復讐姫

 ここは王都の穀物倉庫。


 真夜中の倉庫街は薄暗く、普段は誰も立ち入らない。


 しかし、本日この場に漂うは、濃密過ぎる人の気配。

 百を超える人間が、人の目を憚るように息を潜め、倉庫の中に集っていた。


 なのに、誰も、何も、喋ろうとしない。薄暗い庫内を静寂だけが支配する。


 この場に居れば誰だって張り詰めた緊張感と、むせかえる様な人いきれを感じ、息苦しさを覚えただろう。


 張り詰めた空気の正体は『殺気』。


 秋の収穫を前に、ガランとしている筈の庫内には、百人以上のプレートアーマーを着込んだ男達が整列していた。


「ボルドー王子の暗殺に失敗した」


 一段高い所に立つ男が静かに告げる。

 窓から差し込む月明かりが、彼の姿をぼんやりと照らした。


 彼だけは鎧ではなく、豪奢な服を纏っていた。


 でっぷりした体格の男であったが、目には隈が濃く、焦燥した様子は正気には見えない。


 この男はボンディール伯。熱烈なカディナール王子の支持者にして、強硬派として知られた男だ。


 ダックラムを裏の刃とするならば、ボンディール伯は表の剣。

 精強な騎士団を有し、魔獣討伐や国防に於いて華々しい実績を持つ名家である。

 そんなボンディール伯にとってみれば暗殺専門の戦力と言えるダックラムが公爵家として大手を振っている状況は許しがたかった。


 暗殺や潜入など、下賤な人間に僅かな小遣いを握らせてやらせる行為。

 そんな認識のボンディール伯ではあったが、一方で平和な時代が騎士よりもそう言った人間を求めている事は理解していた。


 そんな中、ボンディール伯がダックラム公に対抗するために組織したのが、裏の世界であぶれた人間を買い叩いて組織した暗殺団。

 結成して一年ほどではあったが期待通りの成果は上がっていた。情報収集をメインにしつつも、邪魔な商人や下級貴族は何人も始末してきた。


 やはり裏の仕事など難しい物では無い。そんな風に自信を深めたボンディール伯。

 だが満を持して大物であるユマ姫に投じた暗殺者は、ただの一人として帰ってこなかった。


 それは良い、失敗したのだろう。だが失敗したのなら屋敷は大騒ぎになるはずだ。

 しかし、そんなものは初めから居なかったとばかりに、なんの反応もない。

 それこそボンディール伯自身、暗殺者を放った事が夢かと思うほど。


 それでも確実に手駒は減っている。まるで森に棲む者ザバに幻影を見せられ、切り立った崖に突撃命令を出してしまった愚かな将軍の逸話の様ですらあった。

 空恐ろしい物を感じながらも、戦力を整え機会を待った。

 が、その間にも政局はどんどんとボルドー王子に傾き、このままではカディナール王子が即位しても軍部のクーデターすらあり得る情勢。


 そこに来て、国王の死だ。


 いよいよ戦いが始まる、その段でボルドー王子は婚約者のユマ姫と連れだって母方の実家、ヴィットリアに顔を出すという噂が流れてきた。


 明らかに罠。しかし、それでもここでケリを付けねば後が無い。

 なにせ、カディナール王子はシャルティアとの婚約を破棄。事実上ダックラム家を切ったのだ。

 ライバルが居なくなり嬉しい反面。最早、自分がやるしか道が無い。


 そうでなくても、今のところ大口を叩いておきながら何一つ成果が上げられていないのだから。


 ……そうして、暗殺団の全戦力を投じたのだが。


「ドブネズミ共は全滅という訳ですな?」


 ボンディール伯と対峙する鎧姿の男達、その先頭。とりわけ大柄な髭の男が鼻で笑った。

 彼らはボンディール伯の虎の子たる騎士団の面々。そして彼こそが騎士団長であった。

 悠然とした態度を崩さない騎士団長に、ボンディール伯の苛立ちは募る。


「百人からの暗殺者が全滅だぞ? それも近衛兵にはかすり傷一つ付けられずと来た!」

「お言葉ですが閣下、騎士という物を甘く見ないで頂きたいですな。あんなネズミ共を幾ら放とうが、獅子の餌にしかなりません。さぞや連中の士気が上がった事でしょう」


 団長の言葉に騎士達からは失笑が漏れる。

 自分らも当然同じ事が出来ると言う自信の表れであった。


 確かに、ボンディール伯が擁する騎士達、そして王子を守る近衛兵の技量は、騎士と呼ばれる者の中でも最上位である。

 暗殺者を百人から放とうが、あっと言う間に討伐されるに違いない。


 しかし、実のところ、暗殺大失敗の主要因は、練度以上にユマと王子が乗る馬車の性能が予想外だったことが大きい。

 街道での待ち伏せ部隊と、王都からの追撃部隊で挟み撃ちの予定が、馬車が速すぎるあまり挟み撃ちとして機能しなかった。

 後続をアテにした待ち伏せ部隊は良いところ無く蹴散らされ、やっとの思いで追いついた追撃部隊は間抜けを晒す羽目になる。

 その汚名をそそぐ為、翌日には無茶な突撃を慣行、典型的な愚策と言える戦力の逐次投入が行われてしまった。

 それが、ユマ姫とボルドー王子が直面した、あの無様な襲撃の顛末であったのだ。


 そして百人からの人間が無為に死んでしまい、焦ったボンディール伯は今夜、最後の手段に打って出ようとしていた。


「そうだ! やはり、騎士には騎士を当てるしか無い、ボルドー王子の屋敷に攻め入り、その首を上げるんだ!」

「ハッ! この剣に誓って……、と申し上げたいのですが、それでは我々は逆賊として処刑されてしまうのでは?」

「安心しろ、ボルドー王子はユマ姫に幻術を掛けられ正気を失っているのだ。それを正すのはビルダール王国を思っての事。忠臣と言われこそすれ、逆賊などにはワシが決してさせぬ」


 言われた騎士団長は「ふむ……」と考える。

 真夜中に突然の呼び出し。碌な命令ではないと思っていたが、王子の屋敷に攻め入れとは想定した中でも最悪の部類だ。


 騎士団長ともなれば、貴族の子弟たる隊員の命を預かる身。それなりの権力者である。

 上司であるボンディール伯の命令だろうと、諫めるのも仕事のひとつ。


 しかし、このままこの主人に仕えていても騎士団に未来は無いだろう。かといってボンディール伯に仕えていた身では、ボルドー王子らの派閥に乗り換えた所で痛くない腹を探られ、碌な地位に就けないに違いない。魔獣退治と称して地方に飛ばされるのが関の山。


 だったら、本当にボルドー王子を討ち取るのはどうだ?


 ボンディール伯が守ると言っても、討ち入りなど極めて外聞が悪いため、トカゲのしっぽとばかり、カディナール王子から切られる可能性は高い。


 それこそボンディール伯もろとも消される可能性すらあるだろう。


 だが、今のカディナール王子にはダックラム公が居ない。そう簡単に我々を切れるだろうか? それこそ最悪、カディナール王子すら誅してしまう手もある。

 それに、金目の物が無さそうなボルドー王子の屋敷だが、その分密かに軍資金を貯め込んでいるとの噂も根強い。


 財宝をキープして、ヤバそうだったらとんずらする事も十分可能だ。


 団長はそこまで考え、決断する。


「宜しい、閣下がそこまでの覚悟をお持ちでしたら我々は従うだけです」

「おおっ! やってくれるか! お前達なら近衛兵すらモノの数では無いわ! 蹴散らしてこい!」

「ハッ この剣に誓って」


 そう言って剣を掲げる。

 しかし……


 ――バシュッ!


 男は剣を掲げた体勢のまま地面に転がる、まるでバランスを崩して倒れてしまった甲冑の置物の様ですらあった。

 なにせ、倒れたショックで。兜だけが転がる。

 その様子までソックリだった。


「なっ! なんだ?」


 ボンディール伯は顔を拭う。この顔にかかった飛沫は何なのか?

 薄暗いので色が解らないが、このヌメりのある液体は『血』じゃないのか? その事実が遅ればせながら、ようやく頭に染みこんでいく。

 そのとき、ボンディール伯は転がった兜と、目が合った。


 そう、目が有ったのだ。

 兜には、しっかりとが入っていた。


「敵襲だッー!」


 叫んだのは団員の誰か、ボンディール伯は腰を抜かして動けない。

 目の前の人間が首を切られた。その現実が飲み込めない。


「退却だ! 急げ!」


 一方で、流石に騎士団の動きは早い。

 奇襲を受けた時のマニュアルは騎士団毎に色々あるが。何より大切なのは退路の確保である事に変わりは無いだろう。だが……


「開かない! 閉じ込められた!」


 唯一の出入り口である両開きの大扉が開かない。普段は穀物倉庫として利用しているこの建物は、泥棒やネズミを警戒して窓も高い位置にある上に格子が嵌まっている。

 完全に袋のネズミ、しかし物は考え様と騎士達は声を上げる。


「射手を探せ! 賊はこの建物の中にいる!」


 そう、窓が無いなら襲撃者は建物の中。どんなつもりか知らないが、脱出不能は犯人も同じ。そう思ったのだが。


 ――バシュッ!


 また一人、正体不明の攻撃に倒れる。威力から考えればボウガン? いやこの常識外れの火力はバリスタの其れに近い。


 矢で首を飛ばすなど聞いたことが無い。鎧ごと貫通するなど見たことも無い。


 下手をすれば一矢で二人以上が被害に遭っている。鎧を着た人間を容易く貫通するボウガンなど騎士達は知らない。

 しかし、建物の中にバリスタなど有るはずも無く、射角から考えられる位置には誰も居ない。

 その事に騎士達が気が付いた時には既に十人以上が物言わぬ骸と化していた。


「これが! 魔法の矢か!」


 騎士の一人が叫ぶ、しかし打つ手は無かった。

 何しろ、射手は建物の中どころか、隣の倉庫の屋根上に居たからだ。


「鴨撃ちだな」


 屋根上に陣取った少女は、夏の夜の三日月を背に、淡々と矢を放っていた。


 狙うは二階部分の窓、嵌まった格子の僅かな隙間から矢を通し、運命光を目印に矢を制御、そこから一気に加速させ常識外れの威力で鎧ごと打ち抜く。

 少女に自覚は無いが、運命光を抜きにしても、エルフの戦士の中に同様の事が出来る者は唯の一人として存在しないだろう。

 卓越した魔法制御のなせる業。魔力以上に精神がすり減る制御を少女は淡々とこなしていた。


「死ね! 死ね! 死ね!」


 それは狂的で、偏執的でもあった。


 そこにおとぎ話のお姫様を思わせる可憐な美しさを備えた、かつてのユマ姫の姿はどこにも無かった。


 目は落ち窪み、隈も濃い。頬がこけて青白く、楽しげな笑顔すらどこか病的。

 不吉が形を持ったようだった。


 あまりにも不気味。

 あまりにも狂気。


 ……しかし、それでもユマ姫は美しかった。


 病的な姿すら幻想的で、死神の使いを思わせる、危険な美をはらんでいた。


「ヒヒッ、ハハハッ!」


 やがて倉庫の中には居なくなる。だがそれは騎士団が全滅したからではない。


 ユマ姫は動く人間から真っ先に射貫いた。

 それ故に騎士達は我が身可愛さに、暗い中、物音一つ立てずに身を潜めれば、自分だけは助かるとをした。


「馬鹿が! 無駄、無駄ァ!」


 だが暗闇は少女にとって何も障害にもならない。フクロウすらも見通せぬ無明の中ですら、恐らく少女は寸分違わぬ矢を放つだろう。

 運命光を頼りに放つ矢は、暗闇に紛れる事も、死を偽装する事も許さない。

 結局、少女はが居なくなるまで、矢を放ち続けたのである。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ボルドー王子が死んでから四日が経った。


 俺達は今日も今日とて、犯人捜しの作戦会議に朝から顔を突き合わせていた。

 メンバーはシノニムさんにゼクトールさん、第三王女ヨルミちゃんにソルダム軍団長にフィダーソン老と言った所。


「昨夜、ボンディール伯の所有する倉庫で火事がありました」


 開口一番、ゼクトールさんからの報告に、皆が「だから何だ?」と首を傾げる。犯人捜しを後に回す程の話題では無いと顔に書いてあった。

 だがそれも、ゼクトールさんが話の続きを言うまでだった。


「焼け跡からはボンディール伯、それにグラム騎士団の死体が山の様に発見された、と報告がありました」


 今度はバッっと音が出る程、皆が一斉に俺を見る。あまりに熱い視線、俺じゃなきゃ火傷しちゃうね。

 照れ隠しに俺は舌を出して、可愛らしくはにかんで笑う。


「穀物倉庫だそうで、思ったより燃えちゃいました♪」

「一体何をやってるんです!」


 ゼクトールさんが怒声を上げる、他の面々も渋い顔だ。シノニムさんだけが私しらなーいって顔でお茶を啜っている。いやー流石だね。


「そうは言っても、彼らは放っておけばボルドー王子の屋敷に攻め入るつもりでしたから。先制攻撃を仕掛けたまでです」


 被告俺、無罪を主張。

 なんせ市街地の倉庫に人知れず騎士団を集めた時点で、『謀反の疑いアリ』と断じられても文句を言えないのが普通。

 その点、俺は、集音魔法で犯行に至らんとする言質まで取っているので清廉潔白。NO冤罪。


「我々に活躍の機会は頂け無いんですかね? 近衛兵も鬱憤が溜まっているのですが?」


 ゼクトールさんはいっそ相手の騎士団とガチバトルしたかったと主張、彼らもまた心労やら、ストレスがハンパないのだろうよ。でもな!


「申し訳ないのですが、ストレスと言う意味では私の方が上でしょう?」

「しかし、危険でしょうが!」

「動かない敵を射るだけです、楽な物ですよ」

「魔法は健康のため控えると言ったでしょう!」

「大した消費ではありません、それよりも悲嘆に暮れ、ふさぎ込む方が体に良くありません」

「クソッ! ああ言えばこう言う!」


 ゼクトールさんがブチ切れ、ガシガシと頭を掻く。よく見ると、怒る役から解放されたシノニムさんが、若干嬉しそうで腹立つ。

 因みに、部屋に閉じ込めた方法だが、単に魔法で扉の前の床石を変形させて、つっかえ棒の代わりにしただけ。

 と言っても床石と一体成形の無敵のつっかえ棒だ、絶対に開かないだろう。

 力づくで木扉を割ろうにも、動けばたちまち俺の矢が飛んでくるのでは、奴らに出来た事など何も無かっただろう。

 死体や穀物の影に隠れている奴が面倒だったので、最後には穀物に火を付けて蒸し焼きにしてやった。

 悪だくみに適した場所と思ったのだろうが、アイツらはあそこで集まった段階で詰んでいた。

 俺に言わせればあんなオイシイ所に閉じこもってくれたんだから、ハメ殺さなきゃ逆に失礼と言うモノ。

 少なくても前世のゲーマーだった感覚ではそう。


 しかし、そんな感覚に慣れてない人間も居たようで。ヨルミちゃんが不安そうな声を上げる。


「本当に? ほんとのほんとにユマ姫が人を殺したんです?」


 ……ま、俺みたいな見た目美少女が、今さっき百人ほどぶっ殺してきたわ。等と言っても信じられないのも無理は無い。

 だが、既に王都は戦場に等しい。安全地帯などどこにも無いと知るべきだ。

 俺は向かい合わせに座るヨルミちゃんに脅しを掛けることにする。


「殺しましたよ。安全な所から、一方的に、最後には火をつけて一網打尽です」


 俺はローテーブルの上に膝をつき、四つん這いで向かいに座るヨルミ王女へ、じわりじわりとにじり寄る。


「ヒッ!」

「止めなさい、姫様がやると、呪いの人形が動いている様にしか見えません」


 シノニムさんは酷い事言う、なんてーか俺に突っ込む為だけの機械かよってレベルで動きが速い。


 因みに、俺には計画性などまるで無かった、暗殺者を送り込んで来たボンディール伯の様子を見に行ったら反応が無く、どこだと探し回ったら丁度あの場面だったと言う、突発的な犯行。


 その是非について問う人間が居るのも当然だろう。


「じゃが、カディナール派の主要人物の一人、ボンディール伯爵を殺してしまってよかったのかのう? 何か知っておったかも知れんぞ?」

「いいえ、フィダーソン老、それは違います。ボンディール伯はボルドー王子に討ち入りするために戦力を集めていたのです、彼は何も知らなかった」

「ふむ、なるほどの」


 爺の言う事も解るが、あの様子じゃ期待は出来ないだろう。

 なんせ、ボンディール伯爵はボルドー王子暗殺が何者かの手によって既に成っている事すら知らない。完全に蚊帳の外、戦力外として扱われていたに近い。

 カディナール王子の行方を知っているとは思えなかった。


「軍の人間も動かしてるが、誰一人行方を知らないみたいだ。まさかあの我がまま王子が従者も連れずに雲隠れなんてできるかねぇ?」


 ソルダム軍団長は徴兵された一般兵やゴロツキ紛いの傭兵を部下に持つだけに、下町の全てに顔が利く。

 一方で、ヨルミちゃんは城を、フィダーソン老やゼクトールさんは貴族街を調べている。


 そう、実はカディナール王子、そして目下の所一番怪しいと思われるルージュとか言うカディナールの新しい婚約者も、揃って行方をくらませているのだ。


 現在我々は全力で二人の足取りを追っている。

 しかし、何の手がかりも得られていない。


 それこそボンディール伯から足取りが掴めると思っていたのだが、無駄骨だったとしか言い様が無い。

 それこそストレス解消にしかならなかった。

 こうなった以上、現状は敵方が根負けして顔を出すのを待つしか無いのだが、こっちだって何時までも待てる訳じゃ無い、其れを指摘するのはソルダム軍団長。


「しかし、ボルドー王子の死は、何日も隠し通せる物でも無ぇだろ?」

「いえ、案外長い間気が付かれないかも知れません」


 待ったを掛けたのはヨルミちゃんだ。


「まず、一番大きいのは前回のボルドー王子の死の偽装です」


 確かに、シャルティアに襲われた後、ボルドー王子の死を偽装した。結果カディナールの失態を引き出した訳で、今回も同じと思えば誰もが其れを指摘するのを控える筈だ。


「次に、カディナール王子も顔を出していない以上、ボルドー王子だけが攻められる事は無いでしょう」


 確かに、そもそもボルドー王子の不義理を攻める相手が居ない。


「そして、今回の虐殺です。たった一人で百人以上の騎士を惨殺……したんですよね? そんな人の前にカディナール王子は姿を見せられないでしょう? そうなるとボルドー王子の死を糾弾する人も居ない事になります、誰だってこのタイミングで飛び出す勇気は持てないでしょう?」


 ヨルミちゃんの言うとおりかも知れないな。やり過ぎた所為で、カディナール王子は俺を押さえるまでは顔を出すのが恐ろしいんじゃないか?


 実際は上手くハマっただけで、取り押さえてしまえば俺は健康値で魔法が使えない。

 しかし、そんな弱点だって知る者が居なければ意味は無い。


「結局、殺るか殺られるか、そう言う事ですね?」


 俺の言葉に一同は押し黙る。

 物騒だが事実、俺達がカディナール王子を発見してぶっ殺すのが早いか、カディナール王子が俺をぶっ殺すのが早いか、それだけの勝負だ。


「解りましたからユマ姫はお休み下さい、寝ていないのでしょう?」


 いきり立つ俺をなだめる様に、シノニムさんに諭されてしまう。

 確かに昨夜は勿論、ここ数日ろくに寝ていない。


「言いたくは有りませんが、酷い顔になっていますよ」

「そうだぜ、姫様がそんな顔してちゃ皆がビビっちまう」

「呪いの魔女の様に見えるからの、要らぬ噂を流される前に休むのがよかろう」


 口々に皆が言う位、俺の顔は酷い状態らしい。

 確かにちょっと不気味かな、とは思うが、これはこれで可愛いんじゃ無いかと思うのだが……


「解りました、少し横になります」


 とは言え、今の俺に出来る事は多くない。少し休むしか無いだろう。


「私かネルネがついていましょうか?」

「いえ、不要です」


 シノニムさんの好意はありがたいが、今の俺は誰かが居ると却って寝られない。ボルドー王子に直前まで膝枕をしていた事を思い出してしまう。


「そうですか……」


 クソッ、そんな可哀想な者を見る目で、俺を見るなよ!

 シノニムさんだけじゃ無く、皆が悲痛な顔で俺を見ていた。

 王子が死んだ事以上に、俺の憔悴した様子が皆の精神をすり減らしている。


「失礼します!」


 俺は皆の視線から逃れる様に、部屋を後にした。

 苛立ちに身を任せ、足早に自室に向かう。欠かさずにしてきた警護兵への挨拶も無しに部屋に入ると、ベッドの中へと飛び込んだ。


「はぁ~~」


 俺自身、驚く程にボルドー王子の死にショックを受けてしまった。

 俺にとっての王子は愛する夫だったのか、それとも心を許せる友達だったのか、或いはその両方か。

 今となってはその答えは出ないが、自覚が無い中で大きな存在になっていたのは間違いない。


 それで、結局殺してしまったのだ。


 まただ! そろそろ慣れろと自分でも苛立つ。

 俺が生きている限り、誰かを巻き込んで殺してしまう。それは解っていたはずだ。

 王子が死ぬ事だって想定内。考え無かったとは言わせないぞ! だからこれは計画通り、そりゃアイツに即位して貰って、きちんと結婚して王妃として国を動かせりゃベストだったが、それは望み過ぎ。


 今だって決して悪い状況じゃ無い、婚約者のボルドー王子を失った悲劇の姫と言う肩書きが増えたと思えば良い。


 このビルダール王国を好きなように切り回せる良いチャンス、だってのによぉ。


「この顔は、マズいよな」


 ベッドの中、上体を起こして鏡台を覗く。そこに居たのは成る程、呪いの人形と言われても仕方が無い位に景気の悪い顔をした少女だ。

 これはこれで可愛いと言うのは本心だが、前世の萌え文化を知っている俺だからであって、この世界の人々にはどうあっても受け入れられないだろう。


 ……と、その時、木村は今の俺を見て、どう思うだろうか? と考えてしまった。


 何故かズキリと胸が痛んだ。気持ち悪いと言われてしまったらどうしようと不安になったのだ。


 どうやら……本当に精神的に参っているらしい。


 木村に嫌われて、遠ざけたかったと言うのに。……それとも俺は、木村に慰めて欲しいのか? それで木村まで殺そうってのか俺は!


「はぁ……クソォ-」


 ベッドの上。眠いのに寝付けず、悪い事ばかりが頭を巡る。

 無心だ、無心でゆっくりと頭と体を休めるんだ! こう言う時は呼吸法、波紋だ! 波紋に目覚めるんだ!


 ――スゥーハァー


 ……うん、意味は無いよな。いっそ、少し体を動かすか? 俺はムクリと起き上がり、ベッドに腰を掛ける。

 スクワット? いや負荷を掛けるより体を柔らかくして血行を良くしよう。柔軟運動とかだな、例えば――ラジオ体操とか。


「…………」


 ダメだな、大人しくするしか無い。再びベッドに戻ろうとした時、控えめに扉がノックされた。


「あのシノニムです、ユマ姫様に来客が来ています」

「来客?」


 今の俺は例え公爵家の来客があろうとも出るつもりは無い。どっちがより多くの貴族を味方に付けて――などという『平和』な勢力争いは終わったのだ。

 今はもう、殺るか殺られるかしか残っていない。

 だと言うのに、シノニムさんが伝えてくる来客。相手は誰だ? 木村? いやアイツにはしばらく会わないと伝えたハズ。

 ……誰だ?


「あの、エルフの使者、ガイラスさんなのですが」


 俺は慌ててベッドから飛び起きた。




「お久しぶりですね」

「ユマ姫……なのですか?」


 応接間にやって来て、第一声がそれか。

 そりゃやつれたが、見間違う程かね?


「やはり、大森林に戻るべきでは? ここは余りに魔力が薄い。ビルダール王国の協力を取り付ける事が出来れば、対帝国に心強い事は認めます。ですが、それもユマ様が死んでしまっては何にもならない」

「レジスタンスの旗印と言う、セーラさんは何と言っているのです?」


 俺は返して貰ったティアラ? 健康値の魔道具を被りながら尋ねる。

 今の俺は、寝ていたまま、肌着代わりの生地が薄いキャミソールみたいなドレスにショールを一枚羽織っただけの姿だ。


 いかにも病気ですって格好だが、事実、不眠で苦しんでるので許して貰いたい。


「セーラ様はユマ姫から預かった魔道具と共に無事を伝えると、涙ぐんで居ましたよ。これでエンディアン王家が復興出来ると感無量でした」

「最早王家がどうと言う次元の話では無いでしょう? エルフの存亡を考えなければ行けない事態なのですよ?」

「だからこそ、王家の旗印が重要なのですよ」

「私はハーフなのに、ですか?」

「それでも、です、我々が纏まるのに姫様の名前が必要なのです」

「名前ぐらいなら幾らでも使って下さい、それが打倒帝国へと繋がるのなら」

「ハッ!」


 ガイラスが敬礼を返す。

 しかし、エルフは大概、頑固だなぁ。


 その後も情報交換を幾つか、まずエルフって名前は大森林の民に好評らしい。


 たかが名前、されど名前。エルフの意識改革を促したいものだ。


 他にも、帝国はやはりエルフの都や村を占領出来ていないようだ。


 ガイラスは言葉を濁して居るが、人間はエルフを扱えず、虐殺しているようだ。

 無理もない。


 帝国は霧の下でしか戦えない。霧が有限である以上、長期間占領するのは難しい。


 聞けば、奴らは王宮内に霧を張り、立て籠もっているらしい。

 幾ばくかの人質を取り、情報や魔道具、魔石を収集し、帝都への運搬を行っているとか。


「反攻作戦が何度か行われましたが、作戦が進むにつれて霧が濃くなり、あえなく敗走を余儀なくされています」

「霧は自由に強弱を切り替えられるという事ですね?」

「その様です、しかし、最近は霧を出し惜しみしている様子が見られます、何か予定外の事態が起こったようです」

「それは、私が破壊した霧の発生装置の影響かも知れませんね」

「恐らくは、だとすれば姫様は既に国を救ったと言えます、どうかこれ以上のご無理はなさらぬように」

「……そう、ですね」


 ふむ。霧は無限じゃない、人間の健康値を吸い出した有限資産だと言う情報は、やはり有用だったようだ。


 基本的に待っていれば奴らは時間切れで撤退せざるを得ないし、無駄撃ちさせればそれだけで戦果と言える。


 エルフから健康値を吸い取る事も考えていたらしいが、人間が広場に堂々設置した怪しげなオブジェなど、即破壊するに決まっている。

 既に三体以上の霧の発生装置を破壊し、それ以降は遮蔽物の無い場所には出てこないらしい。


 合わせて、コチラの現状もかいつまんで伝える。

 婚約者たるボルドー王子の死と、それこそがやつれた原因であると伝えると泣かれてしまったのが予想外。


「大変な状況にある姫様に申し訳ないご報告が、なんとしてもと言われた禁術なのですが、禁書が保管されていると言われる封印書庫、その場所へと辿り着いたのですが……」

「まさか?」

「ええ、残念ながら既に帝国に略奪され、幾つかの本は持ち出されていました」

「…………」


 おかしいとは思っていた。ホモかと疑う程仲が良かったガルダさんの裏切り。そして自害。

 ハッキリと誰かの洗脳を感じさせたが、催眠術や短期の暗示でああはならない。自傷行為は最も植え付けるのが難しいのだ。


 ……だが、禁術ならどうだ?


 可能かも知れない。

 人間の脳に作用する術は嘘発見器で確認済み、アレだって催眠や暗示を掛けるのと併用すれば、その効率は全く違うだろう。

 複数の禁術を組み合わせた時、どれぐらいの効果があるのか? 正直な所全く想像が付かない。


「それが、王子の暗殺に利用された可能性はありませんか?」

「いや、まさか! 仮にエルフの裏切り者が居たとして。ただでさえ高度な魔術制御が必要な禁術を、この魔力の少ないビルダール王都で行うのは現実的では無いのでは?」

「……確かにそうですね」


 そもそも王都にはエルフが居ない、知ってる中ではネルネぐらい。


 いや、……ネルネが? あり得るだろうか?


 実はネルネの魔力はハーフにしては異常な程高かった。確か250位。

 ある種の突然変異なのではないかと思ったほど。しかし、ネルネは全く魔法が使えなかった。

 魔力値以外にも魔法を使うには条件が必要なのだろうか? と考えて居たのだが、まさかネルネが敵側の間者だった?

 流石にあり得ないだろう、だとしたら我々の目が節穴だったと言う事になる。


「シノニムさん、そう言えばネルネはどこに? 姿が見えませんが?」

「それが……」


 なんと! ネルネは昨日から行方不明と言うでは無いか。

 これは決まりか? 信じたくないがそうなのか?


「これはマズイですね、ネルネが敵である可能性、すぐに伝えなければ大変な事になります」

「私が向かいます、姫様は安静にしていて下さい」

「私の不手際です、私が伝えないと。それに可能性の話です」


 シノニムさんの申し出を断る。これは魔法の秘密を含むデリケートな話題だ。それに一刻を争う。

 俺は上着を引っ掴みながらガイラスに急用を知らせると、足早に部屋を出た。

 廊下を走りながら上着を着込み玄関に、そこで出くわした男に薄い違和感を感じた。


 誰だ? 参照権!

 便利な参照権は男が木村の商会の従業員だと教えてくれる。


「木村の商会からですか?」

「え? いや、そうですが……」


 顔を覚えられていたのが意外だったのか男は狼狽える。

 ……いや、この狼狽え方はおかしくないか?


「なんの用件です?」

「いえ、姫様では無くシノニム様か警備主任、もしくはゼクトール様に伝えるようにと言われていま……」

「私に黙って何をしようと言うのです? 見せなさい!」


 嫌な予感に、使いの男が持っていた封書をひったくり、千切る。

 出て来た手紙を開くと、内容は短く、簡潔だった。


『家の丁稚であるフィーゴ少年が攫われた、舐められたら終わりの商売なので若い衆を連れて取り返しに行く。

 指定された場所は王家の墳墓。余裕があれば救援求む。ただし陽動の可能性アリ、注意されたし。

 くれぐれもユマ姫には内密に願う。


 以上』


 ……そう来ますかね。

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