殺戮令嬢2
俺は自室のベッドで仰向けに寝っ転がっていた。
「はぁ、もう嫌だぁ……」
俺はアイスを作り続ける生活に飽き飽きしていた。
作れば作るほど派閥の力は強化されるとは言え、消え物だけにキリが無いのだ。
侯爵の一人など、アイスだけでコッチに付いてくれたらしいが一体どれだけアイスが好きなのかと問い詰めたい。
使いすぎて、かなり魔法も洗練されてきたが、元々難しい魔法なので気は抜けない。
それに……
俺はチラリと部屋の隅に立てかけた矢筒の中身を確認する。
ひーふーみー……結構減っている。それだけ夜に忍び込もうとする
怒りに任せて、俺は布団を思い切り蹴っ飛ばす!
「おかしいだろ! 流石に! ドンだけ働かせるつもりだ!」
「どうしました?」
俺が人知れず愚痴っていると、シノニムさんが入ってきた。そう言えば鍵をしていなかった。
だがノックぐらいして欲しい。
いや……、寝てるかも知れないから鍵が掛かってなかったら入っていい、と伝えたんだった。
「いえ、少し疲れから気が立っていた様です」
「お疲れ様です、しかしもう少しで足場固めが終わります、これ程アイスを作る必要は無くなるでしょう」
「それは楽しみですね、ですがアイスだけでなく、来客が多すぎるのが考え物です」
「? 来客? アイスを作り始めてから、来客どころか、派閥の集会にすら最低限の出席しかしていませんよね?」
そう、シノニムさんの言うとおり。俺は自分の派閥の集会なのに、殆ど出席していない。
派閥の集会と言いながら実際はデートスポットと化しているので、参加しなくても出席者からはそれ程苦情は無い。
しかし俺の人気が落ちた訳でも無い、それどころか人気はもはや伝説の域にまで達していると言う。
一目見たい。しかしどこにも顔を出さない。
そんな俺に、ビルダール王国の民は焦れている。
そうやって敢えて顔出しを減らす事で、俺と言う存在のレアリティを上げていると言う寸法だ。
国を奪還するために、新しい冒険の真っ最中と言う噂も撒かれているが、実際は屋敷に籠もって必死にアイスを製造しているのだから笑えない。
そんな訳で俺はアイス作りに専念出来ているが、表の客は断れても裏の客はそんな都合などお構いなしだ。
「私が言っているのは昼間の客ではありません、夜の無法な
俺が肩を
「夜の? いえ、何のことですか?」
……え? アレ? 何かおかしいぞ?
「何って! 夜に忍び込もうとする輩ですよ! 今月に入って、えーと……既に十人ですよ? 多すぎると思いませんか?」
「ちょ!? ちょっと待って下さい! 侵入者? が、居たんですか?」
「……え?」
「えっ??」
――そこから!?
取り敢えず、落ち着いて二人で話し合う事に。
「では、気のせいでは無いと?」
「ええ、と、言うか最近ではネルネに『姫様はアイスの作りすぎで夜な夜な発狂して弓を放つ』と吹聴されるぐらいの頻度で、ですよ?」
「いえ、それは聞いてましたが、……本当にストレスでおかしくなったのかと」
「ファッ? 最近妙に優しかったのってそう言う……」
「え、ええっと、本当に気のせいでは? 声を聞いた者も死体を見た者もおりませんが」
「だからこそ、シノニムさん達が片付けている物だとばっかり……」
「いえ、正確には一度だけ、死体はありました。しかし矢では無く、頭部が破裂した変死体で、我々に対する強烈な嫌がらせと思っていたのですが」
「頭部が無い? ああ、確かに魔法で強化した弓矢はその位の威力があります」
「た、確かに。スフィールでも同じような死体を見ましたが、本当に弓矢だけであれほどの破壊力を?」
「ええ、……しかし一体だけ? 通算で二十は
「ま、まさか! それだけの死体が毎朝転がっていれば、この屋敷は幽霊屋敷と噂が立っているでしょう? たった一体の死体でも大騒ぎだったのですよ?」
「…………そうですか」
こっw れっw はっwwwwww
いや、もう草しか生えない。
俺は今まで、亡国の姫なんて暗殺者が来て当たり前。
むしろコレでも間引いた後、人知れずネルダリアの諜報特務部隊とか言うのが張った網を潜り抜けた、ホンの一部の相手を始末してると思っていたのだ。
それがまさか、最終防衛ラインが最初の防衛ラインとは思わないだろ流石にぃ!
「しかし、姫様の部屋は定期的に変えていますし、屋敷に侵入された形跡はありませんが?」
「なのですが実際問題、侵入者は私の部屋の真下の壁に取り付いて来ます。家具を設置する職人から情報が漏れているのでは? 最近では敷地に入った途端に殺してるので、前の部屋に忍び込もうとする人間も居たかも知れませんが、解りませんね」
「え? 敷地に入った瞬間に? ど、どうやって? ですか? いえ……」
「魔法です、そして魔法で制御する矢からは逃れる事は出来ません」
「本当だとしたら……恐ろしい力ですね」
シノニムさんもそんな程度の認識か……、魔法で加速した矢は必中で防御も出来ない。
放ったら確実に相手を殺せるチート性能だ。
よく考えたら侵入した瞬間に殺しているのだから、俺より早く殺れってのも無理な話か。
でも、そんなの放置してリラックス出来る訳も無いから仕方ない。接近されたら魔法は役に立たないだけに油断は禁物だ。
とにかく、シノニムさんは警備の強化を約束してくれた。
「まず、屋敷の警備を洗い直します」
「よろしくお願いしますね」
俺はニッコリと微笑むが、シノニムさんは微妙な顔だ、信じてないのかも知れない。
「あの、もしも可能なら頭では無く足を狙って貰う事は出来ますか? 何か情報が掴めるかも知れません」
恐らくは……あんまり疑うと失礼、と、……信じられない、の狭間から折衷案で出てきたのがコレだ。
ってか、確かに俺も考え無しに頭を抜いてしまうのが悪いのだが、運命視の光を目指して射るから仕方ない面もある。
「解りました努力します」
「申し訳ありませんがよろしくお願いします、部屋には護衛を付けますか?」
「では二人用意して廊下に待機させて下さい」
「かしこまりました」
そうして、俺の生活は余計に窮屈になってしまった。
しかし、思った以上に俺の状況は悪いらしいから仕方が無いと諦めるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「壮観ね」
ダックラム公爵が持つ私邸の一つ、その地下室では十の死体が吊されていた。
「家の者は一人、他の九人は?」
問う少女は爬虫類を思わせる切れ長の目を油断なく走らせる。
シャルティア・フォン・ダックラム。公爵令嬢にして王子の婚約者と言う立場。
女性なら誰もが憧れる地位に居ながら、女性らしい幸せなどに興味が無いのは明らかだった。
危険な雰囲気どころか、纏う空気は狂人のそれだ。強烈な死臭漂う地下で薄笑いすら浮かべている。
「どれも頭部が吹き飛ばされている、コレが魔法だというの?」
独り言かと思われたが其れに答えんと、じわりと闇から浮かび上がる男が一人。
「まず魔法で間違いありません。他の九人ですが、おそらくはアイスの作り方を探ろうとした商人崩れでしょう、装備はまるで素人でした」
男の名はウィルター。
シャルティアの片腕とも言える男だ。彼もまた卓越した暗殺者だった。
「ふぅん、一般人だろうが容赦なしって訳ね、面白いわ」
「それは……違うかも知れません」
「どういうこと?」
ウィルターは信じられない物を見たその記憶を手繰りながら、見たままを伝えていく。
「まず、私の部下が侵入しようと生け垣を越えた瞬間、それは起こりました」
ウィルターの視線の先には最も腐敗が進んだ死体、シャルティアも知るダックラム暗殺団の新人だ。
「頭部が弾ける音とは最初は思いませんでした。音は小さく、躓いて転んだのか? ぐらいにしか思いませんでしたが、コレで覗けばあったのはその死体です」
取り出したのは潜望鏡、潜水艦に付いているアレだ。これで壁の向こうを確認して潜入するのだが、単純ながら潜入には画期的な装置と言って良かった。
これはシャルティアの発明品である。
単純な暗殺の腕だけでなく、彼女は図抜けたアイデアも多く生み出していた。
……すべて暗殺の道具ではあるのだが。
「その瞬間は見てないの?」
「はい、見ておりません」
「それで、生け垣を越えた途端に魔法が飛んでくるのに、その死体がここにあるのはどうして?」
「私が回収したからです」
「あなたが? 大丈夫だったの?」
「ええ、殺した相手が即座に駆けつけると思われたのですが、半刻ほど観察しても現れず、死んだ原因は罠の類いに掛かった物と判断しましたので」
シャルティアは頷く、魔法だろうが弓だろうが殺したのなら死体の検分に現れるのが当たり前、まさか「めんどくさいし朝になれば誰か片付けるだろう」と放置したとは夢にも思わない。
そして、暗殺者の装備は機密の塊だ。
鍵開けのピッキングツールは勿論、壁に張り付くかぎ爪やロープの一本まで暗殺一家としての研鑽の賜。
タネが割れれば対策も容易となってしまう物も多く、絶対に回収したい。
「それにしても死体ごととは恐れいったわね」
「あまりに気配がせず、いっその事と相手を釣り出す目的もあったのですが、結局誰も現れませんでした」
「へぇ……」
シャルティアの顔には冷たい笑み。
相手に馬鹿にされている、そう感じたからだ。
「面白いわね、後悔させてあげたいじゃない?」
「難しいかも知れません」
ウィルターの声を聞いたシャルティアの目が、怒りにカッと開かれた。
滅多に無い事で、両親ですら萎縮し目を逸らす視線をウィルターはじっと見返した。
「以降、オーズドの屋敷に張り付き、忍び込む者を観察。時として商人を焚きつけましたが、ご覧のありさまです」
目線の先には同様に頭部を失った死体が九つ。
「怖じ気づいたの?」
シャルティアは笑うが男は首を振る。
「死体は九つですが、忍び込んだ男が全て死んだ訳ではありません」
「ふぅん?」
「忍び込み、何かを持ち出した男が一人、私はその男を飲みに誘いました」
「ふふっ得意の手ね?」
シャルティは想像して笑う。
この男は根暗な暗殺者らしい目をしながら、必要とあれば誰よりも快活に声を掛ける。目の前の暗い男と、飲みに誘ったであろう時のギャップを想像すれば自然に笑いがこみ上げた。
一方、男は面白くなさそうに話を続ける。
「男は新入りの庭師でした、それ故、生け垣の隙間を知っており、そこから侵入して、日中に忘れた仕事道具を持って帰った。そういう話でした」
「顔見知りだから殺さなかった、それだけでしょう?」
「しかし新入りですよ? それに私が言いたいのは、つまり、これは自動発動の単純な罠では無い」
「なるほどね」
「そして、ユマ姫の姿を一目見ようと、同じ生け垣の隙間から忍び込んだ少年もまた無傷でした、ただし彼は使用人に見つかり摘まみ出されましたが」
「それは子供だから殺されなかった?」
「もう一人、頭がおかしい若い商人も死にませんでした、彼は堂々と生け垣を踏み越え侵入しましたが、同様に摘まみ出されています」
「……頭がおかしいってどういう感じ?」
「それは、アイスと言う新しいお菓子の製法を教えてくれと、自分に教えるのが正義で独占しているのが悪だとわめいていました」
「本当に頭がオカシイのね」
「ええ、自分の都合の良い事を信じてしまうというか、商売に困った自分に姫様は秘密を教えてくれるに違いないと信じ込んでいる様子でした」
「はぁ……」
それはシャルティアの一番嫌いなタイプのキチガイだった。
しかしたまに居るのだ、ギブアンドテイク、交渉の基本すら理解出来ない輩が。
「そこで、ひょっとして思ったのですが、悪意を持って忍び込もうと、明確な敵意を持った相手だけが殺されるのでは無いかと」
「まさか? いえ……それが? 魔法?」
「はい、そして罠の様に自動で発動する、それ故に誰も確認に現れない」
全ては想像。だが今の事態がそもそも常識外れ。無理矢理だが筋は通っている様にも思われた。
「なので、敵意に反応と言う線で。屋敷に勤める執事の妻に、旦那が不倫の最中だと吹き込みました」
「? それで?」
「勿論、怒り心頭、殺意を
「衛兵は?」
「近所の善意の協力者として押さえ込みました」
「それはまぁ……」
呆れた声のシャルティアを無視して、ウィルターは続ける。
「当然これも無傷。結局摘まみ出されましたが、音や強い感情に反応している訳でも無さそうです」
「フフッ」
「笑い事ではありません、そして最も恐ろしいのが、我々が片付けているが故に、オーズド邸の使用人達は誰も侵入者がいた事すら知らないのです」
これには流石にシャルティアも眉を
「まさか!? ではこれだけ死人が出ているのに、使用人達は何事も無く生活している?」
「その通りです」
いっそ呆れてしまうが、ウィルターの表情に冗談の色は無い。
「ここに居ない、リオール様に貸した最初の三人ですが、二人がバックアップとして待機。一人が忍び込もうと生け垣を越えた瞬間、頭を打ち抜かれました。原因がわからず撤退。リオール様に報告するも、失敗を誤魔化していると相手にされなかったとか」
「まったくあの人は……」
シャルティアは金儲けこそ得意だが、致命的に殺しのセンスが無い父の厳めしい顔を思い出しため息を吐く。
「そして、彼らも今回の我々同様の観察を続け、時には商人をけしかけ、トラップの正体を探ろうとしました。その間、やはり死体を引き上げ続けました」
「それで?」
「そして、頭部を守れば大丈夫と、重騎士の兜を被って忍び込み、視界不良から転んで動けなくなり、普通に衛兵に捕まったらしいです」
「はぁ度しがたいわね」
思わず少女はこめかみを押さえる、名うての暗殺団らしからぬ失態だ。
「で、残った一人が逃げ出したと? そう言う事ね?」
「いえ、残った一人はミスを取り返そうと忍び込み、頭を吹っ飛ばされています。これが唯一オーズド邸に残された死体。最初の死体は生け垣の上に倒れ込んだので二人に回収されています」
「じゃあ? 報告で一人逃げたって聞いたけど?」
「重い兜を被って捕まった一人、イタズラと思われて早々に解放されています、まさかそんな間抜けな殺し屋などが居るハズ無いと思われたのでしょう」
「ハァ……」
自分は大間抜けで、それをフォローしようとした仲間が死亡じゃ、合わせる顔も無いと言うのも当然か。
「勿論間抜けは聞く事を聞いた後、始末しました」
「当然よ、それにしても人材不足も洒落に成らないレベルね」
「大半は急造ですからね、殺しのマニュアル化のせいだってベイターさんは怒るでしょうが」
ウィルターはそう言って肩を竦める。
シャルティアとウィルターは殺人技術を細分化しマニュアル化を果たした。
人材の不足を補う手だが、シャルティアに殺しを教えたダックラム家の執事ベイターはインスタントな殺し屋に反対していた。
――既に彼はこの世に居ないが。
「ないものを急造すれば無理は出る、情報が漏れなければ問題は無いわ、そうでしょう?」
「末端は最低限しか知りません、我々まではたどり着けないでしょう」
「かといって、素人じゃ正体も暴けない……そうね、だったら私ならどう?」
「危険です! 近寄っただけで殺されたって不思議じゃ無い」
「でも、埒が明かないわ、魔法の見物、それだけよ」
ウィルターは苦虫を噛みしめた、またお嬢様の悪癖だ。
すぐに自分で殺りたがる。そして誰よりも上手いのだから何も言えなくなるのだ。
「しかし大事な御身に、今何かあったらどうします? 万が一の危険は――」
「もし、公爵令嬢が天下の往来でいきなり殺されたら? それがオーズド邸前だったら? 相手には結構なダメージでしょ?」
「いえ、ですが」
「行くわ、決定! 餌を用意して」
「……はい」
こうなるとお嬢様は止まらない。両親ですら説得は無理だ。
それを知っているウィルターは頷くしか無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで? ここがオーズド邸? 普通。いえ、ネルダリア領主の割に質素な屋敷ね」
「はい、余り豪華なのは好まない人と聞きます、それはユマ姫も同様、贅沢品の消費も無く、本当に姫が居るのかと疑う向きすらありますが」
「いえ、居るわ、感じる!」
「は? はぁ……」
断言するシャルティアを訝しむウィルターだが、シャルティアは自分の勘を信じていた。
それは、勘というより強大な魔力の気配を無意識に感じているのだが、そんな概念が無い人間には絶対に解らぬ事。
いや、エルフの知識にもこんな遠距離から相手の魔力を感じる等という常識は無い、シャルティアもまたある意味超越者と言えるだけの特異な存在だった。
相手の殺意や敵意を魔力の揺らぎとして直感的に肌で感じてきたからこそ、数多の窮地を紙一重で乗り越えて来たのだ。
まだ見ぬ獲物に戦意を滾らせるシャルティアだが、そこに戸惑い混じりの声が掛かった。
「あの……なんの話です?」
とぼけた顔の商人。ダックラム家と取引のある商会を通して、アイスクリーム作りに興味がある商人を焚きつけたのだ。
材料が運び込まれるのでココでアイスクリームが作られているのは間違いない。その秘密を探ってくれないか? と声を掛ければアッサリと乗ってきた。
死んだ九人もそうだが、こんな輩は今の王都に掃いて捨てるほど居るのだ。
それだけユマ姫の登場で益々隆盛を極めるキィムラ商会は、鮮烈な印象と一攫千金の夢を国民に与えていた。
なにせ、彼自身が正体不明の素浪人。あっと言う間に大商会を作り上げた奇跡の成り上がり者なのだ。
我も続けと商人を目指す若者が後を絶たない。
この男も、またそんな一人だ。餌として好都合。
「何でもありません、あなたは何としてでもアイスの作り方を探って下さい」
「わかりました、でも素人ですから、侵入なんて失敗すると思いますよ?」
「何も宝物庫に忍び込む訳じゃありませんわ、ユマ姫がアイスを作るキッチンに忍び込むだけの事」
「確かにそうですね! やってみます」
「生け垣の隙間は調べてあります、どうぞここから」
「ど、どうも、では行ってきます」
そうしてズリズリと生け垣の隙間へ体を滑り込ませる商人、それを見送ってホンの数秒だった。
「来た!」
「!? 何がです?」
ウィルターには見えない、だがシャルティアは感じた。
凶暴な殺意が超高速で飛来してくる。
「よく見えない、飛びます!」
「なっ! お嬢様ぁ!」
シャルティアは跳んだ、その常軌を逸した身体能力での背面跳びは易々と生け垣を越える。
月明かりを背に、暴れないと言う約束を誇示するために、上品に結った巻き髪が連なって揺れる。
ウィルターは思わず美しいと思ってしまったが、状況は悪い。
謎の魔法を前にして、お嬢様が一人で乗り込んだのだ。
「クソッ!」
悪態をつくウィルターの反面、シャルティアお嬢様はご機嫌だ。
しなやかになめらかに、大きく背を反らせた背面跳び故にあわや頭部からの落下。しかしシャルティアは片手で軽やかに体重を受け止めると、そのままバク転で見事な着地。
まるで演舞のようだった。
その瞬間、ユマが放った矢はシャルティアの目の前で炸裂する。
――バシュゥッ!
魔法で細かい制御を行うために、多めに魔力を纏わせた。
それ故に音は意外に小さい。
だが、その威力はこの世界の人間にとって全くの未知の物。
いや、攻城兵器であるバリスタなら同等の威力は出るだろうが、こんな街中でいきなり飛んでくる物ではない。
着弾したのは商人の足、吹っ飛ぶ右足、飛び散る血。
間近でその全てをスローモーションの如くハッキリと捉えるシャルティアの両目と、一方で何が起きたか理解出来ない商人。
「ギャァァァァ」
一拍置いて悲鳴、そして駆けつけてくる衛兵の音。
――しまった!
シャルティアは相手のやり方が変わった事を悟る。
今までは頭を潰して即死させてきたが、今回に限って足を狙ってきた。
頭を狙ったけど外した訳では無く、明らかに足を掬う軌道で矢は貫通した。
そう、矢だ。
シャルティアの動体視力はハッキリとその姿を捉えた。
だったら魔法ではない? いや、あんな風に『自在に曲がって狙いを付ける矢』があるならば、それは魔法でしかあり得ない。
着弾と同時に矢が消し飛んだのは、威力の所為か魔法の性質かは解らないが……
とにかくまともではない、しかしそんな事よりも今のピンチだ。
「た、助けて!」
シャルティアに助けを求める商人、それに笑顔すら浮かべて近づく。
「今、楽にして差し上げますわ」
「え?」
シャルティアが撫でる様に触れる、それだけで商人の喉が裂けた。まるでマジックだが、それは隠し持ったカミソリの仕業。
商人は濁った目で、ヒューヒューと息をするが長くは無い。
口封じ。当然だ。
縦ロールのお嬢様など他に居ないでは無いが。ダックラムの悪名を考えればこの状況、思いつくのは一人だろう。生かしてはおけない。
そう考えると、一緒に飛び込んだのも間違いではない。
考えてみれば即死の魔法だと思って完全に油断していた。とんでもない失態だと一人笑う。
「コッチだ! 賊が居るぞ!」
着弾、悲鳴、それから数秒とたっていなかったが、すぐそこまで衛兵は迫っている。中々に練度が高い。
「良い物を見れたわ、さようなら」
そう言ってシャルティアは入ってきた時同様に生け垣を跳ぶ。その時だ。
――来たッ! まさか、連射出来るのッ?
背面跳びの頂点、生け垣の真上でゾクリと感じる。自分に迫り来る死の予感。
――早く、早くッ!
地面が遠い、空中では回避も不可能。
暗殺で慣らした殺戮令嬢にして汗が噴き出す。
暗殺を生業にして以来、こんなピンチは初めて。
ハッキリと、死が、迫っていた。
極限の集中に引き延ばされた時間がもどかしい。
しかし間に合わない! 何も出来ない!
アレだけの弓矢の速度。闇夜では、ほとんど不可視のスピードで迫ってくる。
「シッ!」
殆ど勘だけで髪から外した
その衝撃だけで頬の皮膚が浅く切れるほど。
死の衝撃は、落ちゆく自分を追い越して地面へ向かった。ホッと息を吐き、愛しの大地へと手をついたシャルティア。
「お嬢ッ!」
しかしウィルターは見た。
高速で飛来してきた『何か』が地面へとぶつかる瞬間、ピタリと停止。
そしてギュルリと音が聞こえそうな勢いで進路を変える様を。
「クッ」
シャルティアは着地の直後。それも背面跳び故に手からの着地。
不完全な体勢で出来る事は殆ど無かった、精々が逆さになった足で、生け垣の下、レンガの部分を思い切り蹴っ飛ばして姿勢を大きく変えるぐらい。
――ピキッ!
しかしそれがシャルティアを救った。矢は何も無い空間を貫くと、音を立て、粉々に崩壊した。
今回ユマが狙ったのは足。
ユマが運命視で見えるのは人間の運命の核となる部分、基本的には意思のある頭。
足は見えないので光る場所の下あたりが足だろうと衝撃波の威力に期待して適当に放っていた。
今回、逆立ち状態のシャルティアの光は地面スレスレにあって、光の下に矢を通そうとしていたユマは一瞬混乱した。
が、すぐに逆立ちだと気が付き、光の真上に矢を通すが、レンガを蹴っ飛ばして足の位置を変えたシャルティアは難を逃れたのだ。
そして、再度の方向転換をしようとした矢は、最後には耐えきれず崩壊。
忍び込んだシャルティアは知る由も無いが、それが今回の顛末であった。
「これが? 魔法の矢?」
「追っ手が来ます! お嬢様!」
「わかってる!」
急かすウィルターと一緒に走る。
「全く! とんでもない化け物がいるじゃない!」
しかしシャルティアは笑っていた、こんなに面白い相手は今まで一人だって居なかった。
「…………」
しかし笑うシャルティアを見つめるウィルターには、このお嬢様も同じく化け物にしか思えなかったのだった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
襲撃の翌日、俺はシノニムさんから話を聞いていた。
「侵入者は死亡、商人ですが、アイスクリームの作り方を探っていた様です」
「一人ですか? 最低でももう一人居たはずですが?」
「はい、商人は足を撃たれていますが、死因は喉の裂傷です、口封じに殺されたのかと」
「そっちが本命ですね、どうやったのか、魔法の矢を防がれたのは初めてです、凄腕の暗殺者かもしれません」
それは殆ど初めての経験だった。タフな魔獣に効果が無いとか弾かれるならともかく、紛れも無い人間に必殺の魔法の矢が防がれたのは。
だって、魔法の矢は回避も防御も不可能なハズなのだ。
その事実は人間を甘く見始めていた俺へ、非常なプレッシャーとして襲いかかった。
近づかれれば負けなのだから、屋内で戦いたくは無い、だがあの暗殺者なら屋内に忍び込むまでは可能に思えたのだ。
「まさか! とは言えませんね……警備と魔法を組み合わせる事を考えた方が良いかもしれません」
「確かにそうですね」
俺は頷く。例えば、
「そして、確かに家具職人が姫様の部屋を整えた事を自慢して回っていたらしいです、そこから部屋の場所を推測したのかと」
「なるほど」
「加えて、壁に張り付いた首無し死体を悪霊と勘違いした庭師が、人知れず焼却していた事実も判明しました、それも何体も!」
「また迷惑な」
「あなたがそれを言いますか!?」
怒られてしまった。
「しかし、度重なる悪霊に怖じ気づいた庭師は先月職を辞しています、それに焼いたのは六体らしいので全然数が合いません」
「不思議ですねー」
「ふざけないで下さい! 恐らく暗殺者が死体を回収しています、全くおぞましい」
「そんな事言われても……」
「ユマ様が言ってくれていれば良かったでしょう?」
「それこそ、そんな事言われても……」
「……はぁ、全く、早く報告して下さっていれば、今頃事件は解決していたかも知れないんですよ?」
「さて? どうでしょうか?」
シノニムさんの言葉に俺は微笑む。
「こちらに反応が無いからこそ、相手は連日連夜攻めてきた。そして大胆に二人一緒に侵入してきたのを見計らい、生け捕りを狙う。失敗こそしましたがひょっとして大物を捕まえる直前だったのかも」
「またそんな屁理屈を」
シノニムさんはそう言って呆れるが、俺にはそう思えて仕方が無いのだ。
あの日忍び込んだアレはただ者じゃない。
出来れば捕まえ……いや、頭を狙って殺すべきだった……と。
それだけあの日視た運命の光は強くそして大きかった。
そしてなにより印象的だったのはその色だ。
「血のような赤……」
思わず、一人呟いてしまったのは不安が故か。
不吉なまでに濃い赤が、俺に死をもたらす死神に思えて怖かった。
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