黒衣の剣士


 ここは、ソノアール村。


 魔獣はびこる大森林からほど近い場所に作られた開拓村であり、人類生存圏の端に位置する最前線。


 ビルダール王国が編纂した村明細帳にはそう綴られている。


 人類の最前線と言えば聞こえは良いが、実際は単なるド田舎。

 林業と農業を生業にする貧しい村だ。


 そんな村に向け、悠然と歩く男がひとり。


「なんじゃありゃー」


 鍬を振り上げ開墾に勤しむ村人が間抜けな声を上げてしまったのも無理からぬ話。


 男の格好は、のどかな寒村にあまりにも不相応。


 この辺りでは珍しい黒髪に、ズボンもジャケットも黒く染め上げられ、関節に張り付けられた補強用の革、果ては外套やブーツまでもが黒一色。


 頭の天辺からつま先まで真っ黒なのだ。

 どう見ても真っ当な人間ではなかった。


 なにしろ、体格からしてモノが違う。

 農民と比べれば、頭二つ分は大きい。こんな大男は誰も見たことがなかったし、ガッチリとした肩幅は戦いを生業にした男のソレだ。


 異様にして異質。


 だから当然、男が村に踏み込むや否や、村人達は男を取り囲み、なにをしでかすつもりと誰何した。


 男は手を上げ反抗の意思がないことを示すも、それでも村人は警戒を解こうとしない。


「全くとんだ歓迎だぜ」


 にも拘わらず、愚痴りながらも男はまるで動じていなかった。


 男は自身の外見が異様であり威圧的だと重々承知していたからだ。


 黒ずくめの大男。それだけでも十分怪しいのに加え、背負う剣まで明らかに人間用のサイズではない。

 極めつけは目元を覆う奇妙なアクセサリー。

 このせいで実に表情が読み取りにくいのだ。


 これだけ揃えば怪しいなんてモンじゃない。のどかな村がパニックに陥るのは当たり前。解っててやっているのだから仕方が無い。


 この程度、男にとって慣れっこだった。


「だからってこれは無いだろう」


 今度のぼやきは本心から。

 一人の村人から、金属製の農具を突きつけられたのだ。


 流石にここまでされるのは当たり前ではない。


「おめぇ、何しにこの村さ来た?」


 すいする男はピッチフォークと言われる農具を突き付けながら黒衣の男に迫る。


「用があって来たわけじゃねーよ! 旅の途中だ! 仕事が無けりゃ、一泊どっか借りて、食料買って出て行くよ」

「本当か?」

「ああ」


 農具とは言え、突き付けられた方にとって見れば三又槍トライデントと大差ない。それでも平然としている男はやはり只物ではないだろう。


 とは言え、村人が鍬や鋤を手に続々と集まってくるのを見ると、男とて納得がいかないモノがある。


 ただ風体が異様なだけで、ここまでの歓迎は記憶になかった。


 当てもない旅の途中とは言え、男は魔獣退治の専門家である。辺境の村が凶暴な魔獣に困っていやしないかと、親切心で立ち寄った所も大きいだけに面白くない。


 男はその筋では名の知れた男だった。


 だからこそ、村人に混じった行商人だけは男の正体を知っていたのだ。


「オイ! おめぇさん、まさか妖獣殺しか?」


「……ああ、そう呼ぶヤツも居る。せっかく辺鄙な村まで魔獣退治に来てやったってのに、ずいぶんな歓迎じゃねぇか!」


 妖獣殺し、男に付いた二つ名だ。


 妖獣とは?


 強力な魔獣は通常なら大森林の外には出てこない。魔力が薄い森の外まで出張しない。


 ただし、空を飛ぶ魔獣だけは別だ。空をひとっ飛びに、人間の村を襲う事がある。


 魔獣の中にもカテゴリーがあり、空を飛ぶのは翼獣と妖獣の二種類に限られる。


 翼獣は文字通り巨大な鳥。行動範囲こそ広いが、それ程の脅威は無い。


 妖獣。

 問題となるのはコッチの方だ。


 その特徴は、一言で言うとキメラである。複数の魔獣がグチャグチャに混ざり合った、突然変異の怪物であった。


 突然変異であるがゆえ、妖獣と一口に言ってもその姿形、危険度は個体によって大きく異なる。


 気味の悪い失敗作のような怪物が森から逃げてくることもあれば、虎の爪と猿の知恵、蛇の尻尾に猛毒を供えた無敵の怪物が都を荒らし回ったなんて記録まで、ウソかホントか残っていたりする。


 問題なのは、そんな怪物に翼まで備わってしまった場合だ。


 翼があれば行動範囲は飛躍的に広がる。森から迷い出たでもなく、人類の生存圏にまで平然と踏み込んでくる。


 神出鬼没にして強力無比。

 危険な妖獣が人里に現れる度、恐ろしい程の被害を出していた。


 そんな妖獣が帝国の小さな村を襲った際、颯爽と現れて、瞬く間に退治した事で一躍名を売ったのがこの男、『妖獣殺し』なのだった。


「へぇ? こんな辺鄙な村でも俺を知ってる奴が居るとは、俺も名が売れたもんだな」


「妖獣殺し様が旅をしてるってお話はへぇ、我ら行商人に取って語り草でやすから」


 この世界の、特にこんな辺鄙な村では情報源は人の噂話に限られる。しかし噂と言うのは娯楽だ、面白い物は際限無く広がるが、そうで無ければ広がらない。


 その点、英雄的な妖獣狩りをしながら貴族に飼われず、旅を続ける黒尽くめの戦士の噂は極上のネタとして広まっていた。


「お、おいコイツはそんなに有名人なのか?」


 焦ったのは村人だ、いつも強気に吹っかけて来る行商人の腰が低いのだから、いよいよ男が只者では無いと悟ったのだった。


 当の男はピッチフォークの先端を指でつついて肩を竦める。


「そろそろコイツを引っ込めちゃくれないか?」


「あー皆さん、彼が『妖獣殺し』ならそんな農具でどうこう出来やしませんよ、やめましょう」


 行商人が言うまでもなく農民達は及び腰だ。手にする農具を握る手も力がない。


 だがピッチフォークを突き付けた男だけは最後の気力を振り絞って問いただす。


「おめぇ、帝国のモンじゃないんだな?」


「帝国方面から来たが、帝国の手の者って程じゃない。何か仕事を受けてこの村に来た訳でもない」


 男にも、そろそろ村の事情が呑み込めて来た。


 この村は何か厄介事を抱え込んでいる。其れを帝国に知られたくないらしい。


 ここはビルダール王国の外れの村だ。


 セルギス帝国との国境が近い。隠し砦なんかを作ってるって可能性がありそうだ。


 それにここは大森林に最も近い村でもある。辺りは濃厚な魔力に満ちていて、新しい魔道兵器の実験と言う線も考えられた。


 となれば普通は食料でもねだってから回れ右するのが正しい処世術。しかし男は好奇心が勝った。


「何があったか教えて貰っても?」


 首を突っ込む覚悟を決めた。

 万が一でも、こんな村人相手ならどうとでもなる自信があった。


「あ、ああ」


 ピッチフォークの男が村の中心部、この世界の典型的な役場をチラリと見やる。


「役場か? あそこで話をしてくれるって事で良いんだな?」


「あ、いや……そうだな、おーい、すまんが村長に事情を説明しておいてくれ、いまから妖獣殺しサマを連れていくってな」


「あいよ、任しとけ」


 役場に走る村人を見送ると、ピッチフォークの男はようやく農具を降ろした。


「すまんな、気を悪くせんでくれ。事情は役場に行けばスグに解る」


「これで、盗賊に間違えましたって程度なら納得いかねーぜ」


「そう言う事じゃない、何にせよ付いてきてくれ」

「――フン」


 鼻息荒く不機嫌も露わな男だったが、内心はワクワクしていた。何が出るにしても退屈はしないだろう。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 役場は男の様な流れの戦士にとってはお馴染みの場所だ。


 この世界には冒険者ギルドなんてシステムは無い。だから冒険者ランクなんて物も冒険者カードなんて便利な物も無い。


 だから畑を荒らし、人も襲う魔獣の駆除は行政のお仕事だ。まんま害獣駆除だと思って良い。

 ただ田舎ともなれば、その仕事をアウトソーシングしなければならないと言うだけの話、それも大胆にだ。


 そんな仕事すら無い場合、流れの戦士は村長などの権力者の家に御厄介になるか、最悪筋モンのおっかないオジサンのお世話になるしかない。


 魔獣狩りのお仕事なんざ、まんま時代劇で言う所の渡世人の様なヤクザな稼業である。


 男ほど名が売れてくれば、貴族に取り入るのも難しくない。ただ男は自由に旅がしたかった。

 と、なれば派手に稼げる案件が有ればそれに越したことは無い。厄介事って言うのはそれだけ金になる。


 ピッチフォークの男――いやとっくに農具は手放してるが、の案内で役場の扉をくぐる。


「アレが妖獣殺し」

「噂に違わぬ大男じゃねーか」

「それに見ろよあの剣、あんなモン振れんのか?」


 大規模にアウトソーシングされてるから、役場にはゴロツキが大勢居る、そして彼らは耳が早い。


 遠巻きに見つめる彼らも、男の噂はかねがね聞いていた。

 男の方もそんな視線は慣れっこで、むしろ気になるのはその雰囲気が弛緩している所であった。とてもじゃないが秘密作戦中と言う風には見えない。


 ピリピリしている村人とのんびりした傭兵。対照的な様子に首を傾げるが、何かあるには違いない。でなければ村長がわざわざ出てきやしない。


 黒衣の男は神経を尖らせながらも、ロビーで手を振る村長と対面した。ひげ面の冴えない中年男と言った風采だ。


「わしがこの村の長を務めさせて貰っている、ガスタールだ、お前さんが妖獣殺しと呼ばれる凄腕と言うのは聞かせて貰った」


「そりゃどうも、だがそんな挨拶よりも何が起こってるか教えて貰っても?」


「ああ、話は上でしよう、会って欲しい人も居るしな」


 この世界、城塞都市でもない限り村の建物は殆ど平屋だ。それでも役場は大体二階建てとなる。大抵は防犯上の理由であった。


 込み入った話をすると言う事だろうか?


 ――いや、違うな。会って欲しい人と言ったな? つまり、余人に晒したくない誰かが二階にいるワケだ。誰だ? 貴族にしたって……


「妖獣殺し、あんたはザバを知ってるか? 会った事は?」


 男の思考は、村長の急な言葉に遮られた。

 階段を上がる途中、思いがけない質問に虚を突かれた。


 森に棲む者ザバ

 魔の森と言われる危険地帯に暮す忌まわしき民の名だ。

 その特徴は人の理を越えた規模の魔法を扱い、長寿、かつ化け物の様に耳が長い。

 伝承や歌の中で森に棲む者ザバの恐ろしさはそれこそ鬼の如くに語られる、だが。


 ……それってエルフだろ?


 男としては恐れる理由が解らない。

 手を出さなければ安全ではないのかと、そう思うのだ。


 街で「いたずらばっかりしてるとザバになっちゃうぞー」と子供の耳を引っ張る母親を見る度、男としては、正直エルフになれるなら大歓迎じゃないか? と不思議に思っていた。


 もちろん、この世界では異質な考え方である。


「……いや? 会ったことは無いな、会ってみたいとは常々思っていたが」


 だから、妙な事を言い出す男を村長は怪訝な顔で一瞥したが。


「ならスグに会えるぞ」


 とだけ言うと、二階の奥、恐らく村長室だろう重厚な扉のドアノブを掴み押し開いた。


「彼女が森に棲む者ザバ、それも本人が言うにはお姫様だ」


 男には村長の言葉が頭に入ってこなかった。


 窓は締め切られているが、ランプでは無く贅沢に魔道具の明かりで満たされている。


 光溢れる部屋のソファーにゆったりと座る、一人の妖精が居た。


 ピンクの髪、細面で線の細い体つき、そして長い耳

 ……はエルフの特徴そのままであるが、何より驚くのはその瞳だ。


 ピンクと銀のオッドアイ、それが両の目とも大きく見開かれこちらを見ている。


 大きい。なんと大きい瞳だ。

 まるでアニメのキャラの様で現実感が無い。


 でも、気持ち悪くも不気味の谷に落ちていく感じもしない、それは立派に生物としてそこに存在している。


 可愛い。

 まさにそれしか言葉がなかった。

 可愛い記号を押し固めた様なアニメキャラに匹敵する可愛さをその身に宿している。


 そうとしか男には思えなかった。


 絶句していると、おずおずと付いて来たピッチフォークの男が悲しそうに呟いた。


「気持ち悪いと、恐ろしいと思うか? 俺も初めはそう思った。でもよ、村に来たあいつはボロボロでよ、今でこそ服も着替えて見違えたが、話を聞くと何だか可哀想でよ」


「それに聞き逃せん事もある、ザバを滅ぼした帝国の新兵器、加えて恐るべき森に棲む者ザバの秘術。帝国が二つの恐るべき力を手に入れてしまった」


 恐い? 可愛いじゃなくて?


 思っていた事と真逆を言われ、男の思考は纏まらない。

 村長の言葉に至っては意味も解らない。


「……ザバを滅ぼした?」


「ああ、お嬢ちゃんが言うにはザバの国は首都を攻め落とされたと、帝国の奴らが攻め込んで来たらしい」


「おい嘘だろ!?」


「正直ワシらの手に余る話だ、彼女を王都に運んで欲しい。事は一国を揺るがす事態だと思えてならん、彼女自身もそれを望んでおる」


「いや、しかし」


 思いもよらない依頼。


 しかし男は躊躇した。少女はむしろ可愛いと思う。だからこそ躊躇した、触れれば消えそうな幻想的な少女に対し、自分は威圧感ある黒衣の剣士だ。


 威圧感のあるこの姿は望んだ形とは言え、女の子受けするとは思えない。いや逆に貴族の少女に気に入られる事はあるのだ、あるのだが、それは噂に聞く恐ろし気な剣士を自分のポケットに入れたいと思う思春期の妄想ゆえ。


 流石にエルフのお姫様が知るほどに、自分の名は売れていないだろう。だったら自分は恐怖の対象に過ぎないのではないか?


 その証拠に先程から少女はこちらを凝視し、恐怖に目を見開いている。


「……タ、タナカ?」

「!? ……なん?」


 男が焦ったのは無理もない。

 突如少女が言葉を放つ、しかもその言葉は男にとって特別な意味があった。


「タナカ?」

「魔法か?」


 周りは意味が解らない、だが男には意味が解った、痛い程。


「いや違う、田中は……俺の名だ」


 ――どうやら俺の名はエルフの国にも売れてるらしい。


 そう思うと男は、いやタナカは黒縁眼鏡を上げ直し、ニッと笑うのだった。

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