婚約旅行
「確かに……揺れないな」
「ええ、そうですね……」
俺とボルドー王子は二人、馬車に揺られていた。王子の母親へ婚約報告を兼ねたちょっとした新婚旅行である。
揺られていたと言っても、王子の言うように穏やかな物。木村の作った馬車のサスペンションは他の馬車の比ではなかった。
あれから気になって馬車を下から覗いてみれば、板バネを何重にも重ねてあったし、タイヤもゴムっぽい素材で出来ていた。軸受けもベアリングっぽい。
酷いオーバーテクノロジーもあった物だが転生チートの定番感はある。
ちなみにエルフの竜篭はシャーシとボディの間が浮いてるとかで、幼少期に俺の内政チート欲をポッキリへし折ってくれた。
それでも竜篭が揺れまくってたのは、それだけ大森林の道が良くなかったと言う事だろう。
結構な予算を街道の整備に使っていたハズなのに、今考えればアレは一体どう言う事だ?
いや、あれだけ深い森の中の道路を整備し続ける事自体が土台無理なのだろう。
大森林の植物は地球の常識より遙かにパワフルだった。レンガをぶち破って伸びてきた新芽を何度も目にした物だ。
――ムニュ
なーんて考え事をしていたら。俺は王子にほっぺたを引っ張られた。
「どうした? アイツの事でも考えていたのか?」
「ち、ちがいまふ……」
アイツと言うのは木村の事だろう、最近の王子は嫉妬深いと言うか、木村と張り合って困る。
「アイツの馬車を使うのは少し癪だが、お陰で馬車の中で君と話せるのは感謝だな」
「そうですね、普通の馬車では舌を噛みそうです」
そう、普通の馬車ではよっぽどスピードを落とし、歩くのと変わらないぐらいの速度でなんとか会話が出来る位に揺れるし、なによりガタガタとうるさいのだ。
その点、木村の馬車ならジョギング以上の速度でも揺れに悩まされない。普通に会話も可能だ。
暗殺者なりを釣り出すと言う裏の目的もあるだけに、いざと言う時に速度が出せる馬車は必須。それに婚約旅行だと言うのに会話も出来ないのは寂しい。
木村の馬車を使うのは当然の選択であった。
加えて言えば、俺の健康状態にも配慮されたと言うべきだろう。
体調が悪いのは知られているようで、王子は頻繁に俺の顔色を窺う。
「少し、痩せたか?」
「そうですね、魔力の使い過ぎかも知れません」
「そうか、傷病者に回復魔法を使うのは少し控えた方が良いな」
「私は嬉しいですが、反発はありませんか?」
「君の健康を害してまで助かりたい奴は居ないさ。確認だが、魔法を使う事自体が命を削ると言う事は無いのだな?」
「それはありません、でしたなら少なくとも、アイスなどを作ろうとはしませんよ」
「それは、そうか」
結局、舌を駄目にして食べる量が減ってしまったから痩せているだけだしな。
まだ、そこんところは言い出しづらい。単純に恥ずかしいからな。
因みにアイスは冷たくて香りも良くカロリーも高いので、よく食べている。
「少し寝たらどうだ、横になるだけでも大分違うだろう?」
「ここで……ですか?」
「ああ、邪魔する者も居ない、仮に何かあっても俺が守るさ」
「え……で、でも寝顔を見られるのは恥ずかしいですし……」
もじもじと女の子らしい回答をしてみた。因みにどこでも気絶していた幼少期も手伝って、ホントはそんな部分に全く抵抗はない。
とは言え、男が居てもグースカ寝てしまう隙だらけの女の子と思われるのも癪だ、守りたい薄幸の美少女感も損ねてしまう。
だが、王子は俺の戸惑いを無視してどうしても俺を寝かせたいらしい。
「寝顔ぐらい婚約したんだ、今更だろう? そんなに嫌ならココで向こうを向いて寝れば良い、それなら寝顔は見えないさ」
そう言って王子はポンポンと膝を叩く。
「ひ、膝枕ですか? 王子に対して不敬では無いでしょうか?」
「それこそ今更だろう?」
「…………」
そう言われれば、そうだな。
ってか、この王子は単に俺とイチャイチャしたいだけでは無かろうか? それで膝枕って発想がなんとも控えめだが、女の子と縁遠かった前世を考えれば共感しやすい。
「では、失礼して」
「おう、しっかり休めよ」
そう言う事なら、と膝を借りて目を閉じれば、王子が俺の髪を撫でる感触。
俺の髪は綺麗なので触りたい気持ちは、そりゃ解る。
婚約してるのだから、気安いですよ! と怒るのも筋違いだろう。
結局俺は、なんだかんだ心地よい振動と、髪を撫でる感触に眠くなり、気が付けば意識を手放していた。
「あらあらー良く来てくれたわねー! 随分まー、早かったじゃない」
馬車で二日の距離のはずが、木村の馬車は僅か一日でヴィットリア領まで辿り着いた。
揺れないと言う事は、馬への負担も抜群に少ないのだ。
ボルドー王子の母、キュリアナさんは恰幅の良い肝っ玉母さん然としていた。
王妃らしさは一切無いが、ボルドー王子の母と言うのは納得と言える。喪服と言うのをさっ引いても地味な服装で、言われなければ王妃などとは絶対に思わない。
「馬車の性能が良かったからな、予定より早く着いた。紹介するよ、この子がユマ姫だ」
え? なんだよその紹介。ホントに貴族か?
不躾な態度に虚を突かれたが、俺まで適当と言う訳には行くまい。目上の女性の場合はどうするんだっけ?
左手を胸に、右手でスカートをつまみ、会釈する。
「この度は国王様の死、お悔やみ申し上げます。私は王子と婚約させて頂いたユマと言います。この度は婚約の報告に伺うのが遅れたばかりに、国王様の訃報まで同時にお伝えしなければならない事が残念で仕方がありません」
王子の性質から、あけっぴろげな性格だとは思ったが、幾ら何でも国王の弔辞が後回しなのは驚いた。
「まぁまぁ! ちっちゃくて可愛い子ね、あんたと結婚するにはちょっと可愛らし過ぎないかい?」
「そうは言うがな、中身は俺なんかよりよっぽど大人だぞ」
「そりゃアンタがガキ過ぎるだけじゃないかい!」
……いや、あけっぴろげ過ぎるだろ! 宿屋の女将とどら息子か?
頭痛を覚えるやりとりだが、この息子にして母と言う事だろう。
とは言え、確認すべきはセキュリティだ。扉まであけっぴろげでは命に関わる。
「あの……失礼ですが、防犯の方は大丈夫ですか? 国王様の死によって、今王都では権謀術数が渦巻いています、ここも無関係では居られないでしょう」
「解っています、元々あの女からの嫌がらせに備えて、この屋敷の防犯は万全を期しています、安心して下さいな」
俺へと向き直ったキュリアナさんは、瞬時に肝っ玉母さんを引っ込め、貴族の奥様らしい笑顔で答えてくれた。
なるほど、流石に中身まではただのおばちゃんと言う訳では無いか。
そして、『あの女』と言うのは第一王妃、カディナール王子の母親だろう。
葬式の時に見たが、美人だが神経質そうでカディナール同様、馬が合わないのは一目で解った。
国王も顔に惹かれて第一王妃と結婚したものの、気疲れから第二夫人は肝っ玉母ちゃんにしたと思えば納得でもある。
でも、当然二人は仲が悪くて、肝っ玉母ちゃんは王都を脱出。
……いやはや、早死にするのも納得だわ国王。
にしても、俺はここで何をすれば良いのか、それが良く解らない。
親子の二人を見ていると、何というかアットホームなのは良いが、他人の家に突然上がり込んじまったみたいな居心地の悪さあるなコレ。
「何日ぐらい居られるんだい?」
「二日か三日だな、一泊のつもりが馬車が速いから時間が取れた」
「良かったじゃないか、この娘を湖にでも案内してやんな」
「元からそのつもりだ」
「へぇーがんばんなよ!」
キュリアナさんは王子の背中をバンバン叩く。
湖と言うのはこの辺りの人気観光スポットと言った所か?
そこでしっぽりデートしてこいと、そう言う話だ。デートされる俺としては、なんとリアクションすれば良いか悩むな。
そんな居心地の悪さも一瞬、夕暮れでの到着だったので、その日は名物と言われる地鶏の丸焼きを振る舞われ、デザートとしてキュリアナ王妃が焼いてくれたパイを食べたりしてすぐに終わった。
そして翌日、俺は馬の上にいた。
地球の馬と違って、耳が長い馬は可愛らしい。そして馬の上と言うのは案外目線が高いと言うのは新しい発見だろうか?
などなど、俺は必死に現実逃避していたのだが。
「落ち着かないみたいだな、馬は初めてか?」
「そうですね……」
いや、俺は決して、馬の上だから落ち着かない訳じゃない。セレナと空を飛んだ事もある俺に、この程度の高さはなんでもない。
今の俺はもっと特筆すべき状況にあった。
馬上で俺は、王子の腕の中に収まっているのだ。
スカートなのでお姫様みたいに(お姫様だが)横乗り。手綱を握る王子の膝の上にちょこんと乗って、王子の右腕に体重を委ねている。
つまりラブラブ二人乗り状態である。
湖への小道は馬車が入れないし、俺は乗馬など出来ないのだから仕方が無いとは言え、コレは恥ずい。
膝上に乗っているのに、ちっちゃい俺の目線は王子の喉の辺り、話をするには見上げる様な格好だ。
「どうだ? 馬車も良いが、この方が風が気持ちが良いだろう?」
「そうですね」
「ここの湖は避暑地として人気があるんだ、何しろ景色が良い」
「それは楽しみです」
我ながらちょっと笑顔が固いが、恥ずかしいだけで別に嫌な訳じゃ無い。
実際、今日は天気が良いだけに、ちょっと楽しみになってきていた。こうしてただ馬を歩かせるだけでも心地良い。
髪が風に流れ、俺が手でかきあげるとキラキラと光を反射した。
揺れはするが、馬車と違って不快な揺れでは無い。風は気持ちよく、日差しは心地よい。
夏の暑さも心なしか今日は控えめで、乗馬日和と言えるだろう。
湖から流れ出している小川を道しるべに、川岸をゆったりと遡る。
どれぐらい歩いたか、せせらぎと馬の足音が作り出す単調なリズムに、少しウトウトとし出した頃、王子から声を掛けられた。
「そろそろだぞ? 俺が見せたかった光景は……コレだ」
「わぁ……」
それは、言ってしまえば何の変哲も無い湖畔の風景だ。
キラキラと光を反射する湖面に、小さい釣り舟が浮いている。向こう岸は深い森で、湖畔にあるのは小さなペンションが一つだけ。
全く違うはずなのに、どうしてか俺は、幼い頃、家族みんなで訪れた湖畔の避暑地を思い出していた。
あの時は俺が蛙の幻影を見て、旅行を台無しにしてしまったんだっけ。
思いっきり楽しんでいたセレナに悪い事をしてしまったなぁと、ほろ苦い思いが胸の中でしこりの様にいつまでも残っていた。
あの後も俺は、家族旅行なんていつでも行ける、埋め合わせの機会はある。そう思っていた。
でも実際はアレが最後の家族旅行になった。もう二度と俺は家族で旅行に行く事は出来ない。
みんな死んでしまった。
みんな……みんなだ。
セレナも、兄さんも、母も、父も。
「ど、どうした? 何で泣く?」
「ずみません、昔の事を……思い出してしまって」
クソッ、また良く解らないタイミングで泣いてしまった。
どうにも精神的に不安定だ。
しかも今は王子の腕の中、逃げ場は無く、王子に泣き顔を見せるか、王子の胸に顔を埋めるしかやりようが無い。
どっちも抵抗があったが、なんとなく泣き顔を見せたく無くて、王子の胸に身を寄せた。
「そうか……湖は家族旅行の思い出、か」
「……はい」
背中をさすられながらのしっぽりした雰囲気で、俺は泣いた原因を王子に話してしまった。
「そういや、俺も親父と一度この湖に来たな」
「それは……」
言われてみれば、ボルドー王子にしてみれば親が死んだ直後。俺の感傷に付き合わせるタイミングでは無かっただろう。
コレは、なんとも恥ずかしい。本来なら、俺が王子の感傷を慰める場面だろう。
しかし俺が王様の話を促すと、王子はあまり話したくないのか、不承不承と言った様子。
「親父ったらな、遊びに来たってのにペンションで仕事なんざしやがって、遊ぼう遊ぼうって、俺がひたすらダダをこねたのを覚えてる」
「ふふっ」
「どうした?」
「いえ、私の父様も旅行なのに仕事をしていたなって」
「お前もか、そうだよな、どこも王様なんて難儀なばっかりな仕事だよな」
「そうですね……」
「でもよ、だからこそあんな奴にはやらせておけないな」
「ふふっ頑張って下さいね、旦那様!」
「なんだコノ! 大人をからかいやがって」
「ふふっ」
「ははは」
笑い合いながら、湖畔で二人と一匹。カッポカッポと歩ませながら、優しい時間が流れていた。
ふと王子が正面から俺を見る。
自然と、俺は、目を瞑った。
『高橋敬一』の意識も溶けていき、私はキスを待つ体勢だ。
そしていよいよ……
――ピィィィィ
甲高い笛の音が鳴った。
賊の合図である。
思わずパチリと目を開ければ、苦り切った顔の王子のどアップがそこにあった。
「クソッ、空気が読めない殺し屋だ」
全くだと思いながら、俺は守られてしまった唇を指先で押さえる。
「どうしましょう? ペンションに立てこもりますか?」
「あんまり舐めてくれるなよ、笛の音から包囲を抜けたのは少数、すぐに決着を付けてやる!」
言うや否や、王子は馬首を返して湖畔へ到る山道へと戻った。結構な速歩で俺は王子にしがみつくのに必死だ。
元来た道を飛ばしていると、途中で賊を追い越してしまったらしい近衛兵達と出くわす格好となった。
先頭に陣取るゼクトールさんが息を切らして報告する。
「申し訳ありません、一人突破されました」
「いいさ、昨日から50人近く相手をして一人だ、悪くない」
……そんなに!?
襲撃が無いと思っていたら、どうやら気付かれぬ内に抹殺されていたらしい。
十重二十重と警備が敷かれているとは聞いていたが、それでも取り逃した時だけ笛で知らせる、そんな仕組みだったようだ。
「丁度良い、ゼクトール、受け取れ」
言うや否や、俺は王子に抱えられ、馬上から馬上へと受け渡された。
おいおい、俺はボールじゃ無いぞ!
「格好つけるのも大概になさい、王子!」
慌てて俺を受け取ったゼクトールさんが必死に王子を制止する。雰囲気から察するに、どうもコレ、王子が一人迎え撃つ流れっぽい。
「新婚を邪魔されてイライラしてんだ、格好ぐらい付けさせろよ」
そう言って一人で飛び出してしまう。
「馬鹿をおっしゃい! 我々が片付けます、お戻り下さい」
「大丈夫さ! 俺には女神が付いてる!」
そう言って俺へと振り返る王子だが、クーリングオフはナシに願いたい。
幸運の女神どころか、禍々しさで言えば呪いの邪神像みたいな物だからな。
しっかし、これ以上無い見事な死亡フラグ。
……いやいや、流石に大丈夫だよね? コレ。
「まったく殿下は、いえ、心配には及ばないと思いますが……」
ゼクトールさんはボヤきつつも、俺を気遣ってそう言うが、王子が単騎駆けとかどう考えてもあり得ない状況だ。
「本当に大丈夫……なのですか?」
「ええ、ああ見えて、殿下は近衛兵の平均より上の実力はお持ちです。生半可な賊に遅れは取りませんよ、まして相手は疲れ果てている筈です、注意すべきは飛び道具ぐらいでしょうが……」
「あっ! その飛び道具の様です!」
50メートルぐらい先、王子が離れ一人になるや、木陰から飛び出した賊が構えるは、なんとボウガンだった。
ボウガンならそれこそ疲れていても威力が出せる、一番この場面で嫌な兵器だろう。
……だが。
「躱した!?」
「あの方は、何しろ目が良いですからな」
王子は馬上ながら体を反らしてその一撃を避けてしまう。すると連射出来ないボウガンの弱みが出る。
慌てて逃れんとする襲撃者だが……なんと足がもつれて転んでしまう。
いや、足に何かが刺さった?
「王子もボウガンを?」
「ええ、アレはこの前の襲撃者が使ってきた小型の奴ですね。妙に精度が良い、やはりアレは恐ろしい敵でしたな。今回の様な雑魚とは違う」
ゼクトールさんが言うには、王子はシャルティアが使っていたボウガンを馬に載せていたらしい。
ボルトをセットしておけば片手で扱えるボウガンは、馬上で使うのにも非常に効果的だと言える。
「ここ数年で帝国から登場した武器ですが、戦争を変えかねません。恐ろしいものです」
……いや、帝国はもっと恐ろしい兵器。『銃』を開発している。
だが、それはここでは良いだろう。目線の先、王子は馬を走らせ賊へと追いすがる。
賊もさるもの、足をやられても立ち上がり、正眼に構える……だが。
派手に血が舞った。
当然、賊の血だ。斬り合いにすらならない。王子は馬上のまま、一太刀で賊の首を飛ばした。
「強い、ですね」
「そりゃあね、アンタは本当に王族かって位に訓練してますから」
ゼクトールさんが笑って俺の肩をポンポンと叩く。
それを見たボルドー王子が、猛然とした勢いで戻ってきた。
「オイ、人の嫁に手を出さないでくれないか」
「申し訳ない。姫が美しく、つい賊を応援してしまいました」
「お前が言うと洒落にならんぞ」
「半分本気ですからな」
「とんだ忠臣がいたもんだ」
謎のブラックジョークと共に俺は王子の胸へと戻された。
結局、賊の襲撃はこれ以降無く。湖で二人、俺は王子と遊んだ。
ボートを借りて、二人で漕いで湖を横断したり、釣りをしたり。
二人して家族を失った傷を癒やす様に、新しい思い出を作ろうとしていた。
遊び疲れた俺達は、日が暮れる前にキュリアナさんの邸宅に帰る。
ここにも襲撃があったようだが、屋敷の警備も優秀で何事も無かったらしい。
夕飯はキッシュっぽい物と、タルトっぽいデザートだったのだが、なんかキュリアナさんがやたらと俺に、料理の感想を聞いてくるのが困る。
いや、他人の家で料理を食べるとそう言う物だってわかっちゃ居るんだけど、不味くったって美味しい以外に言えやしないし。そもそも今の俺は味なんて解らない。
そんな俺の様子を優しい目で見てるキュリアナ王妃がなんというか、申し訳なく感じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日はキュリアナ王妃自慢の庭を案内された。
「どうだい? 綺麗だろ?」
「ええ、でも安心しました」
「何がだい?」
「ボルドー王子みたいに、庭にお芋を植えているのでは? と思っていたので」
「はははっあの子はもうっ!」
いや、真剣にあの庭は無いからね?
庶民の感覚ではたかが庭かも知れないけど、貴族の庭って凄い大事なんで。
芋が植わった庭で園遊会とかやれないでしょ? ましてアレでも王子サマだよ?
せめてお屋敷が豪華だったらまだ室内でパーティーとかやれるけど、屋敷と言うより要塞だし。
いつまで木村から会場をレンタルするのかと。
「まぁあの子はああ言う感じだから、許しておくれよ」
「ええ、まぁ」
言うても戦争をするのに、相手が浪費家では無いのは良い事だろう。
何せ、これからの戦争は経済戦争の様相を見せるに違いないのだ、俺は戦争の移り変わりを歴史で知っている。
銃が出来てしまっては、兵の練度より武器の数を揃える方がずっと大切なのだから。
「あんな風に育っちまったけど、婚約者が死んでから沈んじまってね、こんな嬉しそうなあの子を見るのは久しぶりなんだよ」
「そう、ですか……」
見た目は幸運の女神でも、中身は邪神な上に男で申し訳ないが、元気になってくれたのならまぁ良いだろう。
「あの子の事、これからも支えてあげてね」
「そんな! むしろ私が助けられてばかりで……」
「それでも、よ」
「…………」
そんな風に女性同士? の会話をして一日を過ごした。
王子を含め、護衛や男衆は高木の手入れとか、橋の修理とか力仕事に駆り出されていた。
これは、姑が嫁の値踏みをするための一日だったのだろう。
俺は合格だったのか? そもそも、隠居して庭いじりをしている奥様の採点基準など解らないので気にしても仕方が無いのだが……
夕飯はデミグラスっぽいスープに黒パン。羊の肉が少々。デザートはクッキーだった。
今日も今日とて、肝っ玉女将ことキュリアナ王妃は俺へとにじり寄って、料理の感想を求めてくる。
「今日の料理も美味しいかい?」
「ええ、とっても」
俺はクッキーを頬張りながら答える。味なんて解らんが営業スマイルで押し通す。
カロリーが高そうな料理は多少無理してでも口の中に放り込み、お茶で飲み込むべし!
「嘘おっしゃい! あんた味なんて解っちゃいないだろ?」
「ゴホッ!」
むせた! お茶が気管にっ!
「あんたの食べてるクッキー、あんたの分だけ、のってるのはナッツじゃなくてコイツだよ」
「これは?」
「
木村が扱っている香辛料だ。
「最初は悪戯のつもりでパイに少しだけ入れたんだ、どんな反応をするだろうってね、でも平気で食べちまう。それで翌日のタルトはもっと量を増やして、今日のクッキーなんざ丸ごとさ、そんなものかじったらたちまち舌が痺れちまうのにね」
「…………」
そう言う、事か……
「あの子は、気付いているのかい?」
「いえ、こうなったのは最近ですから。魔法の副作用で……」
嘘を付きました。
だって、トチ狂って、舌に針を刺したら味覚が無くなりました! って白状する娘とかヤバいだろ?
むしろアレだよ? そんなキチッた子が欲しかったのよ! とか言われたらドン引きだよ?
俺は、使いたく無かったけれど、危険な魔法を使わざるを得なかった悲劇の少女と言う体で乗り切る事にした。
「もう、あの子は鈍いんだから。でも、言わない方が良いのかしら?」
「ええ、その方が」
「あんまり抱え込まないで、あの子にも教えてあげてね」
「……はい」
おばさまにも撫でられてしまった。
恥ずかしさを誤魔化すように、俺はクッキーを頬張る。
「あっ!」
そんな俺をみてキュリアナおばさまは声を上げるが、俺には何でも無い。
いや、言われてみれば喉の奥の清涼感? みたいのがちょっと痛いと言うか、変な感じはする。
「ふふ、私にとってはかえって美味しいかも知れません」
「もう、変わった子だね」
キュリアナ王妃に笑われてしまった。
その様子を見て、王子は蚊帳の外でブスっと拗ねていたのが印象的だった。
この日も泊まって計三泊。
翌日、もう朝から王都へと帰るだけだ、早朝からキュリアナ王妃は出迎えてくれた。
「その子を大切にするんだよ」
「解ってるさ」
そんな普通過ぎるやりとりに、本当に宿屋の女将とドラ息子みたいだな、と最初と変わらぬ印象を強めた。
帰りの馬車はもう、本当に何も無かった。精々、俺が王子の膝の上で甘えたぐらいか?
ってかここ数日そればっかりだな、俺。
数日ぶりに帰ってきた王都は、当然だが未だに喪に服していて静かな物だった。
まだ夕暮れ時なのに、全ての商店は店を閉じていて、人通りもまばらだ。
しかしヒッソリと静まり返る通りを見ると、俺はなんとも言い様の無い胸騒ぎを覚えた。
その正体がわからぬままに、馬車は王子の屋敷へと向かう。
王子の屋敷は城の中の一区画、大きな門を抜け、広大な芋畑の奥にある。
畑を抜けた馬車が屋敷の前に付けるなり、待ちきれぬとばかりに慌てた様子のガルダさんが馬車の扉を開け放った。
「王子! 聞いて下さい。調べていたルージュの正体が判明致しました」
「お前は、情緒と言うのが解らん奴だな」
王子が俺の膝の上で答える。
そう、王都に近づいてからは、今度は逆に俺が膝枕をさせられていた。
納得行かない所も有るが、交代だと言われれば流石に断れなかったのだ。
「し、失礼しました! ですが急ぎですので」
「ハァ、そうか、では執務室で聞く。ユマ、君は屋敷に帰っていろ」
「あの……私も聞かないで良いのですか?」
「あまり見くびってくれるなよ? 万一、助けが必要なら相談するさ」
そう言われれば体力に劣っているのも確かなので、反論もしづらい。
「解りました。スミマセンがこのままオーズド邸に向かって下さい」
俺が御者にそう言うと、すぐに馬車は動き出し、広大な芋畑の庭を進んでいく。
――しかし
「ごめんなさい、やっぱりちょっと止まって下さい」
門の直前。俺は再度、御者に指示を出した。
馬車は急停止し、御者は何事かと振り返るが、理由など説明出来ない。
さっきの胸騒ぎ、そして何より、チリリと首筋に特有の痛み。
目を閉じて屋敷を振り返れば、遠くに光る王子の運命光。
――それが、消えようとしていた。
俺は慌てて馬車を飛び降りる。御者が呼び止める声を振り切って走り、芋の植わった庭を突っ切る。
すぐに辿り着いた屋敷の前、立っていたのは先ほど出会ったガルダさん。
そして血だらけで倒れているのがボルドー王子だ。
「な、なん……で?」
この声は俺のではない、俺も思いは同じだが。それを言葉に出来ないほどに、意味が解らなかった。
「なんで? 俺が?」
その言葉は、血だらけの小剣を握ったガルダさんから発せられていた。
「どっちにしろ死ななきゃ。そうだ、死ななくちゃ」
そう言ってガルダさんは、その剣を自らの喉元へと運び。
「止めッ! 止めなさい!」
声を張り上げ制止する、しかし走って息を切らせた俺に、それ以上何かをする力は残っていなかった。
「あ゛ぐっ」
そうして、ガルダさんはそのまま喉を突き。
――自害した。
「え? 何? なんなの?」
呆然と立ち尽くす。意味が解らなすぎて涙も出ない。
現実が受け入れられず、でも目の前には王子の死体。
目を瞑っても、消えてしまった王子の運命光が俺に現実を突きつけていた。
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