女王と姫

【翌日、王宮にて】


「ネルネ、終わったらヨルミちゃんに会いに行きます」

「え? その格好でですか?」


 お針子さんに採寸されているユマ姫がそんな事を言い出すのだから、手伝っていた私は変な声が出てしまう。


「変かしら?」

「変ですよ!」


 ユマ姫が着ているのは『いぶにんぐどれす』とか姫様が言うキラキラと夜の星みたいに輝くお召し物。

 これもキィムラ子爵の趣味というけど、なんと言うか背中が丸見えなのだ。

 肩だけはショールで無理矢理隠しているけど、ソレが却ってえっちなのです。


 今の、ヨルミ女王に会いに行くには最悪の格好と言えるでしょう。


「でも、こう言うのじゃないと羽がじゃまでしょ?」

「過激です! 目に毒です」


 更に更に! スカートには凄いスリットが入っている。

 元々姫様のドレスは動きやすいようにスリットが入っていたけれど、長くなった足にあわせてより深く入れてしまった。


 まるで美脚を見せびらかす様だ。

 いや本当に見せびらかしているに違いない。


 そんなものを見せつけられるヨルミ王女は堪ったモノではないだろう。なのに、ユマ姫は変な事を心配し出す。


「ふぅーん、確かに王女付きの侍女って、感じが悪いし意地悪ですからね」

「そんなこと」


 ない。とは言い切れない。


 王女付きの侍女となれば、上位貴族の花嫁修業の場みたいな所があるから、気位の高い女性が多いんだもの。

 それを教育するべきヨルミ様が、良いや良いやと細かい事を気にしない性格だから、侍女達はすっかり増長している。


 ユマ姫とヨルミ女王が会話をしている間、外で待つ私みたいな成り上がりの娘は、手ひどい意地悪や暴言を受けるのだった。


 ……だった。


 過去形だ。

 それが恐ろしいんだけど、ユマ姫様にやんわりと伝える言葉が見つからない。

 まごついてると、ユマ姫様はしびれを切らした。


「もう埒が明かません、行きますよ」

「ま、待って下さい。今行くのは、特にそんな格好で行くのは絶対にマズいですよ!!」

「私と女王の仲ですよ?」

「だからですよぉ! なにこれ? ってなりますよ?」

「何のことやら」


 私の制止を聞かずに、ユマ姫はドレスの裾を払って歩き出しました。


 深いスリットから見える太もものほくろが余りに色っぽくて、女の私でも目が奪われてしまう。

 その足のほくろ。シャリアちゃんにも同じ場所にあった気がして。

 私は余計な事を考えないように頭を振った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「なにこれ?」


 あのユマ姫様にして、ポカンとした顔で振り返る。


「ホラ、言ったじゃないですか!」

「こんなの、信じられる訳ないでしょう?」


 でも、真実なのです。

 ヨルミ女王の離宮は王宮庭園の端にあります。

 王の離宮だけあって過ごしやすいと、決まってヨルミ女王はここに居ます。


 その離宮のエントランスで何人もの侍女が出迎えて……

 ……それは普通だけど、普通じゃ無いのは、全員が膝を折って、地に伏せて、地面に頭をこすりつけて出迎えている事。


 ……つまり、土下座です。


 罪人でもないのに、やんごとなき身分の淑女がここまで頭を下げるのは異常です。


 こんな出迎えをさせるのは、侍女の尊厳を踏みにじる行為。私だって命令されてもごめんです。

 平民にだって認められていない。やらせたとしたら、貴族の品位が疑われるから。

 そんな出迎えを、ヨルミ女王は侍女にやらせているのです。


 土下座をした侍女がズラリと並んでユマ姫を迎える異常な光景。


 でも確かに前はこうじゃなかった。

 それどころか軽く会釈をすれば良い方で、一切頭を下げない侍女まで居たのに。


「なにこれ?」

「いえ、ですから……」

「ヨルミ女王は二階のバルコニーです」


 私達が言い争っていると、地に伏せたまま、頭を上げずに侍女がそう言った。

 彼女は確か、以前は賓客のユマ姫様にまで馬鹿にした様な目を向ける侍女だった。


 それを覚えていたのか、ユマ姫様も不気味そうに顔をしかめる。

 神懸かった存在になったユマ姫をここまで動揺させるなんて、ヨルミ女王は流石だと思ってしまったぐらい。


「その背中……」


 ユマ姫が侍女の背中に手を触れる。

 それでも侍女は地に伏せたまま、ビクンと体を震わせる。


 敏感な地肌を触られたからだ。


 そうなのです! ヨルミ女王付きの侍女のメイド服は最近大幅にデザインが変更されてしまった。

 背中を大胆に開けられて、とても過激な衣装になっている。


 しかも、その開けられた背中には……


「酷い傷跡、鞭ね」

「は、はい」

「あの子がこんな事するなんて……」


 ユマ姫が決意を込めて二階を見上げる。

 そう、ヨルミ女王は他人を苛めて喜ぶサディスティックな趣味に目覚めてしまったのです。

 戦場から帰ってから人が変わってしまった。

 戦場が人を変えると言うのはこういう事かと、当時は恐ろしく思ったもの。


「あ、あの」


 その時、侍女が初めて顔を上げ、必死の形相でユマ姫に取り縋った。ユマ姫はそっと彼女を手で制する。


「解っています、私がヨルミ女王と話をつけます」

「あの、一度だけ、一度で良いので踏んで頂けませんか?」

「…………」


 ユマ姫は途方に暮れて目を瞑った。

 超然とした美女の相貌が崩れ、「手遅れかも……」と弱気に漏らす声を聞くに至り……


 ……私は何故か安心してしまったのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「来たわね」


 二階のバルコニーに出るや、ヨルミ女王に声を掛けられた。

 でも、私も姫様も絶句してしまう。

 ユマ姫様に声を奪われるどころか、ユマ姫様から声を奪うなんて、流石は女王……

 と思いたくはない光景だった。


 なんとか気を取り直したユマ姫が、女王を見下ろす。


「何をしているの?」

「椅子に座っているだけだけど?」


 椅子ではなく、四つん這いにした侍女に座っているから問題だった。

 手にした鞭を弄ぶ自信に満ちた女王の姿に以前の面影はない。


 やはり戦場は怖い。人が変わってしまう。


 だけど変わったと言えばユマ姫の方がずっと変わった。

 何せ背中に羽が生えている。


「あのね、侍女を苛めるのは止めなさい」

「あら、侍女がイヤと言ったのかしら? あなた嫌なの?」


 ヨルミ女王は椅子にした侍女の顎先を、鞭でもってクイッと持ち上げた。


「い、いえ、嫌じゃないです」

「嫌じゃない、それだけ? 違うでしょ? コレが欲しいんでしょ?」


 そう言って、侍女のお尻を鞭でピシャリと打つのだ。

 凄く痛そうで見ていられない。


 なのに打たれた侍女はどこか嬉しそうな声を出すのだから、気持ち悪くて仕方がない。


「はい、そうです! 申し訳ありません!」

「素直にそう言えば良いのよ。ねぇ?」


 女王は更にピシャリと鞭を打つ。いや、何なのでしょうこれは? 何を見せられているのか私には解りません。


「あのね、嫁入り前の女の子を鞭で打つのは止めなさい」


 ユマ姫はそう言って、侍女の上からヨルミ女王をどけると、侍女の傷だらけの背中に手をかざす。


「ああっ」

「大丈夫、もっと気持ちよくしてあげるから」


 背中の女王の重みが消えて、いっそさみしそうな声を出す侍女も侍女だけど、それに頓着せず、背中の傷に魔法を唱えるユマ姫はもっと凄い。

 そして、回復魔法が更にその上、途轍もなく凄いのは、私も知ってる。


「なにコレ! 気持ち良いです」

「ホラ、もっと私を受け入れなさい、気持ちよくしてあげるから」


 そう言ってユマ姫が背中を撫でると、侍女の背中の傷はみるみる消えていった。


 回復魔法!!

 私も何度か掛けて貰った事があるけれど、凄く気持ちが良い。しかも昔よりずっと強力になっているように見える。


 この場所に至るまで、階下に居た侍女達も、問答無用で傷を治されると同時、皆腰砕けになってしまった。


「す、凄い!」


 この正真正銘の奇跡を前に、さしものヨルミ女王もポカンとしていた。非情な女王の仮面が外れ、かつてのヨルミ様の姿が戻った様で、モジモジとユマ姫に話し掛ける。


「あ、あのね、一人治して欲しいの。コレで打ったら心が壊れちゃって」


 そう言って、テカテカと黒光りする鞭を取り出したから、私はゾッとしてしまった。

 水牛の鞭! 罪人を処刑する鞭である。それにしたって残酷だからギロチンで首を落とす事が大半になっているほど。


 そんなモノで侍女を打ち据えたなんて!


 でも、それを聞いてユマ姫は怒るどころか、困ったものだと言いたげな表情でボリボリと頭を掻いた。

 ユマ姫はたまにこうして男っぽい顔をする、そのギャップに惹かれてしまうんだけど、私は変態なんだろうか……。


 いや、私なんて変態ではない。

 ユマ姫の言葉の方がよっぽど変態だった。


「それで女の子を叩くのは二度と止めると誓いなさい」

「で、でも!」

「それで叩いて良いのは私だけ、良いですね?」


 そう言って、ガバッと開いた背中と翼をヨルミ女王に見せつけたのだ。神懸かった美しさと、艶めかしい色気を誇る、その背中を。


「あ、う、え、あの? 鞭で打って良いの?」

「構いません。私が何をしたか知ってるでしょう? 司令官を前にして命令違反。重罪です? いっそ壊れるまで、気が済むまで打ち据えなさい。そう、私だけに」


 そう言って、愛おしそうにヨルミ女王の顔を撫で回すものだから、女王はすっかり顔を赤くして、コクコクと首を縦に振るだけになった。


 ユマ姫は歌うように続ける。


「私がどんなに泣いても、気絶しても、鞭を振るい続けなさい」


 そんな! 死んでしまう。そう口にしかけたけど。ユマ姫はそんな事じゃ死なない気がした。もし仮に死んでしまったとして、もういっそそれで良いような気さえしてしまい、私は何も言い出せなかった。


 でも、次のひと言にはゾッとした。


「でも、男は別です。その鞭で断罪するべき男が大勢居ます。 私にだけ鞭を打ってはズルいでしょう? 国が混乱している責任は、両方に取らせないと」


 そう言って微笑むユマ姫の顔は恐ろしく、顔を真っ赤に俯くヨルミ女王とどちらが罰を与える側か、私にはもう解らなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


【オーズド伯、私邸にて】


「クソッ! どうしてだ!」


 その日の夜、かつてユマ姫も滞在していたオーズド邸の書斎にて、オーズド伯は一人蒸留酒を煽っていた。


「こんな……こんなハズじゃ」


 ユマ姫は化け物。

 その証拠を探し国民に突きつけるつもりだったのに、ユマ姫は自らが人外の化け物だとばかり姿を晒した。


 鳥のような純白の羽を背中に広げて。


「なにが、天使だ! 馬鹿らしい!」


 オーズドは空になったグラスを書斎机に叩きつけ、抜け毛が落ちるのにも構わずに頭を掻きむしった。

 途轍もない化け物を育ててしまった。その慚愧の念ゆえだ。


 プロパガンダに少女を使うのは何時の時代、どこの世界でも良くある手である。

 複雑に利権が絡み合う大人の世界に、年端もいかない少女が正論で切り込むのは端から見る分にはセンセーショナルに映るからだ。


 オーズド伯もユマ姫をそうして利用した。


 ユマ姫が初めてオーズドと出会い、それから王都まで長い旅路の間、オーズドは王都でのプロパガンダに努めていた。

 育て上げた諜報員の力を遺憾なく発揮して、ユマ姫が辿り付く頃には王国一のアイドルが完成していた。


 異種族のお姫様と言う肩書きだけで、王都に辿り付いた瞬間から人気をさらえる訳が無い。

 ユマ姫人気のカラクリは、オーズドの手によるモノのハズだった。


 そんなユマ姫は、当然ながら故国を滅ぼした帝国の悪事を声高に語るだろう。

 それが主戦派であるオーズド伯の狙いだった。


 作戦は上手く行った。

 否、上手く行きすぎた。


 王子と婚約、大商人までも味方に付ける。王都はどんどんと対帝国への開戦ムードが高まっている。


 上がってくるユマ姫の快進撃に快哉をあげていた、かつての自分を殴りたい。


 せめて一昨年の夏、ゼスリード平原で巨大な土の壁を作り命を救われた時点で、気が付くべきだった。もうあの時、とっくの昔に人類では制御不能の怪物に育っていたのだ。

 ユマ姫につけたシノニムの報告を鵜呑みにしてしまった。彼女が大丈夫と言う声に縋ってしまった。


 そのシノニムとも、連絡がつかない。きっともう……


 パキリと右手のグラスが割れた。血が流れるにも構わず。オーズドはユマ姫を殺す事を決意する。いや、今日だってパレードに紛れて殺すつもりで手を打っていた。


 だが、無駄だった。

 何重にも張り巡らせた殺し屋の内、実際に行動を起こせたのは一人だけ、他はユマ姫に見とれ指一本動かせなかったと言うのだから言葉もない。

 国民は丸ごとユマ姫の味方だ。きっと貴族の幾らかも。軍部に至っては絶望だ。

 オーズドは自らが所属する主戦派と、かつて敵対した穏健派までを縦断し纏めあげ、ユマ姫に抵抗する勢力を作る事を誓う。


 手始めにユマ姫に近い王女ヨルミをなんとしてでも説得しなければと決意する。


 ……その決意が、いっそうの被害を生んでしまうとも知らずに。


 シノニムを失ったのはオーズド伯に取ってなによりの痛手だった。


 今のユマ姫を見たネルネは宰相殿下に「危険だから絶対に触るな」と警告し、宰相はその報告を頭から信じた。


 ネルネの人を見る目はアレで案外正確なのだ。

 宰相はそれを知っていた。


 いや、誰であれ、近くでユマ姫を観察していれば気が付くだろう。

 どんな人間が相手でも、一目で魅了する怪物に抗う術などある筈が無い。


 ユマ姫はそれほどの化け物に成長していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る