EPISODE1-2 Dance in Night club

第8話 立ち込める暗雲

 走りながらスマートフォンを耳に当てた明嗣は開口一番、「誰だお前」と口にした。

 理由は至って単純。間違い電話なら申し訳ないが、誰かに詰められている時に電話が掛かってくるなんてからだ。と、なれば。誰かがどこか見えない所で自分を見ている、と考えるのが妥当だろう。

 だからこそ、あえて明嗣は喧嘩腰に応答したのだ。

 その証拠に、もしもしの代わりに繰り出した明嗣の先制攻撃は効果ありのようで、相手から困惑の声が帰ってきた。


『知らない人からの電話に出る時に誰だお前、なんて初めて聞いた……。明嗣っていつもこうなの?』

「その声、持月か?」

『そうだよ。せっかく助けてあげたっていうのにご挨拶だなぁ……。それと、アタシの事は鈴音って呼んで。苗字で呼ばれるの嫌いなの』


 電話越しからでも伝わってくる程に気を悪くした鈴音の声を聞きつつ、明嗣は背後を振り返る。どうやら誰も追ってきてる気配はないので、澪を振り切る事に成功したらしい。なぜケータイ番号を知っているのか、という疑問が浮かぶが、おおかたアルバートから聞いたのだろう。

 走る速度を緩めて徐々に歩く速度に落としながら、明嗣は辺りを見回した。どうにも一方的に見られているというのは監視されているようで気分が悪い。

 しかし、鈴音の姿は見つける事が出来ない。たまらず明嗣が苛立たしげに舌打ちをするとケラケラと笑う鈴音の声が聞こえてきた。


『残念! そう簡単にアタシを見つける事は出来ないよ! だってアタシのウチは、これで生計を立ててるしのび一家だもん』

「あっそ。そんじゃあ、このまま監視しているつもりならお前の事はいない物として扱うからそのつもりで。じゃあな」

『わー! 待って待って! 今出るから早まらないで!』


 慌てた声とともに、ブツリと音を立てて電話が切れた。その直後、明嗣が背後に気配を感じたので振り返ると左頬に人差し指が突き刺さる。


「アハハ! 古典的な手に引っかかった! まだまだ修行が足りないんじゃない?」

「ここまで誰かをぶん殴りてぇと思ったのは生まれて初めてだ……!」


 イタズラに成功した事がよっぽど嬉しいのか、大笑いしながら喜ぶ鈴音の姿に、明嗣は怒りの拳を握った。対して鈴音は、笑いすぎて出てしまった目元の涙を拭い、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。


「ごめんごめん。話は変わるけど、チャットの交換しよ? これから何かと連絡する事も多いだろうし」

「しない」

「なんで!?」

「仕事とプライベートは分ける主義だ。今はプライベート」

「え〜電話だと通話料掛かるから無料のこっちの方が良い」

「我慢しろ」

「ケチ」

「どうも」

 

 明嗣は恨めしげな視線を送る鈴音をあしらいながら、スマートフォンをスラックスのポケットに突っ込んだ。そして、スマートフォンを握ったままの鈴音に背を向けて歩き出した。


「え、ちょ、どこ行くの?」


 慌てた声で呼びかける鈴音に対して、明嗣は振り返る事なく手を振った。


「帰る。ねみいんだ」

「え、もしかしてまた仕事が来てたの? アタシ、聞いてないよ!?」

ちげぇよ。昨日から徹夜で筋トレしててずっと起きっぱなだけだ。やっと眠気が来やがった」


 そこから先は何を話したか、明嗣は覚えておらず生返事ばかりだった。

 明嗣は鈴音と別れた後、学校から出て30分歩いた場所にある死んだ両親と暮らしていた一軒家にたどり着くと、まっすぐにベッドへ向かい、制服のままうつ伏せの姿勢で倒れこんだ。すると一気に全身の力が抜けて、まぶたが重くなっていく。

 うつ伏せの姿勢のまま目を閉じ、明嗣は微睡みの中を漂う浮遊感に身を任せる。そうして2時間ほど眠った所で、スマートフォンが震えた。


「……もしもし」

『よぉ、明嗣。その声の様子だと寝てたのか?』


 寝起きのかすれ声で応答する明嗣に掛かってきた電話はアルバートからの物だった。明嗣は意識がおぼつかないまま身体を起こすと、ベッドへ腰かけて用件を尋ねた。寝ている最中に汗でもかいたのか、少しワイシャツが湿っているように感じる。


「マスターか……なんだよ」

『依頼が来たんだよ。今すぐこっち来い。今回は鈴音ちゃんのテストも兼ねてるからお前が審査しろよ』

「えぇ……メンド……」

『つべこべ言うな。一人じゃホネだからちょうど良いんだよ。分かったらさっさと準備しろ』

「うーっす……」


 通話はそこで切れてしまった。

 電話が切れた後、明嗣は5分ほど虚空を見つめていた。そして、緩慢な動作で立ち上がるとシャワーを浴びる事にした。温水を浴びて寝汗を流した後、頭に冷水を掛ける事で半分眠った状態の意識を叩き起す事に成功した明嗣はシャッキリとした気分で黒のシャツに袖を通す。

 その後、二挺の新しい愛銃が収まっているホルスターを着け、いつもの赤いフードが付いた黒のコートを羽織りながら家を出た。




 Hunter's rastplaatsに到着した時、時計の針は午後六時を指していた。

 明嗣が店のドアを開けると、中では女性客が数名ほどテーブル席でディナー用のメニュー表とにらめっこをしている。明嗣の記憶だと、たしかこの時間は閑古鳥が鳴いていたはずだったのだが、客足が増えたというのはどうやら本当らしい。ドアベルの音が来店を知らせるとアルバートが出迎えてくれた。


「おう、来たか」

「ああ。アイツは?」

「鈴音ちゃんなら、先に来て飯食ってるよ。いつもので良いか?」

「今回はシェフのおまかせコース。クロケットはなし。寝起きからあれは重い」

「あいよ。説明は飯食いながらで良いか?」

「それはいつもどおり」


 注文のやり取りをしつつ、明嗣はメンバーズカードを持つ者にしか入れない特別室へと案内される。一般の客がいる場合、ここで今回の依頼の説明をされるのだ。

 特別室の中では、先に来ていた鈴音がキャベツやにんじんなどの野菜を混ぜたマッシュポテトのオランダ料理、スタンポットや春先限定の特別メニューのホワイトアスパラガスのスープで食事を摂っていた。ホワイトアスパラガスのスープにはアレンジが加えられており、白くなめらかな海と表現できるような生クリームのスープに牛ひき肉で作ったミートボールが入っている。

 明嗣がやってきた事に気付いた鈴音は、食事の手を一旦止めて声を掛けてきた。


「あ、明嗣。もう仕事内容は聞いた?」

「いや、これからだ」


 鈴音の質問に答えながら、明嗣は椅子一つ分空けた場所の席に腰を下ろした。すると、鈴音は少しムッとした表情を浮かべた。


「なんでそこなの?」

「俺の本来のパーソナルスペースはこの距離なんだよ」

「なんか避けられているみたいで傷つく」

「まぁ、たしかにそれは合ってる」

「アタシ、何かした?」

「いや、信用してないだけだ。昔から女は魔物、って言うしな。今まで旦那を尻に敷いて奥さんが好き勝手してたけど支配できなくなった途端、後ろからショットガンでズドン!……なんて話もあるし? 最近だって地元出て東京行くために彼氏を利用して用が済んだら始末し――」


 明嗣が最近起きた男女間トラブルのニュースまで持ち出そうとした時だった。黙って聞いていた鈴音がテーブルを叩いて立ち上がった。


「アタシはそんな事しない!」

「おい、どうした?」


 ついに怒り出した鈴音が声を上げるのと同時にアルバートが明嗣の食事を手にしてやってきた。そして、明嗣と鈴音の間に視線を泳がせ、もう一度口を開く。


「お前ら、いったい何を揉めてる?」

「なんでもない」


 そう言いつつ、ムスッとした表情で鈴音はまた席に腰を下ろした。明嗣は、答える気はない、と言いたげにそっぽを向いた。

 二人の様子を前に、アルバートは呆れたように溜め息をついた。


「あのなぁ……お前ら、そんな調子で大丈夫なのか?」

「……」

「……」


 アルバートの問いに対して、二人からの返答はない。だが、二人の間に流れる険悪な空気を気にせず、アルバートは普段と変わらずに対応した。


「まぁ、お前らが仲が悪くても仕事をこなせば文句はねぇ。だがな、それでおっぬ事になっても俺は知らないからな。そんじゃ、今回の依頼の説明を始めるぞ」


 アルバートは明嗣の前にホワイトアスパラガスのスープとライ麦パンを置く。そして、懐から2つに折ったメモ用紙を取り出し、今回の仕事内容について説明を始めた。 

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