一章 エルフのお姫様

姫として生きる

「俺の名前は『高橋敬一』」


 その瞬間、俺は全てを思い出し、気絶した。



 次に意識を取り戻すと、可愛らしい幼女になっていた。ぷにぷにほっぺをこね回す。


「ふぁぁぁぁぁぁーーー」


 口から奇声が溢れて止まらない。俺は本当に転生したのだ。


 どうやらエルフのお姫様みたいです。


「エルフのお姫様」

 もう響きがエロゲーのソレだ。


 いやー驚いた。驚いたって次元じゃないね。

 驚き過ぎて死ぬかと思った。


 心臓がバクバクと跳ね、肺がズキリと痛む。


 驚いて、死ぬ。

 冗談が冗談じゃ無くなりそうな体だから深呼吸。


 ひっひっふー。


 なんとか呼吸を整える。

 あまりにか弱い体。


 コレもオーダー通り。

 薄幸の美少女ってやつ。



 そんな美少女を俺は乗っ取った。


 彼女は前世の俺、『高橋敬一』の記憶を取り戻す条件を満たしてしまった。


 それは「自分を高橋敬一だと宣言すること」


 単純ながら難しいと神は言っていた。


 なにせココは異世界。日本では死ぬほど凡庸な名前でも、近い単語すら存在しない。


 何の脈絡もなく「高橋敬一」なんて名前、口にする可能性なんぞ、一ミリたりとも無いと言えよう。


 だから夜な夜な夢枕に立った神が「お主の名前は高橋敬一じゃよ」って囁くだけで、あんな自己紹介に至ったのは奇跡。


 もしも早々に「私の名前はユマです!」って宣言していたら、気持ち悪い爺さんが囁く睡眠学習の効果も虚しく、俺は二度と目を覚ます事は無かった訳だ。


 母親とキモ爺のどちらを信じるかで、キッチリ神を選び抜いたユマちゃんは、とてつもなく賢かったに違いない。



 そして、その賢さが彼女を殺したのだ。



 そう、殺した。

 もうユマと言う幼女はどこにも居ない。


 かと言って高橋敬一だった俺も、もう居ない。

 二つの意識は混ざってしまった。


 だって俺は、彼女の記憶も持っている。


 だけど、まだ三歳にもなってない幼女のおうちに十五の俺が無理やり侵入した様なもんで、事実上乗っ取る形になった。


 俺の自我のが圧倒的に強いのだから。


 だけど、ユマちゃんの気持ちも、この体には残っている。


 母を慕い、その胸に飛び込みたいと言う感情と、お母さんに甘えたいユマちゃんの願い。


 だからこそ、つらい。


 そんな幼女の思いを、俺のエロ心がゆっくりと浸食し「エルフなのにけっこー胸大きいのな! おっぱーいオッパーイ」と言う掛け声と共に穢している。


 事案なんて生易しいもんじゃない。

 なんとも居たたまれない。


 でも、今更後悔しても遅いのだ。俺はもうユマちゃんを殺してしまった。

 殺したからこそ俺が居る。


 でも、許してくれよ。だって俺の記憶を思い出さなければ、この娘のバッドエンドは確定していた。


 何度も繰り返すが、俺のオーダーは薄幸の美少女だ。


 ……神様よぅ、きっちりと滅茶苦茶に不幸で、かわいそうな身の上の美少女を選んでくれたんだろ?


 そうでなきゃ、世界中の皆から同情を集めるなんて出来っこない。


 で、そこにトドメとばかり、不運な俺の魂が入っちまった。

 こいつは俺の責任も大きいよな。


 その時点でもう手遅れだ。


 前世の記憶もなんにも無い幼女では、そんな運命に抗えないし、辛い事ばかりの人生になる。


 なにせ、この体には何の特別な力は全く無いのだから。


 ユマちゃんは神の声を聞く奇蹟を賜った。

 高橋敬一の名前を教わった。


 でもソレはまるっきり目覚まし時計と同じ。

 三歳までの間、夢の中で魂に刻まれた言葉を囁くだけ。


 この体に、神の信託を受ける巫女としての力が備わっているとかじゃない。ネット小説みたいに、無敵の魔法や凄いチート能力を持っているワケでも、当然無い。


 そもそもの所、この世界にそんな力が存在するかどうかも知らないけどな。


 神はこの世界の事は何一つ教えてくれなかった。


 神が作りたいのは『偶然』に破壊されない強固な運命であり、完璧な未来予知。


 俺がこの世界のあれやこれやをあらかじめ知っていて、その知識でピンチを脱しても全く意味がないのだとか。


 そう言う意味では、前世の俺の記憶は唯一のチート能力だろうか?

 もし、俺が目覚めなければソレすら無かった事になる。


 つまり、飛び切りの不幸を前に、ご都合主義のチート能力も無しに、幼女が一人だ。



 だったら苦しむのは俺の方が良い。君はそこで俺が頑張る所を見ててくれよ、頼りないかも知れないけれど、俺頑張るからよ。


 ギュッと胸の前で手を握り祈りを捧げてから、パンと自分の頬を叩いて気合を一閃。グッと立ち上がると同時、



 ――バタッと倒れた。



「あ、俺体弱かったんだった」


 思わず日本語で呟けたかどうか、俺はたちまち気を失った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 それから数日後、俺は再び目を覚ました。


 三日も気絶していたみたい。

 高橋敬一と宣言した直後も四日ほど気絶していたみたいで、合計するとほぼ一週間気絶していた計算だ。


 記憶を引っ張り出す感じ、母や乳母に介護され、無意識に流動食を食べていたようで本当にギリギリの所で生き延びた。


 この記憶を引っ張ると言うのが何とも言えない感覚で、俺が与えられた唯一の能力と言って良い。


 そう言えば神様は、「自分の魂が送信したログに限定されたサーバーへの『参照権』」とか言っていたか?


 高橋敬一の記憶を思い出すだけの能力と認識していたので、大した物では無いと思い込んでいた。


 だって、ネット小説でも『前世を思い出せる』なんて当たり前過ぎて、能力にカウントされていないだろう?


 とんでもない。

 コレはある意味でれっきとしたチート能力。


 例えば0歳児の記憶がある人は居るだろうか?


 まず居ないハズだ。

 どんなに遅くても1週間でむくみもある程度取れて、おめめがぱっちりしてくる。でもその目がどんな光景を映し出していたのかを覚えてる人は居ない。


 まだ人としての脳が未熟でその時の記憶を保持出来ないからであろう。


 でも、俺はハッキリとその光景を引っ張り出せる、思い出してるのでは無いのだ。


 記憶に無くても目はその場所の光景を映してるのだから、魂はそのログを送信している。そのログを参照できるのだから、見たものは本人が完全に忘れていても引っ張り出せる。


 ただ、その膨大な情報を引っ張るにはキーとなるトリガーが必要で、感覚的には検索エンジンで調べ物をするのに近い。


 だから、これからは歴史上の偉人の名前なんて一切覚える必要は無さそうだ。


「不幸は本当の友人でない者を明らかにする」


 そんな名言がスルリと出てくる様なら、ログを一発参照でアリストテレスだ。


 ただしその人物が何をし、何を語った、どこの人なのかも解らなければ、どうログを漁るべきかが解らない。


 この思考法は現代人の俺には慣れたもの、鼻歌で出てきたメロディーで、曲名も即座に一発検索な辺り、グーグル先生すら超えてるかも知れない。


 ただし、検索出来るのは俺が見聞きしたモノだけ。


 俺が一度も見たこともない物はどうしようもない辺り、やはりグーグル先生は偉大だ。


 ……話を戻そう。


 俺は生まれて間もなくに見たことですら参照できる。コレはユマの生まれた時だけじゃなく、高橋敬一の生まれた時もだ。


 参照出来る最初の記憶を……と探ってみれば、見違えるほど若い前世の母親の姿が目の前に広がって、胸が締め付けられた。


 俺は前世の記憶をなるべく思い出さないように誓った。


 郷愁に駆られては一歩も動けなくなるような気がしたからだ。


 次に気になったのは、自分の娘がいきなり他人の息子に乗っ取られたらどう思うか?


 ユマちゃんの口から「高橋敬一」なんて言葉が飛び出した時の反応が知りたくて、参照する。


 やはり不信、どころかハッキリと怯えが見える。娘が突然に知らない人に成ったようなもんだ。


 やっぱり、俺は『ユマ』として生きていくべきだと思う。


 俺がもっと大きくて強いなら、全てを振り切って一人で生きて行く事も出来ただろう。でも三歳の幼女で病弱虚弱不健康児だ。せめて健康優良不良少女にならないと、家出なんて夢のまた夢。


 ああ、油断すると名作漫画のログを参照しそうになる。


 見た映像をそのまま再生できるので、普通に漫画を見てる感覚と一緒だから気を抜くとあっと言う間に時間が飛ぶ。コレも封印しないと駄目だ。


 ユマになりきるにはどうするか? ユマのログを漁るしかない、最初から要点を絞って早回しで脳みそに叩き込むんだ!

 なんせゆっくり見ていたら、まんま三年掛かっちまう。


 どれどれっと……ああそうかよ畜生ッ!


 溢れ出す感情が、制御出来ない!


「うぁぁぁぁ」


 思わず漏れた呻き声、母である王妃には、それで十分だったのだ。


「ユマちゃん? 起きたの? ユマちゃん?」


 たちまちパルメ王妃が駆け込んできた。


 ユマを心配していたのだろう、顔色が冴えない。ぐっすり三日も寝てたこっちと違ってろくに眠れていないのだ。


 ああ、本当に愛されてる。ここは一つ元気な所を見せて愛嬌を振りまくべきだ。


 でも、でも、俺はパルメと目を合わせる事が出来ない。自分の中の『ユマ』の部分が悲鳴を上げる。


パルメママは本当の母親ママじゃない』


 それが解ってしまったからだ。


「なんで?」「どうして?」そんな感情が渦巻いて胸を焦がす。



 ああ、やっぱりもう俺は『高橋敬一』じゃない。


 母親に甘える幼児に勝てる存在などありはしないのだ。だから母親の前で『高橋敬一』は『ユマ』に吹き飛ばされてしまう。



「ママ! ママァ!」


「あらあら、どうしたの? 怖い夢でも見た?」


 パルメは慈愛に満ちた目で俺をなだめる。

 ユマの体は俺の言う事を聞かず、泣きながら母に訴えた。


「ママ! ママはママなの?」

「ええ、ママはママよ」


 落ち着くように背中をポンポンと叩いてくれる、気持ちが落ち着いてくる。


 でも止めろ! それを言うな! 言うんじゃない!!


「ねぇ……ママはホントのママだよね?」


 ピシリと空気が凍り付いた気がした。

 背中を優しく叩く手が止まり、痛いほどに両肩を掴まれた。


「誰!? 誰にそんな事言われたの?」


 パルメは小さな俺に目線を合わせて必死に問いかける。


「答えて!」


 答えられる訳がない、誰に聞いたでも無いのだ。そんな俺をパルメはギュッと抱きしめた。


「ママだからっ! 私が、本当の、お母さんだから!」


 震える声、パルメは泣いている。ああ、『ユマ』お前はママに愛されてるぞ、俺が保証する。


「ママ! ママぁぁ!」


 泣きじゃくる『ユマ』はパルメの胸に縋りつく。

 ああ、糞、涙が止まらない。母親の匂いが胸をいっぱいにしてしまう。


 パルメを、ママをこれ以上悲しませてはいけないと心が叫ぶ。


「ママは! ママはユマのママだよね!」

「そうよ、ママは……ユマちゃん? ユマちゃんの名前教えてくれる?」


 そうだよな、そうだよ。それが良い、それで良いんだ。


「なまえ?」

「そうよ、お名前、あなたの名前はなんですかー?」

「わたしのなまえはねー」

「名前はー?」


「ユマ! 私の名前はユマ」


 俺と、俺の中の『ユマ』の部分が元気に答える。


 そうだよ、『ユマ』だけじゃない『高橋敬一』だってこの時に死んだんだ。


 俺はエルフのお姫様として生きて行く、たとえどんな不幸に巻き込まれたとしても。

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