越えるべき相手
ユマ姫が銃を求めて飛び出した後、残された田中とマーロゥは剣を構えて向かい合っていた。
足元で鳴る砂は、魔力が抜けた魔石の残滓。
洞窟を彩る蒼い燐光は消え失せ、赤熱するマグマの光に洞窟が揺らめく。
地下より吹き上がる風は徐々にその熱を増していた。なれど、睨み合う両者の額に流れる汗は、暑さだけでは説明がつかない。
「ぐぉぉぅ!」
「アニキ……」
正気を失って、なお黒衣の剣士に隙は無かった。冴え冴えとした刀身がその切れ味を物語る。
対するマーロゥの双剣は、白く輝き、相手を強く威圧する。
一人のエルフがその生涯を懸けて鍛えた名刀と、魔法文明の頂点たる双聖剣ファルファリッサ。
無類の切れ味を誇る二刀の対決は、受けに回る事を許さない。
かつて、魔剣の切れ味に慢心したマーロゥは、自慢気に構えた魔剣を田中に叩き切られている。その事を切掛に田中に心酔したマーロゥだが。今回ソレを行うのは自分でなくてはならなかった。
(俺達の、大森林の英雄が、こんな終わりで良いハズは、無いッ!)
愛するユマ姫を救えるのは、この男しか居ないと信じていたからだ。
マーロゥは、ユマ姫の事が好きだった。生誕の儀で出会った時から、ずっと好きだった。初恋の相手だった。出会った瞬間に虜になって、役者を辞めて剣の道に進む。魔剣こそが、護身用の武器として最も適していたからだ。全ては姫を守る為。
マーロゥは賢く、政治的に微妙なユマ姫の立ち位置を理解していたからだ。そして、天は二物どころか、全てをマーロゥに与えたもうた。可愛い子役としてのルックス、歳に見合わぬ演技力、それだけでも驚異的なのに、剣の才能まであった。
ユマ姫を守りたい。ただ、それだけを思って血の滲むような修行を乗り越えた。気が付けば、エルフの中でも指折りの剣士に育っていた。
勿論、マーロゥはモテにモテた。スゴイスゴイと褒められた。
なのに、それでも、心の何処かで、この程度ではユマ姫とは釣り合わないと感じてしまっている自分が居て、それが不思議でならなかった。
自分以上の男など、何処に居ると言うのか? 思い出すのはユマ姫の兄、ステフ王子。
でも彼はもう居ない。死んでしまった。なら残された自分が守らずに、誰がユマ姫を守るのか?
帰る場所を取り戻し、彼女を迎えに行く。マーロゥは決意した。
なのに田中は、魔剣ごと、その決意を叩き斬ってしまった。
モノが違う。
そう思わざるを得なかった。
このレベルの強さがないと、ユマ姫を守れないのだと直感的に理解した。
その予感を証明するように、フラリと現れたその男は、あっさりと占領された都を開放してしまう。帰るべき場所を取り戻してしまう。
マーロゥの決意をあざ笑う様に。
そして田中は、あれほど美しいユマ姫を、時には『あの馬鹿』と、時には『間抜け』と、気安い調子で腐すのだ。
ユマ姫を神聖視してしまう自分とは違う、ユマ姫と同じ目線で、共に歩める男が居た。
とびきりの実力を兼ね備え。
きっと、田中ならユマ姫を幸せに出来ると信じられた。
なのに!
「ぐぉぉぉぉん!」
うわ言を叫び、だらしなく剣を構え、よだれまで垂らす目の前の男に、マーロゥは何も託せない。
絶対に無力化し、正気に戻さねばならなかった。
定まる決意とは裏腹に、視界の中の黒衣の剣士がじわりと滲み、二重に映る。目が霞んでいた。長くは保たない。ギリリと噛み締める口の中の魔石が、痛いほどに尖った魔力で脳を灼いていた。
いつ倒れても不思議では無い。そして、きっと、倒れたら二度と起き上がれない。
長期戦は不可能。ならば、全てが全力。
「ハッ!」
田中が構える刀に、マーロゥは双剣で斬り掛かる。
両断剣。双剣でもってハサミのように敵の武器を切断する。ファルファリッサを握って以来、秘かに温めていた必殺剣だ。
なのに!
「ぐぅ……」
意味不明な呻きを一つ。田中が刀を振るうと、それだけでマーロゥは右手のファルファリッサを巻き上げられた。魔法の如き剣技の冴え。
カランと右の剣が地面に落ちる。これでは両断剣は成り立たない。
武器を奪うつもりが、奪われた。それも利き手の一振り。
(駄目だ、マトモにやってアニキには勝てない)
それを思い知らされた。命を賭けて戦えば、通用すると思ってしまった。
命だけではとても足りない。剣士にとって命を賭けるなんて当たり前なのだから。
(オレの、全てを!)
思い出す、思い出す。
何が自分に残っているのか? 誇れるのは何だ?
天才子役と言われた事? 違う! ユマ姫の前では、セリフも出ない大根だった。
魔剣の使い手として、たちまち頭角を現したこと? 違う! 外から来た黒衣の男に、まるで通用しなかった。
ならば、何だ? ハッキリと思い出す。焼かれながら、
そうして正式に振るう事を許されたファルファリッサは、今はマーロゥの誇りだ。
たとえ二刀が揃っていなくても、本来なら田中の使う鉄の剣に負ける道理はないと、マーロゥは信じている。前に使っていた魔剣とは、モノが違うのだ。
そして、長年磨いた魔獣退治の剣術と、目の前の田中に教わった剣術があった。
それらを全てより合わせ。マーロゥが選んだ戦略は?
――チンッ
残った片手剣を、鞘に収めて笑う事。
「アニキ、てんで、なってませんよ」
「ぐぅ?」
余裕を見せるマーロゥに、ぼんやり顔の田中が首を傾げる。マーロゥはその姿に確信を抱いた。
(鈍いんだ、何もかも)
いつもの田中なら、こんな『ハッタリ』は即座に見破る。なのに目の前のだらしない男からは、恐れすら垣間見えた。
「ミエミエですよ、反射で動いているだけでしょう」
マーロゥはいよいよ不規則になる脈と呼吸を整え、無造作に近寄る。
(相手が得体の知れない相手なら、腹を決めて刀を信じるのがアニキの剣)
「うぉぇ!」
(だけど、どうしても信じ切れない時は、一番防ぎ難い突きに頼る)
――シッ!
マーロゥの顔面を目掛け、神速の突きが放たれる。
勿論読んでいる。半身になって躱しながらも、捻る腰の勢いで抜剣。
「ハァッ!」
裂帛の気合いと共に、マーロゥは突き込まれた刀に向けて斬り上げた。
田中から教わった居合い斬り。決して生半可なモノではなかった。
だが、ソレを教えたのは田中で、マーロゥが狙ったのは、変幻自在のその剣筋。
得体の知れない相手だからこそ、田中は持ち手を広く持ち、剣の動きを広くしていた。軽く握った左手を押すだけで、テコの原理で刀身が跳ね上がる。
――ッ!
必殺の居合いが外れた隙。正気を失おうとも、見逃す田中ではなかった。
今度こそ、跳ね上げた刀を上段に構え一息に振り抜く。
田中の最も得意とする、攻撃的な型。マーロゥはそれを防ぐべく、ファルファリッサを頭上に構える。
剣の打ち合い。
ソレも圧倒的な攻撃力を持つ二刀。
守るよりも、攻めた方が絶対的に有利!
なにより、これでは丁度、マーロゥが魔剣を斬られた時の焼き直し。
……だが。
――チィィィィンッ
甲高い金属音で、地面に転がったのは、魔剣ではなく鉄の刀身であった。
魔剣を使うに力は要らない。
マーロゥは、魔剣の師匠が言っていた言葉。その意味がやっと解った。
魔剣に重要なのは、なにをとってもタイミングである。
どんな体勢であろうとも、勢い良く振らずとも。
魔力を巡らせ、刀身を引き斬るタイミングさえ一致すれば、何でも斬れる。
だからこそ、攻める必要はない。
構え、守り。相手の剣をへし折れば、無血で制圧出来る。
理屈は尤も。だが魔剣で斬れば相手は死ぬし、魔剣で斬られた時は死ぬ。
故に魔剣での斬り合いとは、常に初見。
初見の剣筋に完璧にタイミングをあわせるなど不可能なのだ。
田中に剣を叩き斬られてからは、実戦を知らない道場剣術の理屈と侮っていた。
だけど、それは嘘じゃなかった。
考えて見れば、道場剣術と言うは道場の中では強いのだ。
相手を知っていれば、無類の強さを誇るモノ。
振り下ろす田中の一刀は、あこがれと共にマーロゥの脳裏に焼き付いていた。
だからこそ、奇跡は起きた。
防ぐ剣が、振り下ろす剣を断ち斬る。
そんな、あり得ぬ光景を生み出した。
「やったよ、アニキ」
うわごとの様に呟いて、マーロゥは膝をつく。
そして、二度と立ち上がる事は、無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うひゃぁぁ!」
木村は跳ねる。シャルティアの魔剣が、足元を払ってきたからだ。
ゆったりとした剣筋であったが、跳ばずに居れば足首から先を地面に残して、転がるハメになったであろう。
しかし、跳び上がってしまえば隙だらけ。間近に殺戮者が迫っていた。
木村とて油断していた訳では無い。
人間ならまず躱せない360度の弾幕。シャルティアは地面に突き刺した魔剣を軸にして、ポールダンスを思わせる奇妙な動きで躱してみせた。
クルクルと回り、背を反らし、柔らかに地面に手を衝くと、逆立ちみたいな奇妙な姿勢。そこからシャルティアは地面スレスレに目の冴えるような一閃を放ってみせたのだ。
習熟に時間を要する魔剣だが、数多の武器を使いこなしてきた殺戮令嬢には障害とならなかったに違いない。なにせ、今シャルティアが使う剣筋は、覚えたばかりのプラヴァスの奇剣。
シャムシールを想定した砂漠の奇剣を魔剣に置き換え、ここまで使いこなした例は無いだろう。
言わば世紀の初見殺しに、木村が出来る事など殆ど無かったと言う訳だ。
悲鳴をあげて、慌てて、跳ぶ! いや、まんまと跳ばされた格好だ。空中で、攻撃を躱す術など存在しないのだから。
死刑宣告にも等しい宙に浮かんだ僅かな瞬間。引き延ばされた時間の中で、木村はシャルティアの踊る様な回避、その余りの美しさに目を奪われてしまった事を自覚した。後悔するも、無理はない。ソレほどに美しい動きだった。
しかし、シャルティアが殺しのプロならば、木村は策謀のプロである。跳んでからの回避手段が存在しないなら、跳ぶ前に作って置けば良いのだ。
「うぉぉん!」
締まらない悲鳴を残し、体が後ろに引っ張られる。
万が一にと仕込んだ保険が機能した。右の小指一本に巻き付けた
あとはソレを一息に引っ張れば、宙での回避を可能にした。
――ひゅん!
シャルティア必殺の一閃が空を切る。
「グッ!」
勿論、こんな奇策がノーリスクと言う訳はない。
代償は、痺れて動かぬ右手の小指と、無様に転がる自分の体。綺麗な着地は不可能だった。
即座に飛び掛かり、追撃するシャルティア。その瞳に、普段ならギラつく意志の輝きが見られない。
木村はその姿に、先ほど見惚れた事を恥じた。こんなのは、ちっとも美しくなかった。
(クソォ! やってやるよ!)
見上げるその姿に、諦めかけた木村の弱気が吹き飛ぶ。剣を構えたシャルティアに押し倒された体勢ながら、とってみろとばかり、首を突き出した。
安っぽい挑発。
とはいえ、もちろん木村のコト。
無策な挑発はありえない。
「ぶっ!」
口に含み、吹き付けたのは地面にばらまかれた魔石だ。勿論、こんなものは通常ただの苦し紛れ。
「えぅ……」
だが、薄暗い洞窟で魔力視に頼っていたシャルティアには効果絶大だった。操られる事で、魔力視のみを頼りにする不安定な戦闘に危機感が働かなかったのだ。
千載一遇の好機。しかし転げ回って銃を手放した木村には、殺人鬼を取り押さえる術がない。
木村は操られた彼女を、どうしても殺したくなかった。
きっと
いや、たった一つ脳裏に閃くモノがあった。
他ならぬ、目の前のシャルティアから教わった拳法が。
現代の人工呼吸を教えた時。代わりとばかりに呼吸と心肺を止める技を教わった。あれならば?
木村らしからぬ暴力。だからこそ、裏を掻ける。しかし、あの打撃は息を吐き出した瞬間に狙い澄まし、心肺を殴らなくては意味がない。なれど、相手の呼吸を読む力など、木村には無かった。
ならば、
「ハァッ!」
しかし、避ける方向を限定出来れば、それで良かった。木村は体ごと飛び込んで、揉み合う様に二人は地面を転がった。……そして。
「んっ!」
シャルティアに口付けた。
勿論、百戦錬磨の殺し屋が相手だ。キスをされたからと怯んだり、呼吸を乱す事は無い。
「スゥー」
「?」
ただ、人工呼吸の逆。無理矢理に息を吸えば、一瞬だけ酸素を奪える程度の心肺能力は木村にもある。
その瞬間。
――ドンッ!
シャルティアの体が揺れる。
木村の不格好な掌底突きは、何とか教えられた場所。
心臓の位置へと突き刺ささり……
「あぅ……」
一瞬なれど、殺戮令嬢の意識を刈り取ることに成功した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食欲が、暴走する! 俺の……意識が、消える。
化け猫に押さえ付けられた危険な状態。でもそんな事よりも、体に入り込むウイルスが怖かった。
俺はやたらめったら暴れて、のたうつ。
「あ゛ああああぁぁぁ」
「やっぱり、アナタは危険ね。今殺してあげるわ」
ライフルを杖代わりに、ヨロヨロと近づく魔女が、銃口をコチラに向ける。
魔獣に押さえつけられて、ウィルスでゾンビ化までしそうな俺に、魔女は一切の油断を見せない。
その姿は、妖艶で美しい。こんな時でも体に張り付く黒のドレスを着ている。ボディースーツみたいなモンか? 防弾性能もあるのだろう。
その腹からは、銀に輝く槍の穂先が生えていた。
「え?」
呆然と呟き、自らの腹を見る黒峰。
その背後には、這うような姿勢で不格好に槍を突き出すゼクトールさんの姿があった。
「お前だけはぁぁぁぁ!」
「ごのぉ!」
怨嗟の声をあげるゼクトールさんの顔面に、黒峰は銃口を突きつける。
――パァン! グチュッ
乾いた発砲音と、湿った破裂音。
貫通した弾丸がゼクトールさんの後頭部から
ゼクトールさんの運命光が消えていく。
――ギャオオオオォン
俺に圧し掛かる化け猫は、そのショックで黒峰の洗脳が解けたようだ。しかし、餓えた魔獣は止まらない。
あらかじめ、コイツは大量の魔石を喰わせらていたのだ。だから、霧の影響からいち早く復活した。そして、爪にはウィルスまで仕込んでいた。
つまり、コイツは既にゾンビ化している。ゾンビ化したのを無理矢理操っていた。洗脳が解けた今、目の前の俺は丁度良いエサだ! パカリと開いた口からは、尖った牙がズラリと並ぶ。
唸るような獣の鳴き声が、至近から聞こえて来た。
「グゥゥゥゥゥゥ!」
だけど、その声の主は目の前の猫じゃない。
俺だ!
混濁する意識の中、俺の口から獣みたいな声が出たのが解った。
だめだ、ちのうがなくなる。いしきが、とんでいく。
<<<< アナタは誰? ドコなの? 坊やあぁぁぁ >>>>
その時、ママの声がして、再び俺の意識は弾き出された。部屋が突然に暗くなる。マグマの赤い燐光が遮られたからだ。なにか途轍もない巨体で。
俯瞰する意識は、プール大の大穴を塞ぐ巨体を目撃した。
「ママァ!」
一方で小さな俺の体は無邪気な叫びを一つ。そして軽く手を払った。それだけ。
たったそれだけ、それだけで、小さな少女が圧し掛かる化け猫の魔獣を
「ママ、お腹すいたよ」
<<<< ああ坊や、そんなに小さく >>>>
ゾンビ化した俺の意識は、再び『坊や』に奪われたのだ。
魔力の波長で、ママは俺が『坊や』だと認識している。
俺の魔力は『坊や』の波長になっているからだ。
……そして、俺の体は異様な食欲が支配している。
「ママ、コイツ、食べて良い?」
<<<< ……ええ、大きくなりなさい >>>>
――キュォォン!
虎ほどに大きい魔獣が、家猫のように大人しくなる。小さな俺に、怯えている。
オイ、まさか? 嘘だろ?
意識を飛ばされた俺の目の前で、『俺』が化け猫の首筋に噛み付いた。
コイツ! 魔獣を、喰う気だ!
――ギュォォォォォ!!
猫が悲鳴をあげ、暴れる。さしもの『坊や』も小さな俺の体では抑えきれない。
<<<< 坊やぁぁ >>>>
そこに、穴から冗談みたいに大きなママの足がにゅっと飛び出して、パチンと弾ける音がした。
それだけで、
「ママありがとう、おいしいよ」
<<<< 坊や? >>>>
余りにも異なる『坊や』の姿に、ママは困惑していた。
俺はその光景を俯瞰して、呆然と見ていた。
何だよコレ、滅茶苦茶だ。自分の体なのに、目を背けたい程に悍ましい。
零れた脳みそをぺちゃぺちゃと舐める、銀髪の少女だけが笑っていた。
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