終末世界の創造者2
「なにこれ……」
少女は呆然と呟く。
何物にも動じない超然とした存在を演じていたユマ姫であったが、あまりに予想外なクーリオンの様子には少なからず困惑した。
眉根を寄せる困った様子も大変に可愛らしいのだが、見惚れる余裕は誰にも無かった。それだけ常軌を逸した光景だったのだ。
「人間が、人間を……喰ってやがる!」
しょぼくれた中年が苦々しく呟く。この男はグリダムス。こう見えて帝国一軍の長である。
海千の世間ずれした知将として知られ、規律規範より実利実践を重んじるタイプである。
本来はこのような熱狂と最も縁遠い男であり、豊満な女性が好きなスケベ親父である。
それが、年端もいかぬ少女に従っているのだ。
ユマ姫の恐ろしさたるやと言った所だろうか。
「あ゛、う゛ああア゛!」
いや、しかし、本当に恐ろしいはこの光景であった。
目の前には、実の母親だろう女性に、一心不乱に齧り付く少年の姿があった。
それ以外にも人間の柔らかな部分、頬や胸、太ももなどが囓り取られた死体が並ぶ。クーリオンはまさにこの世の地獄と成り果てていた。
「どうなってやがる……」
歴戦の男でも腰が引ける惨状。そこに真っ先に飛び込んだのは、ユマ姫だった。
「おい! 待て!」
グリダムスは噛み煙草が口から零れるのも構わず、少女を引き留めようと手を伸ばす。
しかし、素肌を曝け出した少女の肩に手を置く瞬間、グリダムスは僅かに逡巡してしまう。
そうして、伸ばした手はあえなく空を切った。
その間にユマ姫は『食事』を続ける少年の背後に立つ。
「ごめんなさい」
そして、持っていた王剣で一突き。少年の頭を貫いた。
パタリと倒れた少年は動かない。
グリダムスは舌打つ。
まるで思春期みたいな初心な躊躇で、少女に汚れ仕事をさせてしまったからだ。
「無茶をするんじゃねぇ、そんなのは俺達でやる」
気の迷いを断ち切る様に、グリダムスは敢えてユマ姫の肩を掴んで下がらせた。
しかし、今度は内心で盛大に舌打つ。
肩の滑らかさ、柔らかさに、心が大きくザワめいたからだ。
ただ、肩に触れただけ。
実のところ、すり鉢での茶番は、部下を生かすために敢えて乗っかっていたつもりでいた。
少女に鼻の下を伸ばす演技のつもりだった自分が、掛け値無しの真実になりつつある。
「気をつけて下さい、動くかも知れません」
だから、そんな少女の気のない言葉に、不思議と苛立ち、声を
「馬鹿言うんじゃねぇ! 頭を割られて動けるかよ! クソッ!」
言ったそばから、大人げなさに恥ずかしくなって頭を掻きむしる。
「いえ、そっちでは無く……」
「ガァァァァァッ」
「ソチラの女性です」
「なっ?」
ソレは、少年に囓られていた母親だ。鼻も、頬肉も、胸も欠損し、腹からは内臓が零れる有様で、それでも立ち上がってグリダムスへ牙を剥く。
「な、何だこりゃ!」
女のあしらいにも慣れたグリダムスでも、食欲で抱きついてくる女を相手にするのは始めての事だった。
齧り付こうとする女性をグリダムスは必死に引き剥がす。しかし、離れない。
「なんて力だ!」
抱きつく女性は欠けた体を引き摺りながら、それでも軍人であるグリダムスの膂力を上回る。
「クソッ!」
しかし、グリダムスも
「ハァハァハァ」
それで女性は動かなくなった。
その様子を見て、ユマ姫が可愛らしい声を出す。
「ゾンビは頭を壊せば動かなくなります」
「ゾンビってのは? アンタ、なんか知ってんのか?」
こびりついた体液を拭きながらグリダムスは尋ねる。余りに意味が解らない、何でも良いから手掛かりが欲しかった。
「さぁ?」
「さぁって……」
「大体、そういうモノです、その体液、危ないですよ。口に入ったりするとアナタも同じになるかも」
「冗談だろ?」
「それに、噛まれれば感染するかも知れません」
「何だそれ、説明してくれ」
激昂するグリダムスを無視して、ユマ姫は背後に向けて号令した。
「総員、戦闘準備!」
「ハッ!」
控えていたユマ姫親衛隊が一糸乱れず整列する。誰もユマ姫に疑問を口にしない。
ユマ姫の暴走を抑止するべき彼らも、もはやユマ姫に逆らう術を持たなかった。
誰もがユマ姫の後ろ姿に見惚れていたからだ。フリフリと揺れるウサギの尻尾から目が離せない。
それは、隊長のゼクトールも同じだ。
「敵はいずこに?」
「間もなく」
ユマ姫が言った通り、バケモノは街中からすぐに姿を現した。
「テムザン将軍の親衛隊。コイツらもかよ」
吐き捨てる様にグリダムスは毒づく。
目の前にはボロボロになり、それでも食欲だけで動く死人に成り果てたエリート達の姿があった。
彼らは武器も持たず、フラフラとコチラに近寄ってくる。
「近寄らせるな! 槍で刺し殺せ! 頭を狙いなさい!」
「ハッ! 総員、聞いたな! 傷ひとつ負うな! 数人掛かりで刺し殺せ!」
「オイ、正気かよ!」
グリダムスは正体不明の相手と部下をぶつける訳にも行かず、抵抗した。
それに対し、不思議そうにユマ姫が尋ねる。
「何か?」
「何って、噛まれたら
「治せません、見た事もない症例ですから」
あっけらかんと姫は言い放つ。
「なっんだと!?」
「ですから、罹って正気を失ったなら……私が殺して差し上げます」
「はっ? オイッ! ふざけんじゃねぇ」
「嫌ですか?」
「…………」
嫌と即座に言えない自分に、グリダムスは驚愕した。
「ちっくしょう! やるぞ! おまえら!」
ヤケクソにグリダムスは部下達にハッパを掛ける。
「銃だ! 距離を取って攻撃しろ! 頭を狙え!」
「槍だ! 絶対に近寄らせるな!」
そうして、地獄での戦闘が始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「クソが、胸くそワリぃ」
戦闘は程なく終了した。
多少は力が強くても、武器も持たない狂人では、訓練した兵の連携に敵うはずもなかった。
しかし、どんなに怪我を負っても動き続ける亡者の姿は兵達の心に少なく無い衝撃を与えていた。
「…………」
グリダムスはじっと腕を見る。突出した際、横道から突如現れた犬に腕を噛まれてしまったからだ。その犬も、当然、亡者と化していた。
言うべきか? 隠すべきか? こんな所で死にたくはない。
と、その時、目の前を少女が歩む。耳と尻尾がフリフリと揺れていた。
「おい嬢ちゃん。噛まれちまったんだが、アンタは俺を殺すのかよ?」
咄嗟に、そう言っていた。
自分でも酷く不思議だった。無残に殺されるかも知れないと言うのに。
グリダムスに自覚は無いが、気になる少女を困らせてみたいと言う、思春期の少年みたいな感情に支配されての行動だった。
「それで……」
いつの間に近づいた少女が問う。
「アナタは死にたいのですか?」
ニッコリと微笑む。その美しさに気後れし、それでも答えた。
「いや、俺は生きてぇ」
「そうですか、では……」
少女が呪文を唱え、傷ついた患部に手をかざす。
「オイ、マジかよ」
それだけで、みるみる傷が塞がった。
「ええ、あなたは
「本当、かよ……」
奇跡を見せられて託宣の如く言われれば、グリダムスは縋る様に信じてしまう。
いや、信じたいと思ってしまった。
くたびれたオッサンが、無惨な現実ばかりを見てきた中年が、神に対して感謝する。
それがどれだけ凄い事か、ユマ姫に自覚は無い。
「噛まれただけでは感染しないと言う事でしょうか……」
一方で、目を瞑り物思いに耽る少女は、暗闇の中に見覚えのある光を発見する。
「良かった……コレで晴らせる」
誰もが見惚れる笑顔で、少女も神に感謝した。
不幸ばかりの少女が、神に感謝する。
それこそが、最も
「彼らの無念を」
そう言って、母パルメのカツラを取り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「何故じゃ、何故こんな事に……」
テムザンは小さな物置の中に逃げ込んでいた。
「突然、バケモノになるなど……アレが魔女の力なのか?」
食事を終えてしばらくした後、突然に兵達が苦しみだした。毒を疑い安静を命じたが、彼らは目を覚ますと同時に
獣の様に
見た事も無い悪夢……いや。
「魔力の崩壊か……」
大森林に攻め入っては大損害を出し続けた帝国故に、テムザンには知見があった。
人間が魔力が濃い場所に行くと、体調を崩す。腹を壊したり、集中力を欠いたり様々だが、その症状のひとつが異常食欲だった。
テムザンも若い頃、食欲に我を忘れた同僚を見た事がある。
「食事に何か混ぜられた? いや、霧か?」
食事の前に、この地方では珍しい霧が立ちこめていた。アレはひょっとして
「今更か……」
部下も死に絶え、生き残る術が無い。
「しかし、ココで生き残れば……」
却って良かったかも知れない。無惨な敗戦の顛末を知る者は誰も居なくなった。
ユマ姫に怯えた末に、魔女の罠に嵌まった事はテムザンの不覚である。
まだテムザンの知名度を使えば巻き返せる。まずは魔女を討伐し、その首で王国と一時的に和平を結ぶ。
その立役者になれるのは自分だけなのだと、テムザンは自らに活を入れた。
その時、小さな扉が開かれ、物置に強烈な光が差し込んだ。
「生きていましたか、テムザン将軍」
「お主は!」
輝く金髪のカツラに、彼女しか乗る事が出来ない輝く毛艶の白馬。見事に着こなした帝国の軍服が、逆光の中でも優美に輝く。
使者として見送った、あの日のままの姿であった。
「ミニエール! 生きていたのか」
「勿論です、仇を討つまでは地獄には行けません」
勇壮な物言いもそのままに、颯爽とコチラに手を伸ばす。
「おおっ」
テムザンは伸ばされた手を取る。逆光で顔が見えないが、まさしくミニエールの声、姿であった。
その手にはロアンヌ地方独特の、シンプルな鉄の槍。
「そうだ、一緒に討とうではないか! しかし敵は多いぞ、まずは魔女、そしてユマ姫」
「その前に、ひとり」
「なに? 誰じゃ?」
ミニエールは首を傾げるテムザンを左手一本で引き上げる。
そして、右手には鉄の槍。
「あなただ、テムザン」
「ガッ!」
鉄の槍がテムザンの胴体を貫く。
目の前に迫ったその顔は、果たしてミニエールのモノでは無かった。
「ユマ姫! どうして!」
ユマ姫は帝国の軍服に身を包み、ロアンヌの槍を持っていた。
「オマエはアイツらの仇だろう?」
その為だけに着替えてきた。光の位置を調整し、魔法で空気を震わせ、声まで偽装した。追い詰められた老人が相手、それらはユマ姫が期待した以上に上手くハマった。
貫かれたテムザンが良く見れば、その槍はまさしくタリオン伯が愛用していたモノだった。
「ゴホッ!」
盛大に血を吐く。年老いたテムザンに、腹を貫く槍傷は間違い無く致命傷。しかし、それでも諦めず生き足掻く。
「お主は怪我を治せるそうだな!」
「だから、何です?」
「治せ! 教えてやろうではないか! 今起こってる現象を!」
「ええ、教えて貰いましょう」
「ならば!」
「アナタの、体に!」
「なに!?」
テムザンは勘違いをしていた。ユマ姫は既に回復魔法を使っているのだ。
槍で、腹を、貫きながら!
そして、同時にテムザンの体内の魔石を砕いた。
「ぐ、が、げああああ」
テムザンの体が跳ねる、痛みと苦しみ、それ以上の食欲に。
「喰わせろぉぉ」
ましてや、目の前には極上の肉がある。柔らかな肉のウサギが踊っている。
ユマ姫は既に軍服を脱ぎ捨てて、挑発的に目の前でくるりと回って見せた。
「やっぱり、魔力を奪ってから、魔石を砕く。すると魔力が欠乏して、食欲が暴走するのですね」
ユマ姫はその身をもって、魔力のバランスが崩れると異様なまでに食欲が増す事を知っていた。
魔力過多の幼少期は常に肉を求め、魔力不足の王国ではお菓子を食べ漁った。
良く考えれば、それらは余りに不自然。一度なら兎も角、回数が多すぎる。全ては食欲に支配された行動だった。
全ては魔力の体内バランスが崩れたのが原因だ。
元々、魔獣やエルフはエネルギーの一部を魔力に依存している。
人間は魔力が無くても動けるが、それでも魔力を利用する事で地球よりも少ない食料で生きているのだ。
だが、魔力を奪われた上で、体内の魔力結晶すら砕かれればそうも行かない。
まずは霧で魔力を奪って、食事に魔石でも混ぜれば、急な魔力の緩急に体調を崩し、下手をすれば魔石が破壊される。
そうなれば、魔力が溜めておけず、ひたすらに食事と魔力を求め、人間はゾンビと化す。
「でも、何が狙いなのかしら。戦力にするなら麻薬でドーピングした方が強いのに。どう思います?」
「がああぁぁぁぁ」
ユマ姫が尋ねても、既に正気を失ったテムザンは答えない。
腹を貫かれても、ゾンビ化すると中々死ねない事は確認済みだ。
「じゃあ、そこでゆっくり腐っていってね♪」
「ぐがぁぁぁ」
槍で地面に縫い付けられたテムザン。槍の石突にユマ姫が引っ掛けたのはマークスの兜だった。
「ごゆっくり」
そう言って、ユマ姫は物置の扉を閉めた。
そうして小さな暗い物置が、帝国の大将軍テムザン最期の場所となる。
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