ゼスリード平原騒乱7

「私を空高く放り投げて下さい、霧の噴射口を狙います!」


「何言ってやがる!?」


 まぁ、実際問題、頭がおかしくなったと思われても仕方ない。


 しかし相手は金属の塊だ。


 健康値での減衰さえ無ければファイアーボールの一つでも投げ込んで燃やしてやるのだが、現実的に攻撃力として期待出来る魔法は加速する弓矢だけ。


 魔法で加速された矢の常識を越えた威力は大口径のライフルぐらいに感じるが、それでも相手は金属の塊、効果が有るとは限らない。


 健康値の吸収の為、広場に設置する程なのだから元々かなり丈夫な作りに違いないのだ。


 しかも一矢撃ったら最後、霧に飲まれ二矢目のチャンスは無いだろう。


 となれば噴射口を狙いたい。霧を吹き出す内部構造を真上からぶち破る!


 それこそ馬鹿かと思われるだろうが、なにもぶっつけで空に投げろと言うワケじゃない。


 城塞都市スフィールに入るにあたって俺は田中と、万が一の脱出を想定し、壁越えの練習を行っていた。


 その時、想定以上に高く飛んでしまったのだが、それがここでは役に立つ。


「構えて! 早く! 『我、望む、足運ぶ先に風の祝福を』」


「おい! マジかよ! 大丈夫なんだろうな!?」


 懐疑的な田中の声は封殺、すでに霧は目前まで迫っている。

 霧に飲まれたら最後、魔法など使えない!


 呪文を唱え、田中へ向かってステップを踏む。

 バレーのレシーブみたいに組んだ田中の手の上に飛び乗ると同時。


 魔法を使って、思い切り踏み込んだ。


 ギュンと視界が歪み、強烈なGに体が軋む。


 ――ゴォォォォォ!



 耳元で、風をつんざく音がする。

 一瞬意識が飛んでいた。


 みるみる地面が遠ざかる。気づけば俺は空を飛んでいた。


 俺の魔法と、田中の膂力の掛け合わせ。


 田中は引き絞った背筋を総動員し、俺を空へと投げ出したのだ。


 練習した時、田中は「手が痛ぇよ」とボヤいていたが、それはそうだろう。これだけの威力で跳び出せば、踏み切られた手の負担はどれほどか? むしろ脱臼とかしないのが凄い。


 その田中も俺の視界の中、どんどんと小さくなって、急速に広がった霧へ飲まれ、最後には見えなくなった。


 一方で上空には霧の影響がない。

 思った通りだ、あの霧は比重が重い。上空だけは霧の影響を受けない安全地帯。


 背中から矢と弓を抜き出すと、見下ろす地表がみるみる白に染まっていく。既にかなりの範囲が霧に覆われていた。


 だが、空からだってあの兵器の場所は解る。

 湧き出す霧の中心地。


「我、望む、放たれたる矢に風の祝福を」


 生クリームみたいに濃厚な白い霧。それがもっこりと盛り上がる場所にアレは有る。


 矢を番えるも、いまだ続く上昇にばたばたとドレスがはためいている。こんな状態では狙えない。しかし、いずれ加速は収まり、重力に従って落下を始めるだろう。


 その直前、無重力状態の一瞬が好機。


 ビリビリと体に圧し掛かるG。移動の魔法は爆発的な推進力だけでなく、風の抵抗を軽減してくれるが、加速する弓矢の魔法の為に既に解除している。


 その抵抗が、止んだ。

 やがて、ゆっくりと体が浮き上がる様な浮遊感。無重力状態が近い。


 見下ろす大地はすっかり霧に包まれて、まるで雲海の様だった。恐鳥リコイ達と共に、雲の上を飛んでいる様な、ファンタジックな景色。


 心配したその恐鳥リコイ達は突然の霧に混乱し、俺を襲う様子は全く無い。


 矢を番え、狙う! 狙う!


 弓矢の魔法は放った後もコントロールと加速が効くが、それも俺の魔力の圏内だけ。まして霧の中に入れば魔法は消える。

 その前に矢は加速しきって居なくてはならない。


 フゥゥーーー


 ゆっくりと息を吐く、やがて肺から一切の空気が無くなった瞬間。


 俺は重力から解放された。


 今ッ!


 ――ズパッシャアァァァ!


 裂帛れっぱくの気合と共に放った矢は、一気に加速し霧の中心へと飛び込んで行く。


 一方の俺は無重力状態が終わり、喪失感と言うか、重力に囚われて肝がキュっとなる独特の感覚を味わっていた。


 落下という根源的な恐怖に血の気が引き、代わりとばかり品切れとなった酸素を胸いっぱいに叩き込む。


「あガッ! グッ」


 だが、せっかく吸い込んだ空気が吐き出される。激しい痛みと圧迫感。そして始まる、新たなる浮遊感。


 何事かと振り向くと、俺を鷲掴みにする妖獣がソコに居た!


(グリフォン!!)


 叫びたいが、言葉にならない!


 霧に混乱する恐鳥リコイ達を尻目に、コイツだけは突然に空へと侵入した俺に反応していた。


 勢いをなくし落下をはじめた瞬間に、見事に俺を捕まえたのだ。


 コイツは馬すら握りつぶす握力の持ち主。それでも俺が即死しなかったのは、俺が小さ過ぎてまともに握れなかった事、そして背中の矢筒が引っかかったお陰であろう。


 だが、それを幸運と喜ぶ気には全くならない。


「ぐっ! ギッ!」


 体をひねりながら、背後のグリフォンへと必死に弓を構え、矢を番える。


 が、そんな無理な体勢でまともに放てるハズも無い。まして魔力が散らされる。どれだけ集中して魔力をかき集めようとしても、グリフォンの持つ多量の健康値にかき消される!


 ああっ! これは……死んだか?

 でもっ! でもせめて! あの兵器だけは道連れに……


 ――グガァン!


 何かが弾ける音がした。


 思わず見やった霧の中心部、白い爆煙が盛り上がる。


 魔法の矢が命中したのだ!

 爆発した! それは白い爆発!


 その正体、恐らくはあの黒い金属球に溜め込んだ大量の健康値。それが一斉に溢れ出す!


 破壊成功だ!


 (ッ!?? 何だ? コレ!!)


 しかし、この溢れ出す白の奔流はどうだ?


 一時の爆発と思えば、溢れ出す白は留まる所を知らなかった。遥か上空の俺達すらも飲み込みそうな、真っ白の怪物。


 途轍もなく巨大な白の塊。


 視界を埋め尽くす白の暴力。


 俺はコレに近いモノをどこかで見たことがある。


 台風?

 入道雲?

 マクロ撮影した綿菓子?


 そんな甘いもんじゃない。

 ……思わず使ってしまった参照権。


 知っている映像で一番近いのは、動画サイトの映像記録。


 海上での原爆、核実験映像。


 ゾクリと冷や汗が流れる。


 そして爆発は白い壁となって、俺達を飲み込んで行く。


 ――ビィィィ


 視界ゼロ。白で閉ざされた世界にグリフォンの鳴き声。そして始まる地獄の自由落下フリーフォール


 それもそのはず、霧の中で飛べるはずがないのだ。


 地球では有り得ないサイズの飛行生物。なにも世界の重力が軽い訳じゃない。その推進力を支えるのは恐らくは魔力。


 その魔力が奪われれば、恐鳥リコイもグリフォンも仲良く落下するしかない!


 グリフォンは必死に翼を広げ、空気抵抗を頼りに減速、グライダーの様に滑空する。

 が、それでも速度は殺し切れない。鳥の様な前足に掴まれたまま着地されたら、俺の体は大根おろしみたいに摺りおろされる。


 少ない筋力を総動員し、この前足をこじ開けるより他は無い!


 力を籠めるべく、腹いっぱいに空気を吸い込んだ。その瞬間。


「ふぇ?」


 白い視界の中、意識までもがホワイトアウト。

 思い切り吸い込んだ霧。それが体内の、生きる為の魔力すら消滅させて行く。


 思えばそう、エルフ王国が強襲された日、霧に囲まれエルフの兵隊は誰一人まともに動く事すら出来て居なかった。


 そんな中、俺だけがいつも以上に元気に動き回れた理由。それは俺が、魔力を必要としない人間との間に生まれたハーフエルフである事と、そんなハーフエルフにとって過剰な魔力が体内を常に侵していたから。


 だが今は、人間の地。ハーフエルフの俺にとって魔力はむしろ欠乏気味だったのだろう。

 そこへ来て、魔力を打ち消すこの霧を吸い込んだ! しかも爆発によってもたらされた霧の濃度は、あの時の比では無い。


「あっ! ぐっ」


 全く力が入らない、意識を保つので精一杯。


 ……これは、流石に詰んだか?


 もう、魔力も力も奪われた。どんなに気合を入れ、食いしばっても、根こそぎ意識が遠ざかる。


 悔しい、何も、何も出来ないっ!


(ごめんね、セレナ。 ごめん、お姉ちゃんセレナの、家族の仇を殺せない……)


 走馬燈か、家族の顔が次々浮かぶ。


 笑顔の母、そして兄さん。

 だがそんな中、セレナだけは怒った顔で俺を見ていた。


 これは俺が六歳の時。まだ不健康だった俺が、ベッドを抜け出して台所でナッツとヨーグルトを漁っていたのを見つけた時のセレナの顔だ。


 あの時も、ぷりぷりと怒っていたっけ。無茶するなって。


 懐かしい。でも、俺が見たかったのはこれじゃない。どうせなら俺はセレナの笑顔が見たかった。


(どうして? どうしてセレナ? 私は、お姉ちゃんは、必死に頑張ったんだよ?)


 走馬燈って奴は、参照権と違いどうにも気が利かないらしい。最期に見るのが怒ったセレナじゃ浮かばれない。


 意識がゆっくりと落ちて行く。いや、本当に落ちているのだ、垂直に。

 命を削る霧の中、グリフォンすらも爪の中まで意識が及ばなくなったらしい。

 爪の間からすり抜けたであろう俺は、落下による強烈なGを感じながら、地面に叩き付けられる死を待つばかりだ。


 壁越えの練習の時、高く飛び過ぎた俺は、地上で待ち構える田中に受け止めて貰った。


 今回も同じ感じで行けると思っていた。だがグリフォンに襲われて落下位置はズレ、おまけにこのクリームみたいな濃い霧だ。


 もう俺は、自分でも何処へ落下しているのか解らない。


 気が利かない走馬燈の代わり、参照権でセレナの笑顔を見ようか? いやもう間に合わない。


 それに、……焦る必要はどこにも無いのだ。

 ゆっくりと目を閉じる。


 きっと天国ではセレナに会える。

 きっと笑っていてくれる。

 ゆっくりと意識が溶けて行く。

 涙が重力に置いてきぼりにされ、霧の中キラキラと光った。


「……綺麗」


 ……これが、死か。



 しかし落下していた意識と体は、バフッと言う音と共に、何かに受け止められた。


 そしてズササッと地面を滑る音。


「しゃぁ! 間に合ったぁぁあ!」


 田中の声!

 どうやら、間一髪で俺を受け止めたらしい。

 腕に抱かれた至近距離、それでも顔も解らないこの霧の中。


「ど、どうやって?」


「気配だな、そうとしか言えないぜ。信じるかよ?」


 信じる! 信じるよ!

 控えめに言って、これ半分奇跡だろ!


「ズラかるぞ、立てるか?」


「え、ええ……、うっ」


 グリフォンに掴まれた脇腹、恐らく肋骨にヒビ。立とうとすれば足首に痛み、捻挫だ。空へと踏み切った際か、或いはもっと前、とにかく移動の魔法による無理をさせ過ぎた。


「無理、の様です」

「そっか、じゃあほらよ」


 俺は田中の背中におぶわれた。大牙猪ザルギルゴールを倒した時以来。


 おんぶ。どうしても、何度でも思い出してしまう。セレナをおんぶして大森林を歩き回った事。


 頼りない背中だったに違いない、それに対してこの大きな背中の安心感よ。

 先程の、怒った顔のセレナがチラつく。胸が苦しいのはその所為か? それともこの霧が奪った魔力の影響か。


 俺は痛みを我慢して、必死に田中にしがみつく。田中は揺れないよう慎重に駆けるも、その声色に余裕は無い。


「クソッ追われてやがる」

「まさか! でも、本当……なのですね」


 もう信じるぞ。その気配って奴をよ!


 敵は帝国兵か? それとも恐鳥リコイか?


 でもこんな霧の中、どうやって俺達を追っている? 視界は真っ白なんだぞ?


「これは? この気配は? そうか! 犬だ、あいつら犬を隠して居やがった」


 田中の叫びに、俺は歯噛みする。


 そうだ。帝国兵は、俺の身柄を押さえるつもりで国境を越えてきた。


 人を探し、追い込む。

 だったら犬を用意するのは妥当な所。


 追いかけっこをするつもりなら、馬よりよっぽど役に立つ。


 いやおかしい、警察犬が導入されたのは近代だ。この世界にそんな発想が一般的だろうか?

 しかし、猟には古代から犬が使われていたと聞く。応用は難しくない。そのアイデアさえ有れば。


 ……そうだよな、田中が居るんだ。つまり他のヤツだってコッチにいる。


 しかし、なんの臭いを追っている? どうやって犬に俺の匂いを覚えさせた?


 最近何か手放しだろうか? ボロボロだった俺の弓? それとも魔石? そんな物に何日も持つ様な匂いが付くだろうか?


 俺の疑問は田中も同じだった。


「なんの臭いを辿ってやがる? 姫様の着衣は売らずに燃やした筈だ」


 そう、俺の服はスフィールまでは、全てパラセル村で貰った物。横転した馬車から拝借したエルフ製の服だ。


 そこにはどんな技術が使われているか解らない。大岩蟷螂ザルディネフェロとの闘いでボロボロになった服や、旅でくたびれた肌着、全部売らずに燃やして来た。


 だったら何だ?

 何が原因で追われている?


「そうか! そうかよ畜生! 追われているのは姫じゃない! 俺だ!」


 霧の中、田中の叫びが木霊する。


 確かに、スフィールで着替えや日用品を揃える際、田中の服は無造作に売った。


 この世界、服は高級品。ましてや田中の服はそのサイズから特注品。田中にはもうゴミでも、ダメになった部分を切り取って、十分着られるサイズを切り出せるのだからすぐに買い手がつく。


 だから田中の服を手に入れるのは簡単だ。古着屋に持ち込まれた服の中、最も大きい物に違いない。


「マジで走るぞ! しっかり掴まってろ!」


「ハイ!」


 ホワイトアウトした平原は、右も左もなんなら上か下かも解らない。


 全く視界が利かない世界。

 そんな中を駆け抜ける田中。


 俺はその背中にギュッと必死にしがみ付く事しか出来なかった。

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