第3話 二人で
それが楽しいのかどうか、俺には正直わからない。
沢渡さんは本当に楽しそうに出された食事にスマホを向ける。時には誰かと時には単体で。
ただ一つだけ確信したことは、やっぱり彼女といると心が落ち着く。彼女の隣にいれば症状は出ない。彼女もそれを気遣ってくれているのか、俺の隣にずっといてくれた。
自然と愛想笑いをしている俺がいた。どういう形であれ、誰かと感情を共有し、空気を壊すまいと笑っている俺が。ついこの間まで人間嫌いを自覚していたはずの俺が、誰かと一緒に食事をしている。
親睦会には所長も同席していた。当然だし、それもそうだろう。いつもの俺なら参加なんてしないから、入店するときに沢渡さんの後ろから俺が現れると所長が目を丸くしていた。それも当然の事か……。
「遠慮なく頼んでくれ! ここは経費で落とすから」所長の景気のいい声で始まってしまった親睦会。沢渡さん目当てのゴリゴリの男衆がテラス席に密集している。沢渡さん以外にも事務員さんという女性がいるんだけど、男どもは見向きもしない。
「ん~! おいしい。やっぱりTwitterの情報で決めてよかった」沢渡さんと事務員さんがここ数日この店の話題で盛り上がっていたらしく、沢渡さんのテンションは高い。よほど来たかったらしい。俺の隣で事務員さんと二人でメニュー表を取り合っている。
「しかし、珍しいな。まさか小金井君も来ているとは。君もあれか? 沢渡さん狙い?」
「フゴッ……!?」
まさか所長に話しかけられることになるとは思ってみも見なくて、思わず口に入れていたサンドイッチで喉を詰まらす。
「べ、別にそんなんんじゃないです」
「それ、本人の隣でよく言えるね。少しショックなんですけどぉ?」
少しだけ沢渡さんの殺気に似たひりひりする感情を背後に感じる。
「そんなに私が嫌い?」弁明をしようと向き直った俺に沢渡さんが問い詰める。
「嫌、そういうんじゃなくて……! 今の所長の話し方だと俺がそういう目で沢渡さんを見てるように見られるというか」
「そういう目ってどういう目? はっきり言ってごらんなさい小金井君」
「それはその……色目、というか」
「私をそういう目で見れないっていうの? 余計にショック。私の匂いを嗅ぐと落ち着くっていうからせっかく隣にいてあげてるのに」
「小金井君はそういう趣味だったの?」
会社の経費で落ちるという事で、男衆は既にお酒が回っている。一通り沢渡さんと写真を撮ったりしている間にいつの間にか事務員さんも輪に入って何やら騒いでいる。俺は酒は飲まない。少なくとも人前では。沢渡さんはそういうことはないらしい。頬が薄っすら桃色に染まっている。
「趣味とかそういう事ではなく、その、なんというか、特技……ですかね」
「ほぅ。鼻が利くと? 例えばどんなことができる?」
「そうですね……、例えば……」視線を泳がす俺は、景色を見ていない。いうなれば匂いの軌道をたどっている。実際所長にこの生まれついてできてしまった技能(?)を披露したところで何もないけど、沢渡さんの質問に答えるくらいならまだ緊張しないで済む。
「初めて来るところなんであんまりよくわからないんですけど、もしかして同じ通りに焼き肉屋さんあります? なんか焼き肉の匂いの中にラーメンの匂いがしますね」
「犬みたいだな。でもすごいじゃないか。まさか小金井君にそんな技能が隠されていようとは」
「犬って所長、小金井君はそんなかわいくないですよ。ただ、この技能が何かにつながらないのが残念ですよねぇ。どうにか昇進でもしてくれたら、何かプレゼントでも飼ってもらうんだけど」
「……商品開発部に行ってみないかね? うってつけのプロジェクトがあるんだが、どうにも人手が足りなくてな……。できれば……いや、もう君に決めたい」
「俺でいいんですか? いや、でも、ほらもっとそういうのって人と接しやすい人材が行くべきというか……」
「今日の小金井君を見てわかった。君と沢渡さんを組ませれば、君は饒舌になる。君のその特技を貸してほしい。もちろん沢渡さんのその行動力でこの頼りない先輩をどうにか引っ張っていってほしい。できるかね?」
できるかね? 所長のこの言葉に否定的な言葉は言えない。できるかどうかじゃなくて、やれという意味なのだから。
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