アポカプリンセス2
帝国陣地に設えられた馬房の中、死んでしまった
「よしよし、お前も一人なのか? ワシもだ」
たてがみをかき混ぜ、悲哀の籠もった声で干し草を与える老人の体格は骨太で、とても一介の馬丁には見えない。
タリオン伯だった。
老騎士はあの日、嫌な予感を訴えるユマ姫の願いもあって事態が急変する直前、すり鉢の外へと警備に出ていた。
全軍の収集が掛けられる中、許されぬ専横であったが、テムザン将軍にも煙たがられる頑固な老騎士故に許された。
しかし、老騎士が王国軍の動きを察知するのと、すり鉢から爆音が響いたのはほぼ同時。慌てて戻ろうにも戻れぬタイミングで、タリオン伯は混乱のまま捕虜の身となってしまう。
「結局、この老いぼれだけが生き残ってしもうた」
そうして、タリオン伯は目に入れても痛くない愛娘だけでなく、虎の子の騎士団までこの戦場で失う事となった。
しかし、胸を締め付けるのは彼らを思っての無念ではない。
娘のミニエールは魔女の罠を潰すために自害し、マークス以下、ロアンヌの騎士達は最期までユマ姫を守り抜いた。
だのに、自分はどうだ?
「ヒヒィィィーン」
一匹の白馬が、老兵を慰める様に嘶く。
「おお、サファイア。お前が居たか!」
それは死んだミニエールの愛馬にして、今はユマ姫の愛馬となった、ロアンヌでも名の知れた血統の駿馬であった。
手塩に掛けたこの白馬が、地獄となったすり鉢からユマ姫を救い出したと言うのだから、老騎士としても鼻が高い。
「そうだな、ワシにもやらねばならぬ仕事があるか」
タリオンはユマ姫が破廉恥な格好を披露したあの日、捕虜としてすり鉢に居た。
なのに、呆然と見ている事しか出来なかった。
ミニエールに代わり、実の娘同様に案じていたユマ姫、それがあられも無い姿を晒していたのだ。平時なら殴ってでも止めるのがタリオン伯である。
しかし、突飛に見えるユマ姫の意図をタリオン伯は察してしまう。暴発寸前の兵達が、あっという間に別の熱狂に飲まれていったからだ。
見事、と言うしかないだろう。白馬の背中を叩き、タリオン伯は呟く。
「しかし、止めねばな」
ユマ姫は、今もあの破廉恥な格好で陣内をウロついている。
人の耳目を集め、巧みに兵の心情をコントロールしているのだ。
しかし、そんな身を切る献身は、まだ幼く見えるユマ姫にやらせるべきでは決して無い。まして、兵を諫めるのは本来ならば自分の様な老兵の仕事と言う自負がタリオン伯にはあった。
「ヨシッ! やるぞ!」
失意の中、すっかり牙が抜け、覇気を失っていた自分を叱咤する。
その時、決意を新たにした老兵へ思いがけず声がかけられた。
「何をやるのです?」
「ユマ姫!」
正に、意中のユマ姫だった。いまだにあの破廉恥な衣装を着ている。
薄暗く、人気の無い馬房の中。幼いながらに匂い立つ色香を放つ体に、伸びそうになる鼻の下を必死に抑える。
それほどに人心をかき乱す姿だが、今日のタリオン伯はユマ姫がもたらす狂乱に耐えてみせた。
タリオン伯はこれ幸いと、キツイ説教と力尽くをもってして、破廉恥な格好をやめさせる事を決意する。人目の少ないこの馬房は、これ以上ない舞台に思えた。
なのに、そのタリオン伯を必死に止めるモノが居た。
「ブルルルゥゥゥ!」
自慢の白馬、サファイアだった。
それがタリオン伯の襟を噛み付き、背後から必死に邪魔をする。何事と振り返った老騎士は、白馬の様子に眉を顰めた。
「ブルルゥゥ……」
怯えているのだ。
名馬の産地の主として、長年に渡り馬と寄り添ってきたタリオン伯だけに、白馬の心情は手に取る様に解った。
気が強く、ミニエール以外の何者も乗せる事が無かった白馬。それがユマ姫だけは背に乗せる事から、彼女もまた清廉潔白な人物なのだと思い込んでいた。
しかし、それがユマ姫が図抜けて恐ろしい存在だからだとしたら、どうだ?
タリオン伯がその可能性に思い至ったとき、背後からの声は全く違って聞こえてしまう。
「どうしました?」
澄んだ声だ、ずっと聞いていたい程。
そして脳を揺さぶる程に妖艶な姿は、この世ならざるほどに美しい。
よくよく考えれば、孫の様な年齢の少女である。なのに、半ば本気で入れあげている自分を自覚して、今更に違和感が勝った。
「お、オマエは……」
何者だ!
その言葉をすんでの所で飲み込んだ。
そんな事は知れている。
ユマ姫だ。
なのに、その当たり前が信じられなくなっていた。
「ひょっとして……」
一方で、可愛らしく小首を傾げるユマ姫。
そこに動揺は見られない。
「私を恨んでらっしゃるのでしょうか? ロアンヌの騎士は私を守る為に死んでしまったのですから」
「いや……」
そんな事は無い。
むしろ立派に戦ったのだと誇りに思い、羨ましかった程だ。
……つい、先程までは!
「良いのですよ。恨んでいても」
「違う、違うのだ!」
「でも、私は死んであげる訳には行きません。祖国の為に果たさねばならぬ事があるのです」
立派な言葉だ。
なれど、祖国の為と言う言葉。含まれる響きが違うのだ。
誰よりも、祖国の為に戦ってきたタリオン伯だから感じる違和感。
「アナタは……」
「ヒッ」
気が付けば、胸元に見下ろす場所にユマ姫は立っていた。
タリオン伯は騎士としては特別大きくはないが、それでも170cm程はある。
なのに、150cm弱のユマ姫に見上げられ、恐ろしさに腰が引けていた。
タリオン伯は、三日月の様に釣り上がったユマ姫の口元から目が離せない。
可愛らしい唇がほころび、呪いの言葉が紡がれる。
「私を殺したいのですか? それとも……
……私に殺されたいのですか?」
意味が解らない二択だった。
意味が解らないハズの二択だった。
息子同然の騎士達が守ったユマ姫だ。まさか殺したいハズが無い。
まして、殺されたいハズはもっと無い。
しかし、怖いと思ってしまった。
もう、同じように守れる自信が無い。
捕虜として、ただ従えるほど愚かにもなれない。
どうして良いか解らないまま、見下ろすユマ姫の瞳に、鎖骨に、脇に、首筋に、目線が彷徨い。
どうしようも無く惹きつけられて行く。
知りたく無かった。
守るべきモノが、守ってきたモノが……
ハッキリ悪魔なのだと解ってしまった。
「殺して、くれ……」
だからなのか。
意味不明だったはずの二択、その中でも、何よりあり得ないハズの選択肢。
なのにタリオン伯は選んでしまう。
「そうですか……」
ユマ姫が手を伸ばす。その小さい手の平まで、美しい。
首に手が掛けられ、タリオン伯は干し草の上へと押し倒された。
――ゴキュッ!
首の骨が折れる音。その怪力は、普通の少女ではあり得ない。
不可思議なユマ姫の正体、その答え合わせと言って良い。
なのに、首の骨が折れる苦しみと、裏切られた悲しみの中であっても……
それでもユマ姫は美しかった。
一矢報いる事も、助けを求める事も思い至らない。
ただ幸せを感じている自分に愕然とする。
陶然とする痛みの中、眼前にユマ姫の顔が迫る。手向けにと接吻されるのかと、タリオンは期待してしまった。
しかし、コツンと
「さよなら」
可愛い声がして。不可思議な力で脳みそがかき混ぜられる感触。
タリオンは最期まで、欠片もユマ姫を恨む事が出来ずに……逝った。
「ヒヒィィィーン!」
馬房の中、悲しげな白馬の嘶きが響いた。
それは、不気味なユマ姫を殺す、最初で最後のチャンスであった。
きっと、振り上げた蹄をユマ姫の小さな頭部に振り下ろすだけで、全ては終わったハズなのだ。
なのに、幸せな老人の笑顔に、最後までソレが出来なかった。
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