絶望の夜

「ハァ、ハァ、ハァ」


 息が上がる、それでも止まれない。

 背中に感じるセレナの体温が高すぎるから。


 目が霞む、それでも諦められない。


 肩越しに感じるセレナの息遣いが苦しそうだから。


 シルフの記憶を頼りに森を歩くが、何年も前の記憶だ。道は大きく違っている。


 それでも地形からおおまかな方角はわかるし、なにより山歩きの知識が豊富で、足運びや体捌きが変わった。森での動きやすさが全然ちがう。


 こう言った知識は口で説明されたってモノにするのは時間が掛かる。

 それが参照権によるダウンロードなら一瞬で体得出来るのだから凄まじい。


「ハァ、ハァ、ハァ」


 それでも、疲れが残る体でセレナを背負っての移動は苦しい。


 そうだ、俺の疲れは取れちゃいなかった。


 セレナを背負って歩き始めて、すぐに痛感させられた。体の芯が重いのだ。


 火事場の馬鹿力とばかりに王宮で暴れ、脱出し、歯を食いしばって狩猟小屋までたどり着いた。

 あんな命を削る無茶が続くハズがない。


 疲労を甘く見ていた。もしも兄の形見の双剣を持っていたら小屋から100メートルと移動できなかったに違いない。


 あの双剣は小屋に置いてきた。

 縁の下に隠したが、剣って奴はあれで手入れが必要だ、すぐに朽ちてしまうだろう。


 それぐらいなら、いっそ小屋の目立つ所に置いて、誰かに拾って貰おうかと思った。

 しかし、兄の双剣を帝国の人間が使うことを考えると、どうしても耐えられなかったのだ。



 だから、今の俺たちは丸腰だ。


 帝国兵に出会っても、魔獣に出会っても、その瞬間にゲームオーバー。


 息を潜め物音を立てない歩法で森を進む。シルフの知識は最大限に生かされていた。


 問題は、俺の体力が保つかどうかだ。


 ずっと山で生計を立てていたシルフ少年の記憶でも、故郷のパラセル村と狩猟小屋までは半日掛かる距離だった。


 それが、もやしっ子の俺がセレナを担いで森の中、疲れ果てた体での強行軍ならどれだけ掛かるかわからない。


 一度休憩を挟んで気持ちが途切れた影響なのか、まだ頭の整理がつかない。現実が認められず、どうしても心がついてこないのだ。


 お風呂に入りたいやら、お腹が空いたやら、綺麗な服に着替えたいとかお姫様気分で本能が訴え掛けてくる。


 いや、文化的な生活を送っていた王都のエルフならみんな同じように音を上げるのは想像に難くない。



 なんせ今の俺は、泥と汗にまみれた惨めな姿。


「フー、フー、フー」


 俺は大きな木に齧りついていた。

 呼吸の度に苔むした匂いが口に広がる。


 別にカブトムシになった訳じゃない。


 木に寄りかかって休んでいるのだ。文字通り喰らい付いていないと立っていられない。

 本当は両手で抱きつきたいぐらいだが、背中でセレナを支えている。


 いっそ膝をついて休みたい、しゃがみ込んでしまいたい。

 でも、そうしたらきっと、もう立ち上がれない。


 体力だけじゃなく、気力だって限界だ。

 セレナを守りたいのに、気力さえ出てこない。




 前世の日本では、気力は無料、あってあたりまえのモノだった。

 『やる気が無い奴は何をやっても駄目』ってやつ。


 俺だって、若さに任せて元気いっぱい。気力がなくて動けないなんて思いもしなかった。


 でもエルフに転生して、病弱な子供として生活を送ってみると、体調や体質、生活習慣や、食事。

 もっと根本的に種族や環境と、生まれ持ったモノを俯瞰して見られる様になった。


 すると、気持ちだって体調に引っ張られる事が理解出来た。

 体が不調だと、それだけで何も出来ない日があった。


 だからこそ無謀と言われても肉食に拘って来た。どうしても健康になりたかったのだ。



 元来、俺の体は丈夫に出来ていない。ハーフエルフの俺にとって、適切な食事だって摂ってきていない。外で思いっきり駆け回った事もない。


 なのに、王宮から脱出して、ここまで体に無理をさせてしまった。ここで終わり、死ぬつもりでがむしゃらに行動してきた。


 一旦休憩をとってしまえば、気持ちだって続くハズが無いのだ。


 俺の命がゴリゴリと削れていくのが解る。

 俺は、一体何をしているのか?


 そう言えば、日本人は気力を振り絞って、それこそ命を削る様な頑張りを美徳としていた様に思う。

 俺はそれを心底馬鹿にしていた。生きる為に頑張るならともかく、死ぬ為に頑張ってどうするのかと、優先順位を履き違えた馬鹿の様に思っていた。


 でも……俺にも命より大切な物が出来た。


 妹のセレナだ。


 俺は隕石で命を奪われた、家族にだってもう会えない。


 でもそれは悲しくなかった、『ふーん』ぐらいのもんだ、だって俺の責任でも無いし、仕方が無い。それより神様がくれた今後の方が重要に思えたんだ。


 でも、俺の巻き添えで友達の命まで奪われた。

 勿論、これだって俺のせいじゃない。俺なんかと仲が良かった為に死んだと思うとやり切れないが、それだって俺らしくない感情だと持て余した。


 生まれ変わって新しい家族が出来た。

 みんな美人で美形で、おまけに優しくてたちまち好きになった。


 でもみんな死んだ。


 残ったのはセレナだけ。


 前世でも兄弟は居らず、妹なんてフィクションの中の生き物だった。

 実際に妹が居た田中に言わせればウザいだけの存在だと聞いていて、そんな物かと思っていたが、妹のセレナは可愛かった。


 いや、セレナは特別だ、初めから賢くて可愛かった。


 だからかもしれない。


 俺の魂が周りを巻き込む凶星だと解っていても、なかなか外へ踏み出せなかった。


 家族の中で生きているのは楽しくて、居心地が良かった。


 結局俺は家族に守られて生きてきた。特にセレナからは何回も守られてきた。

 でも俺はセレナを守れないのか?


 これじゃ、俺はとんだ疫病神じゃないか!


 いいや、疫病神どころか神すら持て余す迷惑そのものなのだ。おれは全てを巻き込む覚悟が有ると神に大見得切って生まれ変わった。それが家族を失う事にすら耐えられそうにない。


 それでも、セレナには笑って居て欲しい。お姉ちゃんが俺で、ユマで良かったと、笑って言って欲しかった。

 こんな疫病神でも誰かの為に生きてみたかった。



 森の中ではこんな思考が同じようにグルグル廻っていた。

 実際は、こんなに論理だった思考ではなかったかもしれない。


 疲れ果てた俺の思考はゾンビの様に単純に成り果てていただろう。


 セレナ助ける!

 パラセル村行く!

 行かないとセレナ死んじゃう!


 そしたら、わたし死んでもいい!



 こんな言葉がグルグルと脳を駆け巡るだけ。


 本能の様にずるずると足を前に引き摺って歩いた。


 そのお陰だろうか?

 奇蹟が起きた。


 日が暮れる直前にパラセル村に辿り着く事が出来たのだ。


 ……いや。



 パラセル村だった場所、と言った方が良いだろう。



 ……そこには誰も居なかった。




「誰か! 誰か居ませんか!」


 大声を上げて人を呼ぼうと思った、でも小さな声しか出なかった。疲れもある、でも大声を出しても人が来ないであろう現実が怖かった。


 そこはどう見ても、何年も前に打ち捨てられた廃村だったのだから。

 ボロボロの廃屋が並ぶばかり。


 俺はこの大森林の地図を見たことがある。

 だから、村の名前と場所は参照権で全部確認できる。


 パラセル村は確かにある。今でも存在する村だ。

 しかし、場所が違っていた。


 俺が見た地図上のパラセル村はもっと南にあったはず。シルフ少年の記憶とは違うのだ。


 だから、パラセル村が無いことぐらい覚悟しているつもりだった。


 なのに、シルフの記憶に引きずられ、心のどこかでパラセル村に行けばなんとかなると思い込んでいた。


 思い込む事でなんとかここまで歩いて来た。



 いや、ホントは、誰も居ないとは思っていなかった。



 廃村でも、ひとりぐらい誰か残って居るだろうと信じていた。

 理由も無く、信じたい事だけを信じて歩いた。


 だって、近くに他の村は無いのだから。

 ここに誰も居ないのなら、セレナは助からない。

 結局は、一縷の望みを託してここに来るしかなかった。


 参照権で見たパラセル村はずっと南。

 セレナを背負ってそこまで行くのは不可能だ。


 もう、助からない? セレナが死んじゃう?



 諦めるには早い。


 村には雨風が防げる建物がある。立派な暖炉も残っていた。


 それだけで魔獣が跋扈する森での野宿と比べれば全然違う。


 向かったのは中央のとりわけ大きな家。

 恐らく村長の家だったのだろう。この家だけが立派な造りで、長年の腐食に耐えていた。


 それでも扉は外れかけで、触っただけで外れてしまった。家の中はどこからか入り込んだ枯れ葉や土埃にまみれていて、床板は所々腐っている。歩くのにも注意が必要だ。

 それでも屋根が落ちたり、床が抜けたりはしていないのが救い。作りが悪いエルフの家は真っ先に屋根板が落ちて、そこから一気に駄目になる。


 村のほとんどの家は屋根が落ちていて、既に原形を留めて居なかった。



「セレナ、もうちょっとだけ頑張ってね」

「…………」


 セレナに話し掛けるが、返事はない。

 眠っている。


 俺は埃まみれのソファーにセレナを預け、しっかりと寝かせるため、ちゃんとしたベッドを探して家の中を散策する。


 この有様では食糧なんて期待出来ない。一階の台所は無視して二階にあたりを付けると、すぐに立派な寝室が見つかった。


 ベッドが二つに暖炉とたん

 どれも以前は立派な物だったのだろうが、腐り落ちた窓から吹き込んだ雨風に晒され、部屋は荒れ果てていた。


 ボロボロのベッドから土埃まみれのシーツを剥がし、まだ使えそうな箪笥の中からシーツを引っ張り出して交換する。ゴワゴワしたシーツが今はありがたい。特別丈夫なシーツだから生き残ったのだろう。


 他の布が虫食いだらけで、触れた先からバラバラになってしまうのを考えると、正に奇跡のようだった。


 部屋も掃除をしたいが、体が鉛の様に動かない。それでも暖炉の中のゴミをどけて火を使えるようにしないと夜は命に係わる。


 幸い、燃やす木屑は捨てる程そこらに散乱している。

 でも火が、単純な点火の魔法が使えない程に俺は消耗していた。外はもう暗い、火を付けないと春先の夜はまだまだ寒いと言うのにだ。


 問題は先送りにして、一先ずセレナをベッドに寝かせることにする。


 俺は一階に戻り、ソファーに寝かせたセレナの手を取った。


「え?」


 握ったその手が熱かった。


 思わずおでこに手を当てて、慌てて引っ込める。


 それがセレナの体温なのだと、信じられないぐらいの高熱。


「セレナ! セレナァ!」


 ショックに叫ぶ。

 でも、セレナは答えてくれない。


 寝てたんじゃない。気絶していたのだ。


 ヤバい! ヤバい!

 セレナが死んじゃう!


 パニックのままにセレナを担ぐと、ドタドタと階段を駆け上がりベッドに寝かせた。


「セレナ! セレナ!」


 セレナの手を取って呼びかける。

 やっぱり熱い! 熱すぎる!


 人間の体温はここまで上がるのかと、それこそセレナが魔法を使ってふざけてるのではないかと、そう願わずには居られない程の高熱。


 そんなセレナがうわごとの様に呟く。


「おね……えちゃん?」

「セ、セレナぁぁぁ」


 生きてる! セレナは生きてる!


 そりゃ熱があるんだから生きてはいるって、普通なら解る。

 逆に言うとそんな普通な事すら解らない位のパニックだった。


「どこ?」

「村に着いたの、でも誰も居なくて、廃村みたいなの」


 言い訳の様にまくし立ててしまう。


「そっか」


 セレナは辛そうだった、当たり前だ、こんなに熱が有るのだから。井戸を探して濡れ布巾で頭を冷やさないと。


「おねえちゃん……寒いよ」

「えっ?」


 思わず、こんなに熱が有るのに寒いなんて。と思ってしまったが病気なら寒気がして当たり前だ。火だ、火を付けないと。


「すぐ、すぐに火を付けるから」

「あ、これ使って!」


 左手で慌てて暖炉へと走る俺の服の端をギュッと握って。右手で胸のブローチを外して差し出してきた。


 でも、そのセレナの目の焦点が合っていないのだ。


「セレナ? セレナ目が見えないの?」

「いいか、ら、使って」


 ちょっとずれた位置に向けられた妹の手。ゆっくりと開いて中からブローチを受け取る。汗ばんでいて、セレナの体温の高さを感じるそれは、最近貰ったセレナの秘宝。


 一つだけ魔法を入れて置ける魔道具だ。でも、少しずつ魔力を込めないと壊れてしまう代物で、専ら魔力制御の練習に使っていたと聞いている。


「解ったわ、ありがとうセレナ」

「うん、早いけど誕生日プレゼント」

「え……」


 そう言われて、俺は困ってしまった。


 だって、俺の誕生日は二か月先、まだ大分早い。

 それにセレナの誕生日の方が先なのだ。来月に迫っていた。


 なのに俺はまだセレナにプレゼントを用意していない。それだって別に遅い訳じゃない。

 なのに、それが何故か妙に胸に刺さった。


 セレナのプレゼント。

 ジッと秘宝を見る。


 もちろんセレナの秘宝ではなく、中に入った魔法がプレゼントなのだろう。


 状況から見て点火の魔法だ。

 魔力制御のため、秘宝に込める魔法としては順当だろう。


 だが俺の脳裏に過ぎるのはセレナのレーザーみたいな点火の魔法。


 暖炉に木屑を集めた俺は、延焼を恐れ、暖炉の中に手を突っ込んでおっかなびっくり魔法具を起動した。


「『開け』」


 わずかな魔力を魔道具に流して起動する。薄暗い暖炉の中にヒュと空気が入り込んだ感覚。その後、薄暗い暖炉の中で青い炎がきらめいた。


「あっ!」


 俺が教えた、酸素を含んだ点火の魔法。青白い炎が灯っていた。


 でも、それだけじゃない。その青い炎は複雑な形を描く。


 少女の横顔、頭には王冠。


 俺だ!


 チーズにも描かれている俺を表す姫のデザインが、暗い暖炉の中で朧気に揺らめいている。


 いや、朧気なのも、揺らめいてるのも。

 全部俺の涙のせいだ。


 セレナの魔法はしっかりと形作られている。


「あ、うっ」


 余りの感動に、いや、これは感動なのだろうか? 押し寄せる感情に胸が苦しくなる。

 ありがとうと口にするどころか、呼吸すら出来ない自分、震える手。


 なんとかブローチを傾けて木屑に着火する。傾けるブローチに付随して傾く俺の横顔。


 昔は一瞬しか保たなかったセレナの種火は、まだしっかりと形を保っている。


 ただ、それだけの事で胸が一杯だ。


 あの時セレナは二歳。

 もう七年も経っているし、複雑な形だって作れるぐらいセレナの魔法制御は一流だ。


 だから着火の魔法がすぐ消えないなんて当たり前で、この魔法の見るべき所は青い炎や複雑な図案。


 安定して点火し続けるなんて、何てこと無いはずなのに、そんな事が無性に嬉しくて、その炎が消えるまで陶然と見つめ続けた。


 いよいよ木屑が本格的に燃え始める直前で、青い炎は消えた。


 もしも炎が消えなかったのなら、手が焼けるまで暖炉に手を突っ込んで、その青い光を眺めていたかもしれない。


 ブローチを抱え、暖炉の前でうずくまる。それでも、まだ涙が止まらない。呼吸が出来ない程だった。


 しばらくして、やっと自由になった肺に空気を思い切り吸い込むと、木屑を吸い込んでしまって堪らずせき込んだ。


「あり、がとぉ、せれなぁありが、とぅ」


 何より言葉にしたいのに、ままならない呼吸としゃっくりで、なかなか言葉にならなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 静かな夜、聞こえてくるのはパチパチと火が弾ける音と、苦しそうなセレナの微かな呼吸音だけ。


 苦しそうなその音は聞きたく無かった、でもその音すらつっかえる様に止まってしまう度に、血も凍るほど怖かった。


「お姉……ちゃん、もう、だめみたい」


 うわ言の様にセレナが呟く、「そんな事無い、頑張って!」と声を掛けたい、でもそれが言えないぐらいセレナが辛そうで、掛ける言葉が見つからなくて、悲しくて、悲し過ぎて、俺の口からは嗚咽だけしか漏れて来なかった。


「ねぇ、お姉ちゃんの秘宝、貸して」

「う? あ、うん……」


 健康値計の王冠。


 健康値を測るには、ちょっとだけ健康値を消費する。


 千回も、万回も測って一時的に1減るかどうかの僅かな値。


 でも、それでも今のセレナには危ない気がして気が引けた。


 それでも結局、俺はセレナに王冠を握らせた、何か希望が無いのかと期待して。



 健康値:2

 魔力値:57


「あ、あぁぁぁ」


 思わず呻いてしまう、


 健康値が2、不健康って言われ続けた俺だって、今まで一回だって見たことが無い数字。


 ホントはどんな数字が出ようと、「大丈夫、治って来てるよ」って言おうと思っていたのに。


「ねえ? どうだった?」

「あ、う……ん」


 言葉に詰まる、やっぱりセレナは目が見えてない。だからこそ7だとか8だって言って、励ましたいのに、言葉が出ない。


 それにセレナだって数字が悪い事ぐらい解ってる。解ってて健康値を測ったんだから。


「わた……しも、お姉ちゃんみたいに、『らじおたいそう』やってれば良かったな……」


 初め、セレナが言ってる意味が解らなかった。参照権で思い出す、いつかセレナと一緒にやったラジオ体操。

 俺だって最近はラジオ体操なんてしてない、セレナと一緒にやったのなんてあの日の一度だけ。よく覚えてたなと思う、そう、あの時俺は五歳だから、セレナは二歳。


 二歳?

 二歳と言えば、育つのが早いエルフだって、なかなか記憶が安定しない時期だ。よくそんな事を思い出せるな。


 いや、いや……違う。思い出しちゃダメだ、そんな昔の事。


「セレナ! セレナ! 行っちゃ駄目! 置いて行かないで!」


 俺はセレナの手を取って必死に叫ぶ。


 ……走馬燈。


 そんな物が本当にあるのだろうか?

 でも点火の魔法もその時期で、俺も急速に思い出す。思い出されてしまう、まだ小さかった時の楽しい思い出。


 小さい頃。お姉ちゃんぶってセレナの手を取って先に先にと歩いた、でもすぐに体調を崩して、逆にセレナに手を引いてもらった。


「ごめんね、わたし……お姉ちゃんのこと……守るって約束……守れない」

「良いから! そんなの! もう、いいからぁ!」


 セレナにしがみつく様に、必死に叫ぶ。

 思い出してしまう、竜篭の中、涼しいと喜んでくれたこと。湖で遊んだこと。倒れた時には心配して何日も看病してくれたこと。


 セレナにしがみつく様に大森林の空を飛んだこと、恐ろしい魔物も、薄暗い洞窟も何も怖くなかった事。


「だから、わたしだと思って、わたしの秘宝、わたしの代わりに……」


 セレナの秘宝、魔道具のブローチ、ああ、そうだ、火を付けた後、まだ返していなかった。お願いだから、返させて。


 思い出してしまうから、父様から貰ったブローチを大事そうに抱きしめるセレナの笑顔を。


「ねえさ……ごめ……ん」


 お願いだから謝らないで、謝る必要なんて無いから。

 セレナにいっぱい、いっぱい色んな物を貰って、何一つ返せていないダメなお姉ちゃんだから。


「セレナ! セレナぁぁぁぁぁ」


 お願いだから笑ってほしい、お願いだから生きてて欲しい。全てを捨ててでも、聞きたい音がもう聞こえない。


 静かな夜だ、

 パチパチと火が弾ける音しか、もう聞こえてこなかった。

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