ラスプーチン処方箋を出す。

増田朋美

ラスプーチン処方箋を出す。

今年は例年にもまして暑い気がする。本当暑い日は憂鬱で仕方ないものだ。いくら冷房器具があったとしても、やっぱり過ごしやすいほうが、気分がいいものである。その反面、雨が降れば、大雨になって大災害ということもよくあるので、雨というのが、なんだか怖いものになりつつある。

その日、いくら暑くても雨でも病院はやっていないと困るということで、道子は、病院に出勤した。いつもどおり患者さんの診察をして、では次の型どうぞというと、やってきたのはまだ30代くらいの女性であった。ご主人と思われる、40前の男性と一緒に、診察室へやってきた。

「こんにちは。えーと、お名前をどうぞ。」

道子は、医者らしくそう言うと、

「はい。柴田と申します。柴田聡子と言います。」

と、女性は答える。

「わかりました。柴田聡子さん。今日はどのような症状で、悩んでいらっしゃるのですか?」

と、道子は聞いた。

「はい、最近彼女がよく熱を出して、仕事を休むことが多くなりまして。それで、病院で見てもらおうと言うことにして、お願いしました。」

隣りにいた、ご主人が、申し訳無さそうに言うのである。

「わかりました。熱が出るのは、いつ頃からですか?」

道子が聞くと、

「はい、一年ほど前でしょうか。月に一度は、熱を出して倒れるようになりまして。」

ご主人は答えた。

「わかりました。じゃあ血液検査をしてみましょう。」

そういうご主人に道子は、すぐいった。膠原病などであれば、原因がわからなくても熱が出るのはよくあることだ。とりあえず、柴田聡子さんを検査室へお通しし、看護師にお願いして採血してもらう。幸い、この病院では、簡単な検査であれば、すぐに結果が出る設備があった。一時間ほど待ってもらって、再び柴田さん夫婦を診察室へ呼んだ。柴田さんたちは、とても不安そうだ。それはそうだろう。だから医者は、できるだけ不安を和らげてあげることが必要になる。

「えーと、柴田聡子さんですね。血液検査をしましたが、異常はありませんでした。どの数値も、正常範囲内で、文句ない正常です。大きな病気があるとか、そのような心配はございません。良かったですね。」

道子はできるだけ明るく柴田さんに言うのであるが、柴田さんはとても悲しそうな顔をした。

「ええ確かに、口で言ってもわからないかもしれませんが、あなたの数値は、正常です。何も異常はありません。良かったじゃないですか。これで、異常は無いと吹っ切れて、また仕事ができると思いますよ。」

そう言いながら、道子は、柴田さんの顔を見るのを忘れていた。柴田さんは、泣いていた。代わりにご主人が、

「そうですが、でも、頻繁に熱を出すのはどうしたらいいのでしょうか?それも、何も対処法が無いと言うことですか?」

と聞いてきた。

「ええ、数値はすべて正常ですから、普通に生活して、それで問題ありません。今まで通り、普通に仕事して、何でもしてくれればそれでいいです。まあ、熱が出ても、数値が正常なんですから、全然、問題ありません。大丈夫です。じゃあ、また何かありましたら、来てください。それでは、次の方どうぞ。」

医者になってしまうと、どうしても患者を見下してしまうくせがある。道子は自分ではそういう気持ちを持っているつもりはなかったのであるが、それでも患者さんたちにそう接してしまうのだった。

「口で言ってもわからない、ですか。それは、先生のことを言って居るのではありませんでしょうか?」

泣いている柴田さんをかばうようにご主人が言った。

「でも、数値が正常ですから、それ以外に何も言えませんよ。」

道子が言い返すと、ご主人は、だめだこりゃという顔をした。そして、柴田聡子さんに、もう帰ろうと促した。二人は、薬も何も出してもらわないで、病院を出ていった。道子は、患者さんのすることなんて、すぐに忘れてしまうのであった。それほど、患者さんの人数は多いのである。

それから数日後のことだった。

道子が、病院で仕事を終えて帰ろうとしたところ、

「小杉先生、お電話です。」

と、看護師が、急いで道子に言った。道子が、

「誰ですか?」

と聞くと、

「はい、柴田さんという方です。」

看護師はそう言って、道子に受話器を渡した。

「はい、お電話代わりました、小杉道子でございます。」

道子は、驚いてそうきくと、

「あのすみません。こないだ先生に診察をしていただいた、柴田聡子の夫の、柴田洋吉です。」

名前を聞いてやっと思い出した。柴田聡子、そういえば、そういう名前の女性が、以前来たことがあった。

「はい、柴田洋吉さん。どうなさったんですか?」

道子は、急いでそうきくと、

「あの、小杉先生。先生にお伝えしようか迷っていましたが、やっぱりお伝えしたほうが、いいと思いまして。」

柴田洋吉さんはそう言っている。

「なんですか。お伝えしたほうがいいとは、何があったんです?」

道子は苛立ってそう聞いた。

「先生、今日、聡子が、自殺を図りました。幸い、洗剤を飲んだだけでしたので、胃を洗浄して、短期入院で済むそうですが。先日、聡子はまた熱を出しましてね。それでも、先生が、異常が無いと言ったのではないかと言って口論したんですが、聡子は逆上して、洗剤を飲んだのです。」

「はあ、そうです、、、か。」

道子はそれしか言うことがなかった。

「あの、すみません。患者を自殺未遂させておきながら、はあそうですかで片付けられるんですか。先生はそれでいいのかもしれませんが、僕たちは、毎日、何も知識もなく生活しているんです。そんななかで、先生がちゃんと診察してくださらなかったから、彼女は命を落としたりしてしまうんじゃないですか。先生、今回の責任はちゃんと取っていただけないでしょうか。お願いします。」

そういう洋吉さんの言い分もわかるのであるが、今回の数値は、何も異常はなかったのだ。それ以外何も言いようが無い。

「そうといっても、聡子さんの数値は、何も問題はありませんでした。それは、私だってちゃんと見てます。」

「ちゃんと見てるんだったら、なんで、精密検査を受けようとか、そういうふうにしてくださらなかったんですか。おかげで聡子は、家事もできないほど鬱になりましてね。家事も何もできなくなってしまいました。そんなふうにさせてしまったのは誰なんですか?先生でしょう?いくら偉い先生だからって、一人の人間も安心させてあげられないんだったら、医者としてどうなのかと思いますけどね。先生、ちゃんと責任を取っていただけないでしょうか?」

洋吉さんは、道子を責めるように言うが、道子は、どうしても思いつかないのだった。だって、道子が見た限り、彼女の血液検査の結果は何も問題は無いのだった。

「ですから、私が見た限りでは、何も問題はありませんでした。それは、たしかにそうです。」

道子は、仕方ない答えをそう言うと、

「わかりました。先生は、そういうふうに患者を金儲けの道具しか見てないんですね。そういう先生が居るから医療ミスとか、そういう事が起こるんじゃないでしょうか。先生、気をつけてくださいね!」

「ちょっと、待って!」

道子が言うと、洋吉さんは、ガチャンと電話を切った。道子は、もう一度、柴田聡子さんの血液検査の結果を見た。間違いなく柴田聡子と書いてあるし、数値は何も問題はない。確かに、彼女が原因不明の熱が出るということは、本人には辛いのかもしれないけれど、道子からしてみれば、原因になるものは何も無いのである。

「私は、患者さんのことを見落としてたかなあ?」

道子は、小さい声で言った。とりあえず、その日は、帰らないと行けないから、病院を出て、富士駅に向かうバスに乗る。バスを降りて、自宅の方へトボトボと歩いていくが、道子は、すぐに言えに帰るきにはなれなかった。なんでそうなってしまうのかな。そんな事ばかり考えてしまうのである。

「道子先生じゃないですか?」

不意に、誰かに声をかけられて、道子はふりむいた。後ろにいたのは、杉ちゃんと蘭だった。

「よう、ラスプーチン。元気かい?」

杉ちゃんに言われて、道子は、元気なときであれば、そんな歴史上の悪役と一緒にしないでとか、そういうことを言うのであるが、道子は今日はそういうことをいう気にはなれなかった。

「元気じゃないわよ。全くねえ、思いだけでは医者はできないわ。医者は、色々あって、なかなかできないわよ。」

と、道子はそう言い返した。

「そうか、ラスプーチンも、たまには落ち込むことがあるんだねえ。それで、一体どうしたの?なにかあったの?」

杉ちゃんに言われて、道子は、ストレスを溜め込まないことにした。杉ちゃんたちであれば、別に口外することも無いだろうと思い、柴田聡子さんのことを、話してみた。

「はあ、なるほどねえ。医学的に言ったら異常は無いのに、熱を出すのか。」

杉ちゃんに言われて道子は、そうなのよ、といった。

「ある意味、人間らしいなあ。人間は、油をくれれば、再起動するもんじゃないからな。それは、医者としてちゃんと覚えておいたほうがいいよ。油をくれたからって、すべての人間が良くなるわけじゃないってことを、良く頭の中に叩き込んで置くことだな。」

確かに杉ちゃんのいう通りだった。そうかも知れない。人間は機械ではない。それは、しっかり、考えて置かなければならない。

「そうですね。僕もそういう人にあったことありますよ。理由がわからないのに、急に過呼吸になったりするとかね。人間ですもの。パソコンとは違いますよ。医者は、パソコンを修理する業者とは違いますからね。そこをちゃんとわかってくれる人がいるかいないかで、かなり違いますよね。」

蘭も杉ちゃんの話しに同意した。そこだけは、いくら蘭でも杉ちゃんの言うとおりだと思った。

「大事なことは、その柴田聡子という人と、ご主人を、いくら原因がわからないと言っても、二人を支えて上げるという姿勢を見せてあげないと行けないのではないでしょうか。きっと柴田さんたちは、医者しか頼れる人がなかったんだと思うんです。誰かに相談しても答えが得られないから、医者に頼りに来た。そうすることで、もしかしたら、支えが欲しかったのではないでしょうか。だから、今回は、ちゃんと謝るべきでは無いですか。」

蘭が、珍しく、道子にそう言った。蘭も蘭で、医者はどうして数字しか見ないのだろうと疑問を持っていた事があったから、思わずそう言ってしまったのである。

「そうだねえ。蘭のお客さんは、原因がわからないのに体調が悪くて、医者に見せても何も言われなくて、病気でもなんでも無いって言って見捨てられてさ、結局、何も支えがないまま、一生懸命生きているやつばっかだよ。そういうやつを、お前さん見たことないだろう。」

杉ちゃんに言われて、道子は思わず、

「刺青師は、極道とか、ヤクザとか、そういう人ばっかり見ているじゃないかと思ってたわ。」

と言った。

「ところがどっこい、そんなことはまずないね。極道を相手にしたことは、あまり無いよね。そうだろう?」

杉ちゃんがそう言うと、蘭は、

「はい。リストカットをやめられないとか、誰かに殴られた跡を消したいとか、コンプレックスになっている傷跡や痣を刺青で消したいと思っている女性が、多くやってきます。医者にも、カウンセラーにも見捨てられて、もう頼るものはいないから、観音様とか彫って、心の支えにしたいと言ってくる方もいます。それ以外に、自分の誕生花だったり、亡くなられたみうちの方が好きだった植物などを彫ってくれという人もいます。みんな、支えがなくなって、つらい思いをしている人ばかりなんです。そういう人の、支えになるのは、僕みたいな職種でないとできないんだなと思います。」

と、今のお客さんたちの現状を言った。

「そうですか。そういう人もいるのかあ。私は、そんな人が居るなんて、そういうことは、考えたこともなかったな。ただ、病気を見て、それにどう対処するか、それしか考えてなかったわよ。」

蘭に言われて道子は、あーあ、とため息を着いた。

「だから、こんな言い方は悪いけどさ。蘭のところに来るお客を増やさないように、医者がなんとかすることも必要なんじゃないの?」

杉ちゃんに言われて、道子は、

「そうねえ。」

と言った。

「それで、その自殺を図った女性はどうしているの?まだ、病院なの?」

杉ちゃんに言われて、道子は、

「まあ、とりあえず、洗剤を飲んだということで、何も後遺症も残らず、大丈夫でしたけどね。まあ、これからも、生きていくんじゃないかと思ってるけどねえ。ご主人が、支えてくれればいいけど。」

と、大きなため息を着いた。

「そういう人任せだからだめなんだよ。誰かが彼女を、支えてあげるような、そういう姿勢を示してあげなくちゃ。人任せで、誰かに代わりにやってもらうんじゃなくて、ちゃんと本人が、謝罪をしようと思わないと、行けないんじゃないの。彼女のところに行って。」

杉ちゃんにそう言われて道子は、面倒くさそうな顔をした。

「ダメダメ。ちゃんと、聡子さんとか言う人に謝罪をするんだ。彼女は、別の科の医者とか、カウンセラーとか、そういう人にお世話になると思うけど、そうなるようにさせたのは、お前さんだからね。」

杉ちゃんは、道子に言った。

「そうねえ。やっぱり、そうしなくちゃだめか。」

と道子は、ため息をつく。

「それで、その、柴田聡子さんは、どこの病院に?」

杉ちゃんがそう続けると、

「ああ、一応ねえ、富士の中央病院に居ると聞きましたが。」

道子は答えた。

「だったら、彼女を見舞いに言ってやるべきだな。彼女が自殺を図った原因はお前さんだからな。」

「わかったわ。」

道子は、杉ちゃんに言われて、渋々頷いた。でも、本当は面倒くさいなと言う気持ちがどこかで消えなかった。

その翌日、とりあえず、富士市の中央病院に行ってみる。受付に行って、柴田聡子さんの病室はどこかと聞くと、中庭を散歩していますということだった。そこで道子は、看護師にお願いして、彼女に会わせてくれというと、看護師はわかりましたと言って、道子を中庭に連れて行った。

「柴田さん、小杉道子さんがお見えになりました。なんでも、あなたに伝えたいことがあるそうです。」

看護師は、庭のベンチに座って、バラを眺めている聡子さんに言った。

「柴田さんこないだの、診察のときは。」

と、道子は言いかけるが、それと同時に、自動販売機で飲み物を買ってきた洋吉さんが戻ってきた。

「あなたよくここがわかりましたね。医者だから、何でも顔パスで着いてしてしまうとでも思っているんですか。あなたが、あんな診察を下したせいで、聡子は、このような有様です。ここを退院したら、聡子は自殺の可能性があるということで、別の病院に移送される事になっているんです。本当は、僕が見てあげたいですけど、それは無理だから、仕方なくそうしました。先生が、あのとき、聡子を励ましてくれるとかそういうことをしてくれれば、こんなことはならずにすみましたよ!どうしてくれるんですか!」

道子にあって、洋吉さんは、もう怒りが爆発してしまったようで、道子を責め立てるように言った。道子は、申し訳ないと思って、

「ごめんなさい。」

と、ちいさな声で言った。

「本当は、ごめんなさいだけでは済まないんですよ。僕達は、平凡に楽しく暮らせるはずだったのに、それを、聡子が自殺を図ったことで、全部盗られてしまったんです!」

洋吉さんは、道子にそういった。確かに洋吉さんの言うとおりだと思った。自分が彼女をあんなふうに冷たくしなかったら、彼女は何もしないで済んだのかもしれなかった。

「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」

道子は、洋吉さんに頭を下げて、そういった。医者である自分が、一般の人に頭を下げるのはなにか違和感あったけれど、今回は、そういう違和感も消えていた。

「洋吉さんもういいですよ。どうせ、私なんて、この世の中から、必要とされていないから、こうして、しょっちゅう熱が出たりするんですよ。それはきっと、私が、死ねばいいっていうことだと思うから、先生を責めても仕方ないですよ。」

聡子さんがそういうことを言った。確かに患者さんに、そういうことを言わせるのは、医者としてだめだと言うことがわかった。そうか、こうなった患者さんが、蘭さんのような人を頼るのだろう。道子は、彼女には、なにかしてあげなければだめだと思った。一生懸命動かない頭を動かして、こう考えた。

「聡子さんは、今、自分は世の中から必要とされていないと言いましたね。」

「ええ、もちろんです。だって、そうなるから、頻繁に熱が出たり、具合が悪くなったりするんでしょう?」

そういう聡子さんは、どこか投げやりになっているのだろうか。それとも頻繁に熱を出しているせいで、なにか困っているのだろうか。道子は、細かいところまで判断できなかったが、

「それなら、必要とされるようにしてみたらいかがですか。」

「あなたまた、聡子に実現不可能なことをいいますね。社会で必要とされるには、まず働かなければなりませんよね。聡子は、頻繁に熱を出すせいで、勤めていた会社も解雇されたんですよ。それで、もう一度やり直させるのですか?」

洋吉さんがそういうのであるが、道子は、一生懸命対抗策を考えた。洋吉さんの言うような大掛かりなことではなくて、もっと身近なところで、彼女を必要とされているというようにしなければならない。

「そうですね。聡子さん、例えばペットを飼うとかそういうことをしてみたら、どうでしょう。それで、また世界観も変わってくるかもしれませんよ。」

道子は、そう提案した。これが、聡子さんにしてあげられる、処方箋なのかもしれなかった。

「そうすれば、あなたも寂しくなくなるかもしれません。どうでしょう。一緒にやってみませんか?」

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ラスプーチン処方箋を出す。 増田朋美 @masubuchi4996

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