休息の代価

 食糧が無い!


 あれから二日、若芽や蕾、土筆つくしみたいに食べられる物を採って食べてみたが、さほど栄養があるとは思えない。


 妹の体を考えるならば狙いたいのは球根や、芋、つまり根菜類だ。


 しかし季節柄芋など無いし、食べられる球根を見つけるのは難しい。

 残された食事は乾パンもどきが二つに、俺の横顔が刻印されたチーズが一つ。


 チーズは紙のパッケージに包まれていて、50グラムぐらい。

 前世で食べてた6Pチーズ三つ分ぐらいだろうか?


 初めは同じ大きさのチーズが10個、乾パンは20個、他にはナッツ類などもあったのだが栄養のありそうなものから順に食べてしまった。


 こうなると最後のチーズが生命線だ。ジッと手の中のチーズを見つめる。

 小さいお手々にすっぽり収まる小さいチーズを穴が開くほど見つめる。よく見ると刻印された俺の横顔は王冠を付けていた。


 ――ああ、もう大分前から、俺の秘宝はこれに決まってたんだな。


 知らぬは本人ばかりだった。よく考えれば王国の宝にして一財産程の価値があると言う王冠が魔道具へ改造するべく持ち込まれたとあれば、世間の話題を攫う事は想像に難くない。

 きっと驚く程に昔から準備されていたに違いないのだ。


 ――なんだかんだ俺は愛されていたんだな。

 ……くそぉ! 今、それに気が付くかよ。


 だって、だってよぉ『親孝行したい時には親は無し』とは言うけれど、いくらなんでも早すぎるだろ……


「それ、お姉ちゃんのチーズ?」

「ええ、そうよ」


 セレナがベッドから起き上がる、その仕草が辛そうだ。

 そう、二日経ったのにセレナの体調は回復していない。


 ……それどころか悪くなっている気がする。


「セレナ食べられる?」

「うーん、いいよ、お姉ちゃんのチーズだもん」


 セレナは噛む力も弱くなっていて、前世の乾パンより硬い乾パンもどきはお湯に漬けて食べさせたりしている。そんな中で、このチーズだけはセレナも普通に食べてくれる。残った最後のチーズはセレナに食べて欲しい。


「セレナが元気になったら私も食べるわよ」

「でもぉ、それ最後の一個でしょ?」

「このチーズが世界で最後の一個って訳じゃないでしょ?」

「うーん、でも今は良いかなって」


 ……おかしい。

 ここ数日は充実した食生活とは程遠い。満腹どころか傷ついたセレナの若い体は、本来いくらでも食べ物を欲するはずだ。なのに、本当に食べる事が出来ないように見える。


 その事実にゾッとした。思った以上にセレナは重傷なのかも知れない。


「セレナ、健康値を測りましょう」

「お姉ちゃん、お顔が怖いよぉー」

「良いから! 早く!」


 嫌な予感に顔が引き攣る、強い調子で俺は頭から外した王冠を妹に握らせた。


 健康値:4

 魔力値:152


 下がってる!

 上がるどころか下がってる!


 健康値は魔力の抵抗係数から体力を測る。

 だから計測時に、ほんの僅かだが体力を削ってしまう。

 あまり頻繁に測りすぎるのも問題と、耳にタコが出来るほど言われてきた。


 それでセレナの健康値を測りすぎないようにしていたのが完全に裏目に出た。一日一回とは言わず、もっとこまめに測るべきだった。


「セレナ! 頭を貸して!」

「え? 大丈夫だよ~」

「良いから!」


 ぐずるセレナのおでこに手を当てる。


 ――熱い!


「熱があるじゃない! 何時から? 何時から熱があったの?」

「え? えーと、昨日の夜ぐらいから……」

「どうして言わなかったの!」

「だって……だってぇ」


 駄目だ、セレナに当たったって何にもならないのに、それに昨日の夜言われたって何が出来たって言うんだ。


 虚ろな目でセレナはギュッと毛布を握る。


「ご、ごめんなさい」

「良いのよ、セレナは体力を付ける事だけ考えて」

「うん……」


 どうする?

 薬草は煎じて飲ませてみたが、きっと役にはたたない。

 薬草が殺菌薬なら腹下しには効くかもだが、もし風邪ならば意味が無い。


 くそぅ、前世の知識も、本で溜め込んだ知識も、どちらもなんの役にも立たない。


 俺が抗生物質の一つも作っていれば……


 青カビからペニシリンが出来るって話は知っているが、具体的な抽出方法は聞いた事もない。見知った知識でなければ参照権でも取り出せない。失敗が目に見えているから、作ろうともしなかった。

 仮に作った所で試験する方法も保存する方法もないのだから意味が無いと思っていた。


 なにしろ怪我をしても回復魔法で治せる世界だ。抗生物質が必要になるとは夢にも思っていなかった。

 魔法で傷口がすぐに塞がるなら感染症の危険なんて無いのだから。


 大体にしてこの世界の青かびにペニシリンが含まれているかも解ったモノではないし、王宮での俺の立場は微妙で、下手に事業を興して失敗したら目も当てられない。


 そんな風に思っていた。


 いいや、違う。

 俺は結局サボって来たのだ。

 薬だけじゃない。銃とか、特殊な攻撃魔法とか、そもそも外の世界の情勢を調べていれば侵略だって未然に防げたかも。


 必要な努力は幾らでもあったのだから。


 なんならエルフの医者が調合する薬の中に、抗生物質があったのかも知れない。

 足元の技術にすら無頓着だった。


 そうだ、その可能性は十分。

 別にチートなんて無くて良い。

 魔法があるから薬は未発達と決めつけていた。


 エルフの食糧生産力は異常だ。森の中にありながら王都の人口を支えている。地球よりも植物の扱いに長けているに違いない。


 だとすれば、俺が知らないだけで、薬学だってかなり高いレベルにあったハズ。

 秘伝の技が本なっておらず、俺の知識として入ってこなかっただけって可能性は十分ある。


 そうなれば、こんな所に長居は無用。

 この小屋に追っ手が来ないとも限らない。回復魔法も使えず、食料も見つからないとなればここにジッとしている理由はもうどこにもなかった。


 ただ、問題は体力だ。


 セレナは歩けない。再び俺がおんぶして移動する事になる。おんぶする方はもちろん、される方だって消耗する。


「セレナ、チーズだけど無理してでも食べられない?」

「え?」

「移動しようと思うの、病気だったらこんな所に居ても治らないわ」

「で……でも」

「セレナはどうしたい?」


 そうだ、セレナの意見を聞かないと。俺一人で考えて良い事なんて何にもない、なんなら俺はここでセレナと心中したって良いんだ。


「お熱、下がらないかなぁ?」

「ごめんね、森の中で食べる物あんまり見つからなくて……何日もここで頑張れないかもしれないの」

「そうなんだ……」


 本当はセレナの健康値が10、せめて7とか8になったら二人で歩いて移動できないかと考えていたのだ。だが上手いことセレナの熱が引いたとしても、健康値が5になる程度。歩いて移動は出来ない。


 どうする? どうする? どうする?

 何が正解だ? 状況は絶望的だ、何を優先して何を捨てるのか? 優先するのはセレナだ。俺の安全係数は捨てたって良い。セレナが死んで、俺が生き残る可能性を上げたって仕方が無い。


 ふと視界に兄様の剣が目に入る。兄様の秘宝だった双剣。ここまで守ってくれたが重量が有るのも事実。

 記憶を頼りにシルフ少年の故郷であるパラセル村までセレナを担いで行くとなれば、荷物は限界まで減らしたい。なにせ俺の体力だって完全には回復していない。食料を探して歩き回ったし、精神的疲労だって圧し掛かって来ている。


 置いていくか?

 これは兄様の形見だぞ?


 それでも剣さえ持たなければ、セレナを担いで村までギリギリ歩けそうな気がする。


 勿論武器も無く、持ち前の不幸さで魔獣と出くわしたらその時点で死亡確定だ。でも、それでも良い気がした。

 二人で死ぬか二人で生き残れるかに賭けられる。俺だけ生き残れる可能性に何の意味もないのだから。


「お姉ちゃん、私の事は良いから一人で逃げてよ」


 剣を見ていたからかな、妹に余計な気を使わせてしまった。


「どうして?」

「だって、セレナが居なければお姉ちゃん、もっと遠くに逃げられるでしょ?」

「セレナが居ない所に逃げたって仕方が無いじゃない」

「え? で、でもぉ……」

「セレナは私が危ない時に一人で逃げられるの?」

「逃げ……ないよ」

「じゃあ、私も逃げない、自分で出来ない事を他人に求め過ぎちゃだめよ? お母様も言ってたでしょ?」

「う……うん、母様言ってたぁ」


 ああ、母様の事、思い出させてしまった。せめて母の代わりにと、セレナの髪を梳く様に頭を撫でる。


 すると、またじんわりと、セレナの目に涙が溜まる。


「うう、きっと罰が当たったんだ」

「罰?」

「うん、私お姉ちゃんの事馬鹿にしてた、不健康で変な事ばかりしてる姉様を私が守らなきゃって」

「セレナ……」

「普通にしてればちゃんと健康になれるのにって思ってた、でも! でもぉ……実際に自分が元気じゃなくなったら、どうやったら元気になれるかなんてわかんないよぉ」


 そんな風に思ってたのか……、でも、俺は実際、変な事ばかりして居た気がする。

 今までずっと、心配ばかり掛けて来たんだ。


「良いのよセレナ、お姉ちゃんが変なのは本当だもの」


 優しくセレナの涙を拭う、そんな俺の腕をセレナはギュッと抱きしめた。


「ずっと私が、私がお姉ちゃんを守るんだって思ってたのに、私がお姉ちゃんに守られてる……私、馬鹿みたい」

「セレナ!」


 なんだよ! なんでだよぉ……セレナはずっと俺のヒロインでヒーローだったじゃないか! 成人の儀の時も、王都で殺されそうになった時も、銃で撃たれて歩けなくなるほど衰弱した時ですら、崖から落ちそうになった俺を守ってくれたじゃ無いか!


「私は、ずっと、ずっとセレナに守られて来たから……お願いだから、お願いだから私にもセレナを守らせて」


 視界が滲む、涙が溢れる、そうだ、セレナは何回も俺を守ってくれた、なのに俺は一度だってセレナを守ってやれてないじゃないか。


「ごめんね……お姉ちゃん、ごめんね」


 止めてくれ、こんな馬鹿なお姉ちゃんに謝らないでくれ。


「セレナ、セレナ」

「母様、守れなかった。凄い魔力が有るって、みんな褒めてくれて、なんだって出来ると思ってたのに、朝起きたら体が怠くて、お姉ちゃんみたいに……たまにはサボっても良いよねって、もう一度寝直したら、お昼頃起きてね。起きたら、寝坊したら……みんな、みんな死んでたの、母様もゼノビアも」


 ゼノビアさんはセレナの専属侍女だ。

 そうか、おそらくゼノビアさんも母様もあの霧が特にセレナの体に悪いって気が付いていたのだろう。脱出せずに残っていたのも、ひょっとしたら寝たままのセレナが動かすのも危険な状態だとまで解っていた可能性も有る。

 もちろん俺だって、あそこまで一気に敵兵が王宮を駆け上がって来る可能性なんて考えた事も無かった。


 セレナは良い子だ、サボリなんて殆どしない。そして姉にはサボリの常習犯みたいな俺が居るんだ。怠い朝だったら、たまには自分だってと思う事だって有るだろう。


 だが、その初めての二度寝で、気づいた時にはみんなが死んでいた。


 そんな、そんな事が許されて良いのかよ。


「でも、セレナが寝ていてくれたおかげで、私は助かったのよ」

「そうかなぁ……」

「そうよ、多分セレナが起きてたら、母様もゼノビアさんもすぐ脱出したと思うの」

「お姉ちゃんを置いて?」

「私は、お父様の所に行くって兵隊さんに伝えてたから」

「……父様は? 父様はどうなったの?」

「最後まで戦うって、兄様と逃げろって、でも結局兄様も死んじゃった。セレナと違って私は何にも守れなかったの……」

「私も、私だって守れてないよ!」

「セレナは私を守ってくれたじゃない」

「でも、でもぉ」

「ありがとう、セレナ」

「う、うぇぇぇーーーーーん」


 張りつめていた何かが切れた様にセレナは泣いた。


 泣いて、泣いて、ゆっくり眠った。私はそっと寄り添ってセレナの髪を撫で続けた。きっとセレナは今まで眠れなかったのだ、眠ったら俺まで死んでしまうんじゃないかって。


 俺も寝よう、起きたら二人で村を目指す。


 セレナは俺を守ってくれた、俺だってセレナを守りたい。他の何を守れなくたって、俺の魂が俺を殺してもセレナだけは助けたいんだ。

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