終末世界の創造者

 スイングドアの扉が並び、オープンテラスを備えた店舗が軒を連ねる。街路は複数の馬車がすれ違える程に大きく、空気はカラリと乾いている。

 西部劇を思わせる街並みの中、役場の前の広場では女性と子供達ばかりが寄り添う様に集まっていた。


 ここは、テムザン将軍が逃げ込んだ街、クーリオン。


 帝国側で国境に最も近い街であり、スフィールへ至る小さな宿場町でもある。

 王国との戦争とあらば、物資の供給地点としてクーリオンはちょっとした好景気に沸く。


 今回もそうだった。


 だけど、国境に近いのは良い事ばかりではない。

 勝っている時は良いけれど、負け戦となれば略奪に遭う恐れもある。街の人々だってそれは覚悟の上。いざとなれば皆で戦うのだと教え込まされ育つのだ。


 でも、それだって昔の話。ここ百年クーリオンが攻め込まれる事は一度も無かった。

 騎士達がゼスリード平原で鎬を削り、その結果で身代金やら賠償金が出たり入ったりして、それで終わり。そんな平和な戦争がここ百年続いていた。


 去年の戦争だけは規模も大きく、悪魔を見たと震えあがる兵隊が何人も逃げ込んで、街はパニックに陥ったが、それでも戦争としては負け戦ではなかったらしい。攻め込まれる事は終ぞなかった。


 そんなクーリオンに今、百年ぶりの凶事が起ころうとしていた。敵が目前まで迫って居ると言うのだ。

 なんと帝国は万の軍勢を一方的に虐殺されて、逃げ出したテムザン将軍はクーリオンのそばに陣取り、反撃の機会を窺っているとか。


 ……少なくとも、街の人々はそう聞いていた。


 全ては魔女の裏切りが原因。大将軍の言葉とあっては、疑う者は誰も居ない。

 男達は槍を手に立ち上がり、女達は何も言わずに中央へ逃げ出す準備を始めた。

 逃げると言ってもどうやって? この時代、それはもちろん乗合馬車となる。


 ここは街の中央に位置する役場の前。

 集まった女や子供達は迫り来る凶事を前にして、手配した馬車を今か今かと待っていた。


 そして、正真正銘の凶事が始まるのは、今、この時。

 この場所で、だった。


「がああああ゛あ゛あ゛あ゛」


 まだ幼い少年が突然、実の母親に齧り付いたのだ。

 いたずらや癇癪では決してない。その証拠に少年はそのまま母親の首筋を、


「きゃあぁぁぁぁぁ!」


 狂乱はあっという間に広がった。

 他の者まで次々と人間に齧り付いたからだ。


「な、何だコレは……」


 呟いたのはテムザン将軍直属の騎士。

 村人の護衛に駆り出され、退屈な仕事と思いながらも決して油断してはいなかった。

 だが警戒していたのは敵兵だ、守るべき市民が暴れ出すとは夢想だにしていない。

 まさに地獄絵図。我が目を疑う光景に、歴戦の猛者と言えども数瞬、呆然としてしまったのは責められぬ事だろう。

 だが、その瞬間を見逃さない生き物がいた。


 ――ガルルルル!


 犬だ、引退した狩人の狩猟犬。

 既にペット同然で野生を忘れかけていた犬が、狂った様に飛び掛かり、一瞬の内に騎士の首筋を噛み砕いたのだ。


「ぐがっ」


 血を吐き、倒れる。伸ばした手は剣を掴む間も無くだらんと垂れた。


 この騎士は、あの、すり鉢状の帝国陣地から命からがら逃げ出した騎士の一人。実力以上に、人一倍運が良い事で鳴らした男だった。

 現に迫撃砲と狂戦士が暴れ回り、ユマ姫が踊る地獄同然の戦場。生き延びてテムザン将軍と脱出してみせたのだから、流石の剛運と言うべきだろう。


 だが、抜け出した先には、更なる地獄が待っていたのだから、さしもの剛運もネタ切れとなるのは無理もない。


 這々の体で逃げ帰った騎士達を温かく迎えてくれた活気溢れる街。

 その街が、あっという間に人肉を貪るバケモノ達の巣窟と化していた。


 もし、地球の現代人がこの光景を見たらこう言うだろう。


 まるでゾンビ映画みたいだね……と。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「敵はクーリオンにあり!」


 鈴を転がす可愛らしい声ながら、少女の言葉は勇ましい。

 拡声器で響いた声を聴くだけで、士官も農兵も区別無く色めき立ち、熱に浮かされ声のする方を目指し駆けていく。


 少女の姿が目で見える場所は、より顕著だ。

 白馬に乗った麗しき少女は、しかし、目を疑う程に破廉恥な姿を晒していた。

 扇情的な網タイツに、股間に食い込むハイレグ、隠す気の無い滑らかな肩、どれもが脳を揺さぶる程に過激である。


 なにより凄いのが、丸ごと曝け出された背中だ。鞭の傷跡が痛々しく、後ろに続く兵達の視線を釘付けにして同情心と嗜虐心を煽った。

 それでいて、見た事も無い構造の少女の靴は、鋭く尖った踵に踏まれてみたいと被虐心まで煽るのだ。


 少女は叫ぶ。


「我に続け! 我は神の代弁者なり!」


 ユマ姫だった。


 白のバニースーツは兵士のまともな思考能力を根こそぎ奪ってしまった。

 万を超える兵達がテムザン将軍の首を求めて駆けていく。


 そもそもが、素肌を晒すのが破廉恥と言われる世界である。暑さが厳しいプラヴァス以外では、首元や手首ですら隠すのが貴婦人の嗜み。


 だからこそ、フォーマルな襟や袖口は貞淑の象徴であった。


 なのに、バニースーツはその襟と袖口だけを挑発的に素肌にぶら下げて、腕や背中、この世界でエロスの象徴たる肩すらも丸出し。

 意味不明なギャップは、この世界でより強烈に作用した。

 ピンヒールや網タイツ、うさぎの付け耳に至っては、そもそもファッションとして存在すらしていない。


 どれもが滅茶苦茶なのに、不思議と破綻していない。

 地球で完成をみた呪物フェティッシュが、突然異世界に持ち込まれてしまった。



 それだけではない。

 エルフ特有の長い耳に大きな瞳、華奢な体に鞭の傷跡。

 更には見た事も無い大剣を振り回し、人を両断して、返り血に染まったままに微笑んでみせる白馬に乗ったお姫様。


 ココまで来ると、刺激に満ちた地球でもお目にかかれない。

 映画もない世界とあらば尚更である。


 訳が解らない程に強烈な刺激を突きつけられた上で『我は神の使い也』と言われれば、持て余した感情に逆らう術を持つ者は居なかった。


 今だってそうだ、白馬に乗った白バニーガール姿の銀髪の少女が、透き通る様な大剣を掲げ、軍の先頭を駆けている。

 フィクションでも外連味けれんみが過ぎる光景を目にすれば、夢とうつつの判断がつかなくなるのも当然である。


 しかし、こんな熱に浮かされたような行軍は危険だ。

 当然、司令官であるオーズド伯は止めようとした。


 いや、今もしている。

 なれど、オーズド伯がいくら叫んでも誰も止まらない。軍全体が狂った獣に成り果てていた。


 移動司令部となっている装甲車の中で声を張るオーズドを横目に、シノニムが訴える。


「止められないのですか? キィムラ様」

「そう言われましても……」

「こんな専横を許しては、姫様は本格的に王国で居場所を失います」

「……その事なんですが」


 木村はポリポリと頭を掻いて、説明する。……手遅れだ、と。

 当然、シノニムは食って掛かった。


「手遅れとはどう言う意味ですか? キィムラ子爵!」

「そもそもが、ユマ姫はやろうと思えば一人で敵の大将首を取って帰る実力がある。その事はご存知ですね?」

「……はい」


 シノニムは昨年の戦にも参加して、雷に打たれたユマ姫を看病している。

 では、何故ユマ姫は雷に打たれたか? 空を飛んで、魔法の矢を撃っていたからだ。天気にさえ気をつければ無敵の戦法と言える。


「しかし、無敵であるが故に、王国貴族も明日は我が身と冷静では居られなくなった」

「その通りです!」


 シノニムは力強く頷く。

 ユマ姫が王国に来てからと言うもの、貴族の変死が相次いでいる。例えばユマ姫を嘘発見器に掛けたルワンズ伯だ。


 ルワンズ伯は、パーティーの最中に見せしめの如く撃ち殺された。

 勿論犯人はユマ姫だ。しかし、氷の矢を使った完全犯罪。疑えど、証拠など何も無い。

 しかし、魔法の矢の存在が明るみに出るにつれ、誰もが犯人に気が付いてしまった。

 それでも、圧倒的な人気を誇るユマ姫に、表立って文句が言えないだけなのだ。


「まして、司令官の首だけ刈り取る戦法は、戦争の止め時を失わせる。人間同士を潰し合わせるつもりなのだと不信感が強くなる。それがユマ姫を戦争に参加させない理由でした」

「ですから! 軍の先頭を駆けるなど!」

「しかし、手遅れなんですよ」

「どうして……?」

「アレだけの兵を操ってみせたからです。オーズド伯の声すら届かぬ程にね」

「うっ!」


 魅力のみで幾千の兵を寝返らせる存在など、危険にも程がある。

 まして敵だけでは無く、味方さえも冷静さを失い、叫び続けるオーズド伯を無視している。


「しかし、姫がそうしなければ、我々は捕虜の兵士を虐殺する必要があった。私には、そして、恐らくはオーズド伯にもその覚悟が無く、結局はユマ姫がもたらす奇跡に縋ってしまった。その時点で何も言う資格がありません」

「…………」


 シノニムはやるせなさに膝を握って俯いた。

 思い詰めた侍女の肩を叩いて、木村は励ます。


「こうなったら、行く所まで行くしかありません。私の優柔不断が原因ですから、必死でフォローしますよ」

「ですが……」


 シノニムは不安げに外を見る。熱に浮かされた軍勢は一体ドコへ向かうと言うのか?

 このまま皆、世界の果てまで死の行軍を続けそうな予感に、不安ばかりが胸を締め付ける。


「安心して下さい、クーリオンは先行した田中が探っていますから」


 木村がそう励ました途端、コンコンと外から装甲車のドアを叩く音。


「オイ、ヤベぇぞ?」

「田中? なんでココに居んの?」


 いつの間に、窓の外にはバイクで併走する田中が居た。


「ンな事より、ヤベェ」

「何がよ?」

「クーリオン、ゾンビだらけになってっぞ!」

「マジかよ……」


 必死でフォローすると言った事、木村は早くも後悔していた。

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