聖女の真実
【少し前:帝都を包囲した王国軍陣地にて】
ロンカ要塞が吹き飛んだ後の顛末は見物だった。
要塞を丸ごと使った卑劣な罠は、天より降り注いだ鉄槌に打ち砕かれた。
大げさに聞こえるが、少なくとも帝国軍からはそう見えたらしい。
奴らは戦いもせず逃げ回り、帝都に駆け込んだのだ。
無理もない、これで二度目だ。
一度目は魔女が呼び出した巨獣に対して、二度目は要塞。
どちらにも、俺、ユマ姫が絡んでいる。
一度なら偶然と強弁した帝国軍も、二度目、それも帝都の間近でとなれば、認めざるを得なかったらしい。
「ユマ姫は、自由に隕石を落とせるのだ」……と。
大変な誤解だが、俺を狙った直撃弾とは誰も信じない。
なにせ、当の俺が生き延びている。
そして帝国軍は隕石の衝撃に情けなくも転げ回った。爆発の衝撃は彼らの理性を残らず奪ってしまったからだ。
一方で俺達の軍はどうか?
奴らには初めてでも、ユマ姫親衛隊にとっては二度目の隕石だ。
皆が目を瞑り、耳を塞いで、衝撃に備えた。結果として、木村が指揮する親衛隊は散々に帝国軍を追い回し、三千の兵を帝都の中に押し込めた。
いっそ、帝都に入り込んで虐殺する事だって出来たと言う。でも木村はやらなかった。
「あなた抜きで帝都を落としても、意味がないと思いましたから」
チラリとコチラを窺う木村は、晩夏の日差しを遮る幕舎の中で、ひっきりなしに書類にペンを走らせている。
「それはそうでしょう。ココまで来て、寝ている間に全部終わりました。では納得出来ません」
そう言って、俺は金のスプーンでアイスを頬張った。物欲しそうにする木村にも、アイスを渡してやる。
暑い時のアイスは旨い、口に運んだ木村はホッと一息つく。
「帝都では食糧難に喘いでいるのに、コレは贅沢ですね」
「そうなのですか?」
近隣の農村ではそんな様子はなかった。
むしろ、牛馬が多く、戦時の割りに食糧豊かだった印象なのだが。
「奴らはゼスリード平原の穀物を当て込んでいたのです。それで畜産を増やしてしまった」
「そうでしたか」
もしもの為に備蓄するべき小麦まで使って、家畜を殖やしてしまったらしい。
そして、いよいよと畜するかと言う時に、俺等が攻め込んだ。更には略奪も俺が防いでしまった。
だから余ってしまうほどに牛乳があるのか。俺はアイスをパクついた。
隕石が落ちた後、俺はボロボロになった体を癒やす事に務めた。だけど魔力は腐るほどある、退屈した俺に振られた仕事は牛乳の分離だった。
目当ては日持ちする脱脂粉乳、保存食やスープの素に大活躍だと言う。
そうして、大量の生クリームが生み出された。
コレは日持ちしないのでまたも俺の魔法で大量のアイスに姿を変える事になる。卵はともかく砂糖が足りないので麦芽水飴で作ったが、評判は上々だ。麦芽のせいでほんのりと茶色で、素朴な甘さに仕上がったようだ。
真夏の午後に、アイスを頬張る贅沢を満喫する。
ふと、家族と湖畔に遊びに行ったとき、コレがあったら最高だったろうなと思う。
俺が冷凍魔法をもっと早く極めていれば……。
いや、帝国が攻め込んで来なければ。こんな暑い日には、セレナと二人でのんびりアイスを食べる未来もあったのだろうか?
そう思えば、大詰めとなった帝国への復讐へも力が入る。
「中はどうなっているのです?」
「控え目に言って大混乱。大げさに言えば地獄だとか」
「そうですか……」
中の様子は調べるまでもない。
既に帝都を見切って逃げ出す貴族も少なくないからだ。
木村は逃げ出す馬車から物資を略奪(曰く、既に暫定統治下にあるので徴発)している。馬車の住人から聞こえてくる話だけでも、無惨な様子は十分解る。
よくよく思い返せば、ロンカ要塞にも食料は殆ど見当たらなかった。武器や火薬は捨てたとしても、食料だけは捨てられなかったと言う事だ。
帝国の奴らが食料難に苦しむ姿を想像するだけで溜飲が下がるが、苦しんでいるのは平民ばかりに違いない。
ここでもまた、帝国軍人が無抵抗な民をゴミみたいに屠っていると思うと、ムカムカとこみ上げる怒りがあった。
「少し、様子を見てきましょうか」
宣言と同時、立ち上がった俺はチラリと木村の様子を窺った。
こんなん止められるに違いないからだ。……だが。
――カリカリカリ
ペンが走る音だけが響く、ガン無視である。
心配してくれると思っていただけに、少し寂しい。
「止めないのです?」
「止めても無駄でしょう?」
無駄だけどさ、一応様式美って事で止めてくれても良いじゃないか。
「ユマ姫、私はね、心底情けないんですよ」
「どう言う事です?」
「私では、どうやっても好きな女性一人守れないと言う現実が」
……ソレって隕石? ンなモン全人類守れないだろ。
ってか、好きな女性ってどうなの?
「わたしの事を、化け物と思っているのではないのですか?」
「そんな事、誰が言いました?」
木村は心外だと俺を睨む。うーん、どうしたことだ?
俺は『参照権』で記憶をまさぐって尋ねる。
「私が気絶しているとき、耳に聞こえました。キィムラ様、あなたがタナカ様に尋ねる言葉を」
「…………」
木村は無言で先を促す。
「訊いていましたよね? 「アイツは本当に『高橋敬一』なのか」……と」
ソレを聞いて思ったのだ、親友ですら、もう俺が化け物になったと疑っていると。
俺が化け物になったから、俺が死にに行こうが気にしないのだと、そう思ったのだが、どうにも様子がおかしい。
困惑する俺に、木村はクルクルとペンを回しながら、鼻で笑った。
「まず……聞きたいのですが」
「はい」
「あなたが『高橋敬一』でなかったとして、困る事などありますか?」
「え?」
「むしろ、その方が素直に口説きやすくて良い!」
――オイオイオイ、前向きかよ。
「あなたが困らずとも、私自身が困るのですが?」
「そんなもんは知りません」
――オイオイオイ、こっち向けよ。目を逸らすな。
何だそりゃ? 俺としては俺が俺だから、『高橋敬一』だから、親友の二人が大切ってトコがあるんだが? なのにお前は俺が高橋じゃない方が好都合って、冷たくない?
まぁいいや、俺だって俺みたいな美少女だったら、中身がなんだろうが大抵のモンは目を瞑るし、なんなら親友以外のなんでも良いまである。
ん? つまり、俺じゃない方が良いのか? まぁ深く考えないようにしよう。
だとすると、何で俺を止めないんだ? か弱い美少女が敵陣に乗り込もうとしてるんやぞ?
木村にそう聞くと、首を傾げる俺に向き直り、手を取って、真剣な目で見つめてくる。
「私がユマ姫を止めない理由は、第一に、愛した女性が無抵抗な市民を虐殺するところなど、見たくは無いからです」
そうか、そうだよな。誰だってそんなの見たくないよな。
俺が帝都に忍び込み、市民に情でも移ったら、復讐に狂わずに済むだろうと?
「それもありますが、帝都の惨状を見て、むしろアナタが帝国への恨みを深くするなら、それは彼らの自業自得、私としても折り合いがつきます」
なるほどねぇ、俺はウンウンと頷いた。
「そして第二に、私はアナタを守れない、だけど帝都の市民なら?」
どう言う事だ? 俺はコテりと首を傾げて先を促す。
「かわいい、えと、ユマ姫の『偶然』は注目を浴びるほどに効力が薄まる。
かわいい、ならば、帝都に乗り込んで。多くの人に愛され、いっそ恨まれる事すらも。
『偶然』による死を遠ざける一助になるのではと、かわいい」
なるほどね。
かわいいがしつこい。サブリミナル。
「そのための食料は幾らでも融通しますよ。ただし城壁の向こうに送る手段は限られますが……」
そんなモンは担いでよじ登れば良い。俺の身体能力ならただの石壁なぞ無いも同じ。
隕石にやられた俺は、羽がボロボロに朽ちてしまった。だけど、今となっては特段必要なモノじゃない。目的の帝都はスグに手が届く場所にあるのだから。
もう飛ぶ必要なんてドコにもない。
潜入するには余分なモノがなくて、いっそ丁度良いぐらい。
「では、早速帝都に忍び込みますか」
「待って下さい」
ウキウキと席を立った俺に木村が待ったを掛ける。
なんだ? 今更止めろとか言うんじゃないだろうな?
「その格好は目立ちます、コレを」
「…………」
シスター服、それもちょっと薄手で体のラインが出る感じの。
コイツ、ブレないな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帝都のメインストリートをプラプラと歩く。薄手のシスター服がなんとも落ち着かない。
今の俺は、シスター服に加え、見るからに怪しい黒い目隠し。なんか訳アリキャラって感じがして楽しい。主人公を導く謎の存在とか目指しちゃおうかな。
なんでって、目は柔らかく複雑な部分なので、まだ完全に戻ってないのだ。太陽光が目に痛い。
そうでなくとも俺の特徴的な目の色で、スグに正体がバレてしまう。
「とくと見よ! コレが魔王ユマの姿だ、皆、石を持て!」
するとまぁ、奇妙な連中が現れた。え? なにこのイベント。
どうやら、帝都にも俺の過激なファンがいて、ソレを炙り出す催しだとか。なるほどね。意味がワカラン。
手取り足取り、ねっとり石の投げ方を教えてくれる兵士さんには悪いが、知りたいのはパネルの絵だ。
どんなのか気になるじゃないか、目隠しして魔力視と運命光に頼る俺じゃ、どんな絵が描いてあるかまではわからない。
仕方無いから兵士に尋ねた。
「化け物さ。背中には翼、口は耳まで裂けて、獣みたいな尻尾や耳まで生えてやがる。空を自在に飛び回り、人間を食い殺すんだとよ」
「まぁ!」
大体あってる。
たまげたなぁ。
「馬鹿みたいだよな、そんな生き物、居る訳ねぇのに。だけど上は本気で怯えてるんだ」
……いや、馬鹿みたいとは何だ。
いるさっ ここに ひとりな!!
俺は思いきり石を投げつける。
直撃! パネルは粉々に砕け散った。
「では、私、行きますね」
それだけ言い残し、呆然とする兵士を置き去りに、俺はスラムを目指す。
そして、スラムに入る直前、地面に蹲る爺さんに止められた。
ココから先は危ないと、本気で止めてくる。知ってるがな。
でも、自分も死を待つばかりだと言うのに、本気で心配してくるのだ。その運命光は砂粒みたいに小さい。
しかも、掛けられたゴザをめくって見せてくる下半身には、足が無かった。
「それは……」
「喰われたんだよ。後ろからぶん殴られて、気が付けばこの様。まぁ俺にしたって喰える死体でも無いかとスラムに立ち入ったんだから、人の事は言えないがな」
聞きしに勝る地獄。
……でも、人間を喰うのが地獄ってなら、俺の存在が地獄みたいなトコあるよな。魔王ユマ姫だから仕方ないね。
まぁ良いや。ココで腐っていく位なら、俺が送ってやろうじゃないか。
聞いてみれば、本人もソレを望んでいた。
俺は老人の首をへし折った。
そして、スラムに立ち入ると、三人の男に呼び止められた。
ナンパか? 流石スラムだ、治安が悪い!
「ソレは何だ!」
「お肉です、炊き出しでも出来ればと思いまして」
老人の死体を手に、俺が元気に答えると、露骨に喜んで見せる男達。
なるほど、ナンパじゃなかった。喰いたいだけだコイツら。スラムじゃ人間だろうと構わず喰うってのは本当らしい。
でも、どうせなら炊き出しを手伝ってくれないだろうか? ドサクサに訊いてみよう。
「炊き出しを手伝ってくれるのですか?」
「違ぇよバァーカ!」
「俺達が欲しいのは、その体よぉ」
なるほど、あくまで狙いは老人の肉か、俗に言う『貴重なタンパク源』だもんな。
しかし、コレを渡す訳にはいかない。麦だけは木村から貰ったが、麦粥だけってのは味気ない。
スラムでは人間を食べるのも普通みたいだし、肉を足そうと考えたのだが、コイツらもどうやら肉を諦める気が無いらしい。
分けてやりたいが、でも、枯れ木みたいな老人たった一人じゃ、ただでさえ炊き出しにも足りないのだ。
うーん、……ソッチは三人も居るんだから、二人で一人喰えば良いじゃん? 俺は提案した。
「何かを求めるなら、まずは同じだけ差し出さなくてはなりませんよ?」
「何言ってやがる」
やっぱりその気は無いらしい。
「私の
「へぇ……」
俺がそう言うと、なんと男達は次々に服を脱ぎ始める。
「え?」
俺は混乱した。一人で良いと言うのに、三人とも食肉加工がお望みとは。
身を挺してスラムを救おうとする思い切りの良さに、俺は激しいショックを受けてしまった。
あれだけ炊き出しを手伝わないと言っていたのに。ツンデレかな?
取り敢えず、食肉は増えた。
そして、炊き出しをスタート。内臓は丁寧に塩で洗って、圧力鍋で何時間も煮込めば美味しくなる。骨だってしっかり出汁になる。
地球でも昔は食肉のかなりの部分を捨てていたみたいだが、焼き肉屋の仕込み動画を見ていた俺に隙は無い。現代知識チートの一種だろう。
そうして、炊き出しを行ったのだが、大好評だった。
だけど、ニコニコの皆と違って、俺の気分は沈んでいった。
みんな、いい人過ぎるのだ。それも、度を超えて。
子供達は炊き出しを笑顔で手伝ってくれるし。
スラムをブラつけば、食肉となるべく体を差し出してくる若者が後を絶たない。ましてコレで解体して下さいとばかりに、ナイフまで差し出して来るではないか。
喰われるために、自らたき火に飛び込んだウサギの話を思い出す。
こんな献身があるだろうか? 一方で俺はバクバク食ってばかりで、なんて醜いのだと自己嫌悪に陥ってしまう。
恨むべき、殺すべき仇と言える帝都の人間が、愛情に溢れて暮らす現実に、俺は打ちのめされていた。
そんな折、救世主が現れる。
「お前が炊き出しをやっていると言うシスターか」
無礼な帝国兵が現れた。コイツらならきっと性根が腐っているはずだ。
兵士は俺の期待に違わず暴れ回り、幼女を人質に俺を兵舎に連れ込んだ。そして、寄ってたかって警棒で殴りつけてくる。
何と言う悪党! 一周回って、俺は嬉しくなってしまった。なんて最低のゲスなのだ。
これなら、心置きなく殺せる! しかし俺は思いとどまった。一つ確認すべき事がある。
「あの?」
「なんだぁ?」
「ひょっとして、あなた方は大森林の遠征に参加しましたか?」
「ああぁん、したぜぇ」
まさか? 本当か、本当に?
俺の期待に応えるように、男達は口々に囃し立てる。
「したした、メチャクチャにぶっ殺してやった」
「
「女は好きなだけ犯して回った、あんなに女を抱いたのは初めてだぜ、またやりてぇ」
俺を脅かそうと、ゲラゲラ笑って武勇伝を自慢してくる。
何と言う事だろう、ゴミ屑な帝国軍人はココに居た!
まるで復讐の正当性に太鼓判を貰ったみたいで、俺は嬉しくて堪らなかった。
なにせ、捕虜にとったマークス始めロアンヌの騎士達も、親衛隊に寝返った捕虜の騎士達も、一人残らず気の良い奴らだった。
そして、帝都の薄汚いスラムの人間すら、性根が綺麗な人間ばかり。
ひょっとして俺が間違っているのではと不安で仕方がなかったのだ。
だけど殺すべきクズはしっかりと存在した。
それが、こんなにも嬉しい。
自国民の幼女すら人質に、ニヤニヤと俺に命じるではないか。
「その荷車に食料をたっぷり載せてこい」
「コレに?」
「そうだ、三日以内にな」
ああ、三日なんて我慢出来るハズが無い。
「三日も要りません」
「そうか? ならば明日に」
「一刻で十分です」
「なに?」
そして、俺は兵舎のなかで踊った。
そこで俺は誓いを破る。
ずっとずっと、心に誓って生きてきた。エルフの街を略奪した連中は、生まれた事を後悔するぐらいに、ひたすらに嬲って殺そうと。
それだけが生きる希望だったから。
だけど、ありがとうの気持ちを込めて、俺は一瞬で、優しく、彼らの首をコトリと落とした。
その音は、俺の晴れやかな気持ちを表すように、リズミカルな音で兵舎に響いた。
噴水の様に血が噴き出して、俺はその中心でクルクルと回り、ごきげんに歌う。
ああ、世界の全てを祝福出来そうな程に、気分が良い。
気が付けば、大量の食肉と荷車まで手に入った。
積まれた肉を見て、思う。
なるほど、心持ちはどうあれ、結果は一緒なのだ。だからこそ、彼らもまた聖なる行いをしたと言える。
俺の炊き出しは評判となり、いつの間にか聖女伝説が帝都で語られていく事となる。
俺が一切名乗らなかったものだから、ついたあだ名は聖女ウルフィア。
この世界で死を運ぶ天使の名がついたのは、俺が何をしていたのか、皆が薄々気が付いていた証拠であろう。
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