エピローグ3 豚たちの夜
【とあるブタの日記】
「合い言葉は?」
「ブタのしっぽ」
「入れ」
休日の午後だと言うのに、学生の僕は学校の講堂にやって来ていた。
もちろん勉強や部活動ではない。今日はユマ姫のシークレットライブが行われるのだ。
ホンモノのブタの為の一日限りの限定公演。
緊張に手汗が噴き出す。ここに紛れ込む為に、生徒会長としてのコネは勿論。麻薬撲滅のために連日連夜駆け回ったのだから。感慨深いモノがある。
そうしてやっと入り込んだ講堂。そこは異様な熱気で満ちていた。
「ブー! ブー! ブー!」
響き渡るブタの
彼らが居るのは解る。親衛隊はユマ姫のシンパであるからだ。
今もユマ姫に命を救われたフィナンティさんが、始まる前から盛り上がりすぎてステージに飛び込んでいる最中であった。
一方で謎なのは、神父やシスター、そして顔色が悪い女性や子供。数少ないが男達の姿まで見える事。
見るからに具合が悪そうな……まさか、病人??
いや……違う! このところ、街中を麻薬撲滅運動で駆け回ったからこそ察する事が出来た。
彼らは
彼らを治すには、ベッドに縛り付けるしかない。隔離しないと狂った様に犯罪を起こす者が後を絶たないからだ。
神父やシスターには望まない形で麻薬に関わってしまったが故に、中毒になってしまった者が少なくないと聞いている。
それどころか、ポンザル家の関係者は重金属アレルギーまで患っていて、痛みに麻薬が手放せない事情があった。
きっと、彼らの事だ。無実と言うのに、後は死を待つばかりの人々。
しかし、何故この場所に集まっている? ユマ姫のシークレットライブじゃないのか?
ッ! そうか! 解ったぞ! ユマ姫は死の淵にある彼らの手向けとして、最期にとびきりのライブを披露しようとしているのだ。
なんと慈悲深い……僕は感動で視界が滲むほどに泣いていた。
しかし、その涙は即座に引っ込むことになる。
「ブタ共ー! 覚悟は出来たか!」
壇上に現れたユマ姫は、いきなり暴言を吐きながら登場したのだ。
僕はてっきり、あの聖域でのライブと同じモノを想像していた。それだけに、この開幕には完全に面食らってしまった。
しかもゴテゴテと飾り付けられたスパンコールのコート姿は、とてもじゃないが正気の沙汰には見えない。
「ブー!!!」
しかし、ソレに一切動揺を見せない親衛隊の息の揃ったコール。
「いっくぞー!」
そしてユマ姫は、スパンコールのコートを投げ捨てた。
え? なんだ? あの格好! 裸じゃ無いか!
ソレは極小の布を僅かに纏っただけの姿。
「おお! 神々しい!」
「アレこそが聖衣マイクロビキニ!」
え? 親衛隊はあの格好を知っている? 聖衣って、正気か? あんな下品な……いや、アレだけの極小の布面積だと言うのに、少しも下品では無い。
浮き出る肋骨や、控え目な胸。柔らかそうなお腹。完璧な美だ。正に聖衣。見ているだけで血が滾ってくる。
そして、奏でる音楽も聴いたことがない程にハードで刺激的だった。
「コレこそがロック!」
「止まらねぇ!」
親衛隊が叫ぶ。これがロック? 麻薬よりも刺激的と、そう呼ばれていた音楽は、テンポが速く、体がリズムを刻むのを止められない!
「ブー!」
気がつけば僕もノリノリでブタの様に叫んでいた。
ライブが佳境に向かうにしたがって、恐るべき変化が起きていた。
真っ青な顔をしていた中毒者達、彼らも全てを忘れ、ステージの熱狂に飲み込まれていたのだ。
一時でも麻薬を超える刺激を提供し、ライブの間だけでもその呪縛から解放する!
コレが、コレこそがユマ姫がライブを行った本当の狙い!
そう思ってしまった僕は本当に浅はかで、ユマ姫が神の使者だと言う言葉を根っから信じていなかった証拠と言えよう。
だって、本当の奇跡はココからだったのだ。
「え? なに? なんなの?」
「うわぁぁぁ!」
熱狂のままに次々と
ステージで震えるばかりの彼らを、ユマ姫は容赦なく踏みにじって行く。
そう、よりによって病人を! 土足で! なじるように踏みつけたのだ!
「ブタはブタらしく、鳴きな!」
普段のユマ姫は決して見せない表情。そして言葉。だけどなぜか不思議と頭の芯が蕩ける程に魅力的に見えた。
「う、羨ましい!」
少女に踏まれて蔑まれると言う屈辱が、なぜか無性に羨ましい。
きっと死が近い彼らの為の儀式と知りながら、それでも許されるならば僕も踏まれたいと願うほどに強烈な景色。
だからこそ、彼らも必死に鳴き声を上げる。
「ぶー!」
病人らしからぬ威勢が良い声、だが、奇跡はココからなのだ。
「さぁ! 立ち上がれブタ共! 人間に戻れ!」
「か、体が!」
「痛くない!」
次々と患者達が生気を取り戻し、痛みを忘れて立ち上がるではないか。
だけどその時の僕は、不敬にもユマ姫の奇跡を信じず、きっと彼らの錯覚なのだと疑っていた。
ブタとする事で人間としての全ての苦しみから解放されたと一時的に錯覚させる手法だと。それだけのために、恥ずかしい格好を厭わず頑張るユマ姫は凄いと、そんな事を思っていた。
だが、違った。みるみる彼らの顔に、すっかり生気が戻っていくではないか!
現にこのライブから数日後、奇跡の回復を果たした麻薬中毒者達が、街で元気な姿を見せ始める。
僕はユマ姫が本当に神の使いなのだと確信に至り、彼女を女神と崇め信じる事にした。
ユマ姫の奇跡として長らく語られることになるこのライブだが、僕を含めその詳細については誰も口外しないまま、秘匿される事になった。
あのライブを口に出し、説明する事など出来はしない。
それほどに過激で、胸を灼く様なライブだったのだ。
一人一人の思い出として、大切に魂に刻むのがブタの定めと言えよう。
僕は僕の神に誓うのだった。新しい女神へと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【バイロンとドネイル】
ポンザル家の代表に戻る事になったバイロンとドネイル。
彼らは水路を広く知っている事から、魔力に満ちた遺跡の調査と言う危険な作業を義務づけられた。
命を削る危険な作業。だけどそれは丁度かつてのポンザル家に課せられた罰に近い。だからこそ、二人は絶望などしていなかった。
……なにより。
「良い笑顔だったな親父」
「そうだね」
引き払うために帰って来た、かつてユマ姫に散々やり込められたおんぼろ小屋で思う。
そこには既に無人となったベッドがあった。
ポンザル家の主人だった彼らの父は、数日前に息を引き取ったのだ。
「良い歌だったな」
「歌姫級だよね」
「馬鹿言え、もっとさ」
父が死ぬ数日前、突然ユマ姫がやってきた。
そして、病に苦しむ父の枕元で静かに歌い始めたのだ。
「女神だ」とむせび泣く父に、ユマ姫は魔法を掛けた。体に溜まった重金属も麻薬も全て取り除いてみせたのだ。
……だが、長年蝕まれた体は既に限界だった。もう長くないと告げるユマ姫は酷く悲しそうだったのだ。
「どうしてあそこまでしてくれたんだろう……」
「それがな」
ドネイルと違い、バイロンは直接ユマ姫に尋ねた。なにかの思惑があるのかと気になっていたからだ。
「死んだ父親の代わり、気まぐれだってさ。なんかよ、悲しいよな」
「そうか……そうなんだね」
彼らはおんぼろ小屋の窓から外を眺める。
そこには動かなくなったラーガイン要塞が、神話のままの勇姿を朝日に浮かび上がらせていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【歌姫シェヘラ】
歌姫は、かつてユマ姫とレッスンを重ねた部屋で微笑む。
そこには、透き通る様な美しい鏡が何枚も並んでいた。
「綺麗だったわよね」
それは鏡の事でも、鏡に映った自分の姿の事でも無い。
かつて、彼女が教えた一人の踊り子を思い出しての賛美。
「まさか、本当にお姫様だったなんて」
今思えば、余りにも美しく、常識外れの少女だった。なにせこのレッスンルームの大鏡をぼやけていて汚いと言ったのだ。
こんなに大きくて美しい鏡なんて他に無いのに! なんて口の減らない子!
そう思ったシェヘラだったが、今、かつての鏡と入れ替わり、レッスンルームにズラリと並ぶ大鏡を見れば、彼女の言葉が真実だったのだとわかる。
「コレが……エルフの技術なのね」
ココまで透明度の高い鏡など、手鏡サイズでも見たことは無い。
それが一点の曇りもゆがみも無く、全身が映る大きさで、レッスンルームの壁を覆い尽くす程に何枚も並んでいるのだ。
「こんなに送ってくるなんて、律儀よね」
時はユマ姫がプラヴァスを離れて数ヶ月後の事。突然に大鏡が何枚も送られてきたのだ。
運んできたのは漆黒に身を包んだ巨漢の戦士。超重量の大鏡を何枚も肩に担ぐ怪力は並では無い。
「素敵だったな……でも、とても敵わないわね」
プラヴァスの女はどうしても強い男に惚れ込む気質があった。シェヘラはプラヴァス一の歌姫。だけどあのお姫様に挑もうとはとても思えない。
今度の大鏡は、曇りが無いからこそ全てを正確に映してしまう。
この鏡の前で、ユマ姫の横に立てるか自信を持てないシェヘラであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます