第9話 ナイトクラブへの潜入
今回、明嗣と鈴音が送り込まれた吸血鬼が集まる“狩り場”は、夜を楽しもうと踊り狂う場であるナイトクラブだった。
最近、このクラブの利用者がいなくなっては、数日後に首に噛み傷を残して亡くなった状態で発見されるという事件が相次いで起こっているらしい。捜査に当たった捜査官は、犯人の目星をつけることができずにお手上げ。被害者の中には大企業の社長の一人娘がいたので、その社長さんが今回、合言葉を手に入れて依頼してきたという形だ。
クラブの出入り口では外からでも聞こえてくる腹の底に響くような重低音や、目に優しくない電光掲示板の光を浴びながら、やってきた客が中に入場するためのボディチェックを受けている。
理由はもちろん、ナイフなどの殺傷性のある武器、そしてハーブや錠剤などの
方法は入り口に立った二人の内、一人がハンドバッグの中身を漁り、もう一人が手の甲で服などに触れて危険物を隠し持ってないかのチェックを行う。ただし、こういう施設の運営には
さて、ここで一つ問題が浮上する。どこの反社会的組織にも属しておらず、なおかつ武器がなければお話にもならない明嗣たち、
その答えの一つはこうだ。
「いいか。お前たちは何も“見ていない”。おたくらの基準に引っかかる危ない物は何も持ってないから俺たちを“通す”んだ。良いな?」
髪を赤茶に染めて白いシャツの上に黒のジャケットを羽織った男と、同じ服装で耳にピアスを着けた黒髪の男、二人の警備担当の者の
「ご苦労さん。さぁてと、お仕事開始といきますか」
明嗣は歩きながら左のホルスターからホワイトディスペルを取り出し、
「アタシだってこれくらい、明嗣にお世話してもらわなくても突破できるから」
同じようにもう一方の黒鉄の銃、ブラックゴスペルの
振り返った先では、不満げな表情で睨む鈴音の姿があった。彼女の格好はナイトクラブという事でピンクのタイアップシャツにネイビーのミニスカートといった出で立ちで、惜しげも無く露出した太ももには革製ベルトがついたポーチが装着されていた。少しでも場に合わせたコーディネートを意識したのを伺えるが、やはり肩に背負った竹刀袋が目立ち、ミスマッチに見える。
いかにも楽しむ気満々、と言った様子に反して不機嫌な気持ちを前面に押し出した表情の鈴音を前に、明嗣は呆れたように溜め息をついた。
「あのなぁ……いつまでむくれてんだよ」
「むくれてないですぅ〜。アタシの事信用してない奴の手なんか借りたくなかっただけですぅ〜」
「それをむくれてるってんだよ。ってか、ただ単に突破する
そう言いつつ、明嗣は人差し指を立てて天井の隅を指さした。指が
「その口ぶりだと、おおかた気絶させるなりして強行突破するつもりだったんだろうが、そんな事したら俺たちはすぐ事務所に連れて行かれていただろうな」
「ぜ、全員眠らせちゃえば関係ないし」
明嗣の指摘にたじろぎながらも、鈴音はなんとか反論してみせる。が、明嗣はさらに指摘する。
「騒ぎを起こせば対処のために時間をロスするし、カンの良いやつなら警戒してその場から離れて他の場所に行くだろうから面倒だ。それくらい、ちと考えれば分かるだろ」
「〜っ! ムカつく! そういう言い方することないでしょ!?」
だから誰かと組むのは嫌なんだよ……。しかも、女とだなんて……。
怒りに身を任せて詰め寄ってくる鈴音に対して、明嗣は深い溜め息を吐いた。コンビでの初仕事は前途多難、雲行きは雨模様のように思えてくる。
第一、明嗣は女という生き物が苦手なのだ。男同士の時のようには行かない上に、ちょっとしたミスで泣かせよう物なら、同性が救援にやって来て周りはすぐ女の味方に回る。それが、女の方に非があるとしても、だ。
しかも、この世界にいる以上、男女間のトラブルを避けて通る事もできない。痴情のもつれによる
だから、明嗣は次第に女を避けるようになった。皆が皆、そうでは無いと分かっていても、一度毒を盛られたグラスで飲み物を飲む勇気はない。女性差別? 知るか。こっちは社会的生命が脅かされているのだ。少子高齢化が加速する? 政策で
「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」のオチのような死に方なんて絶対にごめんだ。作中では事故のようにも思える死に方だったが、今の時勢を見れば、おのずと見方が分かってくる。あのマコーマー夫人によるショットガンの誤射は故意的にやった殺人だ。
「ねぇ! 話聞いてる!?」
物思いにふける明嗣に痺れを切らした鈴音が、ついには掴みかかって来そうな勢いにまでヒートアップしていた。対して、冷めきった表情の明嗣は面倒だと言いたげな声で答えた。
「この際だからはっきり言ってやるよ。俺は実力が分からねぇ奴と組む気はねぇ。ましてや、最初からなぁなぁでベタベタしてくる奴なんて信用できるか。気を許しちまって、いざと言う時に盾にされても嫌だからな」
「なっ……! もういい! 勝手にしたら!?」
話が通じないと悟った鈴音は、肩を
適当な席を見つけ、ブルズアイを頼んだ明嗣は盛り上がるダンスブースの外から、人混みに紛れて獲物の品定めをしているであろう吸血鬼の姿を探し始めた。
同時刻、このクラブにある事務所のモニタールームから、ボディチェックの様子をカメラ越しから見守る者がいた。このナイトクラブの運営者と、その警備に携わる組織の者達だ。
足をテーブルに乗せた状態で組み、ふんぞり返った状態で椅子に座る白いスーツの男がモニターを一瞥し、口を開いた。
「気に入らねぇな」
「何がですか?」
取り巻きの部下が言葉の真意ついて尋ねると、白いスーツの男はモニターに映る鈴音を指さした。
「この女だよ。明らかにおかしいモン持ってるだろ。なのになんで通している?
「それは……たしかに……」
「それに空気も気に入らねぇ。この女と一緒に何かおかしなモンが入り込んだような、そんな空気だ。なんだ、お前らそんな事も分からねぇボンクラ共か、アァ?」
白いスーツの男に返す言葉がなく、その場にいる者たちはいっせいに口をつぐんだ。萎縮する部下たちに呆れた白いスーツの男は画面を指さした。
「この女を連れてこい。用が済んだら好きにしていい」
「はい。すぐに!」
指示を受けた部下たちは大急ぎでモニタールームから出て、鈴音を捕らえる準備に取り掛かる。慌ただしさが過ぎ去り、一人になった白いスーツの男はグラスに入ったウィスキーを煽り、グラスの中の液体と氷を混ぜ合わせる。
「本当に使えねぇ奴らだな……。まぁ良い。この女が
この前やって来た、自分を吸血鬼だと名乗ったイカれた奴ら。実際に首筋に噛み付いて血を吸う所を見るまでは、実在することを信じられなかった空想の生き物。どれだけ穴ぼこになろうと、生き血を飲むだけで即座に復活する不死身で無敵の
強大な力に隠れて潜む危険に気づかぬまま、白いスーツの男は全能感に身を任せた下卑た笑みを浮かべていた。
鈴音と険悪な形で別行動をすることになってから30分。明嗣は、ふと違和感を抱いた。なんと、ダンスブースで踊っている集団の中に吸血鬼らしき者が一人も見当たらないのだ。
気に入った獲物へすぐに声を掛けて連れ出すことができるダンスフロアから、曲を流して観客の心を操りつつ品定めをできそうなDJブースに至るまで、見える線の色は赤ばかり。“黒い線”を持つ者が誰一人としていないのだ。
いくらなんでもおかしな話だ。これでは、依頼にあった話と矛盾している。
マスターがガセネタ掴まされたか? いや、ウラは徹底的に洗ってるだろうから、それは無いな……。となると……。
明嗣は周囲を見回した。こういう場所にはVIPルームと呼ばれる個室が設置されている場合がある。特別な客にだけ入室を許されたVIPルーム。そこにカップルで入り、二人きりの時間を過ごす事に利用する者もいれば、
しかし、困った事に周囲を見回してみても、明嗣がいる地点からはVIPルームへの入り口が見当たらなかった。
「ねぇ! あんた、一人なの?」
突如、明嗣の元へ一人の女がやって来た。服装はピンクのタックイン・ブラウスと黄のミニスカートはパステルカラーで統一されていた。その足取りは酔っ払っているのか、フラフラとしていて、今にも転倒してしまいそうなくらいにおぼつかない物だった。そして、明嗣の隣の席へ腰を下ろすと「バーテンさん、お水ちょうだい!」と言った。
明嗣はグラスの中身を一息に煽り、飲み干す。隣でその様子を見ていた女は、トロンとした目つきと甘えるようなネコ撫で声とともに、再び明嗣へ声を掛ける。
「良い飲みっぷり。何を飲んでいたの?」
「ブルズアイ」
「そうなんだ。お酒飲めないの?」
「まぁ、未成年だから」
「そっかー。じゃあ仕方ないね〜。んふふ……」
酔うと笑い上戸になるタイプなのか、女は笑い声を漏らす。明嗣はじりっと足を擦らせた。
なんとなく、この女はとびっきり面倒くさいタイプだ、と本能的に感じ取ったからだ。酒を飲んで既に出来上がっているため、愚痴を聞かせてきたりなどウザったさがフルスロットルになっていると予想された。
実際、目の前の女は「実はわたし、悩み事があってさぁ……」と聞いてもない身の上話をし始めた。
「彼氏とケンカしちゃって、別れようか悩んでんだよねぇ……。ソイツってばひどいんだよ!? 気は利かないし、みみっちいし、束縛激しいしでうんざりしてるの! だいたいさ、デート代は彼氏持ちってジョーシキでしょ! ジョーシキ! しかもさ、都合いい時だけすっごく優しくしてくるって下心丸出しでチョーキモイんだよね! それにぃ……」
うーわっ。始まった……。
うんざりしてるのはこっちの方だと言いたいのを飲み込みつつ、明嗣は適当な相槌を打ちながら逃げるタイミングを探っていた。だいたい、その手の話は「お前に見る目がねぇからだよ、マヌケ」で終わりなのだ。
ただ、そんな事を口にした瞬間、トラブルになるのは目に見えているし、なんだかんだ言いつつズルズルと引きずり、捨てるか捨てられるかの結末を迎える事が目に見えているので、こちらとしては不毛な時間である事この上ない。
しかも、こういう時に限って男は紳士的に話を聞いてあげる事を求められるのだから、余計タチが悪い。
昨今のネットでの論調や、目の前の女を見て明嗣は思う。いったいぜんたい、男の女の関係はどこで歯車が狂ってしまったのだろう? こんな調子で「世の中には女性差別が
「あ! リホ、ここにいた! ほら、その人困っているからやめなよ」
「ミサ〜。ねぇ、ミサもこっち来て一緒にこの子とお話しようよ〜」
愚痴を聞かされている内に彼女の友人が迎えに来たらしい。助かったとばかりに安堵の息を吐いた明嗣は、本来の目的である吸血鬼狩りをするべく、VIPルームへの入口を探そうと席を立った。
「どこ行くの?」
「ちょっと用を思い出したんで」
「え〜、もっと一緒に話そうよ〜」
よく言うよ。欲しいのは話し相手じゃなくて全肯定botだろ。
心の中で毒づいた明嗣は、本音を必死に隠しつつ、微笑みを浮かべてその場を離れた。
そして、VIPルームの入口を知っていそうなスタッフを求めてダンスフロアへと歩き出した。
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