逃走の果てに

「狩猟小屋があって良かったね」


「ええ、お姉ちゃんいっぱいご本を読んでいるでしょ? 森じゅうの狩猟小屋の位置を覚えているのよ」


「ホント? すごーい」


 褒めてくれるセレナにいつもの元気はない。

 出血で血が足りず、今だって楽観できる状況ではないのだ。

 そして俺の言葉だって半分は嘘だ。


 地図は覚えているけれど、それだけ。あの深い森の中、それだけで正確に辿り着けるハズはない。森の中、目印になる物なんてまるで無いのだから。


「それで、セレナ、回復魔法は使えそう?」


「……ごめんなさい、ちょっと駄目みたい」


 粗末なベッドの上でセレナは力なく笑う。実は回復魔法は自分で自分に使うのが一番良い。他人の魔法は自分の健康値に抵抗され減衰するからだ。


 この場合減衰するのが問題ではなく、抵抗する際に健康値が相殺されるのが問題となるのだ。

 相手の魔法を受け入れる意志を持てば健康値の削減は小さく済むが、それでも自分で自分に魔法を使うのが一番。


 恐らく、今のセレナの健康値は相当に低いだろう。

 俺の回復魔法では危ないかもしれない。


「セレナ、この王冠で健康値を測ってみましょう」

「え? 良いよーそれお姉ちゃんの秘宝だもん」

「そんな事言わないの!」


 俺は王冠を強引にセレナに握らせる。


 健康値:5

 魔力値:219


 健康値が5!

 小さい時の俺みたいだ。


 でも、セレナはもうすぐ九歳、この数字はもっと危険な気がする。


 200を超える魔力値は回復魔法に十分足りる。

 それでもセレナが回復魔法を使わないのは、この健康値で使うのが危険だと解っているからだ。自分で自分に使う魔法でもほんの僅かに削ってしまう健康値が致命傷になりかねない程に危険な状態。


 だとしたら俺が回復魔法を使うなんて論外だ。


 どうする?

 もっと魔力が濃い北に行くか?


 でも健康値が5じゃこれ以上の移動は難しい。


 そもそも経験上この値じゃ、寝て栄養のある物を食べて、後は安静にするぐらいしか出来ない筈なのだ。


 魔力値だって少ない。普通より多いぐらいの値であるが、セレナにとってはいつもの十分の一に過ぎない値だ。

 ここは既に魔力を奪う霧の圏外だと言うのに、体力の低下が魔力値にまで悪影響を与えて居る証拠。


 怪我や病気で極端に体調を崩せば、健康値だけでなく魔力値まで下がる事がある。

 それだけセレナの体調が危険な状態と言うことだ。


 どうする? どこにいく? それとも留まる?

 魔力が足りないのか?

 休息が必要なのか?

 何か感染症を患っているのか? ソレすらも解らない!


 焦る俺に、セレナが弱々しい声を掛ける。


「健康値が5か、昔のお姉ちゃんみたいだね」


「ふふっ、そうね、今度はお姉ちゃんがセレナの面倒見るからね」


「うん、ごめんね。セレナ、お姉ちゃんを守るって言ったのに……」


「もう! お姉ちゃんは私の方なんだから、そんな事言わないの、ゆっくり寝て居なさい。お姉ちゃんが何とかしてあげるから」


「うん、ごめんね……」


「謝らないの!」


 大げさに笑って叱って見せる。セレナも安心したのかちょっと笑ってくれた、でもその笑顔が辛そうだったのがキツイ。


 あぁ、まずはここで体力を付けないと、どこにも行けない。幸い今の俺には森の知識が有る。薬草や食べる物だって調達出来る。



 ……そう俺には知識が有る、なぜなら俺は、この森で狩人としてずっと生きて来たからだ。



 いや、違う!

 俺はユマ姫だ!


 狩人としてなんて、生きてはいない!


 ……じゃあコレはなんだ?


 エルフの少年シルフの知識が俺の頭の中に入り込んでいた。


 シルフはここから南に十数キロの所にある、パセラル村に生まれた。両親を早くに亡くして、病気の妹と二人で暮らしていた。

 貧しくてギリギリの生活の中、妹の為の薬草を集める日々。

 妹の為に生きる、妹の為に俺は絶対に死ねない。そう思いながら生きて来た。

 でも運命は残酷な『偶然』を用意した。ある日少年は薬草を採ろうとして、足を踏み外して崖に落ちて死んだ。


 ああそうだ、あの場所だ。何年前の事なんだろう? ひょっとしたら百年以上前なのかもしれない。


 その時はあそこには薬草が生えていて、夢中で採ってる内に足を滑らせたのだ。

 俺が魅せられたのはその時の記憶の残滓。そう、少年は一万回生まれ変わった俺の前世のひとつに違いない。

 ……言うなれば魂の先輩だ。


 俺が神に与えられた唯一のチート能力。


『参照権』


 それは、俺の魂が今まで集めてきた記録ログを参照する権利。


 俺はこの能力を『高橋敬一』としての記憶を思い出すための仕掛けだとしか思っていなかった。

 参照権プロンプターや、どこでも読書機能、魔導回路の顕現なんて物は、たまたま付いてきてしまった『おまけ』。


 でも、よくよく考えてみると、神が言っていた『参照権』の能力は『高橋敬一』が集めた記憶の参照ではなかった。


 もう一度確認しよう。


 魂が今まで集めてきた記録ログを参照する権利。


 つまり、つまりだ。

 『高橋敬一』の記憶だけじゃなく、この世界で死んで行ったこの魂のせいで早死にした一万人分の『誰かの記憶』だって『切っ掛け』さえあれば参照出来る。


 ……神サマそう言う事なんだろ?


 これは神が狙った事か、それとも俺の記憶を思い出させるための参照権が想定外の効果を発揮しているのか?


 どっちだって良いし、どういう理屈かなんて解らない。

 思えば、あの湖での事件、あの赤い棘の蛙。あの幻だって……


 ……ああ、君は?

 名前は何て言うんだい?


「わたしはパルメス」


 俺の口から、舌っ足らずに俺の知らない名前が出る。覚悟はしていたのにギョッとした、思わずセレナを見る、寝ているみたいだ、良かった。


 そして思い出されるパルメスの記憶、わずか三歳、将来の大魔法使いとして嘱望される魔力を持ちながら、あの湖で遊んでいてあの蛙を見つけ、湖に踏み込んだ。

 そして触ってしまった赤棘毒蛙マネギデスタルに、たちまち痺れて溺れて、そして死んだ。


 なるほど理不尽な死を迎えている。本当は英雄になるべき、強固な運命と資質をもって生まれるハズだった者達。そういう奴を狙って転生させて来たと神は言っていた。


 それが『偶然』で捻じ曲げられて、殺された。


 そして、歪んでしまった運命が、俺自身の死を引き寄せた。

 蛙の時も、薬草の時も、俺はあと一歩で死にかけている。歪んだ運命の追体験を強制的にさせられた。


 全部推測だ、でも考え過ぎとは言えないだろ? 現に二回も死にかけた。


「畜生、便利だと思ってた参照権にこんな落とし穴が有るなんてよ……」


 思わずお姫様だって事を忘れて呟く。


 参照した記憶が死んだ瞬間をトレースしてしまう。

 ここまでは、きっと神にとっても予想外だったに違いない。今まで『参照権』を人間に与えたことなど一度も無いと言っていたから、どんなバグがあってもおかしくない。


 ……あの時はピラリスが、今回はセレナが居なかったら俺は死んでいた。


「……しかし悪い事ばかりじゃない、シルフの記憶だって『参照』出来る」


 そう、俺はもうシルフでもある。

 だからシルフの記憶が見える。森の歩き方も、食べられる物、食べられない物、何年前の知識か知らないが、その辺りは今だって通用するはずだ。


 そして何より、今の俺にはセレナに必要なものが解っている。


「まずは薬草だな」


 俺は勢い込んで狩猟小屋を飛び出した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 結論を言うと、薬草は見つかった。

 何せ狩猟小屋の脇に生えていた。


 拍子抜けだ。なんでこんなに無造作に生えている?

 より効果が有る草が見つかったのか? 実は効果が無いと判明したとか?


 心配は杞憂だった。

 なにせ記憶を頼りに薬草をすり潰すと、狩猟小屋で手に入れた傷薬と同じ匂いがしたからだ。


 つまり、そう言う事だ。


 薬草には回復魔法みたいな劇的な効果は無い。効果は前世の化膿止めや殺菌、抗炎症薬が精々だ。

 回復魔法で雑菌が繁殖しないように、まずしっかりと殺菌するのが目的の薬。


 恐らくだが、昔は貴重だったんだろう。


 しかし、いつしか薬草の人工栽培に成功して、薬効抽出などの技術革新もあったに違いない。


 シルフが妹の為にと血眼に探した薬草は、その辺にフツーに生えまくるありふれた草になり果てていた。


 『参照権』で昔の新聞記事を確認する。

 ……ああ、薬草の栽培成功の記事が参照出来た。


 薬草は特効薬ではないが、それなりの価値はある事が解った。

 しかし、森の知識が手に入った今、絶望的な状況も解ってしまった。


 冬が終わったばかりの森の中には、想像以上に食べられる物が無いのだ。

 王都の周りの森はちょっと歩けば食べられる木の実や芋、豆などが取れたので甘く見ていた。


 よく考えればエルフは長年あそこに住んでいるのだから、森にだって手が入ってる。俺が野生の木の実だと思って取っていたのが、エルフのお姫様に用意された誰かの畑だったとしても不思議ではない。


 本当の自然には、そうそう食べられる植物なんてないらしい。ましてや冬が開けたばかりの頃、森中で食料の争奪戦が始まっている。


 少年に言わせれば、土から顔を出したばかりの若芽や土筆つくしを他の動物と奪い合って、煮込んだりしてなんとか食べる季節らしい。


 セレナを、いや脱出を考えたら俺も含めて二人の体力を維持するだけの食料を集められるのか?

 こうなると北に行くなんて選択をしなくて良かった。もっと寒く、強力な魔獣の徘徊する森で、獲物を求めて歩き回るなんて無理だ。一瞬でも北に行こうなんて考えた自分を殴りたい。


 俺は森を舐め過ぎていた、ここ数日で森の厳しさを知ったつもりでいたが大間違いだった。


 セレナの体調は悪く、食糧も乏しい。

 マズい、これじゃ長居は出来ない。


 体を休めたらすぐに出発しないとじり貧だ。

 でも、こんな健康値のセレナを背負って移動なんて出来るのか?

 俺の疲れだって十分に癒えてないのに?


 健康値と疲労は別物だ。疲労は俺の秘宝では測れない。

 今の俺の健康値は20と、かつてない程高いのだが、別に元気に動き回れる訳じゃない

 疲労は抜けず足は痛いしい目眩もする。


 この狩猟小屋に辿り着いた時なんて、俺はすっかりボロボロだった。

 今までの人生、不健康の代表選手みたいな顔をして動かないでいたのに、森の中で妹を背負っての強行軍。今だって体中が悲鳴を上げている。

 体の芯に残る筋肉痛や蓄積疲労は数日休まなくては回復しない。

 むしろ健康値って奴はこういう時の回復力や、病気への抵抗力にこそ効いてくるのだ。


 これだけの健康値があるならば、俺は三日も休めば疲労も抜け、体力も戻るだろう。

 じゃあ、セレナは?


 俺はチラリとセレナを見る。

 あまり使われて居ない狩猟小屋、どう考えたって清潔とは言えないだろう。こんな所に健康値が5のセレナを寝かせて休憩するのか?

 却って悪くなるかもしれない。


 しかし現実問題、今の体でセレナを担いで森に出ればあっと言う間に立ち往生だ。

 一人の人間をおんぶして森の中を歩くことは少しのミスが死に直結する。


 結局、俺はこの小屋で三日程泊まる事を決めた。

 食料は残り少ないが切り詰めて、なんとか春の若葉や新芽、土筆を狙って行こう、多分煮れば食べられる筈だ、多分。



 ――俺はこの時の選択をのちに後悔する事になる。


 ただし、大抵の後悔がそうである様に、だったらどうすれば良かったかなんて結果論でしかない。


 実の所、結果論すら出せないのだから、それは俗に言う『詰み』だったのかも知れない。


 だけどそれは認めたくないのだ。努力を重ね、機を窺っても、初めから全ては無駄だったのだと思ってしまえば、全てが無意味に思えてしまうのだから……



 現在のユマ姫

 健康値:20

 魔力値:220

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