殺戮令嬢

 ここはカディナール王子のサロン。


 白壁に大理石の床、柱には彫刻。

 金細工の豪奢なシャンデリアなどは真昼の太陽のごとく強烈な明かりを発している。


 夕暮れ時、カディナールは豪奢なソファーに寝そべり爪を研いでいた。美しい容姿と煌びやかな内装が相まって、天使の住処を思わせる程。


 そこへ場違いにも強烈な影を纏った男が入り込んでくる。服装こそ金糸に彩られ豪華だが、この場に不釣り合いな程に威圧感を放つ凶相。


 彼はカディナール王子の側近、ダックラム公爵だった。


 公爵が物騒な表情を浮かべる理由こそ、華美なサロンの維持費を想像し頭痛に苛まれたと言うだけ、それでも周囲を威圧してしまうのが公爵の生まれ持った顔だった。


 公爵はなんとか取り繕って、王子へ時候の挨拶を述べると、示された一人掛けのソファーへ身を沈めた。


 このソファーも極めて柔らかく、しっとりと上品な光沢を放っている。

 恐ろしい程の高級品だが、公爵自身は体が埋まるようなソファーは自由が奪われる様で好きでは無かった。


 ――或いはそれが狙いなのか?


 公爵はそうも考えたが、同じくどっかりとソファーに埋まり端整な顔を愉悦に歪める第一王子の姿に考え過ぎと思い直した。


「いやぁ、良く来てくれたね、ダックラム公。いや、お義父さんと呼んだ方が良いのかな?」

「いえ、それは……」

「あはは、冗談だよ」


 王子の冗談はダックラム公にとって反応に困る物だった。


 公爵の娘、シャルティア・フォン・ダックラムは第一王子の婚約者だ。

 婚約者。そう、第一王子のカディナールは三十手前と言うのに結婚していない。これは王子としては晩婚に過ぎる。


 これはビルダール王国の三大公爵家の一角ピーグル家が七年前、投資に大失敗して爵位を手放す羽目になった事から端を発する。

 巻き起こったのは、空いた公爵家の地位を狙う貴族同士の派閥争い。


 その主戦場となったのは、未婚だった二人の王子へいかに婚約者を押し込むか。


 そして見事、その戦いに勝利し公爵の地位を勝ち取ったのがこのダックラム公であり、その娘シャルティアなのだった。


 しかし王子の心を射止めた理由は、シャルティアの美貌では無い。

 まして金銭面ではあり得ない。当時のダックラムは軍閥の貴族で、爵位は侯爵どころか、伯爵、だがそれも名ばかり。精々が一大隊を動かせる程度の権力しか持っていなかった。


 では、何を期待して王子はシャルティアと婚約したのか?


「私を呼び出したと言うことは、また『仕事』の話ですかな?」

「んーいや、まだそこまでじゃないけどね、話を聞きたくてさ」


 ダックラム公の言う『仕事』

 それは暗殺の事で有った。

 ビルダール王国の暗部。暗殺を請け負う一家として知る人ぞ知るのがダックラム家だった。


 そもそもが裏家業、そのルーツはオルティナ姫の時代に遡り、歴史も深く、かつては栄華を誇ったとも言うが、近年では没落。外聞の悪さも手伝い爵位は子爵となっていた。 


 しかし、平和の中、腐敗が進んだ世は暗殺者を求めた。

 子爵から伯爵と爵位は上がり。トントン拍子に王族へ次ぐ公爵の地位まで上り詰めてしまう。


 公爵自身が世も末だとあきれた程だが、文句を言う人間は皆無であった。


 ダックラム家の娘を嫁に貰い、公爵まで引き上げる。


 それ自体が『逆らったら殺すぞ!』と言う、カディナール王子からのメッセージであったからだ。


 それほどまでに、今代のダックラム家は図抜けた力を誇示し、貴族達を震え上がらせていた。

 それは暗殺だけでなく情報収集能力の面でも同様で、ダックラムが報告したと言われる裏切り者の数は両手の指では足りない程。

 今回、王子がダックラム公を呼んだのも、それを期待しての事だった。


「弟がね、あの森に棲む者ザバの娘に接近したって聞いてね」

「確かに、ボルドー殿下はユマ嬢の派閥の結成式に顔を出したそうです」

「それでね、あの二人が手を組むと何か問題があるかな?」

「うぅむ、読めませんな。そもそもユマ嬢は森に棲む者ザバの姫を自称し人気を博していますが、後ろ盾はビルダール伯爵のみ、姫とする証拠すら皆無と来ています。第二王子殿下は癖の有る者達を手懐けていますが、才気走る所が無く人気がありません」

「逆に言うとさ、アイツとユマちゃんがくっつくと人材と人気が一つに成るじゃない?」

「確かにそうとも言えますが……」

「アイツは僕に遠慮して婚約もしなかったけど、僕の結婚を機に動き出すかもと思ってね」

「あり得る話ですな」


 頷きながらも、内心では ――よく言う、とダックラム公は笑う。


 ボルドー殿下の婚約者だった、ピーグル公爵家の娘はダックラム家が暗殺した。

 それこそが暗殺一家ダックラム家が王子から受けた最初の仕事だった。


 その後、失意に沈むピーグル公爵家を経済的に追い詰めた手腕こそダックラムの物ではないが、そう言った裏の人員が幾つもカディナール王子の背後には揃っているのは周知の事実である。


 ビルダール王国は生まれが早い子息に絶対の継承権が有る訳では無い。

 継承には現王の意思や三公爵家の意向などが絡む。


 が、暴力と財力で第一王子の支配は盤石。次期王の地位は間違いないと言われている。


 しかしカディナール王子はその手綱を緩めない。一見享楽的で不真面目な性格だが、人の足を引っ張る事を好み、人に足を引っ張られる事を何より嫌う性格は、ある意味王族向きと言えた。


 そして竹を割った様な性格のボルドー王子とは水と油。犬猿の仲だった。

 それでも第二王子自身が暗殺されなかったのは第二王子が権力から自ら遠ざかっていったからだ、それほど迄に愛した婚約者の死がショックだったのだと言われている。


 だが、満を持してボルドー殿下が動くとなると、いよいよ邪魔になってきたらしい。


「それでどうかな? ユマちゃんの仕業に見せて、アイツを殺すってのは出来そう?」

「難しいでしょうな、我々が動いたのは見え透いてしまうでしょう。今の時点でもやり過ぎていると言えます」

「だよねぇ、僕の側近も同じ意見だよ」


 王子は呑気な物だが、実行するダックラムにとっては冗談では無い。

 あまりに暗殺と言うカードをひけらかすと貴族達も恐れのあまり纏まらない。

 そうなった時、ダックラムが真っ先に切られる事は見え透いていた。


「じゃあユマちゃんを暗殺するってのはどう?」

「それも同じ事、と言いたい所ですが」

「へぇ?」


 王子の目がキラリと光る。それを見て、ため息交じりにダックラム公は続けた。


「ルワンズ伯が死んで、ゼープ老が弔い合戦だとユマ嬢の排除に熱を入れています。この前も下手な嫌がらせをして逆に大恥をかいたとか」

「なーるほど、罪を着せるには抜群の相手な訳だ!」

「左様で、警護もボルドー殿下ほど厳重では無いでしょう」

「へぇ、イイネイイネ。でも結局の所、二人がくっつく可能性はどんな物かな? 僕は正直ユマちゃんの事は良く知らなくてね」

「いえ、実は私にも良くわからんのです、それを言うならユマ嬢へ使用人を貸し出した王子の方がお詳しいのでは?」

「それがねぇ、側近には宰相が貸し出した森に棲む者ザバの娘が一人とネルダリア領の女の子が一人。それだけしか置かないらしくてねぇ。色々水を向けてみたけど反応が悪いってさ」

「ふむ、人見知りが激しいと?」

「かもね、同族なら良いのかと思って森に棲む者ザバの女の子を探したけど、急に見つかるモノでも無し、コレに関しては宰相にやられたね。で、直接的に盗み聞きとかスパイとか、得意の潜入術で探りを入れられないかなって」


 王子の言いたい事は解る、まずは情報収集。それは今や遅きに失した感さえ有る。

 王都のユマ様フィーバーなど飽きやすい民草の事。スグに終わると第一王子派は高をくくって居たのが事実。


 しかしキィムラ商会の念入りなマーケティングでその人気は陰るどころか上がる一方。ボルドー王子が接近する段に来て、遂に無視出来る物では無くなったのだ。


 殺害ではなく情報収集。王子としては比較的穏当な策のつもりであったが、当のダックラムは押し黙ったまま。


「……ダックラム公?」

「あ、いや、実はですな。既に三人程忍び込ませたのです」

「へぇ、流石!」

「いや、それが……」


 手を打って喜ぶ王子だが、ダックラム公は沈痛な面持ちで噛みしめる。


「まさか、連絡が取れない?」

「…………」


 ダックラム公は重々しく頷いた。 


「そりゃ凄い! 相手にも専門家が居るって訳だ」

「間違いないでしょう」

「いいね! 燃えるよ。王都一の暗殺一家の力! 見せてくれるんだろ?」

「ハッ!」

「しっかし、これで万が一にもユマちゃんとボルドーをくっつける訳には行かなくなったな。その凄腕がコッチを襲いに来るかも知れない訳だろ?」

「あり得ないとは言い切れませんな」


 暗殺の手口を知るもの、殺意に敏感なもの。いずれも同業。暗殺者の可能性は高い。

 森に棲む者ザバの王族が一人で王都に辿り着いたのも、そう言った存在が陰に日向にフォローしたお陰と言うのは頷ける話だ。


「面白い! 面白いよ! 森に棲む者ザバと人間、それぞれ最高峰の暗殺者の一騎打ち。当然君が出るのかな?」

「いえ、私は」

「ハハッ、君も今や公爵だからね。冗談だよ」

「私が出るのは最後の手段となりますな」

「ふふっ頼もしいよ」

「ハッハッハ、お任せあれ!」


 ダックラム公は豪快に笑い胸を叩く。

 王子も楽しげに笑い、とっておきの酒を公に送ると秘密会合はお開きとなった。


 ユマ姫の情報収集に本格的に力を入れながら、チャンスがあれば暗殺も辞さない。

 そう言う姿勢で今後、ダックラムは暗殺者をユマ姫サイドに仕向ける事に決定した。


 豪快に笑いながら、公爵の背中には冷や汗が伝っていた。


 その凶相から王都随一の腕と恐れられるダックラム公であるが、実は小心で荒事には全く向かない性格であった。

 今も帰りがけ、サロンの通路にひしめく動物の剥製の数々に肝を冷やして声を上げかけた程。


 リアル過ぎる剥製の出来映えに舌打ちをすれば、サロン付きの侍女達が公の凶貌に恐れおののき気を失ったのだが、そんな事には気が付かず、真っ直ぐにダックラム公は家路に付いた。


 わずかな距離で馬車に乗るのも、豪華な公爵家の豪邸も慣れたものでは無かったが、一番慣れないのは別にあった。

 遅い時間にも関わらず、玄関で出迎えてくれた愛娘、王子の婚約者シャルティアだ。


「ふふっ! また『仕事』ですか? お父様」


 豪華な巻き髪。縦ロールを幾重に揺らして上品に微笑む。

 豪華な見た目に負けないぐらい、顔立ちも美しい。自慢の娘だ。

 その髪型はヒラヒラしたドレスと相まって、深窓の令嬢を思わせる。

 ――だが。

 その目が違った。目だけが爬虫類の様に、感情の窺えぬ捕食者の目をたたえていた。


「ああ、だがお前の出番は無いよ」

「あら?」

「この時期に結婚を控えたお前を出せる訳無いだろう! 万が一があればダックラム家の破滅だ」

「暗殺一家なんて、何時だって破滅と紙一重でしょう?」

「今、無理をする必要は無いだろう!」

「まぁっ!」


 思わず声を荒らげたが、ダックラム公は娘へと合わせた目を思わず反らしてしまう。

 それほど迄に恐ろしかった。


 ダックラム家は暗殺を誇っていたが、それも今は昔の話。


 ……ごく最近までそうだったのだ。


 執事の男が僅かに一人、その技を継ぐのみ。しかし、当時仕事で忙しかったダックラム公がその執事へ子守を一任すると。愛娘はいつの間にか誰よりもナイフを上手く扱う様になってしまった。

 そして、娘はその腕を試し始める。猫、犬、そして野生動物まで。

 血に狂った娘を止める手立てを両親は持たなかった。


 そうして、ひとりの暗殺者が仕上がってしまった。

 それも、ダックラム家の歴史の中でとびきりの最高傑作。


 そう、ダックラム家の暗部を継ぐのは彼女だ。

 凶貌で恐れられるダックラム公本人ではない。


 彼女はまだ弱冠十九歳。

 七年前にボルドー殿下の婚約者を暗殺した時は僅かに十二歳。奇しくも今のユマ姫と同じ年齢の時。

 カディナール王子へ暗殺を持ちかける娘。冗談半分に依頼する王子。

 そして、難なくそれを実行してしまう娘。


 ――王子は今をもって、アレは私の差し金だろうと思っているが……


 その実、全ては娘の手腕。

 育てた執事曰く、百年、いや千年に一人の逸材と言うが。親としてはたまったものでは無い。

 今では暗殺団を組織してダックラム家の暗部を取り仕切っている。

 とは言えだ、いくら娘が優秀な暗殺者であろうと、この時期はマズイ。

 ダックラム公は必死に娘を止めた。


「ユマ姫を暗殺も視野に探って欲しい。だが相手にも凄腕の護衛、または同業が居る可能性が高い。この時期に下手は打てない。部下に任せるんだ」

「へぇ……お父様に貸してた彼ら、連絡が取れないのですか?」

「ああ、三日前からな、悪い事をした」

「いいのよ、でも楽しそうなのに残念ね」

「頼む! 控えてくれよ」

「わかってるわよ」


 イタズラっぽく微笑むが目は笑っていない。

 ダックラム公はこんな化け物を相手にしなくてはいけない相手に心底同情した。

 なにせ、一見して貴族のお嬢様然とした娘の中身が、まさか凄腕の暗殺者などと誰も思いもしないだろうから。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 一方その頃、ユマ姫はオーズドの屋敷でくしゃみの音を響かせていた。


「クシュン!」

「ほらぁ、夜更かしするから夜のお星様が怒っているんですよ」


 ネルネはそう言ってユマ姫を叱る。

 しかし、何を思ったかユマ姫は部屋の中、立てかけられていた弓を構えて窓を開け放った。


「な? なにを?」

「ふふっ、だったら星を打ち落としてあげます」


 そう言って弓を引き、放つ。


「えぇ? なにやってるんですか?」


 常識外れの行動にネルネは焦るが、幾ら夜も明るい王都とは言え、矢の一本など窓から覗いて探せる筈も無い。


「誰かに当たったらどうするんですかぁ!」

「大丈夫よ、誰かにしか当たらないから」

「何を言って?」

「まぁまぁ、オヤスミなさい」

「は、はぁ? オヤスミなさい」


 釈然としない思いを抱えながらもネルネは床につく。

 実はネルネはユマ姫と同じ部屋で寝る事が多い。

 影武者として身を挺して守る事を期待してるのだろうとネルネは思っているが、ユマ姫がなんとなく女の子同士で夜通しキャッキャと騒ぐのに憧れていただけだったりする。


 守られる必要を感じない程度には、ユマ姫は暗殺対策に自信が有った。

 何気なく窓の外へと放った矢。それは魔法で制御され寸分外さず突き刺さり、侵入を試みた不埒者を人知れず絶命たらしめていた。

 魔法と運命視のコンボは障害物すら迂回して人を殺せるし、奇襲を受ける事も無い。


「それにしたって最近多いなー。警備どうなってんだよコレ!? 悪意に反応する魔法無かったら死んでただろ! マジで」


 布団の中で一人、愚痴るのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 一方で、同じ頃。ダックラム公爵家の一室、窓辺に腰掛け。高価なガラス窓の向こうに月を見る女性が一人。独り言を漏らした。


「でも、変ね。私もユマ姫の姿は見たけど、そんな凄腕の護衛が居るようには見えなかったけど」


 潜った修羅場は並では無い、一目で相手の実力は測れるつもりだったがそれらしい者は居なかった。


 ――ひょっとして?


 相手は十二歳、丁度、自身が王子から暗殺を請け負った年齢と一緒。


「まさかね」


 そう言って、公爵令嬢も眠りにつくのだった。

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