もしも、世界と心中出来るなら3

 洞窟は突然に暗くなり、宙に舞う魔石の僅かな燐光だけが星空みたいに輝いた。

 幻想的な景色だが、蠢く影は血の気が引くほど不気味で大きい。


 星獣の『ママ』が大穴を塞ぎ、マグマの光が遮られたのだ。


 人間では決して見通せぬ闇の世界。それでも、魔力視を手に入れた俺は全てを俯瞰して見る事が出来ていた。


 馬鹿みたいに大きな『ママ』。正気を取り戻し、ヨロヨロと立ち上がるシャリアちゃんと田中。何も見えずにキョロキョロと見回す木村、頭を抱えて蹲る親衛隊の男、倒れ伏すマーロゥ、死んでしまったゼクトールさん、のたうち回りながらも小瓶の中身を腹にぶちまける魔女。



 ポーション! 持ってやがった!



 雷で焼け焦げた俺を、動ける程度には治してしまう古代の回復薬だ。腹を刺された位ならワケ無く治すだろう。

 今のうちに、殺す! 絶対に! ぶち殺す!


 でも、『坊や』に意識を奪われた俺には、体が無い。


 ならばどうするか? 取り戻すしかないだろう!

 意識を強く持て! 殺意を尖らせろ! 尖らせて、突き立てろ! 突き立てて、臓物を、抉ってやる!

 魔力視で俯瞰した視線の先、這いつくばってペチャペチャと化け猫の死体を貪る少女を睨んだ。

 体を返せ! それを使って、アイツを殺す!


「ママッ? 僕の体に何かが入ってくる!」

<<< 坊や? どうしたのぉぉ >>>


 ママが混乱し、ノイズみたいな魔力を発する。それだけで俺の魔力視が封じられた。魔力に頼った俺の視界がグラつき乱れる。

 運命光だって見えない。ママの強烈な運命の輝きに、ちっぽけな人間の運命など全て飲み込まれてしまうから。

 光も、魔力も、運命も見通せず、完全な暗闇の世界が訪れる。それでも俺は、荒ぶる殺意を研ぎ澄ます。全ては黒峰を殺す為。


「ぐっ……」


 でも、ダメ! 主導権を握れない!


 無限に湧き出るゾンビの食欲。

 星獣である『坊や』の母への思い。


 間に挟まる俺は、まるでパニック映画の一般人だ。


 まともに考えて、打ち勝てるハズが無かった。


 ゾンビの食欲に負け、俺の体は猫の死体を貪り続ける。

 すると『ママ』は気が付いた。坊やの意識が薄れ、ゾンビが体を支配している。錯乱する魔力の波動が吹き荒れる。


<<< 坊や? 違う! 坊やじゃ、無い! >>>

「僕だよ、ママ」

<<< 坊や? ホントに? >>>


 『ママ』の呼びかけでゾンビの意識が追いやられ、今度は『坊や』の意識が浮上する。

 小さな俺の体の中で、ゾンビと怪獣の壮絶な一騎討ちが始まった。


 ――ママ! たべたい! ぜんぶ! ママも! 許さない!


 強烈な意識が脳が灼けるほどに渦巻く。ただの人間に過ぎない俺の意識は、みるみる内にしぼんでいった。

 俺だって、覚悟が足りない訳じゃない。ずっとずっと望んだ首がソコにあるのだ。


 悔しい! 殺したい! なんで!? すぐソコに、死にかけの魔女が居るのに!

 俺をあざ笑うかの様に、魔女の狂った笑い声が聞こえてくる。


「やっと会えたわ。化け物! コッチを見なさい!」

<<<< うるさい! >>>>


 暗闇の世界でも、巨大な魔力と運命の塊であるママの姿だけは、ハッキリ視えた。


 バチンと岩を叩く音。その一振りで巨大な化け猫を挽き肉にしたばかり。魔女に当たれば死体も残らないだろう。


「ヒヒヒッ! コッチ、コッチよ!」


 それでも、魔女は生きていた。ギリギリで躱したのだろう、少し息が切れている。それでいて、『ママ』を挑発し、馬鹿みたいに笑って見せた。


<<<< うるさぃぃぃ >>>>


 そして、『ママ』の様子も変だった。魔女なんて、それこそ『ママ』にとって蚊みたいな存在。なのに『坊や』そっちのけで、魔女に気を取られている。明らかに尋常ではなかった。

 きっと『更新権』を使って注意を引いているのだ。

 プラヴァスで一度体験したが、アレは無視しようとしても出来るモノじゃない。


<<<< 早く、潰れなさい! >>>>

「ヒヒッ、当たらないわ」


 ママは苛立って魔力をまき散らしている。そうしてまき散らされた濃厚な魔力は『ママ』自身の視界すらも鈍らせる。


 思うように蚊を潰せず、見失って、苛立っている状態。

 それが今の『ママ』だ。


 そんな時、人間ならば耳を澄ませ、目だけでなく音も頼りに蚊を探す。

 星獣の場合はどうか?


<<<< ソコかぁぁ >>>>


 巨大な瞳がギョロギョロと。

 暗闇の中、輝き、浮かぶ。


 星獣の瞳は、普段ならマグマの中で決して開かれる事がない。慣れない器官も総動員し、それでも『ママ』は魔女を探した。


 そして魔女だって、もう逃げようとしなかった!


 開かれた星獣の瞳は、人間と同じ大きさ。

 なのに、立ち塞がって、一歩も引かない。


「やっと、コッチを見たわね!」


 その言葉にゾッとした。

 そうだ、目を合わせるのが洗脳の条件。魔女の魔力が、『ママ』と同調していく。


「これで、これでぇー! 全部、終わる!」


 魔女が歓喜に笑う中、俺の体に奇妙な変化が訪れていた。無限に湧き出る食欲が、ピタリと収まったのだ

 治らないゾンビ化が治った? そうだ、俺は凶化している。喰った生き物の性質を吸収出来るのだ。


 そう言えば、食べた化け猫はゾンビウイルスを持ちながら正気を保っていた。

 俺の凶化が、ついに化け猫を取り込んだのだ。


 コレで! 動ける、殺せる! 今なら間に合う!


 なのにまだ『坊や』の意識が俺の体を支配して、魔女の凶行をぼんやりと見つめる事しか出来ない。


「ヒヒヒッ! コイツで、全部、壊してやる」


 魔女は楽しそうに笑っている。それはそうだろう、俺を使って星獣をおびき寄せ、『更新権』で操る。それこそが魔女の、黒峰の本当の目的なのだから。


「上手く行った、最後の最後で! やっと! やっと……」


 魔女は勝ち誇り、高らかに笑う。この世の春とばかり、口の端を吊り上げる。


 そして、糸が切れたみたいに、ぱたりと倒れた。


「あ、グッ、うぎ!」


 そうだよな、人間がこんな化け物の意識を乗っ取れるハズがないんだよ。

 現に俺の意識は星獣の赤ちゃんである『坊や』にすらも押し負けている。


 暗闇に、魔女の悲鳴が木霊する。


「何で? 痛いぃ! 頭が!」


 魔女がのたうつ声が聞こえ、その魔力が、徐々に『ママ』と同化してゆく。

 『ママ』の意識を乗っ取るどころか、『ママ』の意識に魔女が上書きされている。


<<< 何? なんなのぉぉ? >>>


 そして、ココに来て、ママの混乱は極限に達したようだ。

 混乱した魔力が嵐みたいに吹き荒ぶ。


 魔力視を頼りにするママにしてみれば、潰そうとした蚊が自分の姿に変身した様なモノ。

 そりゃあ不気味に違いない。


<<< まさか! >>>


 その刹那、『ママ』はそれまでの緩慢にも見える動きが嘘の様に、火が付いた勢いで俺の方へと向き直った。

 闇に浮かぶ巨大な両の目が俺を睨む。


<<< 坊やじゃ、ない! >>>


 マズい!

 強烈な殺意が魔力に乗って皮膚へ突き刺さる。


 目で見れば、俺が『坊や』じゃないのは一目瞭然だ。

 自分の魔力をコピーした魔女。そして『坊や』と同じ魔力を放つ俺。


 その二つが、『ママ』の脳内で紐付いてしまった。

 さながら俺達は、星獣になりすまそうとする不気味なモンスター。


 『ママ』から殺意が溢れ出し、害虫みたいに、俺を睨んだ。


「う、え?」


 強烈な殺意にあてられて、『坊や』の意識は吹き飛んだ。母親に殺意を向けられて、冷静で居られる子供は居ない。


<<< よくも! 坊やを >>>


 ひょっとして、俺が『坊や』を殺して乗っ取ったとでも思っているのだろうか?

 残念ながら殺したのは『ママ』だ。


 『坊や』は、今、死んだのだから。


「フフッ……」


 余りにも悲しく、滑稽で……思わず笑ってしまった。

 化け猫の魔石を舌先で転がしながら、俺はゆっくりと立ち上がる。


<<< お前は、誰だぁぁぁぁ? >>>

「俺か? 俺はな……」


 ガリッと魔石を噛み潰す。


『高橋敬一、どこにでも居る普通の男子中学生で、お姫様だよ』

<<< 何!? >>>


 日本語で言っても通じないよな。だからわざわざ魔力波で翻訳してやった。


<<< 男子学生で、天才魔法使いで、薬草を摘む少年で、愛される少女で、宿屋の息子で、悲劇の姫で、吸血鬼で、砂漠の歌姫で、坊やで……>>>

<<< 潰れなさい >>>


 話を聞かない『ママ』が手を振りかざす。


<<< そして、『セレナあの子』のお姉ちゃん >>

「『我、望む、大気に潜む燃焼と呼吸を助けるものよ、寄り合わさりて、強き炎を生み出せん』」


 俺は気が付いていた。


 『ママ』の健康値は、何故か俺の魔力を阻害しない。

 だから唱えていた。魔力波を送りながらも一つの魔法を。

 種火の魔法改め、耐火レンガも溶かす、セレナのレーザー。


<<< 熱いぃ! >>>


 効いた! 一点集中のレーザーが、『ママ』の体表を僅かに焼いた。


<<< よくもぉ! >>>


 『ママ』の苛立ちはピークに達し、巨大な目がギラギラと俺を睨んでくる。

 魔女じゃないが、俺もこの時を待っていた。


 目を瞑り、もう一つの魔法を解き放つ。


「『我、望む、この手より放たれたる強き光の奔流よ』」


 強烈な光が『ママ』の瞳に刺さり、暗黒の洞窟が一転、まばゆい光に包まれる。


<<< 眩しッ! 痛ぃ! >>>


 そりゃ、普段使わない目に、強烈な光を叩き込んだらこうなる。

 『ママ』は暴れ、洞窟がグラグラと揺れ始めた。巨大な星獣が暴れ始めたら、こんな坑道は瞬く間に崩れてしまうだろう。


「ヤベェ! ズラかるぞ!」


 田中の叫びが聞こえる。

 だがな、アイツを放置して逃げられる訳ないだろう!


 真昼のように明るくなった洞窟内、鼻血を出し、ダラダラと汗を流しながら、それでも魔女は生きていた。殺意が、脳を、満たしていく。


「死ねぇぇ!!」


 叫んで跳ぶ。たったの一歩で俺の体は宙に跳び上がる。


 『坊や』を吸収した俺の体は、慮外の力を秘めていた。


 あわや天井にぶつかる直前、体を丸めて反転し、今度は蹴飛ばしてミサイルみたいに魔女へと迫る。

 ザクリと地面にめり込む俺の両腕、魔女は転がり躱してみせた。


「化け物め!」


 どっちがだ! 今すぐ殺してやると目を向けた瞬間、巨大な横槍が入った。


<<< 死になさい! >>>


 『ママ』だ。


 慌てて飛び退くと、直前まで居た場所に、電車みたいな図太い腕が突き刺さる。

 それを見た魔女が吠えた。


「そうよ! 殺りなさい!」

<<< 死ねぇぇぇ! >>>


 二本の前脚が、俺を狙ってメチャクチャに振り下ろされる。それを横っ飛びに躱し、壁を蹴り、ゴロゴロと転がって何とか躱した。


「やった! そうよ! 殺りなさい!」


 魔女は喜ぶが、決して洗脳に成功した訳じゃない。

 ただの『偶然』だ。


 『ママ』は俺の魔法に反応している。俺は慌てて明かりの魔法を解除する。当然、洞窟は再び暗闇に包まれた。魔力視も運命光すら役に立たない真の暗闇に。


<<< ドコ! 出て来なさい! >>>


 だから、『ママ』も俺の姿を見失う。

 そんな中で魔女の真っ赤な義眼だけが俺を捕らえていた。ライフルを構え、トリガーを引く。


「死になさい!」


 そんな殺意の籠もった囁きまで、俺には全てが聞こえていた。


 そうだ、聞こえている。


 極限状態で研ぎ澄まされた聴覚が、俺に全てを教えてくれた。


 ――パァン!


 放たれたライフルを伏せて躱すと、獣みたいに四つ足で駆けた。十メートル近い距離が一瞬で縮まり、俺は前足で魔女を押し倒す。


「え?」


 馬乗りのマウントポジション。

 何が起こったか理解出来ない魔女の顔。その喉笛に、噛み付いた。


「ぐぇ!」


 一気に噛み千切ると、口内に血の味が広がる。潰れた蛙みたいな悲鳴をあげて、魔女が、死んだ。


 ……アレだけ殺したかったのに、最後はアッサリしたモノだ。でも、油断はしない。

 絶対に復活など出来ない様に細切れにしてやる!


<<< ああああぁ! >>>


 その必要はなくなった。

 チリリと痛む首筋に予感を覚え、俺は地を蹴って宙に跳ぶ。

 それまで俺が居た眼下で、グチャリと肉が潰れる音。


 巨大な顎が俺達が居た場所を根こそぎ噛み砕いていた。ミンチより酷い。


<<< 潰れなさい! >>>


 『ママ』はこれまで、上半身だけを穴からひょっこりと出していた。


 それが、いよいよ這い出してくる。


 恐ろしい程の巨体に違いない。

 だけど、真っ暗で何も見えない。

 なのに、音だけで、とてつもない巨体であると解ってしまう。


 これは、どうにもならない。

 まるで質量の化身だ。

 体中から汗が噴き出す。ソレだけのプレッシャーを暗闇から放っている。


 もう十分だ。宿敵はミンチになった。

 そして、一刻の猶予も無い。


 逃げる! でもどうやって? 辺りは暗闇で閉ざされている。


 ……仕方ない。


 静かに静かに。

 呪文もナシに、参照権で回路を呼び出し、魔力を流す。

 出来上がったのは強烈な光を放つ光球だ。


<<< 邪魔ぁ! >>>


 当然、『ママ』に見つかって、ブンブンと両腕が振り回された。


 突風が体を揺らす。


 まるで電車が目の前を通過したような、強烈な質量のプレッシャー。


 当たれば即死。光球だって、即座に掻き消されるだろう。

 慌てて自分の傍から光球を離し、必死にコントロール。


 フラフラと誘う光球を巨大な陰が執拗に狙う。

 ブンブンと振り回される質量は、死を予感させるに十分だ。


 誘うように、それでいて不規則に、俺が操る光球が、いよいよ天井に辿り着く。

 巨大な星獣に遮られる事無く、ようやく空間全体が照らし出される。

 全容が、姿を現す!


 デカい!

 浮かび上がるのは想像以上に大きい、『ママ』の姿。


 龍? 違う!

 ゴツゴツした岩の肌を持つ不気味で巨大な爬虫類!!


「逃げて!」


 叫ぶと同時、跳んだ。

 俺に目掛けて『ママ』の両腕が振り下ろされたから。


 脚力だけで跳び上がった俺は、天井に掴まる。

 光源のそば、眩しくて、星獣は俺の姿を一瞬見失った。


「早く!」


 再び、叫ぶ。

 案の定、田中も木村もシャリアちゃんも、誰も逃げてはいなかったからだ。


「置いて行けるかよ!」

「スグに、行くから!」


 田中の叫びに応えながらも、再び天井を蹴飛ばし今度は壁へと着地する。力任せの移動だが、魔法を使った立体機動の経験が活きていた。

 飛び跳ねる俺の背後で、岩石が爆ぜる音が連続する。光の魔法を使った事で『ママ』に狙われているのだ。

 壁を歩き、跳ね、四つ足で駆ける。その時、背後から危険な気配。


<<< 燃えなさい! >>>


 『ママ』が口から放つ熱線。『坊や』の記憶では、いつもコレで泥炭を燃やしていた。


「『我、望む、風よ!』」


 詠唱もそこそこに魔力で無理矢理に風を生むと、軌道が逸れた熱線で岩石が赤熱していく。

 それを横目に、獣みたいにひたすら駆ける。


「早く、来い!」


 田中の叫び。見れば出口で俺を待っていた。抱えているのはマーロゥ。見るからに死に掛けている。

 シャリアちゃんと木村は居ない。脱出済みか。


 そう言えば……もう一人居たよな? チラリと視線を巡らせば、生き残っていた親衛隊の最後の一人がグチャグチャのミンチになっていた。

 ……『ママ』の暴走に巻き込まれたか。


 気を取られたのは一瞬、しかしそれが良くなかった。迫り来るは巨大な肉塊。『ママ』の尻尾だ! その質量は腕以上!

 俺は片足だけで無理矢理に跳ぶ。転がるように着地すると、全身に激しい痛み。

 アドレナリンが冷えてくると、自分の体の状態に気が付いた。魔力を無理矢理膂力に変換するみたいな、メチャクチャな使い方を『坊や』はしていた。


 それで手に入れた力は、幼気な少女に過ぎない俺の体を激しく傷つけていたのだ。

 回復魔法で断裂した筋肉と骨を接ぐ。

 獣の本能からではなく、痛みに喘ぎ、不格好に四つん這いで移動する。


<<< 潰すぅ! >>>

「ぐぅぅ!」


 今度は魔法の力で無理矢理跳ぶ。回復魔法と移動の魔法の並列起動。放った光の魔法もほんの僅か制御しているので脳が滅茶苦茶キツイ。

 ボロ雑巾みたいにゴロゴロと転がった先、無理矢理に引っ張りあげられた。


「やっぱり、死にそうになってるじゃねーか!」

『わりぃ』


 田中だ、マーロゥを抱えながらも空いた手で俺を抱き寄せた。だが、魔法を使っている俺は『ママ』に執拗に狙われている最中。


「やべぇ」


 二人を抱え無理矢理跳んだ田中のお陰で、間一髪ぺしゃんこにならずに済んだ。

 しかし俺は田中の腕から投げ出され、地面に転がり、痛みに呻いて振り返る。


 ぼんやりとする視界の中で、見えたのは田中の後ろ姿、そして『ママ』の前足にとりついたマーロゥだった。


「ヤメロ! 馬鹿が!」

「姫を、頼みます」


 そう言って、マーロゥは『ママ』の前足に両手のファルファリッサを振り下ろす。


<<< 痛いッ! コノッ>>>


 目の前で、『ママ』の大きな顎がマーロゥを噛み砕いた。

 歯の隙間からボタボタと血が流れる。


 足を縫い付けられた『ママ』は、苦しそうに前足を動かすが、ファルファリッサはマーロゥの怨念が宿ったかの様に、中々抜けずに刺さり続けた。


「カッコ付けるじゃねぇか!」


 その隙を見逃さず、田中は俺を抱えて出口へ走る。しかし、このチャンスに追撃も入れないのはらしくない。


『田中ぁ! 刀はどうした?』

「壊された! クソッ! 情けねぇ!」


 出口に到着、坂道を駆け上がる。お姫様らしく抱っこされ、後ろを見ると『ママ』の顎先が洞穴に差し込まれる所だった。


「追って来てる!」

「わーってるよ!」


 縦穴を抜け、最下層前、連絡通路に到着する。だが、背後からは星獣が迫る。

 元々は『ママ』が泥炭を掘り進んで出来たのが、この炭坑だ、通って来れないハズが無い。

 ここで見張りをしてりた副長のグリードや騎士達は既に居ない。脱出済みと見るべきだろう。もう何の心配も無い。エンディングで崩壊するダンジョンから脱出するヤツだ。


 だと言うのに、田中は動かない。何故だ?


「オイ! 道はどっちだ!」


 迷子だった。

 それも、最下層から坑道に出た直後、一巡目から全く道を覚えていない。


「良いから、早く! 参照権で調べやがれ!」

「いや、でもっ!」


 俺も、覚えてない! ってか、行きと帰りで見た目が違うし、魔法の明かりで照らされた洞窟とは全く違って見えるのだ。『参照権』も役に立たない。


「やべぇぞオイ! お前が覚えてるから木村も引き上げちまった」

「ドコでも良いから早く!」


 狭い洞穴をガリガリと削りながら、『ママ』がスグ近くまで迫っていた。


「知らねぇぞ!」


 田中はがむしゃらに走る。そして俺は魔法で周囲を照らす。後ろを振り返れば『参照権』の光景と一致してるかは確認出来る。


「どうだ!?」

「ダメかも!」


 全然、違う! 明らかに迷子! 迷いが生じ、田中の足が止まってしまう。


 ――ガチン!


 その途端、暗闇から這い出した巨大な口が、田中の背中スレスレで噛み合わさるのを確かに見た!


「うぉっ! やべっ」

「走って! 走って!」


 まるで大牙猪ザルギルゴールに追いかけられた時の再現だ。ただし、今度の敵は十倍以上に巨大で、全貌すらも見通せない。


「メチャクチャ追って来てるじゃねーか!」

「し、仕方無いでしょう!」


 魔法の光を切る訳には行かない。でも魔法を使う俺を『ママ』はドコまでも追ってくる。

 しかも、光を付けるデメリットはそれだけじゃ無かった。


「くそ! 邪魔だ!」


 ネズミにまで集られる。足を囓られればゾンビ化して一巻の終わりだ。

 だが、ネズミは光を纏う俺達など無視し、脇目も振らずに何処かへと駆けていく。


 逃げているんだ! 『ママ』の衝撃で崩れる坑道の中から!


「ネズミの先に! 脱出口が!」

「あいよ!」


 田中が走る。足捌きには、もう迷いは無かった。俺は振り落とされない様に、田中の首を抱きしめる。


「オイ! どんな馬鹿力だ! 苦しいって」

「あ、ごめんなさい」


 そうだった、今の俺は星獣の力で腕力が上がっていた。お姫様らしく謝っておく。

 ネズミ達の群れは、とうとう終点に辿り付いていた。押し合いへし合い殺到する小さな穴から、外の空気が流れ込んでいる。

 魔法でネズミを吹っ飛ばし、俺は小さな穴に転がり込む。余りに小さい穴なので、後に続く田中は巨体を窮屈そうに折りたたんで愚痴った。


「操られて、助けられ、刀を斬られ、泥だらけで穴を這いつくばるとはな! 良いところがまるで無ぇ」

「まぁまぁ」


 宥めながらも、俺は魔法で狭い縦穴を拡げる。

 拡げた先から田中が手足を張り出して、数十メートルの長さを瞬く間に駆け上る。

 言いたくないが中々のコンビネーション。


「ぷはぁ!」


 青い空をこんなに美しく思った事はない。

 新鮮な酸素をここまで美味しいと思った事も。


 俺達は遂に明るい地上へと脱出した。


 見回せば、俺達が侵入した井戸からは三百メートルも離れていない場所。

 こんな所があったのか。


「もう地下はこりごりだ、自分が情けねぇ」


 ぼやく田中を引っ張り出して、なんとか励ます。


「でも、次は地上ですから、頑張ってください」

「? 何言ってんだ?」


 きょとんとする田中を無視し、俺は地面の一点を見つめる。そこからバキバキと地割れが広がり、『ママ』が姿を現した。

 意外だったのは、二足歩行で立ち上がった事。太陽の下で見上げる全長は五十メートル以上ある。


「嘘だろオイ!」


 呆然と立ち尽くす田中だが、見せ場が出来たのだから喜ぶべきだろう。


『田中クンの、ちょっと良いトコ見てみたい、ヘイ!』

「ぶっ殺すぞ!」


 マジに怒られた。


 首根っこを掴まれ、田中が再び走る。

 地割れが足元にまで迫っていた。


 結構ヤバかった。思ったのの何倍もギリギリの脱出。


「殴るぞ! マジ!」


 ブチ切れている。

 こう言う時は、何でも許される魔法の言葉。


『許してニャン♪』


 お姫様抱っこの腕の中で、媚びッ媚びに猫のポーズを取る。


「ゲッ!」


 引かれるとは思っていた。

 しかし、田中の引き方は尋常じゃなかった。


「おまえ、耳が……」

「え?」


 慌てて頭を触ると、なんか生えている!


 ふざけた事を言った天罰なのか。俺の頭には……猫耳が生えていた!


 凶化した生物は、食べた生き物の特徴を吸収する事がある。ゾンビ化した俺は、化け猫を馬鹿みたいに貪った。

 田中が倒したグリフォンなど、足まで生えたらしいからこの位はあり得るか?


 そう言えば、途中から薄暗い洞窟でも不自由せず音を聞き分けられるようになっていたし、四つ足で駆け、剥き出しの牙で魔女を噛み殺した。


 『坊や』を吸収した影響かと思ったが違ったらしい。意識を向ければ頭上でピコピコと動く存在をハッキリ感じる。


 なんと元々の耳とは別に、猫耳が生えている!

 何だコレ! 絶対にあり得ない萌えアイテムを頭上に装備!


 いや、どうなんだコレ? エルフの耳に猫耳をプラス。


 ちょっと盛り過ぎと言うか邪道にも程があるのでは?

 俺はドキドキしながら、田中に尋ねる。


「に、似合ってますか?」

「あ、ヒゲまで生えてるじゃん!」

「嘘ッ!」


 それは、萌えない! 慌てて確認するが、髭は生えていなかった。特に毛深くなってる感じもしない。アニメキャラっぽい都合の良い猫耳である。


「騙しましたね?」

『許してニャン♪』


 大の男に言われてみると、血管がブチ切れそうなほどに苛立ったので、俺は『ゆるしてニャン♪』の封印を誓った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、騎士達と合流し、馬やラクダ、装甲車とバイクで俺達は脱出する。足がある騎士だけに限定して本当に良かった。


<<< 坊やァァ! >>>


 ママの咆哮を背後に、ケツに帆を掛け必死に逃げた。

 高い建物の無いこの世界で『ママ』の姿は遠くからも見通せた。一目散に遠ざかると、見失ったのか、俺達を追って来なくなる。


 だけど、『ママ』は一向に地下へ帰る様子を見せない。

 怒りに我を忘れているのだ。

 遙か遠いココまで、殺意が魔力に乗ってビリビリと伝わる。


 逃げ延びた先で、一時の休憩。ご飯を食べ、猫耳を木村に突っ込まれながら、星獣が向かう先を地図で確認し、田中が唸った。


「行くぞ! アイツを斬る!」

「オイオイ、帝国領だろ? 頑張るだけ損だぜ」


 木村の言う事も尤も。帝国から寝返った騎士は周囲で悔しそうに俯くが、王国兵としては当然の意見だ。

 魔女の暴走で、既に多くの兵士が死んでいる。帝国がどうなろうが知ったことではない。


 だが、田中は諦めなかった、止めても一人で飛び出す勢いでまくし立てる。


「ヤツが向かっているのはスールーンの寂れた領都、俺がこの世界で始めて巡り着いた町だ」


 そう言って、予備に持っていた魔獣退治用の巨大過ぎる刀を背負う。


「それに、アイツの仇も取らねぇとな」


 バイクに跨がるその瞳には、マーロゥの最期が焼き付いてみえた。

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