第7話 新生活初日

 新しい愛銃を手に吸血鬼狩りへ繰り出した夜から数日後。本日は明嗣が通う高校、交魔第一高等学校の入学式なのだが……。


「あ〜……ついに入学式の日が来ちまったよ……」

「おい、不景気な声出すな。客が逃げていくだろうが」


 この通り、明嗣はHunter's rustplaateのカウンター席で、テーブルに突っ伏して新しい生活の幕開けを嘆いていた。

 黒いブレザーを椅子の背もたれにかけ、白いワイシャツの袖に通した腕を枕代わりに、明嗣はなおも嘆きの声を上げる。


「昔は学校に行かないのがデフォだったのに、なんで俺らの時代は学校なんてかったるい所に行かなきゃならねぇんだよぉ〜……」

んじゃなくてんだバカヤロウ。恵まれてるのを嘆くなってんだ、ったく……」

「ちぇー、もうちょい優しくしてくれても良いだろ」

「あーもう、うるせぇな。これ食ってとっとと行ってこい」


 もう付き合ってられるかとアルバートは、明嗣の前に用意したモーニングメニューのパンネクックを置き、途中まで読んでいた朝刊新聞を手に取った。白い丸皿に盛ったレタスとパプリカをフレンチドレッシングで彩り、中央にはケチャップがかけられたパンケーキと茹でたての五本のソーセージが鎮座している。

 渋々といった様子で顔を上げた明嗣は、ナイフでソーセージを切り分け、フォークで刺して口へ運び始めた。

 ソーセージのパリッと鳴る音と口の中に溢れる肉汁を楽しみながら、店内BGMのジャズに耳を傾けていると、ドアベルが鳴った。


「おっはよー! 今日も良い朝だね!」


 入って来たのは太陽のような笑顔を振りまきながら元気いっぱいに朝の挨拶を店内に響かせる鈴音だった。彼女も今日から交魔第一高等学校の生徒になるので、女生徒の制服である白いブラウスに黒のブレザーにプリーツスカートを着ており、胸元には一年生の証である赤いリボンタイが揺れていた。髪型は初めてこの店にやって来た時のクラウンカットから打って変わり、白のシュシュで束ねたサイドテールとなっている。

 アルバートは新聞を読む手を再び止めて、鈴音に挨拶を返す。


「お、鈴音ちゃん。おはようさん」

「マスター、おはよ! 朝ごはん食べに来たよ!」

「おう、今作るからちょっと待ってな」

「はーい! あ、明嗣もおはよ! 今日はパンネクックなんだ?」


 ナイフでパンケーキにかけたケチャップを広げている明嗣に声を掛けながら、鈴音は隣の席へ腰を下ろす。すると、明嗣はパンケーキと格闘しつつ、口を開いた。


「なぜ、隣に座る」

「えー、良いじゃん。一緒に食べようよ」

「やらねぇぞ」

「アタシはそこまで食い意地張ってないよ!?」

「あっそ」


 素っ気なく返事をし、明嗣は切ったパンケーキを口へ運んでいく。その隣で鈴音はスマホを取り出して画面に指を滑らせ始めた。そして数分経過し……。


「モーニングメニューのパンネクック、出来上がったぞ」

「美味しそう! これ、ネットにアップしていい?」

「ああ。構わんが、その代わりにしっかり食うんだぞ」

「もちろん! じゃあさっそく……」


 許可がもらえたので鈴音はスマートフォンを構えて写真を撮影した。その後、素早く指を滑らせた鈴音はスマホを置き、ナイフとフォークを手にした。

 一足先に食べ終えた明嗣は、食後のコーヒーを啜りながら鈴音と入れ替わるようにスマートフォンをいじり始めた。


「明嗣、何見てるの?」

「ネットニュース」

「何か面白いニュースあった?」

「別になにも」


 鈴音の呼びかけを適当にあしらいつつ、明嗣は画面をスクロールしていく。ちなみに明嗣が見ているのは日本のニュースではなく、アメリカやフランスなど海外のニュースを取り扱うサイト、その中にあるイギリスの事件や事故を取り扱うページであった。

 なぜそんな物を読んでいるかというと、実はロンドンに明嗣が片付けた吸血鬼騒ぎの他にもう一つ奇妙な噂があったのだ。


 内容はなんと、あの伝説の殺人鬼、切り裂きジャックが復活したという物だ。霧に紛れて五人の売春婦を惨殺し、ナイフを用いて腹を裂き、内臓を一部持ち去るという凶行により19世紀のイギリスを震撼させ、英国中の女性を恐怖のどん底へ叩き落としたまま、霧のように姿を消した猟奇殺人鬼。そいつが現代のロンドンに復活し、内臓の他に血液を抜き取るようになっていたという物なのだから、地元新聞も新聞の顔である第一面を使って吸血鬼騒ぎなんかよりも大々的に取り扱っていた。


 しかし、今は収まってしまったのか、覗いているニュースサイトはどこもかしこも向こうの経済や、芸能人のゴシップ、他には強盗事件や交通事故についてのニュースばかりで、切り裂きジャックの事は霧が晴れたように触れていない。


「わ〜……外国のニュースだ……。明嗣って意識高いね」

「おいこら。なに覗き見してんだよ」


 いつの間にか鈴音が首だけ動かしてスマートフォンの画面を覗いていたので、明嗣は慌ててそれを遠ざけて睨んだ。しかし、鈴音は悪びれもせずに笑ってみせた。


「特に面白いニュースはないって言ったのに真剣にケータイの画面を見ているから、なにか見つけたのかなって思って。例えば芸能人のゴシップとか」

「違ぇよ。ロンドンで切り裂きジャックが復活したって聞いたんでその後どうなったのか調べていただけだっつの」

「なんだ、つまんないの」

「あ、そうだ、明嗣。ロンドンと言えば、昨日の夜にお前がロンドンから送ってきた荷物が届いたんだが、何か言う事はないか?」


 ロンドンという単語に反応し、アルバートも話に参加してきた。が、明嗣は質問に答える事なくぎくりとした表情で凍りついてしまった。

 そこへ鈴音も驚いたように目を見開き、追撃してくる。


「え、明嗣ってロンドンに行ってたの!? 良いなぁ……。ね、ロンドンってどうだったの?」


 キラキラと目を輝かせて鈴音は感想を求めてくるが、明嗣は無視してアルバートの質問にどう答えたものかと頭を回す。

 実はこの男、ロンドンで襲ってくる吸血鬼ヴァンパイア共を返り討ちにし、近くの仲介者などを通して賞金がかかっている吸血鬼の首を金に替えて日銭を稼ぎながら旅してきたのは良いものの、宿代に食事代など旅費が思った以上にかさんでしまった。なので、手持ちが間に合わなかった明嗣は裏の運び屋に頼む際、一部の荷物はここの着払いで手続きしたのであった。

 つまり、本人に黙った状態で運送料を立て替えてもらった訳なのだが、ここ最近、新生活の準備やら何やらで忙しくその事がすっかりと頭の中から抜け落ちていたのだった。

 と、言う訳でアルバートの質問により、忘れていた事を思い出した明嗣は引きつった笑みを浮かべてこう答えた。

 

「あー……いつもお世話になっています、じゃ……ダメか?」

「ようは忘れていたんだな?」

「……ッス」

「ったく、お前は本当に……。金の事はきっちりしとけといつも言ってるだろうが」

「悪い。その代わり、向こうで見つけた使えそうな武器とかあるからさ。それで許してくれよ」

「それは使えるように調整しろって事だよな?」

「……ッス」


 じとっとした視線を向けてくるアルバートの指摘に耐えられず、肩を竦めた明嗣はすっかりぬるくなってしまったコーヒーを飲み干した。



 

 交魔第一高等学校は創立から50年ほどの、特にこれといった輝かしい成績もない、平たく言えば平々凡々な学校である。全校生徒は150名、素行不良の生徒が度々事件を起こすなどの悪い噂も特になく平和な学校だった。

 入学式を終えた明嗣は、自身の名が記されている一年A組の割り当てられた自分の席で、ぼーっと虚空を見つめていた。他の生徒達は早々に友達を作ったり、以前から付き合いのある者たちとこれからどうするかを話し合っているが、あいにく今の明嗣にはこの教室でそんな事をできるような知り合いがいないし、新たに作ろうという気にもなれなかった。


 理由は、新たに与えられた二丁の大型自動拳銃にあった。帰国初日の戦い以降も何度か双銃を使い吸血鬼と相対した所、とある問題が浮上したのだ。その問題の内容とは、反動が強すぎて走りながら撃てない。正確に言うのなら、走りながらでは反動を受け止めきれず、狙いがブレ過ぎて明後日の方向へ弾丸が飛んで行ってしまうのだ。

 薬莢に詰めた炸薬にどんな物を使用しているのか不明だが、とにかく片手だと反動が強く、直立の状態で踏ん張って構えないと射出の衝撃で銃身が跳ね過ぎて狙い通りに当たらない。状況によっては相手だって移動するし、こっちだって走りながら撃たなければならない事もあるので、これは早めに対処しなければならない問題だ。


 どちらか一方だけ使用し、もう一丁を予備として運用する事はどうかと言うのも、もちろん考えた。だが一対複数になった場合、どうしても二丁拳銃トゥーハンズスタイルが対応しやすいので、やはり逃れられない問題だったのだ。それに、同じ両手に一つずつ武器を持つ二刀流は近接戦闘において片方の刀で受けて、もう片方の刀で返す反撃重視の戦い方に対して、二丁拳銃トゥーハンズは先手を打ち、中距離から複数の相手を一方的に蹂躙する超攻撃的な戦い方なので性に合っているというのもある。

 なので、明嗣は新しい銃に馴染むための肉体改造に取り組む事にした。という訳で昨夜は徹夜で筋トレに取り組み、脳内で出ていたアドレナリンも切れてしまい、現在は疲労困憊なのだ。

 それにクラスで友達がいなくても特に困る事はないし、生まれつきの真っ白な髪色のせいか、他の生徒達が向けてくる好奇の目が辛い。これでは、まるで動物園の檻で見せ物になっている動物になってしまったようで居心地が悪く感じる。


 喉が渇いたな……。何か飲み物買うか……。

 

 明嗣は視線から逃れるために、喉の渇きを口実に教室を出て、自販機を探しに学校内を歩く事にした。

 見つけた自販機は教室から出て一分ほどの距離に設置されていた。なんとなく甘い物が欲しくなった明嗣はさっそく硬貨を投入し、アイスココアの缶を選択する。

 排出された缶を手に取った明嗣はプルタブを起こし、栓を開けるとココアを口の中へ流しこんだ。カカオと牛乳による優しい甘さが口いっぱいに広がるのを楽しんでいると、ふいに背後から「ねぇ」と声を掛けられた。

 振り返るとそこにいたのは、新生活開始早々、不幸にも吸血鬼に出くわしてしまった彩城さいじょう みおだった。


「あぁ……いつかの。この高校だったのか。名前はたしか彩城……だっけ」


 明嗣が呼びかけに答えると、澪は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。


「良かった……。目が覚めたらいなくなってるから、どうしたのかなってずっと心配してたよ」

「心配……? 何が?」


 明嗣は何も知らないフリでとぼける事にした。まさかここで、「はい。あれは俺が倒しました」と言ったとして、いったい何になるというのか。吸血鬼は実在するなどと言ったとして、コイツはどうかしているんじゃないかと思われるのがオチである。ならば、ここはとぼけて黙っていた方が賢い選択だと言う物だろう。

 だが、実際に吸血鬼に襲われた澪としては簡単に引き下がるはずもなく……。


「何が……ってあの夜の事、覚えてないの? 襲われてる所を助けてくれたでしょ?」

「夜? 心当たりがないな……。日が落ちてからは家に篭ってるし……ああ。なるほど。そういう夢でも見たとか?」

「えっ!?」


 少し考え込む仕草をしてから、それっぽい建前を作り出した明嗣は苦笑いを浮かべて見せた。今の状況はただ澪が言っているだけで証拠はない。

 ならば、ここは澪が寝ぼけているだけという事にしてしらを切る、こうするのがいいだろう。


 その代わり、彩城が夢見がちな空想家って事になるけど、まぁ吸血鬼アイツらに目をつけられるよかマシだろ……。


 一時の恥で危険が減るなら、彼女も儲けものだろう。たとえそれが、己の預かり知らぬ所での危険だったとしても。

 言いくるめる事に成功したのか、澪の方もどうしたものかと困った表情を浮かべている。あとはこのまま、電話がかかってきたフリでもして立ち去るだけと明嗣は心の中でほくそ笑んだ。スマートフォンを取り出し、「あ、悪い。電話がかかってきた」と言うために明嗣はスラックスのポケットの中に手を入れる。

 だが、ここで解放してくれるほど澪も甘くはなかった。


「えっと……あ! そうだ、電話! あたし、警察に通報もしたんだよ? これはどう説明するの?」


 そう言いつつ、澪はスマートフォンを取り出し、通話履歴の画面を明嗣へ突きつける。確認すると19時30分に緊急通報したとというデータがしっかりと残っていた。


「夢で実際に電話をかける事はできないよね。しかも警察になんてさ。さぁ、これはどう説明するのか聞かせてよ」

「うぐっ……」


 ここに来て、明嗣ははっきりと動揺した表情を浮かべてしまった。

 なにせ、今まで明嗣はこういうパターンに遭遇したことがない。ましてや、ここまで問い詰めてくるとは夢にも思っていなかった。

 はっきりと言ってしまえば、もう切れるカードが手元にない。

 明嗣が黙り込んでしまったのを受け、これを好機とばかりに澪はさらに畳み掛ける。


「黙っちゃってどうしたの? もしかして、あたしに隠している事があるとか?」

「あー……っと……」


 引きつった笑みを浮かべた明嗣は、なんとかこの場を自然を脱する妙案はないかと頭を回す。


 どうする……夢オチは通用しねぇし、あの時はっきりと会話しているから人違いも通用しねぇ……!!


 ちらりとまた眠らせてしまおうかという考えが頭を過ぎるが、それは澪の疑念を深める悪手なので即刻却下される。ならば、どうするか? どうしたらこの場を脱する事ができるだろうか。


 ヴー……ヴー……


「あれ? 何か鳴ってない?」


 微かに聞こえた振動音に澪はいったん追求の手を止め、耳をすませる。


 ヴー……ヴー……


 たしかに何かが震えている音がする。

 一方、ポケットに手を突っ込んでいる明嗣はその音の正体を知っていた。これは明嗣のスマートフォンが着信時に発するバイブレーションであった。

 助かった、と明嗣は心の中で深く安堵の息を吐く。同時に、このタイミングで電話を掛けてくるとはいったいどこのどいつだ、という疑問も浮かぶ。

 しかし、これは好機でもある。体勢を立て直すため、明嗣はこの着信を遠慮なく利用する事にした。


「あ、電話だ。悪い! 話はこれで終わりな!」

「え、ちょっと! あたしはまだ――」


 まだ食いつこうとする澪を振り切って、明嗣は脱兎のごとくその場から逃げ出した。そして、指を滑らせて、どこの誰が掛けてきたのかも分からない着信に応答のボタンをスライドさせた。

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