クーデター4

 ユマ姫と別れて一時間、パノッサは書類と格闘していた。

 突然のクーデター。プラヴァスの人々を残らず学校に避難させた影響は大きい。


 関係各署からの物資要求書を確認し、ブラッド家の代理人としてサインをする必要があった。


「馬鹿な!」


 しかし、新たに差し込まれた報告書を見るや、机を蹴飛ばし怒号を上げる。


 それはユマ姫が邪神ギュアルの手下として拘束されたと言う報せだった。


 パノッサが血相を変えて駆けつけたのは学園の講堂。

 この場所でユマ姫を断罪すると、セイリン教の信徒が学園中をふれ回っていたからだ。


 その報せをまさかと思ったのはパノッサだけではない、ユマ姫の奇跡を間近で見た学生達も信じられぬと講堂に詰めかけていた。

 結果、人がすし詰めになっており講堂は異様な熱気に包まれていた。


 通常は司祭が祈りを捧げ聖句を読み上げる壇上、そこで十字架に縛り付けられ掲げられていた少女こそ、つい先程に別れたばかりのユマ姫であった。


 タナカの黒いコートを着たままはりつけにされたユマ姫は髪色が銀に戻っていた。

 ソレこそが魔力が抜けてしまった証拠。しかし黒のコートと銀の髪の取り合わせは神々しく、背徳的な程に様々な感情を呼び起こし、直接に脳を灼く劇物として機能した。


 いっそ異様なまでの熱気が辺りを支配する。


「これではまるで生贄では無いか! 裁判も無しに公開処刑? 野蛮な! なぜ誰も止めない!?」


 怒声を上げながら人を掻き分け突き進むパノッサだが、周囲の反応は鈍い。


 構内を埋め尽くす大半はセイリン教の信徒達であるらしく、熱気に浮かされ正気を失っているかに見えた。彼らはパノッサの存在を意に介さず、壇上にいるデネシスの言葉に聞き入っていた。


「回復魔法こそがこの者が邪神ギュアルの使徒である証拠。人が人を癒やす術など使えるはずがない」


 縛り付けられたユマ姫を前にして滔々と語ってみせるデネシス。ただし要人は彼だけでは無い、退役軍人や水質管理の技術者など、ブラッド家と繋がりが深く、国政の要職に就く人間が幾人も壇上に揃っていた。


「クソッ! どけ、これはなんたることだ!?」


 パノッサは人混みを掻き分け、転がるように壇上に上がる。血の通わないぼんやりとした目がコチラを睨みつけてくる、それに恐怖を感じながらも声を張り上げる。


「デネシス卿! 説明を!」

「おやおや、パノッサ様もこの邪教徒にご用ですか?」


 だが、会話が噛み合わない。芝居がかった口調のデネシス卿も正気を失っている様にパノッサには思えた。


「何故! 如何なる理由で彼女が邪教徒だと?」

「彼女は我らの教義を否定した、そして魔法などと言う邪法。これが邪教徒である証拠でないならなんとする!」


 邪法。


 ユマ姫の魔法は確かに不可思議な奇跡と言える。一部の教会関係者が面白く思っていない事も知っていた。

 しかし、だからと言って暴力で排除すると言うのは、神の敗北を認めるのと同義。


「教義の否定とはどう言う事だ?」

神酒みきを口にせず、存在すらも否定したのだ! それが神への冒涜でないとすればなんとする!」

「神酒?」


 デネシスが掲げるグラスには血の様に赤いワインがなみなみと注がれていた。パノッサは神酒と呼ばれるソレが、ワインにラウの葉を漬け込んだだけのモノだと知っていた。


 神聖なラウの葉を神聖なワインに漬け込む事で、神に捧げる神酒を作る。


 だが、ラウの葉を漬ける行為に意味は無い。宗教儀式の一環に過ぎない飲み物……そう、パノッサは思っていた。


「ユマ姫は幼い! 神酒を飲めないぐらいで馬鹿な!」

「違うのだ、ユマ姫が否定したのは神との対話」

「なにを……なにを言って?」


 パノッサはそこで檀上のお歴々が揃って異常な興奮状態である事に気が付いた。その様子は異常の一言。

 その原因が彼らが手に持つ神酒にあるのか? まさか! ワインにもラウの葉にも害など無いハズ、どんな仕掛けがあるのかとパノッサは辺りを見回す。


 しかし違う。神が愛したと言われる植物ラウ。セイリン教の象徴にして、この世界に広く分布し、王国も帝国も貴族も平民も分け隔てなくお茶として常飲する、なんの変哲もない植物ラウ。


 だが、その何の変哲もないはずの植物は、地球で最も危険な植物であった。


 その名は『コカ』。


 言わずと知れたコカインの原料であり、その葉には微量のコカインが含まれている。微量とは言え口に入れて噛み続ければコカインの効果はある。


 とは言え、そもそもが南米原産のコカと同じ特性を持っているのはプラヴァスの境界地に自生するラウのみ。


 王国などで収穫されるラウにはコカインが殆ど含まれていなかったため、木村はラウ茶の危険性に気が付く事が出来なかった。


 更に言うと危険だと思われるコカの葉だが、地球に於いても葉に含まれるコカインの濃度は高くない。

 原産地である南米ではお茶として飲んだり、葉を齧って噛む程度は違法では無い。だが抽出してコカインを取り出してしまえば話は別だ。

 コカインはアルコールに溶け抽出される。コカの葉を漬けたワインにはそれなりのコカインが溶けていた。

 それこそが司祭が行う、神との対話と言う奇跡のタネ。境界地で育った特別なラウの葉を度数の高い特別なワインに漬けた成果と言えた。


 そして、その成果を更に改悪したのがエルフの植物学者、ドネルホーンだった。

 元々、境界地に土地を持ち、罪を償う存在として黒いターバンを許されたポンザル家は教会との繋がりも強かった。


 教会に供出するラウの葉に魔女クロミーネが目を付けたのは必然と言えた。

 斯くして魔改造されたラウが境界地に生える事となる。コカインを従来の数倍も蓄えたラウの葉は、教会関係者を熱狂させた。


 ポンザル家の二人が、帝国や王国が境界地の権利を欲する理由を新種の麻薬を栽培する為だと言ったのは、勘違いでも何でも無い。実際には既に精製さえしていたと言うワケだ。


 ポンザル家は知らなかったが、彼らが軍に普及させた鎮痛剤もコカインを多量に含んでいる。

 そもそも兵士が使う鎮痛剤としては、アヘンより興奮作用のあるコカインが向いている。


 麻薬には大きく分けてアッパー系とダウナー系があり、コカインはアッパー系の代表格である。


 そして、その効果をより高める方法が存在した。


 その痕跡をパノッサは発見する。


「この煙! デネシス、貴様!」

「おや、神へ捧げる供香ぐこうが気にくわないと?」

「当然だ! これは、これは! ケシの香りではないか!」


 アヘンはダウナー系の麻薬。アッパー系のコカインと同時に摂取すれば、スピードボールと言われる最高にキマる方法となる。


 帝国はポンザル家を矢面に立たせアヘンを広める一方、コカインと言う第二の矢を宗教を介して広めていた。


 供香としてアヘンを焚いた中であれば、多くの信徒が神酒に溶けたコカインの魅力に取り憑かれた。


 神酒と供香。

 アッパーとダウナー。

 その両方を同時に使えば効果は何倍にも跳ね上がる。


「行けませんなぁ、神への供香をその様なモノと一緒にされては」

「馬鹿な! そうだ! リヨン様は? リヨン様をどうした?」

「おおぅ、そうであった、リヨン殿も我らが同志、彼の言葉であればパノッサ殿も理解出来よう」

「なんと?」


 デネシスの合図で舞台袖から一人の男が姿を現す。それこそがパノッサの上司にしてブラッド家の当主リヨンだった。


「苦労を掛けたなデネシス。それにパノッサも無事でなにより」


 現れたのは変わらぬ様子のリヨンの姿。

 アッパー系でキマった人々の中で随分と落ち着いて見える姿であった。


「リヨン様! ご無事で!」

「ああ、元より怪我など敵を釣るための欺瞞に過ぎない」

「欺瞞? 何故……その様な奇策を?」


 言いながらもパノッサはリヨンの様子をつぶさに観察した。だが、そこにデネシスらに見られる不自然なまでの興奮は見られない。

 それどころか、どっしりと落ち着いた様子のリヨンはその言葉に一切の淀みが無い。熱に浮かされてペラペラと口走るデネシスとは全く様子が違っていた。


 ……それはダウナー系の麻薬のみ摂取したからなのだが、そこまではパノッサに解らない。

 自らの主人が『正常』に見えてしまう事が、パノッサにとって何より衝撃だった。


「無論、全てはこの売女を罠に掛けるため。見事なまでに釣れてくれたわ」

「そんなまさか! リヨン様はずっとユマ様と打ち解けて……」

「それこそがこの娘の恐ろしさよ、我がこの様な小娘に良いように使われていた。それこそがこの娘が邪法を使う証拠と言えよう。我らは操られていたのだ」

「まさか!?」

「あり得ないと? ここに送ってくるまでに思い当たる節はひとつも無いか?」


 ある。あり過ぎるほど。


 パノッサはいつの間にかユマ姫の代わりに死ぬ覚悟すら決めていた。よくよく考えればそれは異常で、今にして思えば恐ろしくもあった。


 そうだ、こんな小娘に我らが主人が骨抜きになっていた事が邪法である何よりの証拠。我々は良いように騙されていたのではないか?


「そんな、だとしたら私はなにを信じたら、ユマ姫に何をさせられていたのか……」

「いんや、パノッサよ、気にすることはなか」

「???」


 今喋ったのは?


 リヨンで間違いない。間違いはないのだが?


「操られたのはワイもいっしょじゃ」

「…………」


 リヨンの口から出たのは、リヨンの母方の少数部族が使う方言。


 本当にリラックスしている場面で方言が口を衝くことをパノッサも知っていた。


 だからこそ、これは間違い無くリヨンである。

 偽物では知り得ない事。そうパノッサは確信した。


「そうでしたか……邪教徒め! よくも!」


 パノッサはユマ姫に向き直ると懐のナイフを取り出し、磔にされたユマ姫に襲いかかった。


「何をする!」


 パノッサの突然の凶行に目を剥くリヨン。これでは折角の見せしめを殺しかねない。

 ……だが、パノッサが斬り裂いたのはユマ姫を縛る縄だった。


「起きて! 起きて下さい!」


 ユマ姫を解放したパノッサは、デネシスから奪った神酒を少量ユマ姫の口に含ませた。

 アルコールとコカインの作用は、少量であれば気付けに強力な効果を発揮する。もちろんパノッサがそれを知っていた訳では無いのだが……


「ユマ様! お願いです! 若を! リヨン様を救って下さい!」

「……あ、うぅ」

「パノッサ! おめどなつもりで!」

「リヨン様は、正気であれば人前で方言など決して使わない!」


 リヨンは周囲から若輩だ、田舎者だと下に見られがちな支配者だ。


 当然だが言葉遣いに人一倍気を使う。それがこんな衆人環視の中で方言を使うなど、正気ではあり得ない。

 浴びるように酒を飲んだときに漏れる程度。それを腹心の部下パノッサは知っていた。


 だからこそ、今のリヨンはリラックスさせられている。何の為に? どうやって?


 麻薬、そして洗脳! それ以外に無い。


 そして、それを救える手段がたったひとつしか無いことも。


「ユマ様! どうか!」

「ハァ……ハァ……」


 だが、ユマ姫は目を覚まさない。念入りに睡眠薬でも盛られているようだった。


 彼女だけが全てを覆すカードになるハズ。だが、そんな事は相手も知っていた。彼女こそが最も危険なカード。それでも大変な人気を誇るユマ姫をただ殺してしまっては禍根を残す。


 そう判断しての見せしめであったが、少しでも状況が悪化したらすぐさま手を打つべく、帝国で最も危険な女が待機していた。


「もう! 上手く行かないモノね」


 舞台袖からゆらりと現れたのは黒髪黒目、黒い眼帯に黒いドレスの不気味な女。


 この女こそが魔女クロミーネ!


 パノッサは即座に彼女の正体を悟り、そして魔女の手に握られた金属塊に目が行った。

 歪なドアノブの様にも見える、この金属は一体何か?


 この場でそれが理解出来たのは、たったの三人。

 取り出した魔女自身と、木村の奮闘を間近で見たリヨン。


 そしてパノッサ。


 パノッサはキィムラ子爵が使う武器を見ていた。故に魔女が取り出したソレがよく似ている事に気がついた。


 ――パーン、パーン! パーン!


 リボルバー。魔女は知りうる中で最高の鍛冶士に特注し、ユマ姫から奪った銃をたった一丁だけ形にしていた。

 それでも不完全なリボルバーは薬莢では無く、雷管を埋め込むパーカッション式。そしてたった五発しか装填出来なかった。


 すぐさま装填出来ない以上、打ち切る事は出来ない。それでも躱す事も防ぐことも出来ない弾丸。

 動けない少女一人を撃ち抜く事になんの問題もない。


「ぐぅ……」


 だが、ソレは誰かが代わりに死ななければの話。

 パノッサは自らの体を盾にして、ユマ姫を弾丸から守り切った。黒色火薬の拳銃弾に人間を貫通するほどの火力は無い。


「ユマ様! どうか!」


 腕の中、抱きしめた体は細身で、なのに柔らかで、うっとりとした甘い匂いが漂う。喋らなければ誰よりもか弱い少女。


 だけど彼女に祈らざるを得ない。どんな神よりも愛おしい存在なのだから。


 パノッサはユマ姫に命を捧げられる事に喜びすら感じていた。


「あ、ああ……」


 そして、皮肉な事に銃声と硝煙の匂い。そして誰かに守られる記憶はユマ姫のトラウマを刺激した。

 それは、普通の少女ならすぐさま壊れてしまうほどの強烈な記憶。


「セレ……ナ!」


 自分を守ってくれた妹が目の前で凶弾に晒された記憶。その強烈な後悔と絶望がフラッシュバックし、パノッサに重なる。

 両手両足の爪に針を刺された上、強烈な電流を流されればコレほどの痛みとなるだろうか? それだけの衝撃が少女の脳を灼いた。


「ぐッ!」


 その強烈な刺激は、今度こそアヘンでぼんやりとしていたユマ姫の脳を揺り動かした。


「ガッ!」


 ――また、殺された! 守ってくれた人が、目の前で、無惨に死んだ!


 ユマ姫の空っぽの心に、どす黒い殺意だけが満ちていく。


 その時だ。死に際のパノッサが最期の言葉を紡ぐ。


「ユマ姫様、骨を……」


 銃弾で穴が空いた体に、満足げな表情。

 パノッサは静かに息を引き取った。


 ――骨を、そうだ骨を拾うと約束した!


 破れかぶれに突撃し、魔女を殺して自分も死ぬ方法だけを考えていたユマ姫に、冷静さが戻る。

 しかしその隙を見逃すような魔女では無い。


「デネシス! 引っ張り出しなさい!」

「この! 邪神の使徒め!」


 デネシスがユマ姫の腕を取り、魔女クロミーネの前にまで幼い体を引っ張り出した。


「そのまま押さえなさい!」

「こら、暴れるな!」


 ――パーン!

「グェッ!」


 虎の子の四発目、しかし当たったのはデネシスの首筋。

 ユマ姫はリミッターを解除した力で体を捻り、デネシスの体を盾にしたのだ。


「ハァッ! ハァッ!」

「グッ! 化け物め!」


 だが、代償はいつもの様に軽くない。ユマ姫の肩は外れ、体中から冷たい汗が噴き出していた。


 ぼんやりしようとする頭へと、ひっきりなしに刺すような痛みが送られる。


 致死量に近い睡眠薬と気絶するほどの強烈な痛み。


 二つが危険なバランスを保ち、なんとか意識を保っている様な有様だった。

 そんなユマ姫に立ち塞がるのはプラヴァスの黒豹とも言われるリヨン。


 魔女が大声で指示を飛ばす。


「リヨン! さっさと殺しなさい!」

「観念するんだなユマ姫……こげな抵抗は何の意味もない」

「…………」


 ユマ姫はボロボロ、周りには洗脳済みの人間が詰めている。

 この状況にクロミーネは自らの勝利を確信した。


 撃たれたデネシスは麻薬に蝕まれたヒョロヒョロの司祭に過ぎなかった。対してリヨンの鍛え抜かれた肉体は、ユマ姫の力ではどう足掻いても小揺るぎもしないだろう。

 加えてリヨンだけはクロミーネが完全な形で操っている。ダウナー系のアヘンを吸わせた上で念入りに施された洗脳は、生半可では抜けない。


 魔法とか言う力を使えば別かも知れないが、ユマ姫には健康値の霧を嗅がせ魔力を奪い。隠し持っていた魔石は既に取り上げている。


 元々、魔石が少ないプラヴァスに於いて魔力濃度を確保するほどの魔石粉末を手に入れるのは並大抵では無い。

 それが可能だった魔石商も国庫も既にクロミーネは押さえている。


 それでも万が一、魔法を使わずにユマ姫がリヨンを殺したなら、それこそユマ姫がプラヴァスの太守を殺したと喧伝すれば良い。


 さぁ、どうする? と、冷静さを取り戻したクロミーネはユマ姫の顔色を覗く。

 パノッサとか言う人間が乱入した事で混乱した構内は、今や魔女の心を映すかの如く静まり返っていた。


 そんな中。


「ふふっ」


 笑った。


 ユマ姫は、笑った。


 妖艶な微笑みを浮かべ、身に纏うのは無粋にも見えるタナカが贈ったブカブカのコート、そのボタンをひとつひとつ外していく。


「何してるの? 押さえなさい!」


 不吉な予感にクロミーネは叫ぶ。しかし、その場にいた男達は誰一人動かない。動けない。

 少女が服を脱ぐ。ただそれだけ、その仕草に魅入られていた。


 いよいよ全てのボタンとベルトが外され、ユマ姫は前合わせのコートをバッと開いた。


「バァ!」


 当然、コートの下は裸……ではない。

 だがある意味で、下着より、裸より、なお恥ずかしいマイクロビキニの艶姿。

 ほんのりと上気し、汗ばんだ体は人の視線を掴んで離さない。


「アンタ、変態なの? 頭オカシイんじゃないの? 死になさい!」


 ただ一人、呆れたのはクロミーネ。彼女はユマ姫の身体検査をしたために、コートの下が裸同然だと知っていた。

 知ってはいたが、まさか自分から脱ぐなど夢にも思っていなかった。


 恥知らずで不可解な行動に苛立ち、銃を構え、ユマ姫に照準を合わせる。しかし……


「なっ?」


 今更にクロミーネの命令が届いたのか、男達がワラワラとユマ姫に接近する。いや、それは誘蛾灯に惹かれる虫のようであった。ユマ姫のカラダに目を奪われている。

 そしてユマ姫よりずっと大きい男達が取り囲めば、なかなか射線が通らない。残るは一発。クロミーネも無駄撃ちは出来ない。

 だけど悪くないと魔女は思い直す。取り囲まれればユマ姫は魔法を使えない。手詰まりには違いないのだ。


 無数の男に嬲られるユマ姫の姿は、魔女の溜飲を下げさせるに違いなかった。


 一方で男達に囲まれたユマ姫は、リヨンへと無防備に近づいた。

 これはユマ姫にとって賭けではあったが、リヨンはユマ姫のカラダから目が離せない。


「頭が高い!」


 そうして歩んだリヨンの元、ユマ姫は垂れ下がったターバンを思い切り引っ張った。リヨンの体がくの字に曲がり、頭の高さがユマ姫と釣り合う。


 言うまでも無く失礼極まる行動。それどころか、プラヴァスの人々にとってターバンを引かれるのは最大級の屈辱。どんな温厚な紳士だって激昂する危険行為。


 ……なのだが、リヨンはいよいよ指一本動かせぬ程に硬直した。


 それは間近に見るユマ姫の顔が美しすぎたから。


 リヨンの脳をユマ姫の顔とカラダが支配し、目と目がぶつかる。


 リヨンの剥き出しで無防備な意識が晒される。

 この瞬間こそユマ姫は待っていた。


 ユマ姫はポケットから取り出した極小のを囓る。


「嘘ッ!」


 漏れたのは魔女の悲鳴。これは二つの意味でクロミーネにとって誤算であった。


 一つは凶化したユマ姫にとって、魔力の補充は魔石を撒かずとも、ただ食べることでずっと効率良く行えるようになっていたこと。

 そして、身体検査を重ねたユマ姫が魔石を隠し持っていたこと。


 いや、隠し持っていた訳では無い。身体検査した瞬間は確かに持っていなかった。


 ――骨じゃ無いけど、拾ったぞ。


 ユマ姫は抉り出したのだ、パノッサの体から。


 この世界の人間は大なり小なり魔力に対して耐性を持ち、魔力を利用して生きている。

 だからこそ、エルフでも魔獣でも無い生き物であっても体内に魔石を持っている。


 極小の魔石は利用価値も皆無。存在すら余り知られてはいないのだが、魔力に敏感なユマ姫は銃痕から覗いた魔石の姿を見るや、指を突っ込み抉り出していた。


「『我、望む、揺蕩う海の寄る辺なき魂よ、我指し示す先に安寧あれ』」


 しかし、極小の魔石ではうっすらとしか魔法が使えない。高度な精神魔術など望むべくもない。


 狙うのは、すっかり洗脳されたリヨン。


 アヘンでダル状態になっている相手に、カラダまで披露して強引に心の隙間を空けさせた。


 そうして作り上げた極限の魔力抵抗ゼロ状態。

 それだけやっても、一瞬の完全な脱力状態を作るだけが関の山。


 使ったのは、ただソレだけの魔法。


 だがユマ姫にとってソレで十分だった。


 一気にターバンを引っ張れば、リヨンはベシャリと地面に突っ伏した。隙だらけで耐性スカスカになった心に土足で踏み込む。


 いや、文字通り物理的に、土足で踏みにじる。



 突っ伏した、その頭を!



「だらしなく洗脳されやがって」


 グリグリと頭を踏むと同時、シュッと引き抜いたのはコートのベルト。

 振りかぶり、勢い良く叩きつければ、リヨンのケツがピシャリと鳴った。


「いい加減目を覚ませ! このブタ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る