真・完全オリジナル魔法!!

「ふはぁ-」


 俺はベッドの中に潜り込み、頭に壺を被っていた。


「…………」


 これ、相当怪しい姿じゃなかろうか?


 少しだけ壺をズラして、ベッドの上から大鏡を確認。


「…………」


 映っていたのは、繭みたいなベッドの中、壺を被る幼女の姿。


 うん、コレ相当危ないわ。

 呪いの儀式と言っても信じられる。


 周りの目線も冷ややか。


「何をやっているんです?」


 ピラリスに聞かれるが、答えるのが難しい。

 俺は説明するべき言葉を持たないからだ。


「こうしてると、気持ちがいいから」

「左様ですか」


 ……いや、信じないでよ。


 俺が何をやっているかと言うと、ビンの中を真空にしたのの逆。ツボの中に酸素を溜めて呼吸をしているのだ。


 俺は肺が弱いのか、いつも呼吸が苦しい。だから、酸素ボンベがずっと欲しかった。


 だから魔法で作ったのである。


 真空の魔法は空気を通さない膜を使ったがコレはその応用。空気をグルグル回しながら膜でより分ける感じで、酸素っぽいモノだけを取り出して封入することが出来たのだ。


 しかも、酸素を集める魔法。どうやっても呪文が思い浮かばなかったので、本当に俺しか使えない。オリジナル魔法になってしまった。


 酸素の古代語が見つかれば、真空に続く大発見と思ったのにアテが外れた。


 酸素は真空よりずっと応用が利きそうなのに。



 ひょっとして古代には酸素って概念がないのかも。


 そう思ってファイアーボールの魔法と組み合わせると……



『我、望む、大気に潜む燃焼と呼吸を助けるものよ、寄り合わさりて、激しく強い赫珠を』


 そんな呪文が頭に浮かんだ。



 『大気に潜む燃焼と呼吸を助けるもの』

 まさに酸素のことだろう。


 だけどあまりにも迂遠だ。今までとルールが違う感じ。


 古代では酸素の概念があやふやだったのだろうか?


 ソレを言い始めると、なんで呪文は古代語なんだろう?


 古代語なんだから、魔法は古代人が作った?


 いや、そもそもコレは本当に古代語なのか?

 そこから疑わしい。


 なにもかも、解らない。


 なにより、この呪文がハナから間違っている可能性すらある。


 先生にこの呪文を唱えて貰ったのだが、回路が浮かばなかったのだ。


 じゃあ、俺の呪文が間違っているのか?

 そうとも言い切れない。


 先生が酸素の概念を理解出来なかったから発現しなかった可能性もある。


 なにしろ、酸素を説明するのが難しい。


 酸素を溜めたツボの中にロウソクを入れると激しく燃える。だが、魔力だって圧縮すると燃えるらしいので、違いを説明出来ない。


 なるほど、ファンタジー世界で科学が発展しないわけだ。魔力が謎エネルギー過ぎる。



 そんなこんなで、俺は意味もなくツボを被る幼女と思われているワケだ。


 ただでさえ人間とのハーフで、公式行事にも顔を出さず、自室に籠もって魔法を開発する不健康児。


 魔女だとか呪い子だとか、不気味な噂が蔓延しているのに、壺を被って怪しさマシマシ百万倍である。


 と、そんな時、大慌ての侍女が部屋の中に飛び込んで来た。


「ピラリス様! それに、ユマ様も」


「どうしました? あと、わたしに様付けは要りません」


 どうもピラリスは侍女の中ではかなり偉いらしい。下っ端の侍女なんか、俺じゃなくてピラリスの顔色を窺っている。


「失礼しました、あの、パルメ王妃が産気づきました」

「分かりました、ユマ様と向かいます」

「あ、じぶんで、歩けます!」


 ピラリスが俺を抱えようとするので、必死の抵抗。


 しかし、壺が重くて身動きが……


「ソレを被ったままで歩けますか?」

「…………」


 歩けませんね。前見えないもん。


 さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。

 壺を被った幼女装備の侍女が完成である。


 怪しさ百億倍。


「あの、ピラリス様?」

「早く案内しなさい」

「はい!」


 と言うワケで、不気味な幼女となって、出産に立ち会うことになってしまったのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「どうも、良くありません」

「え゛?」


 母様の部屋の前、ピラリスにそう告げられた。


 病院に行かなくて良いのかと思ったが、王族ともなれば『病院が来る』らしい。


 必要な治療器はあらかた離宮に設置されているとか。

 まぁ、前世のICUみたいに巨大なモンはないだろうしね。


 精々が、治療を補佐する魔道具があるぐらい。


 しかし、おかしい。

 この世界の医療は優秀なのだ。

 下手をすれば現代の地球以上に。


「あの? けがをなおす魔法があるって……」


 俺はおずおずと訊ねる。


 そうだ、この世界には怪我を一瞬で治す回復魔法なんかもあるという。


 だから、お産なんかで死ぬ事はない。


 なんならバッサリ帝王切開をして、すぐに傷口を塞いだって良いと言うから、流石はファンタジーと唸ったモノだ。


「それがですね……健康値が足りない所に回復魔法を遣うと母子ともに命に係わるのです」


「えっ! そんな!」


 叫びながらも腑に落ちた。


 そうだ、この世界。

 魔法は健康値と相殺される。


 健康値は攻撃魔法の防壁になる一方で、回復魔法を妨げる障害にもなり得る。


 健康な人間ならば、一瞬だけ回復魔法で健康値を削られても問題にならないが、健康値が一桁とかになると、回復魔法がきっかけで死んでしまう事もあるとか。


 だから、俺の怪我は皆が本当に心配していた。


 この世界、怪我の治療と言えば回復魔法。なのに俺が怪我した場合には、回復魔法は使えない。


 ただでさえ低い健康値、回復魔法がトドメになりかねないからだ。


 ソレと同じ事が、今、母様の身に起きようとしている。


「なんで?」


 母様は俺みたいに不健康ではなかったハズだ。


「どうやら、パルメ様はユマ様の魔法の発見に浮かれて、身重の体に無理を重ねた様子で」

「うぇ!」


 俺のせいじゃん!

 そんな!


「ピラリス! そんな事を言う必要ないでしょう!」


 この場にはピラリスよりも立場の高い侍女も居て、ピラリスは叱責された。


 どうも子供を変に心配させるなと、そう言う事らしい。


「だいじょうぶ!」


 俺は、宣言する。

 いちいち責任を感じても仕方が無い。


 俺が皆に軽んじられ、馬鹿にされていたら、それはそれで母の心労になったに違いないからだ。


 そして、その事をピラリスも理解している。


「ユマ様も尊い血筋の方、取り繕うだけの事は言いたくありません」

「そんな事言ったってね、まだ子供ですよ!」


 なんか揉めているが、俺としてはピラリス側だ。隠されたら、却って後でショックになる。


 大体にして、俺はソレほどお母様を心配していなかった。なんせこの物々しさ。中々のモノだ。

 大きな扉の前に、侍女やお医者様がズラリと待機している。


 ここまで万全の態勢で、お産で命を落とすとか無いだろう。


 そう高をくくっていたのだが……


「ユマ様、どうか中で元気づけてあげてくださいまし」

「…………」


 出産を控えた部屋の中にまで案内されてしまった。


 普通、家族だろうと外で待つものじゃないかな。病原菌とかあるし。


 一気に医療レベルが不安になってきた。


「どうぞ、こちらで体を清めて下さい」


 と思ってたら、変な薬を体に振りかけられた。

 コレは?


「魔法薬です、怪我人だけでなく周囲の人間も使うべきとされています」


 ピラリスが教えてくれた。


 なるほど、無菌室とかはないけれど、魔法的な解決が図られていると。


「お気を付けください、こちらもある程度は健康値を損ないますので」


 アルコール消毒みたいなもんかと念入りに手を洗っていたらピラリスに耳打ちされた。


 とは言え、今の俺は酸素のお陰で健康値5はある。


「どうぞ」


 通された先は、普段のお母様の部屋とは様子が一変していた。


 まず部屋は背の低い衝立で遮られていた。お母様の顔は見えるが、体は見えないように隠されている。


 ショッキングな出産シーンを子供に直接見せないようにという配慮だろう。


 しかし、そんな事よりショックだったのは、衝立の隙間に見える母様の顔色が酷く青白い事だ。


 毎日、鏡を見て健康チェックをしていた俺だから解る。

 コレはかなり危ない。


「おい、しっかりしろ、パルメ!」


 母様の手を握り、必死に声を掛けているのは父様だ。

 つまり、我らがエルフの王である。


 実の娘だと言うのにまだ数回しかみたことがないので実感がない。それだけ忙しいと言う事だろう。


 そんな父様が、必死に母の名を叫んでいる。


「ごめんなさい、あなた」

「おい、謝るな! 諦めるな!」


 結構ヤバそうじゃん……

 俺は今更ながらに事の深刻さを悟った。


 落ち着かなく周りを見渡す。

 医者は衝立の向こうで色々やっているようだ。しかし、その声もあまり良いモノではない。


「健康値が上がってこないぞ」

「コレでは回復魔法が使えません!」


 ヤバいじゃん。


 どうも、逆子なのか引っ掛かって出てこないらしいのだ。


 で、普通なら回復魔法頼みで切開してしまうのだが、母様の呼吸が安定せず、健康値も低いので回復魔法が使えないと、そんな事情が見て取れた。


「9いえ、8! むしろ下がっています!」


 ……それでも俺よりずっと高い健康値。

 なんとも言えない気持ちになる。



 いや、大人と子供では危険域も違うのかも知らんけどさ。


 見渡すと、腹違いの兄も居た。

 ステフ兄様である。


 コレで家族は全員だ。

 王族だと言うのに、非常に少ない。


 まぁ、その辺は色々と事情がある。あるのだが、どうにも話が長くなるから割愛しよう。


 とにかく、尋常ではない気配。


 良く考えれば、病弱な俺がこの切迫した場に呼ばれた時点で激ヤバだ。


 やたらとピリピリした空気。

 俺はすっかり飲まれていた。


「ユマ、こっちへ」

「はい」


 兄様に隣に座るよう誘われる。


 よく見ると、小さな椅子が用意されていた。そんな事にも気が付かなかった。


「大丈夫だよ」


 兄様は俺の手を握り励ましてくれるが、自分に言い聞かせているようでもあった。


 そうして、俺達が固唾を飲んで見守っていると、いよいよ動きがあった。


「エリプス王!」


 医者達が御注進。これは?


「なんとかならんのか!」

「コレが最善にございます、このままでは母子ともに手遅れに」

「くっ……」


 ……何となくわかった。


 イチかバチかで切開しようというのである。それは危険な賭けであるようだ。


 こんなに顔色が悪いのに腹を切る? それを回復魔法で治すのか?


 俺は自分の健康値を把握しているからこそ、それがどれだけ無謀なのか察してしまう。


「家族の方、ひと言お掛け下さい」


 それが最後の別れと言わんばかりに、医者が母への言葉を募る。


 しかしだ、肝心のお母様は呼吸すら苦しそうで会話など出来そうにない。青を通り越し黒みがかった顔色で苦しそうに藻掻いていた。


 ソレを見た俺は、反射的に駆けだしていた。


 偉いお医者様が揃っているんだからと、子供らしからぬ遠慮をかなぐり捨てて、三歳児として走る。


「ママ、コレ!」


 俺が必死に差し出したのは酸素が詰まった壺だった。

 だって、母様の症状はみるからにチアノーゼ。酸素が足りていないのだ。


 毎日健康チェックをしていた俺だからこそ、誰より解る。


「なにをする!」


 子供のイタズラと、父が俺の暴挙を止めようとする。


 壺を差し出す俺を遮る。

 時間が、ない。


「お待ちを、ひょっとしたら効果があるやも知れません」

「馬鹿な!」


 なんと、ピラリスが王である父様に割り入った。コレは無謀だ。


 なんせ、彼女だって俺のやっている事が本当に良いかなど解らないに違いない。なんなら俺だって確信は持てない。


 なのに、この一世一代の場面で信じてくれた。


 ピラリスの忠心に感動するが。それでも父様は信じてくれない。


 それはそうだ、愛した女性が目の前で死のうとしている。お別れを言わなくてはならない場面。子供がやってきて何をするのだと言う話。


 ソレは解る、だけど!


「あっ!?」


 俺が壺を抱えてヤキモキしていると、上からサッと取り上げられてしまった。


「こんな時にイタズラはお止めなさい」


 医者の先生だ。

 俺はとりあげられた壺を呆然とみつめるしかない。


 気が遠くなる。絶望が身を焦がす。


「なんと?」


 その時だ、医者がとりあげた壺を、更に横からむんずと掴み奪い返す腕。


「ママ!」


 思わず叫んだ。


 お母様が、最後の気力を振り絞るように俺の壺を掴み。そして中の酸素を思い切り吸い込んだ。


「おまえ!」


 父様は止めようとする。

 明らかに怪しいツボなんだから、当然とも言える。


「ハァ、ハァ。いいのよあなた。ユマちゃん。ありがとう」


 母様は気力を振り絞るように喋った。


 しかし、駄目だ! あんな程度の酸素。すぐに無くなってしまう!


 俺は、お湯が溜めてあった小さな桶を蹴飛ばす。


「何をしますか!」


 医者達が慌てて止めようとするが。俺は止まらない。


 魔導回路を思い出す。焦る気持ちを追い出して、細部まで参照権で再現。360度全てを思い出し、目の前に浮かべる。


「これ!」


 中身を酸素に置き換えると。慌ててピラリスに差し出した。


 受け取ったピラリスは、医者達の制止にあいつつも、母に向けて桶を差し出す。

 その様子は鬼気迫っていた。ピラリスは完全に俺を信じてくれている。


「ユマ様は、不健康の専門家です。私が仕えてからずっと、あの方は呼吸すらままなりません。ユマ様が効果があると言うのなら、きっと効果があるのです」


 そうか、俺はピラリスの顔色を窺いながらこっそり魔法の練習をしていたが、ピラリスだってずっと俺の顔色を窺って生活していた。


 なので効果があるのかないのか確信を持てない俺よりも、ピラリスは酸素の効果を実感していた。


 我ながら怪しい壺幼女。

 ピラリスだけは奇行と思っていなかった。



 そして、ソレは母様も一緒だった。

 桶を受け取ると、中の酸素を貪るように息をつく。


「ふしぎ、本当に、呼吸が、らくになるわ……」


「もっと口が小さい壺はありませんか!」


 ピラリスが叫ぶ。


 ただの桶では酸素などスグに散ってしまう。


「コレを使え!」

「え?」


 父様が俺の目の前に無造作に転がしたのは、とても立派な壺だった。


「いや、お待ち下さい。コレはサンデ・フォール・ノイマン作の壺ですぞ!」


 父様のお供のひとりが床に転がされた壺を庇うように抱きかかえる。捨て身の防御である。


 ソレだけ高い壺なのだ。なにせ、お妃様の部屋に飾ってある観賞用の壺なんだから当たり前。


 しかし、父様は止まらない。


「なにがノイマンだ! パルメより大切なモノがあるか! どかんか!」


 激昂する父様は、ふとっちょのお供を片手で引っ剥がす。

 何と言う力持ち。俺なんて指先で摘まむように壺の前に運ばれた。


「パパ、離れて」


 しかし、今度は血気盛った父様の健康値が邪魔をする。健康値が大きいのか、範囲が凄い。遠くから俺の魔法を阻害してくる。


「おおっ」


 父様は大袈裟に離れると、食い入る様にこちらを見つめる。


 大変なプレッシャーだ。


「出来た!」


 いつもの自分用の壺よりもだいぶ大きい、だから時間が掛かったが中に酸素が溜まった。


「よこせ!」


 父様が駆け寄って、重い壺を抱えて母様のところに飛んで行く。


「逆さにしないで『サンソ』がにげちゃう」

「お、おお」


 ソレを母の上でひっくり返そうとするのだから俺は慌てて止めた。


 父様は壺を寝かせ、口元に宛がう。


 ハァハァと母様の苦しげな呼吸だけが聞こえた。


 誰もが緊張に見守る中。

 ゆっくりと、母の顔色に明るさが戻っていく。



「脈拍、安定しました! 健康値も10を超えています!」



 看護婦さんの報告に、医者は色めき立った。


 このチャンスを逃さぬとばかり、一気に切開して赤ん坊を取り出すようだ。


「王よ、お下がり下さい」

「頼むぞ!」


 俺も父様も遠ざけられてしまった。


 手術が始まるのだから仕方が無い。特に回復魔法となればその複雑さは俺でも舌を巻く、周囲の人間の健康値で回路が崩れれば命取りになるだろう。


「パパ!」

「大丈夫だ、大丈夫」


 父様は兄様と同じ様な事を言って、俺を必死に後ろから抱きしめた。


 俺だって、今回ばかりは気絶していられない。母の痛々しい悲鳴と漂いはじめた血の匂いに気が遠くなるが、口を結んで必死に耐える。


 その時だ! オギャアと赤ん坊の泣き声が聞こえて来たのは。


「生まれました! 元気な女の子です!」

「回復魔法、いきます!」


 医者達は切開した母胎に、慌てて魔法を掛けている。

 父様は俺が用意した次の酸素壺を抱え、母の元へと走って行った。


 これはもう大丈夫か? 大丈夫そう?


 俺がそう思った時だった。


「駄目です、赤ん坊が」


 看護婦さんの悲鳴。フラフラになった俺がそちらに駆け寄ると、青黒い赤ん坊の姿があった。


 必死に背中を押したりして呼吸を促しているが、別に呼吸が止まっている訳じゃない。母胎の酸素が足りていなかったのだから、赤ん坊だって同じに決まっている。


 もっと高濃度の酸素が赤ん坊にも必要だった。


 その為には、赤ん坊がすっぽり収まる程の容器が必要だった。


 そして、うってつけのモノがココにはあったのだ。


「ここに!」

「はい!」


 俺が目を付けたのは小さいながらも豪華なバスタブ。ひっくり返そうとする俺に、ピラリスが呼応する。


 コレはアレだ、赤ん坊を産湯で洗うアレである。


「ちょ、お待ちを!」


 そりゃあ止めるよな。そんな周囲を無視してピラリスは産湯ごとバスタブを丸ごとひっくり返した。


「ああっ! なんてこと」


 悲鳴が聞こえる。

 なにせ王妃の部屋が水浸しだ、一体幾らなのか解らないほど豪奢な絨毯が台無し。

 地面に転がしたバスタブだって産湯用となれば、王家曰く付きの品に違いない。


 だけど、今必要なのは濃厚な酸素!


「出来ました!」


 俺が立て直したバスタブに酸素を溜めると同時、ピラリスがひったくるように赤ん坊を奪ってくるじゃないか。


 もう、ここまで来れば犯罪じゃないか? 大丈夫?


 不安になりながらも、俺はバスタブの中の赤ん坊の様子を窺う。肌が黒っぽい、そしてきっと健康値も死にそうな時の俺と同じぐらい低い。


 だったら、健康値が相殺する範囲も狭いはず。


 俺は長年の経験で、小さい健康値が魔力と相殺する範囲を知り尽くしている。その範囲の外から酸素を吹き込んでやれば良い。


 魔導回路を呼び出して必死に酸素を吹き付ける。


 そして時折、胸を押したり背中を撫でて呼吸を促す。


 赤ん坊の暗い紫色の肌に、徐々に赤みが差してきた。


 コレは助かった。俺はほっと一安心。


 そして、その時に気が付いた。


 赤ん坊の頭に生えた産毛が青いのだ。青い髪の毛など初めて見た。流石は異世界、流石は我が妹、綺麗なものである。


「パルメは大丈夫そうだ」


 そこに父様がやって来た。母様は無事らしい。


 良かった、コレで一安心。だったのだが。


 父様はバスタブの中で寝息を立てる赤ん坊をみるなり、目を見開いてワナワナと震え出す。



 え? 何かマズい?



 この髪の色が問題なのだろうか?


 しかし周囲の人も、特に気にしていない。

 ピラリスなんて「女の子です」と気にせず王に話し掛けている。


 しかし、その父様が茫然自失、心ココにあらずなのだ。


「ガー・ベゼナ」


 父様がその時、呟いたその単語。


 実のところ、俺はその存在をずっと忘れて幼年期を過ごしてしまう。


 参照権が無ければ、この時、この単語を聞いていた事すら、後で思い出す事も無かったハズだ。


 その意味を知るのはずっと後、十年以上の月日が流れた後になるのだから。

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