#12 未来は、白紙だ。少なくとも、俺の未来は

「……惜しい事をしたかな」


 ベッドに寝転がって低い天井を見る。机の上には空き缶が二つ。夢の残滓、もしくは未来の残り香とでも言うべき琥珀色の芳香が部屋に漂っている。


「だが、アレで良いのさ。アイツも笑ってた。きっと、正解だったんだろ」


 在るべき時間に帰っていった男は、言っていた。だが、その意見には賛同しかねる。あの映画はやはり2のラストが最高なんだ。

 3のラストじゃない。でも、3も嫌いじゃない。そう言えば1だって大好きだ。だったら、どれが一番でも然したる変わりは無い気もする。

 ならば俺も、いつか意見を翻す日が来るのだろうか。でも、そんな事はどうでもいい。


 未来は、白紙だ。少なくとも、俺の未来は。


「お前は、今、楽しいか?」


 俺の問い掛けに、未来人は真面目な顔でしっかりと縦に首を振った。

 なら、それで全てに決着を付けるとしようじゃないか。


「俺の仕事は……実は別に有ってな。今日お前に会いに来たのは、ほんの片手間だったりするんだよ」


 聞いてもいない事を勝手にすらすら話し出すのは何らかの属性をその身に受けた人間に課せられた業なのだろうかといぶかしむ。ったく、どいつもこいつも脈絡って言葉を知らんらしい。


「ハルヒが言ってただろ。願い事は既に二つ叶ったと。なら、そんな短冊は残しておくだけ無駄だ。最悪、十六年ないし二十五年後にまたこんな事が起こりかねない」


 そんなんは真っ平だ。そう言って手の中で赤い紙切れをひらひらと揺らす男。


「星に近い方が願いが叶うのも早くなる、だったか。あの馬鹿、本当に叶えたい願いだったのか知らんが八ートルは有る笹の一番上に吊るしてやがったんだぜ。どうやって吊るしたかは……想像するしかないが」


 ああ。だが、商店街のおっさんに無理難題を言っているハルヒの姿が目に浮かぶ様だよ。命綱括り付けてデカい梯子に登っている所とかな。


「全く。お陰様でこっちは骨が折れた」


 ご苦労な事だ……って、真実、他人事じゃないのか。そんな七面倒臭い事をいつかやらねばならない自分に同情を禁じ得ないね。


「そうだな。大いに同情してくれ」

「今更何をいっても仕方ないな。どうせソイツも規定事項なんだろ? ……で、だ。それよりも俺はその紙切れになんて書いてあったのかの方が気になるんだけどな」

「あ? 予想が付かないか?」


 片方だけで良いのなら。ジョン=スミスに会わせろとかそんなんだと予想しているんだが。


「ご明察。もう一つに関しては……ま、こっちはプライバシーだな。三年後を楽しみにしてろってトコだ」


 そうかい。つまり三年前にお前はここでその中身を見なかった、って意味だな。


「そう取ってくれて良い……と、そろそろ時間だ」


 そいつはお早いお帰りで。まだぶぶ漬けも出してないのに殊勝な心掛けじゃないか。

 ああ、家から出る時に妹に勘付かれるなよ? キョン君、なんで家に居るの? なんて悲しい事を言われるのは願い下げだ。


「残念だったな。玄関からは出て行かねぇよ」


 ……だったら、朝比奈さん(大)でも迎えに来るのか? それとも時限式で有無を言わさず時間移動が発動とか?


「その答えもノー。今回の事件は、某時間移動映画がモチーフなんだよ。だったら、俺の帰る手段も自ずと知れる、ってモンじゃないかい?」


 男はそう言って、窓を開ける。生温い、夏の夕暮れの風が一気に部屋に雪崩れ込んで来て不快指数は急上昇。せめてエアコンを消してから行動してくれないかね。エコだなんだと叫ばれて久しいご時世なんだ。

 三年後はどうか知らないが。

 そんな下らない事をぶちぶちと口にする俺を背にして、ジョン=スミスは肩を震わせ笑った。


「じゃあな、俺」


 窓の桟に足を掛けたと思った次の瞬間には男の姿は消えていた。窓から下を覗きたかったが堪える。ここでそんな真似をしちゃ、負けな気がした。

 全ては台本通り。だが、醜態を晒して口をあんぐり開けるのぐらいは拒ませて貰おうか。

 窓の外、男の姿がスクロールアップしてくるのはきっと規定事項。と言うよりは未来へ帰る輩のお約束だな。


「未来の車は三年で本当に空を飛ぶのかよ?」

「禁則事項だ。ま、精々期待してろ」


 助手席に乗り込む男。車がデロリアンじゃなくてどこにでも有る様な軽四なのは未来人流のジョークかい?


「古泉、話は終わった。出るぞ。ユウコピィ?」

「アイコピィ」


 運転席の少しだけ大人びた顔の超能力者が俺に向かって親指を立てる。


「遮蔽シールド継続動作中。時間移動における介在要因は無し。大丈夫」


 リアシートの宇宙人は水色のワンピースを着ていて。


「TPDD、空間座標指定完了しました。いつでも構いません!」


 モノホンの未来人はピンク色のウインク。

 そして……そして。


「さ、帰るわよ、SOS団! あたし達の時間に!!」


 黄色のカチューシャも雄々しく、全てのシナリオを書いたであろうラプラスな彼女が号を発した。


 ……ああ、そうさ。俺達に抜錨を指示するのは、誰あろうお前の役目だろうよ。どうやら三年経ってもソイツは譲って貰えなかったらしい。

 そんな未来の欠片。全く持って、俺達らしいと言わざるを得ないね。


「……やれやれ」


 聞くまでもなかったな。そりゃ、未来は楽しいに決まってる。

 俺の視線の先で車が空を切り裂く。夕焼けに似合いの赤い炎の筋を平行に二つ残して、ソイツは影も形も無く消え失せた。


 紅いラインは真っ直ぐ。行き先は未来。

 なんてイカれた、ストレート・ベクトル。


「空を飛ぶ車でも持ち出さなきゃ、高所の短冊は回収出来ないよな」


 呟いて、笑った。笑顔で、見送った。


 俺達の未来へ続く、矢印はいつだって直進(Go straight)。


 さて、オチは残しておかなきゃいけないって事で七月九日、大オチはパス。先にその後の話をさせて貰う。


 怒涛の七夕も過ぎ去って翌週水曜日。テストの結果が返ってきた。出来ればいつまでも返って来なければ良いと、しかし天は俺の言い分を聞いてはくれなかったらしい。

 雲を払ってやっただろ。コレで今期は店仕舞いだ、とでも言いた気な爽やか極まる水色。雲の一つだって有りゃしない。


 ええい、忌々しい。


 家に帰れば国木田辺りからお袋へとテスト返却の情報はリークされている事だろう。さらば、先三ヶ月の小遣いよ。この夏休みはバイトをする必要が有りそうだ。


 ……と、まぁ点数を見る前から諦めていた俺である。なにせ、今回は懸案事項を抱えていた所為で碌に一夜漬けも出来なかった始末。悲観的になるのもむべなるかな。

 だがしかし、量子力学の実験に使われた可哀想な猫を引き合いに出すまでも無く。箱の中身とは開けてみるまで分からないもので。


 結論から言う。全教科で俺は平均点を越えていた。日本史に至っては古今見た事も無い高得点。殿、ご乱心召されたか、って感じで。

 ……ここまで来ればいくら楽観的な俺だって怪しむさ。

 さっきまで悲観的って言ってたのはどこの誰だって? いや、そこは置いとけ。


 さて、最初に俺が考えたのは機関なり宇宙人なりの裏工作が有ったのでは無いか、という事である。自分に自信が無いとは情けないが、しかし事実として俺には独力でこんな点数が取れるとは思えないんだ。


 自分の事は自分が一番よく知っている。

 と言う訳で、点数を見た後にその内容を疑って答案を確認したさ。だが、テスト問題に不審は無く、薄っぺらな紙に書かれている文字も間違いなく俺のもの。

 この丸が付いている解答も、赤ペンでレの字が上から書き込まれた苦々しい解答も、確かにこの右手で書いた記憶が有った。


 やれば出来るじゃんか、俺。そう言ってしまえればどんだけ楽だっただろうか。だが、あえて胸を張って言う。俺の脳味噌はこんなモンじゃない。無論の事、悪い意味でな。


 種明かしに気付いたのは翌週。一学期最後の数学の時間になる。

 その日もやはり溢れる眠気を噛み砕き、暇潰しにとパラパラマンガの続編作成を手掛けようと職人気質を存分に発揮しようとした訳だが。

 前作を見返してどこか違和感が有った。この間、見た時にはもう少し面白い内容だった筈だ、というコミッカーとしての自負でも有ったのかも知れないが、この際それは放置。


 それが断じて親の贔屓目では無かったのだと知ったのは、最終コマに辿り着いた時だ。

 可愛らしい丸文字で「未来の学習促進技術は役に立ちましたか?」と、棒人間の代わりに書いてあったのには思わずガタリと椅子を揺らしちまって。

 今期最後の授業中に寝るなと教師に言われたのは屈辱でしかない。


 ……未来流のフォローか恩返しかは知らないが。とりあえず感謝はしておきます、朝比奈さん。でも、もう少し心臓に優しいモノに、今後はして頂けたらと思うのは高望みでしょうか。

 俺に七十ちょいで寿命が来たら、間違い無く未来人のせいだろう。うん。


「って事が有ったんだよ」


 俺は隣で寛ぐ古泉に語りかけた。


「きっと、ご褒美でしょう。今回の貴方の活躍には目を見張るモノが有りましたから。少しくらいは見返りが無いといけません」


 僕達の方でも用意していたんですがね、と首を竦める副団長。俺はテーブルの上のスナック菓子を摘みながらテレビに見入る朝比奈さんの後頭部を見つめた。


「何を用意してくれてたんだ?」

「次の七夕にでも取って置く事にします」

「そうかい。ま、特に期待しちゃいないけどな」

「そこは期待して欲しかったですね」


 笑う超能力者。その視線の先にはディスプレイ。

 ハルヒを含まないSOS団は現在、長門の部屋に集まってビデオ鑑賞会と洒落込んでいる。


「しっかし、お前らの機関って結構人数多かったんだな。撮影係なんかに裂く人員の余裕が有るとは」

「運動会ではないのですから撮影係とは聞こえが悪いかと。記録役、ですよ」

「どっちでも一緒だ」

「かも知れません」


 部屋に持ち込まれた大型ディスプレイには今まさに半被ハッピ姿の朝比奈さんが大写しになっている所だった。ああ、どんな格好をしていても、この人は麗しい。


「全員、この格好だったのか?」


 俺の問い掛けに答えたのは未来人だ。


「はい。皆で半被ハッピを着て、これがこの時代のお祭りなんですね。凄く楽しかったです」


 それは結構でした。……そうじゃなくて。

 どうにも、機関の人間が全員背中に「祭」の一字を背負ってるのに違和感を覚えるんだが。俺だけか?


「スーツで花火を上げているよりは怪しまれないでしょう?」


 古泉の言う事ももっともではある。だが、台風の中でそうそう人が河川敷を通るとは俺には思えないぞ。


「念には念を、と申します」


 ……古泉の作ったものでない笑顔を見て確信する。ああ、機関って案外ノリが良い人間で構成されてるんだな、って事に。


 そう言や古泉、花火はあの暴風雨の中で大丈夫だったのか? 保管とか、大変そうに思えたんだけどな。


「ええ、バッチリでした」


 そっか。湿って使い物にならなくならないかだけが懸念だったんだが。流石にそんなヘマはしないか。


「バッチリ三分の一が湿気でヤラれてましたよ」


 そう笑顔で言う古泉……オイオイ。っつー事はあの花火は更にあの1,5倍は大掛かりなシロモノを予定してた、って事か?


「そうではありません」


 なら、長門に急速乾燥でも頼んだとか? ま、最初からその事態を考えて万能選手はそっちに回したんだけどな。宇宙人なら情報操作とかで花火の量産も乾燥も楽勝だったろう。


「あ、古泉君の名シーンが始まりますよ!」


 朝比奈さんが声を上げる。俺はディスプレイに意識をやった。画面の中では雨に打たれる古泉が、壇上に立っている。ソイツはまるで某髭の独裁者みたいに演説を始めた。


『今回の作戦、カナメは彼ですが、ヒーローは彼では有りません。戦争をするのは軍師ではない。兵士一人一人。歴史を作ってきたのは、いつだって只の人です。

 彼は僕に言いました。神に只の人の手で夢をみせてやろう、と。僕達は超能力者ですが、閉鎖空間に居なければ只の人です。資格は有ると考えます。

 皆様も知っての通り、花火の一部がダメになりました。勿論、ここで情報統合思念体の力を借りれば話は簡単です……が。只の人にだって意地は有るんです。

 人の手で、夢を見せようと彼は言った。ここに居る一人一人の手で、人間の力で、たった一人の子供の夢は紡げる。少なくともその機会を僕達は与えて貰った。

 ここで奮わないで何が人ですか。何が機関ですか。何が大人ですか? 宇宙的インチキは最終手段です。大人の意地を僕達の大切な少女に見せてみましょうよ、皆さん。一度くらいは僕達がヒーローになっても、バチは当たらないと思いませんか?』


「役者だな、古泉」


 素直な感想を口にすると、副団長は苦笑した。


「役者なのは機関の他の人間ですよ。若輩の世迷言に、見事に付き合って見せてくれた。大人とはああいうものなのだと、痛感させられました」


 踊らされていると気付きながらも踊った、か。スゲェな、大人って。


「本当に。近隣各所の遅延した花火大会用の花火を、たった半時で掻き集めてみせたのですから……頭が下がります」


 そんな格好良い大人になりたいな。なぁ?


「なれますよ、きっと。彼らの背中はこれでもかと見せて頂いたのですから」


 宇宙人の背中がディスプレイに映る。「祭」の文字に彩られた長門の姿は、心なしか楽しそうに見えた。

 画面を無言で見詰めるその小さな背中よりも、少しだけ。


 さて、と。そろそろ語るべき事も残り一つしかない。って訳でオチに入らさせて貰う。


 未来ってーのは柑橘系の香りがするらしい。きっと纏めてしまえばそれだけの話。そう、俺は最初に言ったな。その台詞の回収作業を始めるとするさ。

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