ロンカ要塞4
沸騰する水の中で、アルサは自分の人生を振り返っていた。
名門ランバート家の三男として生まれ、自由もなく。ぼんやりと生きている内に、気が付けば三十路、家では腫れ物のように扱われていた。
帝国の危機を救って欲しいと兄から頼まれる形で軍に入ったが、こんなのは厄介払いに過ぎないと、鈍いアルサにだって気が付いていた。
厳しい軍での生活。
能力も無く、甘えた性格のアルサは苛烈な虐めに遭い。死のうと思った事も数え切れない。
そんな中で耳にした決死作戦。
『爆弾を使い、三千の兵を道連れにする』
アルサは身を乗り出して立候補する。
命懸けで帝国の危機を救い、歴史に名を残す。
幼い頃からアルサはそんな妄想を続けていたからだ。
数々の英雄譚を読み漁り、自分に重ね、妄想の世界に生きてきたアルサ。だけどいつしか自分には不可能なモノだと諦めるようになっていた。
それに手が届く。
一騎当千の勇者になれる。
それが嬉しかった。
それが、ただの生贄だと気が付いていたのに。
ドキドキと心臓が脈打つ。暗闇の中で、アルサはかつて感じた事が無いほどの緊張と興奮を味わっていた。
決死の秘密作戦、静寂の中で伝声管に耳を澄ます。「まだか?」と何度も急かして、隠し部屋に潜む情報部の男を呆れさせた。
情報部の男は自爆を命じた後、脱出する手はずだ。
死ぬのは自分だけである。
まさに捨て駒。
それが、却ってアルサには嬉しかった。
三千人殺しの英雄は、自分だけだと思えたから。
そんな興奮を吹き飛ばしたのは、情報部の男の叫びだった。
「なんだ! アレは?」
トラブルかと思った。しかし、違った。
「天使?」
その呟きは耳を澄ますアルサに、ハッキリ聞こえた。
「馬鹿な? アレはまさか?」
それきり黙りこくる情報部の男に、アルサは必死に呼びかける。しかし情報部の男は伝声管を塞いでいた。ユマ姫に見つからない様に、呼吸さえ控え息を飲んでいた。
アルサはそんな事、知る由も無い。
ヤキモキする中、次に聞こえて来たのは、まさに天使の声だった。
「こんにちは、ごきげんよう」
ただの挨拶。だけど、それがアルサにもたらした効果は劇的。
可愛い声が伝声管を伝い、天使が耳元で囁いた。脳みそをくすぐられたアルサは息を飲む。
だけど、異常だった。情報部の男はどうしたのか? 三千の兵士はやって来たのか?
「お、お前は、一人か?」
なんとか絞り出す。
「ええ、一人よ。あなたは? わたし会いたいわ」
「あ、うっ」
美しい声の主、会ってみたいと心底思った。だけど、それはマズい。
「私は、ユマ姫よ。二人っきりで会いたくない?」
ユマ姫、
きっと、アルサを騙すため。無関係な少女に名乗らせているのだと、アルサは思った。
「く、来るな! 来ると、死ぬぞ」
「ねぇ、どうやったらそっちに行けるの? わたし、早く会いたい」
「来るな、止めろ。死ぬぞ!」
罠だ、それぐらいアルサにも解った。こんな罠に、何も知らない少女を巻き込むなんて王国は外道に過ぎる。
アルサはそう思おうと、何とか自分に言い聞かせる。
「わたしの事、知ってる? 最期にユマ姫に会ってみたいと思わない?」
「あ、ぐぅ……」
だけど、解ってしまった。
何度も耳元で囁かれる内に、解ってしまった。
彼女は本物だ。だからこそ、こんなに心がざわめくのだ。彼女は本物の悪魔だ。超常のモノ、人間とは違う、だからこんなにも心を揺さぶるのだ。
暗闇の中で蹲り、アルサは脳に入り込んだ悪魔を打ち払う。
まだ火薬に着火は出来ない。直前に届いた合図は三回。作戦保留の合図だ。恐らくは情報部の男は、あの悪魔に殺された。
殺された? あの甘い声の悪魔に?
それが羨ましいと思ってしまう自分に気が付き、アルサは息を飲んだ。あれだけの間に、悪魔に洗脳されている自分に気が付いたから。
いや、違う。こんなのは女に相手にされない自分の妄想だ。アルサは頭を振る。
きっと情報部の男が娼婦と遊びに行ったのだ、その際に、初心な自分が娼婦からからかわれただけ。きっとそうだ。こんなイタズラは何度も経験した。
本当にそうか?
アルサは錯乱した。
幾ら伝声管に尋ねても、もう返事は返らない。
どれぐらいそうして居ただろう?
ブルブルと震えていると、突如世界がひっくり返る。
「え? えっ?」
違った。
ひっくり返ったのは自分だった。気が付けば、自分のお腹の上に、可愛らしい少女がドッカリと座り込み、笑顔でアルサを見下ろしていた。
「ごきげんよう、初めまして」
天使だと思った。本当に。
可愛らしい声、そして姿。しっとりと濡れた桃色の髪、幼げな顔立ちに大人びた表情、お腹に感じる小ぶりなお尻、投げ出されたすらりと長い足。天使の証明とばかり、大きく広げた翼。
そして何より、濡れそぼったブラウスからは、匂い立つような艶めかしい肌が、うっすらと透けて見えるのだ。
思わずゴクリとツバを飲んだ。
アルサには、少女の存在そのものが輝いて見えた。何で天使がこんな地下に?
「え? 何? だれ?」
「あら、先ほど挨拶させて頂いたと思うのですが? では、改めまして。私はユマ・ガーシェント・エンディアン。エルフのユマ姫ですわ」
「さ、さっきの! ホントに来たのか! 冗談かと、ここへどうやって……」
質の悪い娼婦が、自分をからかっているのだとアルサは何度も自分を言い聞かせてきた。
だけど、違った。そんな女とは、まるで違う!
「あの、外は? 連絡が来なくなっちゃって、外はどうなってるの? 兵士は来た?」
「いいえ、私はたったひとりでココに来ました」
彼女は、本当に天使だった。
「そうなの? あの、いや、ココは危ないよ。すぐに逃げた方が良い」
アルサがそう言うと、拳を握り込む少女が見えた。その暴力的な仕草があまりにも不釣り合いで、それが却って、狂おしい程に可愛くみえた。
「ギャッ! 痛いッ! なんで?」
だけど、振り下ろされた拳の威力はとてもじゃないが可愛らしいモノではなかった。
たちまちアルサは屈服した、何もかも洗いざらい話してしまう。そうして気が付いた、このままじゃこの美しい少女も死んでしまう。
「そ、そうだよ、兵士が来たらココを爆破する。だから危ないんだ、早くここから逃げて、なるべく遠くまで」
「……キィィウゥゥ」
可愛らしい声で、少女が鳴いた。それが合図だった。
取り繕ったベールが剥がれ、醜悪な本性が姿を現す。
天使が悪魔に変わってしまう。だけどアルサには、その悪魔の本性すら、いや天使の外面よりも尚、可愛らしく思えてしまうのだ。
見とれてぼんやりとしていると、更に殴られた。
「グベッ」
「私が逃げたら、要塞の地下にはたっぷりの火薬があると、罠だと言いますよね? そしたら誰もこんな所に近寄りません!」
「ええっ? それは困るよ」
英雄の妄想が、最後の夢が、壊れてしまう。
アルサは情けなく懇願する。
「なるべくなら、秘密にしてくれると……助かる」
「馬鹿がっ!」
更に殴られる。頭がクラクラした。可愛い声で口汚く罵られる。
「秘密にするとか、しないじゃねぇよ。俺にバレて押さえ込まれてる段階で作戦は失敗! もうココに兵士は来ない。お前は、一人で死ぬ!」
悪魔に騙されて、結局何もなせずに死ぬのだと、無情に突きつけられたのだ。
最後に残された自分の存在意義すら否定されてしまった。
「そんな! 困るよ!」
「困ってろ! クズが! お前はまともに自爆すら出来ず、無意味に死ぬんだ。帝国は滅亡、ランバート家とやらも全員処刑だ馬鹿!」
天使な少女が、悪魔みたいにアルサを罵る。不思議と、脳が灼けるほどに快感だった。
「なんで? そんなの、止めてよ」
「お前は使い道のない無能だから、ココで火薬に火を付けて死ねと言われたんだろ?」
「そんな事ない、命を投げ打って、帝国を勝利に導く誇り高い任務だって」
「本当に、そう思ってるのか?」
「…………」
「解ってるんだろ? 体の良い在庫処分だ。帝国の得意技さ。騎士様だって、戦場でゴミみたいに捨てていったよ」
「そんな……」
解っていた。
解っていたから目を逸らしていた現実を突きつけられた。
絶望モノだ、全部台無しにされた。目の前の少女は憎むべき存在だ。
でも、少しも嫌では無い。ボロボロに殴られ、傷つく事すら快感に感じて、アルサは激しく混乱する。
まさに少女は悪魔だった。
凶悪な笑顔から一転、猫なで声でアルサに迫った。
「あなたを捨てた人たちに、一泡吹かせてみませんか? あなたに命令した指揮官は? この作戦の立案はどなた? 火薬の残量は? 帝国の様子はどうなっていますか?」
「捨てられたんじゃない。僕がやりたいって言ったんだ」
「……素直に言わなければ、苦しむ事になりますよ」
そう言って、立てた人差し指。不安げに目で追うと、信じられない事に、根元までアルサのお腹に突き込んだ! そのまま柔らかな内臓をかき回す。
同僚の虐めなんて比じゃない。
生まれて初めて味わう、激烈な痛み。
「がぁ! グギャァアア」
「言いませんか? まだ苦しむのです?」
美しい顔がアルサの眼前に迫り、優しく囁く。
アルサはすっかり屈服していた。
こんな小さい少女にみっともなく屈服する事が、堪らない喜びですらあった。
「あ、う、喋ったら、どうなるの?」
だから、期待を込めて尋ねる。
「えーと」と声を出し、わざとらしい程に可愛い素振りで、悪魔は悩んでみせる。すっかり自分の命が玩具にされている。それがどうにも心地よかった。
少女がどんなに残酷な提案をしてくるのか、楽しみですらいた。だけど少女の回答はアルサが望んだモノでは無かった。
「楽に殺して差し上げます」
それで喜ぶと、少女は本気で思って居るようだ。だけどそんなのは嫌だ。
「だったら、言わない!」
「そうですか」
そうして、ただひたすらに、猫が小鳥をいたぶるように延々と殴られた。
アルサは軍の中で、上官や、部下にさえ、いつも苛められて過ごしていた。こっぴどく殴られた事は何度も有る。
だけどソレとは全然違う、ずっと酷い! ずっと痛い! 数十倍は苛烈であった。
なのに不思議と、少女に殴られ、屈服し、死ねるなら、本望だと思えてしまう。
しかし、幸せは続かない。目を細めた少女が尋ねる。
「喋る気になりましたか?」
「い、言わない」
「どうして? そんなに義理立てするような恩でもありますか?」
「ない、ないけど」
「けど?」
「一人で死ぬよりも、三千人を道連れに死んだ方が良いと思ってたんだ」
掛け値無し、それがアルサの本心だった。
こんなクソッタレた世界を傷つけて死ねるなら、なにより楽しい最後だと思ったから。
だけど、違った。
「……それで?」
「でも、君に殴り殺される方がずっと良いから」
「…………」
言ってから、アルサはしまったと思った。
きっと、気持ち悪いと軽蔑された。
コレじゃあ、もう傷つけてくれないし、殺しても貰えない。すると残るのは、自爆さえ出来なかった情けない自分だけになってしまう。
いっそ殺してくれと頼もうかと悩んでいると、少女は壊れたみたいに笑い出した。
「ふふふ、ハハハッ」
「なに? どうしたの?」
アルサが不安になって尋ねると、少女は柔らかに微笑んだ。
「アルサさん」
「な、何?」
「火薬は、どうやって着火する予定だったのですか?」
「それは……」
そこに少女を案内した、ここ数日籠もっていたこの場所で、少女に殺して貰おうと思ったから。
だけど、なぜだろう。すでに導火線に火がついていた。このままじゃ、すぐにでも爆発する。
「な、なんでだよ? 僕、何もしてないのに」
アルサは少女に殺して欲しいと願った。だけど、少女には生きていて欲しかった。
自分を殺した少女に、代わりに生きて欲しかった。でも、これじゃソレも叶わない。
「何で? 何でぇ!」
慌てふためく、一方でその様子を不満げに見つめるだけの少女が、信じられない言葉を吐いた。
「私と一緒に死ぬのでは、不満ですか?」
その時、初めてアルサは理解した。
この子も自分と一緒なのだと。
この少女もまた死に方を探していたのだ。
だからこそ、少女の中身を知る程に惹かれていたのだと。
悪魔だからじゃない。同類だからこそ、少女に自分を理解して欲しかった。
「そ、そうだ! 君だけでも逃げないと!」
何かないか? 生まれて初めて本気で願った。生まれて初めて本気で悩んだ。
そして、閃く。
「井戸、井戸の底なら!」
少女の手を握り、二人で駆け出す。
二人きりの逃避行、それがどうにもくすぐったくて、忘れていた青春が蘇る。
楽しかった人生が巻き戻り、昔の事を思い出す。
子供時代、自分だけ理不尽に叱られて、立たされていたとき、庇ってくれた少女が居た。
彼女の手を取って逃げていたら、今頃どうなって居ただろう?
その少女の顔がユマ姫に置き換わる。ねつ造されたアルサだけの走馬灯が、脳内にゆっくりと流れていた。
「早く!」
少女を井戸に押し込むと、水の中で少女に覆い被さる。
この世の全ての理不尽から、一人の少女を守る為に。
爆音と閃光に体を貫かれながら、アルサは思いだす。
そうだ、本当の本当は、こうやって好きな少女を守って死にたかったんだ。
消えゆく意識の中で、叶った夢を宝物みたいに抱きしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「う……ん」
意識がゆっくりと浮かび上がる。
ココは? 俺は、どうして?
体が痺れる、声を出そうと持ち上げた舌が、形を保てずベチャリと崩れた。内部からズタズタになっている。
そうだ、思い出した。俺は隕石と火薬のど真ん中で井戸に飛び込んで。
……そして、死んだ。
強烈な爆発は、衝撃波となって水を揺らした。
電子レンジに突っ込まれたタマゴみたいに俺の体はズタズタになり、内部から崩壊した。
とんでもない爆発だったに違いない。井戸の中、地下深く、水に浸かって居たハズだ。抉り出されたクレーターの深さと、残らず蒸発してしまった水の存在が、爆発の強さを教えてくれた。
でも、俺には星獣から受け継いだ回復能力がある。電子レンジみたいな衝撃に晒されたのはきっと一瞬。外傷もなく、破壊された細胞はすぐに回復した。
それでも、普通の人間なら即死だ。回復能力で生き残っても、一度壊れた脳細胞から記憶は失われ、廃人になっていただろう。
死ぬのはコレで二度目だ。
だからこそ、さっきまで死んでいた自分を強く自覚する。
今も意識が残っているのは『参照権』のお陰に過ぎないと確信する。
でも、これで生きていると言えるのだろうか? これではゾンビと変わらない。
見渡せば、それこそポストアポカリプスな終末世界の有様だった。
グチャグチャの瓦礫の山、溶けてひしゃげた兜や鎧が雑然と転がる。生き物の姿など何処にもない。
巨大に抉れたクレーター、そのど真ん中で、死んで、生まれて、たった一人だ。
ぐらぐらと頭の中で声がした。
生きていて、何の意味がある?
一見、綺麗に見える俺の体だが、中身の神経はズタズタに千切れている。指一本動かすのもかったるくて、息を吐く。
誰も俺の疑問に答えてはくれない。
そこでようやく気が付いた。
俺に覆い被さる様に、べちゃりと貼り付いた肉片に。
いや、良く見ると上半身だけは原型を保っている。
まだ生きているのかと錯覚するほどに。
アルサだ。
俺を守って、庇おうとして、覆い被さった体勢。
慌てて手を動かして、撫でた。
それだけで、薄くなり始めた頭髪が、肉ごとゴッソリと剥がれて落ちる。
当たり前だ、死んでいる。
アルサの変わり果てた死体だった。
それが何故だか、無性に悲しい。
あんなにも苛立つ男だったのに。
……それにしても笑ってしまうのはアルサの顔だ。どうにもこうにも幸せそうな死に顔ではないか。
俺の胸で息絶えた冴えない男。
アルサは穏やかに笑っていた。
……そうか、そうだよな。
誰だって一人で寂しく死にたくない。
誰からも必要とされず、捨てられたみたいに死ぬぐらいなら、世界を巻き込んで死にたいと願う。俺だってそうだ。
でも、それよりも美少女に殺されたいと望んだ。
確かに、ソレこそが生きるのを諦めた男にとって最高の慰めだと、俺も思った。
だけど、だけど、更に上があった。
俺には解る。
男だったら誰だって憧れる。
お伽噺みたいな結末を。
女の子を守って、それで死にたい。
コイツは、本当に望んだままに死ねたのだ。
コイツが身を挺して守らないでも、肉壁一個だけじゃ何も変わらなかっただろう。
現に俺は死んでいる。
同じように死んで、同じように生まれただろう。
だけど、たった一人生まれた寂しさが、気付けば何処かに飛んでいた。
救われた気持ちで、胸にへばりつく死体を眺める。
いやしかし、アレだけの火薬、そして隕石。それでも俺が原型を保っているのはどうしてだろうか?
城壁が壁になり、衝撃が逃れる所もない。俺達はさながら、打ち上げ花火の筒の中に居たようなモノ。全て弾けて消えてしまうのだと思った。
さらには蓋をするように、隕石まで落ちてきた。
星獣だって粉々になる隕石の火力を俺は良く知っている。
ひょっとして、爆発が相殺した?
戦車には爆発反応装甲と言うのがあるという、自分から破裂して、衝撃を拡散するんだとか。いやしかし、そんな奇跡があり得るだろうか?
神は言っていた。俺の『偶然』は皆が俺を守りたいと願う事で、少しだけ力を失うと。
皆がシュレディンガーの猫を心配し、終始観察していれば、箱の中で猫が人知れず死んでいる確率は下がる。
解るようで解らない話だが、俺は信じてみたいと思った。
アルサが守りたいと思った気持ちが、俺を助けてくれたのだと。
俺はぼんやりと、真夏の太陽を見つめていた。少し陰り始めているが。大して時間は経っていなかった。
この爆発だ、しばらく助けは来ないだろう。
「おーい」
そう思っていたら、間抜けな声がした。
田中だ。
「生きてるか? 死んでるなら死んでるって言え。あっ生きてた!」
クレータの端から顔が覗く。気配に敏感なコイツの事だ、とっくに解ってるだろうに、ふざけた男である。
颯爽とクレーターを滑り降りると、枕元で俺を見下ろす。
「死んだか?」
死んださ。目で訴える。
「待ってろ、スグに助ける」
しかし、俺はその申し出を目で断った。今動くと、体が内部から崩壊するからだ。田中は鋭いやつだ、ソレですぐさま手を引っ込めた。
それに、しばらくこうして空を眺めていたい。
そうしてぼんやりしていると、田中が訊ねる。
「なぁ、お前はどうして生きてるんだ?」
……そう言われても、俺にも解らない。
復讐のためだが、その為にもっと大切なモノを失った気がする。
それでも、生きたい。どうしてだろうか?
……いや。
俺は腹の上のアルサをジッと見つめる。
コイツの為だ、コイツみたいに俺を守って死んでいった、マーロゥにゼクトールさん、殺してしまったシノニムさんだって俺の中で生きている。
家族の復讐、それだけの為だけじゃない。生かしてくれた人の為に、生きている。
だったら、こんな死に方はダメだ。俺は声を絞り出す。
「生きる為に、生きています」
誰かが生かしてくれたから。誰かの命で生かされている。
そうだ、だから俺は。
「ガブッ」
アルサの死体に噛み付いた。
柔らかく、血が蒸発した肉は、案外に旨かった。
生臭さがなくて、しっかりと肉の味がする。
そんな俺に、呆れた様に田中が問う。
「旨いか?」
「あげませんよ」
これは、俺のだ。
だけど、どうかな?
アルサは人を食う俺を、気持ち悪いと嫌うだろうか?
きっと嫌がらない。俺なら、可愛い女の子に喰われるのも悪くない。
昔は交尾したら食われてしまうカマキリのオスを無惨だと思ったが、そうでもないと、今は思える。
田中は羨ましそうにコチラを見ていた。
どちらにだ? 死体を喰う俺か、喰われる男にか?
「旨そうに喰うね」
「そうですか?」
「なぁ? 俺が死んだら俺も喰って良いぜ」
「ふふっ」
そうだよな、お前はソッチだ。
口を真っ赤にしながら俺は笑った。
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