ゼスリード平原騒乱8

 真っ白な霧が視界を埋め尽くす。

 現実感が失われ、既に死んでいるのではと錯覚する。


 俺は田中の背の上で、必死に首にしがみ付いていた。


 マジで走った田中の背は揺れに揺れ、歯を食いしばり、なんとか落ちずに済んている。ジクジクとした骨折の痛みと、白だけの光景が恐くて、ギュッと目をつぶって耐えていた。


 そんな中、田中が急停止するモノだから堪らない。何事かと尋ねる前に、田中が叫ぶ。


「オイ! 冗談だろっ!」


「どうしたのですか?」


 先程から、次から次へ滅茶苦茶な事ばかりが起こる。これ以上は勘弁して欲しい。


「もう平原を抜ける、だが……回り込まれた?」


「あり得ません!」


「だが……いや、そうかよ! アイツ等だ! ここに来るまでに俺らをつけて居やがった奴らだ!」


 俺を狙ってスフィールからウジャウジャついて来た連中か? 平原に出た際に撤退したのかと思えば、ずっと森の中で待機していたと?


「てっきり、あの気配はズーラー達だったと思ったんだがな! どうやら違うらしいぜ」


「別動隊? でしょうか?」


「少なくとも味方じゃ無いだろうな」


「でしょうね」


 味方の当てなんて無い、じゃあ敵だ!

 と断ずるのは早計か? いやいやそうじゃない、俺の『偶然』はどこまでも最悪を運んでくる。


「まぁ心配無いだろ、森の中、この霧じゃ見つかりっこ無ぇ、行くぞ」


「ええ」


 足元が見えないほどの霧なのだ。田中の様な超能力者が居ない限りは見つかりっこない。


 ……いや、考えるのは止めよう。

 本当に超能力者の一人や二人、現れそうだ。


 すると、田中の足取りが変わった。ゼスリード平原を囲む急峻な斜面に入ったのだろう。下草を蹴散らす音の代わりに、木の根を跨ぎ、段差を降りる衝撃が襲う。


「グッ!」


「大丈夫か? しかしマズいな」


「ええ、霧が……」


「体調はどうだ?」


「マシにはなりました、でも魔法はおろか、力も本調子ではありません」


「クソッ! とことん祟ってくれるぜ!」


 平原を出て、森に入るとすぐに霧が薄くなったのが解った。鬱蒼とした木々のシルエットが浮かび上がり、白く染まった世界を不気味に彩る。


 足元すら覚束ない程に霧が濃いのは平原だけらしい。このまま震源地から離れ、霧が薄くなれば徐々に体力も回復するだろう。


 が、そうなれば見晴らしがよくなり、追っ手から逃げるのが難しくなる。ままならない物だ。


「連中に動きは無いのですか?」


「後ろからは犬を連れて順調に詰めて来てる、前の連中は動きがねぇ、この霧を警戒してるのかも知れねぇな」


「そうですか……」


 やはり、最悪か。このまま先、霧が薄くなった所で網を張られていると思って良いだろう。


「どうする?」


「どうする……と言われても」


 どうしようも無い。

 俺に出来る事は殆ど無い。


「見ての通り、これじゃ俺は戦えねぇ」


 そう、田中は背には俺を、前には最低限の荷物が入ったバックパックを抱えている。この有様では戦うどころではない、見つかった瞬間にオシマイだ。


 それに俺には『偶然』と言う田中も知らないマイナス要素がある。適当に放たれた矢でも命中しかねないのだ。


 だが、それでも俺には何も出来ない。出来る事と言えばヒロインらしく「私を置いて一人で逃げて下さい」と言う事ぐらいか?



 でも……でも、俺は死にたくない。



 死ぬのが怖いんじゃない。何も果たせずに死ぬのが嫌なのだ。セレナの仇も討てず、『偶然』に翻弄されるために生まれ変わったなんて思いたくない。


 とは言え、何の為に転生したのかと問われれば、最初は田中と木村の弔い合戦のつもりだったのだ。それなのに俺が田中を殺そうとしているなんて笑い話にもならない。


 それに、どうせ逃げられ無いなら二人で死ぬより一人で死んだ方がマシ、そう言う事だろ?


「あ、あの……」


「ああ、姫様はここで待って居てくれないか?」


「え、あ……」


 解っていた。

 それどころか、こちらから提案するつもりで居た。


 それなのに、田中からそう言われると思いの外堪えた。ショックを隠し、冷静に答えようと思ったが、少し上ずった声が出た。


「え、ええ、ここでお別れですね」


「あ? ああ、違ぇよ、見捨てる訳じゃねぇ、犬に追われてるのは恐らく俺だ、俺が奴らを追っ払って来る」


「え?」


「その間、姫さまには荷物番でもしてて貰おうってな」


 田中が顎で示したのは一本の大木、その根元。


うろ、ですか」


「ああ、人一人ぐらいは余裕で隠れられる、姫様なら荷物も一緒にな」


 禍々しい程に広がった木の根。しかしその中心部、幹は人に抉られた様にぽっかりと空洞になっていた。俺が隠れるには打ってつけの大きさだ。


 田中は俺を背中から下ろすと、洞の中へと押し込んだ。そして、抱えていた荷物をまるまる俺に押し付けてくる。


「ほらよ、しっかり見張ってろ」


「え? ええ……」


 この荷物は二人分。田中の着替えや野営道具だって入っている。俺を置き去りにするワケじゃない。


 コイツは、田中は、本当に一人で戦うつもりなのだ。


 確かに足手纏いの俺が居るより、一人の方が戦いやすいだろう。だが、そもそもこの状況、一人で逃げたって誰も責める奴は居ない。それに俺はどんなに隠れたって『偶然』に見つかってしまうに違いないのだ。


 最悪のケースとして、俺が人質に取られて田中の邪魔となる未来すら見える。


 ……だから言わないと。

 ちゃんと言わないと。


 俺はゴクリと唾を飲み込み覚悟を決める。


「いえ、もう十分です、タナカ、あなたは一人逃げ延びて下さい」


「あ?」


「犬に追われているのはあなただけ、無理に戦わず逃げて注意を引き付けて貰えば十分。私はここに籠って居れば早々見つかる事も無いでしょう、霧が晴れたタイミングで自力で脱出します」


「ハァ? お前馬鹿か?」


「!? 馬鹿とは何です馬鹿とは!」


 馬鹿って言われた! 馬鹿って!

 こちとら決死の覚悟で提案してるってのに、こんな時までコイツはふざけ切ってる!


「変に遠慮してるんじゃねぇよ! 今更だろ!」


「別にっ! 遠慮している訳では有りません、その方がお互いに安全性が高いからと提案したまでです」


 嘘だ。

 俺は隠れても早々に見つかるだろうし、霧だっていつ晴れるかなど解らない。


「はぁ、こんな時までお姫様なんだな、そんな意地っ張りだったか? お前」


 そう言って田中は頭をガシガシと搔くが、俺には何を言ってるか解らない。


 しかし何故だが胸がザワつく。


「……どういう、意味です?」


 不安気に尋ねると、ニヤリと笑って田中は拳を突き出した。


『おいおい、水臭い事言うなよ、俺たちもう友達だろ?』


 突き出された拳は真横に倒され、親指はピッと立てられていた。


「え?」


 このポーズ、このセリフ。俺は知っている。何より決定的なのは田中が発したのがこの世界の言葉でなく、日本語だったという点。


 前世で何度も見たアニメ、『ガイルランダー』そのポーズとセリフ、そのままだった。


「なんで? 何時から?」


「ちょっと前だな、それも自分で気が付いたんじゃない、お前に寝言で呼ばれてな、それも下の名前で、俺、教えて無いだろ?」


 何だよソレ! 今まで一人で恥ずかしがったり、悩んだり、気を遣ったりしてたのに、寝言でバラしてるとか、馬鹿みたいじゃないかよ!


「そんな顔するなよ、様になってたぜお姫様がよ」


「ぐぅぅ!」


 なんでだよ! 意味ワカンネーよ! 馬鹿にしやがってぇ!


「そもそもこっちはお前の巻き添えで死んでんだ、今更遠慮すんじゃねーよ」


『んっだよそれ! もうわっかったよ俺のお姫様ごっこに笑ってたんだろうが』


 俺は日本語で怒鳴るが、田中は鼻で笑って取り合わない。


「そんだけ元気なら大丈夫だな、荷物、任せたぜ」


『糞がッ!』


 癇癪を起して暴れ出したい気持ちを何とか鎮める。追っ手がそこまで迫って来て居ても不思議じゃ無いからだ。悔しいから悪態はやめないがな。


「ほら、これで隠れるし。匂いも大分紛れるだろ」


『おいっ! 雑過ぎるだろ』


 田中は俺に小枝や腐葉土を振りかける、確かに見た目も匂いも大分誤魔化せるだろう、仕事が雑だが。


「じゃ、行くぜ」


『オイ!』


『んだよ?』


 すぐにでも俺を置いて出発しようとする田中。だが俺はそんな田中を呼び止めた。


 胸に付けたブローチを外して、腕を伸ばし差し出す。小枝に埋もれ、腐葉土にまみれながらじゃ格好は付かないが。


『これ、持ってけ』


『おい、これ』


『セレナの、妹の形見だ』


『いいのかよ?』


『やるんじゃないからな、返せよ! 怪我したら戻って来られてもメイワクだからな! 一度霧の外に離脱して、回復してから返しに来い! 絶対な!』


『わーったよ、ありがとな』


 久しぶりに日本語で会話をした。懐かしさに胸が締め付けられる。


 いや、締め付けられるのは懐かしさの所為ではないかも知れない。言い知れぬ寂寥感せきりょうかんこの正体はなんだ? 思わず大切な、そう命よりも大切な筈のセレナの形見を預ける程。


 嫌な、予感がした。


『じゃあ、行って来る』


『あ、ああ、いや……あの……』


『まだ何かあんのか?』


『何も、ねぇよ』


 俺は、何も、言えなかった。

 何も出来ることが無かったから。


『そうかよ』


 田中は苦笑しながら行ってしまった。足場の悪い森の中、身軽になった田中は目にも留まらぬ速度で駆けて行く、音も無く。


 頼もしい筈のその姿、しかしそれを見ても俺はちっとも落ち着かない。


 俺は首筋を抑え、荷物に顔を埋めて一人唸った。


『なんでだ、何でだよ!?』


 さっきからチリチリとした感覚が首筋を撫で、収まる気配は微塵も無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る