魔女の怨念

 ここは隕石が落下したクレーター。


 泥と星獣の死骸が混じり合い、溶けている。


 中天に輝く月が深い穴の奥底を照らす時。泥にまみれる男の姿を照らし出した。


「ああ、嘘だ! こんなの」


 ソルンだった。

 古代人の男は、泥と怪物の体液を必死に掻き分ける。


 しかし、掘り返せど掘り返せど、泥は容赦なく穴を塞いでしまう。深まるのはソルンの絶望だけだった。


 ソルンは魔女クロミーネに発信器を付けていた。義眼に仕込んでいたのだ。

 その反応が、グチャグチャに崩壊した星獣の遺骸から発せられている。


 星獣に喰われたに違いなかった。


 その事実を考えない様に努めながら、きっと彼女は無事だと、今も助けを求めているのだと、ソルンは自分に言い聞かせる。

 星獣の死骸は王国軍に守られ、昼間は近づけなかった。日が暮れるのを待ち身を潜める間も、ソルンは身が切られるような焦燥を感じていた。


 夜になった途端、危険も厭わず飛び出した。

 ソルンはクロミーネと共に何度も改良してきた井戸を掘る魔道具を用い、穴を掻き分けて発信源を探す。しかし作業は遅々として進まず、ソルンを苛立たせる。


 (……だから、言ったのに。無茶だった、星獣を操ろうなんて)


 ソルンは魔女クロミーネを愛していた。しかし止められなかった。

 彼女が「私なら星獣を操れる」と豪語していたからだ。そして、それしか手が無い程に彼らは追い詰められていた。


 ソルンはバックアップを任せられていた。

 もし星獣の洗脳に失敗した場合、星獣の幼体、その魔力波を再現し、ドローンから照射、誘導。

 星獣を操り、王国軍にぶつける計画だった。


 正直に言えば、ソルンにとってコチラこそが本命。

 遺跡には幼体のデータも十分に揃っており、悪くない賭けだと思われた。


 だが、星獣はソルンの操るドローンにまるで反応しなかった。


 それはそうだ。

 もっと『坊や』に近く、より強力なユマ姫の魔力が、星獣の近くにあったのだから。


 しかし、そんなことソルンは知る由もない。

 失敗を覚悟したソルンだが、事態は意外な方向に転がった。


 王国軍は星獣と戦う事を選んだのだ。

 帝都を救う為に。


 結局、目論み通りの展開。星獣の強さを知るソルンは内心でほくそ笑む。

 ソルンが見つめる先、王国軍は罠を張り、大砲を放った。


 しかし、そんな原始的な攻撃で死ぬ星獣では無い。


 街を一つ灰燼に帰す程の高火力が必要なのだ。丁度、スフィールに放った核弾頭の様な超兵器が。

 古代人すら悩ませた星獣の脅威が、今だけは頼もしい。大森林で散々に追いかけ回されたタナカの剣ですら、星獣にはなんの痛痒も与えて居ない事に、ソルンは溜飲を下げたりもした。


「あんな、化け物だったなんて」


 想定外はユマ姫だった。以前、砂漠の空で戦った時よりも遙かに危険な存在に変貌していた。

 たった一人で星獣と切り結び、そして最後には隕石を呼んで星獣を撃破した。


 ……実際には、ユマ姫は隕石を呼んだ訳では無い。


 だが、ソルンにはそうとしか見えなかった。そうとしか思えないタイミングだった。


「あんな、あんなのに敵うはずが……」


 星獣を、あそこまでピンポイントに破壊する兵器をソルンは知らない。

 ソルンにはユマ姫が未知の怪物に思えて仕方が無かった。たとえ古代人が全盛の時代であっても、人間の大きさで、アレほどの魔力を秘めた存在に対抗する策などあるのだろうか?


「…………」


 そこまで思い至った時、ソルンは古代文明全盛期、それこそプラントが暴走して衰退が始まる直前の時代に作られた、自律小型兵器ソルスティスの存在を思い出す。


 (アレならば、ユマ姫を……いや、もはや意味のない妄想だ)


 ソルンは安っぽい希望を頭から振り払う。ソルスティス、いわゆる最強の小型ロボットは最近になって遺跡から発掘したばかりだった。


 だが、動かす事が出来ない。

 ……魔力の質の問題だ。


 エルフの国では、魔石の大小に特別な価値は無かった。

 純度の低い魔石でも、精製することで純度を上げる事が出来たからだ。


 魔力の密度は電力で言う電圧、それは精製で高める事が可能だ。そして電流にあたる魔力量は、魔石の量で解決出来る。

 だが、ユマ姫の魔導衣にグリフォンの魔石が必要だった様に、もしくは星獣をおびき寄せる為『坊や』の魔力波を使った様に。


 魔力にも、電力の様な『周波数』が存在する。高度な魔道具、それこそロボット兵器となれば、『周波数』が安定した魔力が必要だった。

 すなわち高度な科学力で安定化させた液体魔力。プラヴァスで発見した巨大兵器ラーガイン、あのメイン動力に使っていた様な燃料が必要だった。しかし、現状、ソルンには手に入れる術が無い。


「クソッ! クソッ!」


 何もかもが間が悪い。

 もう少し早くソルスティスを発見していれば……プラヴァスから液体魔力を持ち帰る事も可能だったのに。


 叫びながら、ソルンは再び井戸を掘る魔道具を起動する。

 これ以上、魔道具で穴を掘れば生き埋めになる危険が高い。ソルンはそれで構わなかった。ココで生き埋めになり、魔女と共に死ねるなら。


 しかし、運命は彼に死ぬ事を許さずに、無情な現実を突きつける。


「あ、ああっ!」


 遂に、ソルンは魔女の義眼を発見する。


「そんな! そんな!」


 そして、そこにこびり付いた変わり果てた肉塊も。


「ああああああっ!」


 嗚咽が、漏れる。

 もう古代人の復権などソルンにはどうでも良かったのに。彼女と共に暮らして行けたなら、他には何も要らなかったのに。


 もう二度と、それを伝える事が出来ない。その現実が何よりも辛かった。


 万が一、クロミーネが生きていたら、傷ついた彼女と共に逃避行に出るつもりだった。山奥の小さな小屋で、二人で静かに暮らす日々。

 夢に描いた彼女との幸せな生活。しかし、もうそれは叶わない。


 いや、果たしてそうなのか?


 現実に打ちのめされたソルンは、甘美な夢に囚われた。だが、それは妄執としか言えない代物であった。


「そうだ! 彼女は神の使徒、特別な存在だ!」


 ソルンが思い出したのは、ユマ姫の復活。ノエルはユマ姫を焼き尽くしたが、それでも培養ポッドで復活し、彼らの前に立ち塞がった。本来は消滅するはずの、記憶さえも伴って。


 同じ神の使徒ならば、クロミーネも復活が可能なはず! いや、可能で無くてはおかしい!


 ……いや、しかし。


 時間が無かった。

 本来、人間の再生は下手したら数ヶ月の時間が掛かるモノ。細胞が分裂し、増殖するのをゆっくりと待つのだから当然だ。

 凶化したユマ姫のケースこそが特殊。グリフォンを思い出すまでも無く、凶化した生命は他の命から幾らでも肉を取り込めるからだ。普通の生命体でそんな事をすれば、拒絶反応で死んでしまう。


 かと言って、凶化は夢の遺伝子技術では無い。


 変質した世界に対応するべく凶化は盛んに研究されたが、全て破棄され禁忌となった。

 凶化した肉体は、変化が始まれば二年と待たずに自分の姿を保てなくなる。

 意志を失った怪物は、最悪の破壊をもたらした。それこそあのおぞましいゾンビすら、凶化の一種なのだから。


 だとすれば、培養には数ヶ月掛かる。あらゆる戦力を失った現状。そんな悠長な時間はソルンに残されて居なかった。

 なにせ培養ポッドのある魔女の拠点は、帝都の貴族なら知られた場所にあるからだ。

 攻め込まれた際に、守る術がなにも無い。まして、あの化け物、ユマ姫に対抗する術など……。


「…………??」


 その時、ソルンは青白い月明かりが、まだ自分を照らしている事に気が付いた。

 良く考えればそれは尋常では無い。なにせココは深い穴の底、月の明かりが届くのは、中天に月が架かる一瞬のハズだから。


「なんだ? これは!」


 良く見れば、壁がうっすらと光っていた。まさかと思いソルンは泥壁を掻き分ける。


「熱ッ!」


 ソレは、まだ星獣の体内にあった頃のままに、灼熱を内部に湛えていた。青く強烈な光が、内包したエネルギーを物語る。


「これは! 魔石? 星獣の魔石か!」


 ソレは、ひと抱えもあるような巨大な魔石だった。


(単体でこの大きさ! 多くの魔獣を押し固めた精製魔石とは違う!)


 大出力が欲しい場合、複数の魔石を精製し、結合する。しかしその場合、魔力の周波数はバラバラになってしまう。

 この魔石ならソレが無い。


(コレなら、ソルスティスを起動出来るかも知れない! まだだ、まだ、天は我らを見放して居なかった)


 運命に導かれるようにソルンが広げたのは、ぼろ切れ同然となったクロミーネの服だった。

 魔物の糸で編んだ防弾性能の高い布。これで魔石をゆっくりと包み込む。


 すると、魔石は途端に輝きを失い、ソルンの腕に収まった。見た事もない巨大な魔石だが、それでも抱きかかえて持ち出せないサイズでは無い。


「よし、コレでコレでぇ!」


 歓喜に震えるソルンの目には、狂気が宿りつつあった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「何故だ! 何故、記憶が戻らない!」


 大型ドローンで拠点に戻ったソルンはすぐさま魔女の細胞を培養し始めた。幸い収穫期を前に侵攻は収まり、冬の間も帝都が攻め込まれる事は無かった。その間に、ゆっくりとクロミーネを培養する事が出来ていた。

 そして春を目前に、クロミーネは元の肉体を取り戻す。しかし、その瞳に意志の光が宿る事は無かった。


 典型的な、『体だけが大人』の人造人間そのものだった。


「そ、そうだ、外部の刺激があれば……」


 そう言って、ソルンは培養ポッドを開けてしまう。


 ざぶんとポーションが排泄されて、クロミーネの体が研究所の床に投げ出される。ポーションが不足している現状、こうなれば二度とポーションの培養液に戻す事は出来ない。


 掛け値無し。コレが最後のチャンスなのだ。


「クロミーネ、僕だ! ソルンだ!」

「ぶえ?」


 ソルンは呼びかける。しかし、クロミーネの目はとろんとしたままであった。


「そんな、どうして!」

「ぶええええええん」


 クロミーネは赤ん坊になっていた。

 何も知らない大人の肉体。中身は生まれたばかりの赤ん坊。

 歩く事も出来ない肉人形。決して長くは生きられない存在だ。


「そんな、嘘だ、嘘だろう?」

「びえええぇぇぇぇん」


 ソルンは必死に呼びかける。しかしその日、クロミーネが泣き止む事は遂になかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ほら、ごはんだよ」

「ダーー!」


 それから数日後、豪奢な椅子に腰掛けたクロミーネの口に、ソルンは離乳食を運んでいた。


 見た目だけなら、高慢な女主人が執事を傅かせている様にも見える。


 生前の魔女は似た事をやらせていたし、知らぬ者ならば、魔女は健在に見えるだろう。

 現に、帝都から使者が来た時など、ソルンはクロミーネを椅子に座らせ上座に据えると。『魔女に秘策アリ』と使者に嘯き、その姿を見せつけもした。


 しかし、その目が違う、ぼんやりと意志のない瞳はクロミーネにはあり得ないモノだった。


「まだ、記憶は戻らないかな?」

「だぁだ! だぁだ!」


 言いながら、ソルンはもうこのままでも良い様な気がしていた。

 きっと間もなく嘘はバレるだろう。

 こんなクロミーネと二人で逃げる事など不可能なのだ。きっと二人して断頭台に上げられる。


 でも、そんな最期も悪くないと思ってしまう自分が居た。ハッキリと終わりの時を自覚していた。馬鹿な事をしていると頭では解っている。それでも空虚な幸せに浸っていた。


「あ゛ーーー」

「ごめん、飲み込めないのかい?」


 ソルンは離乳食など作り慣れない。大人の体を持つクロミーネに歯はあるのだが、噛み砕く事すら上手く出来ないのだ。

 そういうとき、決まってソルンは自分の口で離乳食を噛み砕き、そっとクロミーネに口付けるのだ。まるで雛に口移し食べさせる親鳥のように。


「んーー」


 むずがるクロミーネに唇を合わせる。ソルンとて、幼児となったクロミーネに不埒を働くのは罪悪感があった。だが、これだけは必要な事だとソルンは言い聞かせる事が出来たのだ。


 ――ガタン!


 その時、部屋の外から物音が響く、使用人もいないこの屋敷ではあり得ない事である。


「誰だ!」

 ――ピーピピピ!


 鋭く誰何するソルンの言葉に応え、扉からヌルリ姿を見せたのは……


 ……黒鉄で出来た蜘蛛だった。


 ソルンの倍近い、三メートルはある体高のロボットながら、その大きさの大半は細長い脚。

 脚を畳めばこうして扉を潜る事だって造作も無い。


「なんだ、ソルスティスか」

 ――ピー! トゥルトゥーーー


 機械音が返事を返す。

 そう、コレこそが自律小型兵器ソルスティス。

 ソルンは星獣の魔石をもって究極と唄われる兵器の起動に成功していた。


 この兵器こそが、彼の余裕を保っている。


 ソルスティスは蜘蛛型の魔獣、大土蜘蛛ザルアブギュリを再現するロボットとして開発された。最強の兵器を作るにあたり、古代人は圧倒的な踏破力と防御力で知られる魔獣を目標に据えたのだ。


 しかし、古代技術の極点がもたらす防御力は、元となる魔獣を遂に超えた。


 窒化ホウ素で出来たボディは魔剣すらもはじき返すし、蜘蛛の脚を折りたためば、どんな拠点にも侵入可能。

 最強の制圧兵器として、古代人の歴史の終わりに、究極の制圧兵器が完成していた。


「良いから、見回ってこい」

 ――ピーピピピ!


 機械音を残し、ソルスティスは音も無く部屋を出て行く。その動きには何処か人間めいた愛嬌すらあった。

 しかし、もうそんな事はソルンにはどうでも良かった。


 それどころか、意志を持って自律行動するソルスティスがクロミーネと二人の世界に入り込んだ異物の様に感じて、疎ましくすら思っていた。


「ふぅ、じゃあもう一度」


 そう言って、ソルンはむずがるクロミーネを押さえ付け、再びのキスをした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 春が来て、暖かい日が続いた。眠りの深くなる季節にも関わらず、ソルンは眠れずにいた。夏になれば王国軍は帝都に迫るだろう。そうなれば全てが終わる。今はつかの間の夢の中で生きている様なモノだった。


 こうして夜中にふと目が覚めてしまえば、狂おしい程の焦燥感が胸を焼く。冷や汗に背を丸め、必死に眠る事だけを考えていたソルンだが、その時隣室から聞こえて来たクロミーネの幼い悲鳴が耳に届いた。


「なんだ! 敵襲か!」


 着の身着のままクロミーネの部屋に転がり込んだソルンが見たモノは?


 果たしてクロミーネにのし掛かるソルスティスの姿だった。


「何をしている!」


 激昂したソルンは力の差も忘れ、必死にソルスティスをクロミーネから引き剥がそうと試みる。それを見たソルスティスは、渋々といった様子でゆっくりとクロミーネの上を退いた。


「なんのつもりだ!」

 ――イブツ! ハイジョスル!


 ソルスティスに取り付けられたステータスモニターに、文字が浮かんだ。

 解像度の荒いモニターながら、短い文章が表示出来るのだ。


「またか! 彼女は異物なんかじゃない!」


 ソルスティスには拠点に侵入する異物、敵を排除しろと命じていた。

 実際、何匹ものネズミを始末している。


 だが、何度教えても、クロミーネを異物として認識していまうのだ。


 ――イブツ! イブツ!

「違う!」


 ソルンは怒りに我を忘れた。


 クロミーネは人間ではないと、ただの肉人形であると、機械に歴然と突きつけられた様な気がして、声を荒らげ激昂した。


 本当はソルンにも自覚があるのだ。だからこそ、認められなかった。


「出て行け、お前など見たくない!」


 そう言ってソルスティスを追い出すと、怯えるクロミーネに声を掛ける。


「怖いのかい? そうだよね?」


 蜘蛛の機械に襲われたクロミーネは、すっかり青ざめて声も出ない。

 中身は赤子なのだ、無理からぬ事である。


「大丈夫、今日は僕も一緒に眠るから」


 そう言って、ソルンはクロミーネとベッドを共にした。それが最後の一線だと知りながら。



 そして、次の朝。それは呪いか、はたまた奇跡か、待ち望んだ瞬間が訪れる。


「ソルン?」


 寝ぼけた頭に響いた声、初めは夢を見ているのだとソルンは思った。


「ソルン、あなたでしょ? ココはどこ?」

「まさか! クロミーネ様、記憶が?」

「ねぇ、私どうしたの? 洞窟でアイツらを待ち伏せて、それから記憶がハッキリしないのよ」

「ああ! 良かった! 良かったぁ!」

「もう、どうしたのよ一体? らしくないわよ」


 ワンワンと泣き続けるソルンを、優しくなだめるクロミーネ。その瞳には以前の光が戻っていた。


 ――ピーピピ


 そして部屋の隅、それを見守るロボットのカメラにも、赤い光が宿っていた。

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