如として腕を引かれ、警棒を突きつけられると、困惑を露わに泣き出してしまう。


「え、え? なんですか?」


 何事と身をよじる姿に、兵士達は思わずツバを飲む。薄い修道服は少女シスターのスタイルの良さを隠し切れていなかった。


「お前も石を投げるのだ! さぁ!」

「あの、ドコに、ですか?」

「ドコってお前」


 良く見れば、少女シスターは両の目を黒地の目隠しで覆っていた。これではパネルなど見えようはずがない。


「おまえ、その目は?」

「あの、わたし生まれつき目が……」

「そ、そうか」


 ならば、パネルに石を投げるなど不可能。仕方無く、兵士は少女シスターの手を取り、石を持たせる。職務に忠実な男だった。

 なれど少女シスターの手は滑らかで、兵士の心をかき乱した。


「あ、う、この石をあちらのパネルに投げるんだ、軽くでいい」

「は、ハイ。解りました、アッチですね」


 少女シスターの声は涼やかで、夏の蒸し暑さを忘れさせた。


「あの? パネルには何が描いてあるのですか?」

「ああ、敵将のユマ姫だよ」

「それに石を投げるって……」


 なるほど。

 目も見えないシスターでは、なぜこんな事をさせるのか察する事も出来ないらしい。


 兵士はあたかも神への懺悔のように、ざっくばらんに内情を明かした。


「神の使いを自称するユマ姫を崇める奴らが、帝都にも少なくないんだ。そいつらを炙り出そうと上も必死だよ」

「は、はぁ……一体、どんな絵が描いてあるのです?」


 不思議そうに聞かれて、兵士は小声で囁いた。


「化け物さ。背中には翼、口は耳まで裂けて、獣みたいな尻尾や耳まで生えてやがる。空を自在に飛び回り、人間を食い殺すんだとよ」

「まぁ!」

「馬鹿みたいだよな、そんな生き物、居る訳ねぇのに。だけど上は本気で怯えてるんだ」


 自嘲気味に囁く兵士の耳に、ドゴンと大きな音が聞こえた。

 不思議に思って前を見ると、大変な騒ぎになっていた。


「な、なんだ? パネルが粉々だ!」

「ど、どうなってる?」


 目を離した一瞬で、パネルが壊れてしまった。突然の事態に同僚達は大いに慌て、嘆いている。

 呆然とする兵士は肩を叩かれ、振り返る。


 ニッコリと微笑む少女シスターと目が合った。


 もう、石は投げた後だ。


「では、私、行きますね」

「あ、ああ」


 笑顔があんまり可愛くて。兵士はその後ろ姿をぼんやりと見送った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おい、ソッチに行くんじゃない」

「え?」

「そっから先は地獄だ」


 帝都の外れ、薄暗い路地。

 迷い込んだシスターに声を掛けたのは、地面にへたり込んだ老人だった。


「悪い事は言わねぇ。ソッチはマズい。なんでこんな所に来た?」

「こんな所とは?」

「お前、目が!」


 シスターは目隠しをしていた。

 遊んでいるのでなければ、目は使い物にならぬのだろう。


「そりゃ、余計にマズい。そんなんじゃ猛獣の前に飛び出すウサギだ。喰われに行くようなものだ」

「喰われにって……」

「例え話じゃないぞ」


 そう言って、枯れ木のような手でゴザをめくると、伏せる体には足がついていなかった。


「それは……」

「喰われたんだよ。後ろからぶん殴られて、気が付けばこのザマ。まぁ俺にしたって喰える死体でも無いかとスラムに立ち入ったんだから、人の事は言えないがな」

「まぁ、そんな!」

「俺はココで死ぬ。死んだら今度こそ誰かのエサだ。ココはそう言う場所だ、近づくんじゃない」


 言いながらも、見えないハズのシスターが哀れな自分の姿に反応した事に、おやと不思議な感じがしたが、盲目の者なりに特殊な感覚でもあるのだろうと老人は深く考えなかった。


 現に、シスターは全く物怖じせず自分に向き直り、淡々と自分の仕事をこなそうとする。


「あの、祈らせて下さいませんか?」

「馬鹿言え、今更祈られたって何にもならねぇ」

「でも、さっき死んだようなモノって、ならば死者に祈りを捧げるのは当然ですよね?」

「そりゃ……」


 死んだも同然なら、死ぬ前から祈っても同じ。

 余りにも合理的考えだが、口とは裏腹に生にしがみつく老人には、受け入れ難いものがあった。


 冗談まじりにからかいの声を出す。


「どうせなら、殺しちゃくれねぇか? このまま少しずつ腐って死ぬぐらいなら、お嬢ちゃんに殺された方がマシだ」

「そうですか」

「悪い、冗談だ。言ってみただけだよ」


 そんな事、出来るハズがない。こんな少女に人殺しなど。

 ゴミみたいな路地裏で、ひっそりと腐って死ぬのだと老人は覚悟を決めていた。


 ……だが。


「死にたいですか?」

「なに?」

「私に殺されるのは、嫌ですか?」

「そりゃ」


 良く見ると、少女の顔は目隠しをして尚整って見えるし、体つきは年頃からは考えられない程の色気を放っていた。


「悪く、ないかもしれん」


 気が付けば、そんな事を呟いていた。

 すると、少女はゆっくりと手を伸ばす。


「そうですか」

「いや、そんな」


 こんな少女に、そんな事が出来るはずがない。そう思っていた老人は、最期に神を見た。


「お、おおっ!」


 神を信じぬ老人が、神に祈った。

 目隠しを外した、シスターの相貌に女神セイリンの面影を見たのだ。


 ――ゴキリ。


 そして、最期に首の骨が折れる音を聞き、意識は永遠に暗転する。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「お前、その荷物を置いていけ」


 スラムに立ち入ったシスターは、すぐさま四人の男に声を掛けられた。

 ナンパではない、その証拠に男達はスカーフで顔を隠し、手には不格好な棍棒を持っている。


「まぁ、どなたです?」

「お前、目が!」

「丁度良い、黙ってその荷物を置いていけ」


 シスターは大振りな『何か』を引き摺って歩いていた。ゴザに包まれて全貌は窺えないが、少女シスターには不釣り合いなほど大きな荷物だ。


「ソレは何だ!」


 好奇心に駆られ、男の一人が尋ねると、得たりとシスターは頷いた。


「お肉です、炊き出しでも出来ればと思いまして」


 シスターの言葉に、男達は色めき立った。肉など何日も食べていないのだ。

 最後に食べたのは……思い出そうとして、殴り殺して足を千切った老人の姿を思い出してしまう。顔をしかめたのも一瞬、マジマジとシスターを見つめる。


「おいおい、コイツぁ」

「楽しめそうだな」

「馬鹿言え、そのまま売っぱらった方が良い」


 物騒な会話を前に、きょとんとシスターは首を傾げる。

 薄手の修道服は体のラインをハッキリと晒している。中に収まるすらりと長い足や肉付きの良い体まで、容易に想像がついた。

 顔だって通った鼻や、ほっそりとした顎だけで、目を補ってあまりある美しさだ。


 これならば、今のご時世でも買い手には困らない。

 教会を敵に回すのは怖いが、このまま餓えるよりよっぽどマシだ。


「あんたシスターなんだろ?」

「俺達に恵んでくれないか?」

「寂しい息子に、施してくれや」


 口々に下卑た声を掛けられて、それでもシスターは動じなかった。


「炊き出しを手伝ってくれるのですか?」

「違ぇよバァーカ!」

「俺達が欲しいのは、その体よぉ」


 ふむ、と考え込んでから、シスターは男達を諭した。


「何かを求めるなら、まずは同じだけ差し出さなくてはなりませんよ?」

「何言ってやがる?」


 馬鹿にする声を質問と判じたのか、シスターは胸を張る。


「私の体を求めるなら、まずは体を差し出すべきです」

「へぇ……」


 よっぽど炊き出しに人手を欲しているらしい。しかし、シスターは美しく、男達は女に餓えている。

 体を差し出せと言われれば、別の解釈をするまでだ。男達はシスターを売り払うプランを修正する。


「求められたら仕方ねぇよな?」

「ああ、男なら答えねぇと」


 男達は粗末な服を脱ぎ捨てると、シスターの修道服に手を掛ける。困惑したシスターは尋ねた。


「あの? 炊き出しを手伝ってくれるのですよね?」

「ああ、勿論だぜ」


 そう言ってゲラゲラ笑い、修道服をめくりあげようとした。


「!?」


 だが、シスターの手に押さえられ、少しも動かない。細い体からは考えられぬ、異常な腕力。


 なのにシスターはニコニコと笑うのだ。


「ありがとう、ひとつでは足りないと思ってたんです」


 その笑顔は、男達が見た事が無い程に、美しいモノだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 しばらくして、日が暮れたスラムに子供の声がする。


「お兄ちゃん、炊き出しが出てるんだって!」

「ふざけんな、誰がするんだそんなもん」


 スラムに施しをしていたお優しい貴族様だって、とっくに帝都を逃げ出している。

 後に続こうにも門は締め切られ、逃げ出す事も出来やしない。少ない食料は全て軍部に押さえられてしまった。


 今ではスラムに鼠一匹、それどころか大きな虫だって見かけない有様だ。


 子供達は下水道の細道に、身を寄せ合って暮らしていた。見つかれば大人に喰われてしまう。

 この前は、足を千切られ喰われる老人をこの目で見た。


 大人達は、魔王ユマが人を食らう恐ろしい化け物だと喧伝して回っているが、子供達に言わせれば、人を食らう化け物は既にそこらに闊歩していた。


 人が作る地獄が、帝都の中に顕現していた。


 なれど、子供達は人の世を諦め切れないでいた。

 何とか生きる方法を探していた。


「でも、シスター様が炊き出しを準備してるらしいよ」

「教会か、なら」


 貴族が無理でも、教会ならばこのご時世に食料を隠し持っていても不思議じゃなかった。

 とは言え、無条件に信じる事はリーダーの少年に許されない。


「罠かも知れない。一網打尽に喰われちまうかも」

「でも、このままじゃ」


 子供の身で、何日も喰わずに生きる事は不可能だ。夏だからマシだが、それでも夜の下水道は容赦なく体温を奪っていく。


「行くか、薄いスープでも温かいだけでごちそうだ」


 イチかバチかの賭け、最後に夢ぐらい見ても良いと、少年は立ち上がる。

 しかし、ソレを訂正したのがシスターから直接に話を聞いた少女だった。


「ううん、お肉たっぷりのスープだって」

「そりゃあ良い!」


 やけっぱちで飛び出した少年少女は、シスターの炊き出しにありつけた。


 そこには多くの肉が骨ごと煮込まれていたという。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「お前が炊き出しをやっていると言うシスターか」


 ザワリとスラムの空気が震えた。

 ついに炊き出しの場に兵士がやって来たからだ。


 シスターの炊き出しでなんとか命を繋いで来た者達は、シスターを守ろうと必死に兵士の行く手を遮る。


「馬鹿め、どけどけ!」


 しかし、食い詰めのスラム住人と、職業軍人では体格からまるで違う。180cmはある兵士に対し、立ち塞がる者は150㎝あれば良い方で、守るべき少女シスターと変わらぬ身長だ。


 まるで大人と子供、足止めにもならない。


「ほほぅ、麦粥に、肉まで入っているとは」


 兵士が配られた椀を見やれば、今の時分では中々に豪勢だ。門を守る兵士でもここまでの料理を食べられないのが現状だった。


「なんですか、あなたは! ちゃんと並んで下さい!」


 そして、突っかかって来る少女シスターはふっくらと血色も良く、美しい。兵士は舌なめずりせんばかりに、シスターの腕を掴んだ。


「この食料はどうやって手に入れた!」

「それは……私の個人的な伝手ツテで……」

「ほほう、それはそれは」


 兵士の目がキラリと光った。


 コレは使える。現在帝都は王国軍に包囲されているが、目聡い者は抜け出して王国軍から食料を買い取っていると聞く。

 だとすれば、おおかた少女の美しさに目が眩んだ王国の兵士が、こっそりと流しているに違いなかった。


「こっちに来い!」


 強引にシスターを攫おうとする兵士の行く手を、小さい幼女が遮った。


「お姉ちゃんを連れてかないで!」


 それは、スラムの住人の総意であった。少女シスターがどこからか持ち込む食料こそが、住人にとって最後の希望だったから。

 しかし、兵士ですら厳しい食糧事情、どこからか食肉を調達するシスターが目を付けられるのは当然と言えた。


「うるさいどけ!」

「きゃっ」

「やめて、その子に酷い事しないで!」

「ほぅ」


 幼女を蹴飛ばすと、シスターは身を挺して守ろうとする。ソレを見て兵士は使えると判断した。


「よし、お前もついて来い!」

「いやー!」


 兵士は幼女を担いでしまう。

 そうして連れ込まれた詰め所の中、シスターは兵士達に警棒で小突き回されていた。


「きゃっ! 痛いッ!」

「オラ! 食料を隠し持っていたそうだな!」

「スラムのゴミ共には良くて、帝都を守る我らには供せぬというか!」


 体格の良い大の男六人に囲まれて、少女シスターは滅多打ちにされてしまう。


 肉体的にも精神的にも少女に耐えられるハズがない。

 散々に恐怖を与え、頃合いとみたところ。

 トドメとばかり、兵士達は人質に連れて来た幼女を投げ飛ばし、小さい背中を踏みつけ、シスターに見せつける。


 か弱い悲鳴が、辺りに響いた。


「なにをするのです!」


 傷だらけの体に構わず、シスターは這いつくばって、幼女の元へと身を寄せた。

 人質の効果に満足した兵士は、顎で命じる。


「その荷車に食料をたっぷり載せてこい」

「コレに?」

「そうだ、三日以内にな」

「三日……」


 兵士にしても、シスターを殺す訳には行かない。

 こうして人質を使い、食料を横流しさせる必要があった。

 三日の猶予だって恩情ではない。どうやって城壁の外にいる王国兵に連絡を取るのか知らないが、その位の準備は必要に思えたからだ。


 しかし、少女シスターは首を振る。


「三日も要りません」

「そうか? ならば明日に」

「一刻で十分です」

「なに?」


 ボロボロのはずのシスターがすっくと立ち上がると、詰め所の真ん中に歩み出る。

 その足取りは、散々に小突かれた女のモノと思えぬ程にしっかりしていた。


 男達は理解不能な少女シスターの行動に顔を見合わせる。


「どういうつもりだ?」


 男達はじわりとシスターを取り囲み威圧する。

 しかしシスターは、問い正す言葉も無視し、詰め所の中心に居座った。

 そして、朗らかに言い放つ。


「お肉なら、すぐにご用意します」


 その場でくるりと一回転。


 ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン♪


 六回、音がした。


 それは固いモノが落下する音。

 詰め所の中で、小気味良いほどリズミカルに響いた。


 兵士達は突如低くなった目線に焦り、互いに目を見合わせるも、そのまま視界は暗転する。

 恐らくはその瞬間に至っても、何が起こったか解らなかったに違いない。


 最期まで。




 それから程なく、スラムの広場で不安に身を寄せあう人々は、怪我一つなく戻って来たシスターを見てホッと胸をなで下ろした。


「ご無事でしたか!」

「当然です、見て下さい! 兵士達がお肉を提供してくれたんですよ」


 そう言って、シスターは牽いてきた荷車を見せつける。中には肉が山と載っていた。スラムの人々は快哉を叫ぶ。


「おおっ」

「奴らも粋な事をする」


 悪辣な兵士すら、少女シスターの前では形無しか。


 少女シスターの奇跡は留まる所を知らない。

 皆がその容貌と行いに目を輝かせていた。


 いや、たった一人。

 湧き上がる住民とは裏腹に、シスターの後ろからふらふらと歩いて来た幼女だけは、虚ろな目で見上げていた。


 積み上がった、肉塊と見比べて。

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